95 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/03/26(土) 22:43:36.61 ID:ayr0lSwr
兎唇といえば映画「信虎」の山県昌景は兎唇だった、背は特に小さくなかったけど。
ついでに「翁草」巻二十七から「欠唇勇士」
唇が欠けた者には勇士が多く
上杉景勝の家中の川田監物信親、家康公の御家人本田百助正広、武田家臣の山県三郎兵衛昌景、福島正則の家臣長尾隼人佐一勝、
おのおの欠唇であり、皆世に名高き大剛の士であった。
中でも長尾隼人は元は山路久之丞といい、伊勢の神戸下総守友盛の旗下であり、北伊勢に隠れなき勇士であった。
のちに福島家で一万石を領し、安芸東條の城主となった。
大男で大力であり、十幅一丈の四つ目結の白絹の指物に、一間半とびだした銀の如意半月をとりつけていたという。
関ヶ原の陣の時、この隼人を「士中の人参なり」と家康公は御賞美したという。
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-608.html
徳川家康と一ノ宮城の本多百助・いい話
でも
>ちなみにこの本多百助、後世、「上杉には川田監物信親あり、福島正則には長尾隼人、
>武田信玄には山県三郎兵衛尉昌景、そして徳川家康には本多百助正広あり」と、呼ばれ
>勇将として天下に名をはせ、良く家康の覇業を助けた。
の話は出てたけど唇のことは書いてなかった。
96 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/03/26(土) 23:21:02.26 ID:ayr0lSwr
長尾隼人については
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4046.html
伊豆韮山城攻めと福島家中の四人
では韮山城攻めの時に負傷したとしているので、後天的かもしれない
ついでに韮山城攻めの話とセットとして語られる
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-239.html
福島正則とその家臣たち・いい話
に出てくる福島正則の三人の重臣はそれぞれ
足を引きずる=福島丹波、片目がない=尾関石見、口が裂けている=長尾隼人
のことだと思われる。
これとほぼ同じ、家康が福島正則の家老たちを称賛する話が「朝野雑載」に載っているが、
福島丹波=足萎え、尾関石見=片目、と同じであるが、
長尾隼人については「きはめて身のたけ短く、耳遠く、左の手かなひがたし」と、唇については書かれていない上、翁草の大兵(大男)という記述とは相違している。
まあ、大男か小男かであれこれ言っていたら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4590.html
馬場美濃にたしなめられるかもしれないけど
97 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/03/27(日) 09:55:21.60 ID:jvjMeU3v
>>95
「士中の人参」は草
朝鮮人参のことなんだろうけど
98 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/03/27(日) 10:44:09.83 ID:1x90f5Z5
「人中の人参」だったら
鼻と唇との間に細く赤く見えてるのを揶揄したのかと勘繰るところだった
99 名前:人間七七四年[] 投稿日:2022/03/27(日) 10:55:55.36 ID:jy2N6Smw
本多百助は代々の名乗りで、その二つの逸話は本多信俊と本多信勝親子それぞれの話のようです。
本多信俊
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%A4%9A%E4%BF%A1%E4%BF%8A
100 名前:人間七七四年[] 投稿日:2022/03/27(日) 10:57:52.03 ID:jy2N6Smw
たしかに朝鮮人参なんでしょうが、ウマ娘ブームなんでちょっと笑ってしまったw
101 名前:人間七七四年[] 投稿日:2022/03/27(日) 11:16:26.80 ID:jy2N6Smw
まとめ過去ログみたら、こっちにもありましたね。
家康、本多百助の息子の名を
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3579.html
102 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/03/27(日) 12:18:47.76 ID:z0veYF8m
ふと思ったけど、セリ科のニンジンを家康は見たことあるんだろうか?
栽培始まるのこの頃だよね
兎唇といえば映画「信虎」の山県昌景は兎唇だった、背は特に小さくなかったけど。
ついでに「翁草」巻二十七から「欠唇勇士」
唇が欠けた者には勇士が多く
上杉景勝の家中の川田監物信親、家康公の御家人本田百助正広、武田家臣の山県三郎兵衛昌景、福島正則の家臣長尾隼人佐一勝、
おのおの欠唇であり、皆世に名高き大剛の士であった。
中でも長尾隼人は元は山路久之丞といい、伊勢の神戸下総守友盛の旗下であり、北伊勢に隠れなき勇士であった。
のちに福島家で一万石を領し、安芸東條の城主となった。
大男で大力であり、十幅一丈の四つ目結の白絹の指物に、一間半とびだした銀の如意半月をとりつけていたという。
関ヶ原の陣の時、この隼人を「士中の人参なり」と家康公は御賞美したという。
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-608.html
徳川家康と一ノ宮城の本多百助・いい話
でも
>ちなみにこの本多百助、後世、「上杉には川田監物信親あり、福島正則には長尾隼人、
>武田信玄には山県三郎兵衛尉昌景、そして徳川家康には本多百助正広あり」と、呼ばれ
>勇将として天下に名をはせ、良く家康の覇業を助けた。
の話は出てたけど唇のことは書いてなかった。
96 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/03/26(土) 23:21:02.26 ID:ayr0lSwr
長尾隼人については
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4046.html
伊豆韮山城攻めと福島家中の四人
では韮山城攻めの時に負傷したとしているので、後天的かもしれない
ついでに韮山城攻めの話とセットとして語られる
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-239.html
福島正則とその家臣たち・いい話
に出てくる福島正則の三人の重臣はそれぞれ
足を引きずる=福島丹波、片目がない=尾関石見、口が裂けている=長尾隼人
のことだと思われる。
これとほぼ同じ、家康が福島正則の家老たちを称賛する話が「朝野雑載」に載っているが、
福島丹波=足萎え、尾関石見=片目、と同じであるが、
長尾隼人については「きはめて身のたけ短く、耳遠く、左の手かなひがたし」と、唇については書かれていない上、翁草の大兵(大男)という記述とは相違している。
まあ、大男か小男かであれこれ言っていたら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4590.html
馬場美濃にたしなめられるかもしれないけど
97 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/03/27(日) 09:55:21.60 ID:jvjMeU3v
>>95
「士中の人参」は草
朝鮮人参のことなんだろうけど
98 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/03/27(日) 10:44:09.83 ID:1x90f5Z5
「人中の人参」だったら
鼻と唇との間に細く赤く見えてるのを揶揄したのかと勘繰るところだった
99 名前:人間七七四年[] 投稿日:2022/03/27(日) 10:55:55.36 ID:jy2N6Smw
本多百助は代々の名乗りで、その二つの逸話は本多信俊と本多信勝親子それぞれの話のようです。
本多信俊
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%A4%9A%E4%BF%A1%E4%BF%8A
100 名前:人間七七四年[] 投稿日:2022/03/27(日) 10:57:52.03 ID:jy2N6Smw
たしかに朝鮮人参なんでしょうが、ウマ娘ブームなんでちょっと笑ってしまったw
101 名前:人間七七四年[] 投稿日:2022/03/27(日) 11:16:26.80 ID:jy2N6Smw
まとめ過去ログみたら、こっちにもありましたね。
家康、本多百助の息子の名を
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3579.html
102 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/03/27(日) 12:18:47.76 ID:z0veYF8m
ふと思ったけど、セリ科のニンジンを家康は見たことあるんだろうか?
栽培始まるのこの頃だよね
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