己はどうして斯くも

2017年10月12日 17:27

310 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/11(水) 21:43:47.62 ID:hmMnuSkv
本阿弥光悦は、累代刀剣の目利きであり、研ぎ、および拭いの業を以て聞こえた本阿弥家の跡を継ぎ、
殊に拭いの殊に詳しく、また書に妙であった。

ある時、近衛三藐院殿(信尹)が光悦に尋ねた
「昨今、天下に能書と称すべき人物は誰であろうか?」

光悦は言った
「先ず、さて次は殿下(信尹)、その次は八幡の坊(松花堂昭乗)でしょう。」

「待て、その”先ず”とは誰のことか?」

光悦平然と答えた
「即ち私なり。」

ただし、当時この3人は天下三筆と聞こえ(寛永の三筆)、光悦の私僭ではない。

ある日、近衛信尹がにわかに光悦を召した。光悦、何事ならんと慌てて参上すると、直ぐ様御前に召され、
信尹は光悦の手を屹と掴み「己は!己は!」と言葉荒く叫んだ。

光悦としては思いもよらぬ事にて、「何事や、御意に逆らいましたでしょうか」と恐る恐る申し上げると、
信尹は笑いながら

「己はどうして斯くも能く書く手を有しているのか!」

そう戯れたのだという。

(今古雅談)



311 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/12(木) 14:28:07.56 ID:KZ3Q7YcS
>>310
昔からこのネタあったのかw

312 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/12(木) 14:57:24.61 ID:Pqs6bOG0
なんちゅうもんを食わせてくれたんや…なんちゅうもんを…
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御上洛の事は

2016年04月04日 17:42

553 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/04/04(月) 01:47:04.76 ID:6Dxu4mW6
 御上洛の事は権現様と今の上様(家光)は度々なされておりめでたい事だと思われます。
禁裏様を敬いなさるご冥加とありがたく考えられます。
 御代が代わりますとともにこの御掟が変わらないようあってほしく思われます。
(本阿弥行状記)

なお



557 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/04/05(火) 20:41:57.30 ID:bNfoPvEx
>>553
家光って3回しか上洛してない。
つまり、何が言いたいかと言うと…
「秀忠に謝れ」

諸国に銀札と申す事があります

2016年03月30日 19:25

477 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/30(水) 00:34:23.46 ID:6rIyf3Q2
 諸国に銀札と申す事があります。この事について思いもよらぬ刑罪の人が出てきています。
国々に銀札の替わりに銭を拵える事をお許しなされたら、日本国中でゆとりが生じ、万民がありがたがることができると思われます。

 ただしこの一事で承っております事に、秀吉公の御賢慮により
「随分色々と臨時の事を申しつけて、とにかく払底させることが天下太平の基」
と仰せられましたことは、一応その利が無いわけではありませんが、国々の困窮が甚だしくなり下々に響き総じて日本国の
弱みとなるかと思われます。民は国の元と承っております。
 秀吉公はあまつさえ千枚分銅とやら申して、黄金を数限りなく貯えられましたという。
秀頼公の御代で新たにお召し抱えた大名小名へ金子で知行を下されましたと聞いておりますが、
いかほどの名城でも日本国中の大名小名を敵にしましては、千枚分銅もだた当座逃れの事でついに落城しました。

 なにとぞ諸国で銭を鋳る事をお許しなされて、その下地の鉄を粗末にしないようにしたいことです。
鍋銭(寛永通宝鉄銭)では悪だくみの者が似せまして、銀札の偽札と同じようになるでしょう。

 ならびに銭の相場も下がるのではないかと思われます。とにかく金銀ともに相場と申すことなく、
銀六十目で金一両、銀十五匁で銭一貫文にしたいことです。
(本阿弥行状記)

札のほうが銭より手頃でいいのにね

名作刃物の事

2016年03月28日 18:09

537 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/28(月) 03:23:26.90 ID:LkpVFYZx
 名作刃物の事、これは私の先祖からの業体として目利きをしていて、折紙も御所望の時は差し上げています。
ですが、新身でも名作に劣らぬ物があり、この後でも昔の名作に劣らぬ名人はいくらでも出てくるでしょう。
そうでなくては、千年も後まで現在では値高い名作は残るはずがありません。
既に『天国』などは私も見ておらず、たまにあります物も多くは偽物でございます。

 総じていか程の名作を持っておられる大将も、心得悪くなされると無益な物となります。
そういいますと名作の折紙もいらぬものになるが、昔からしてきました事なので、
武士が名作を御吟味、御賞翫なさる事は治世に乱世を忘れなされない武備第一の事と思われます。

 現在は新身でも一条国広などは、後代に正宗、宗近程にきっと成るにでしょう。
そのほかにも新身の名作は、後代にいくらでも出て来るでしょう。
ただし名作物などを、小知行の武士方が扱いますとかえって禍も出て来るでしょう。
小身衆は新身の良い物を嗜むべきかと。


 総じて刃物によらず、できるのは昔だけでこの後にはできないと申す事はきっと不自由の論でして、
今から千年の後にも刃物をはじめ何によらず不自由は無いでしょうし、
ただ今はそれほど賞翫されていない諸道具、陶器一切の物で後代に値が上がる物や、
現在は値高い物で後代に値の下がる物など色々あるでしょう。

とにかく、天地創造物の細工ほど恐れ入ります物は無いだろうと考えています。
これを神明と申すのだろうと思われます。
(本阿弥行状記)

折紙よりも自分たちの目利きの方が優れていると、自信たっぷりですね

また、陶器では名作を残し、書では光悦流を築き上げる等の諸芸で才能を開花させたことから
光悦には古い物だけでなく新しい物でも素晴らしいものがあると確信していたのでしょう



全公家衆のもとへ三万石ばかり贈られれば

2016年03月27日 11:24

449 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/26(土) 23:16:31.64 ID:y6nwLLrA
 秀吉公の御代から知行は四ツ物成(年貢が四割)になりまして、甚だ御禄のものが払底しております。
なにとぞ他のなされかたもあるのではないかと思われます。

 また公家方は三十石取といった御身上は、はてさて、恐れながら気の毒だと思われます。
多くの商人達の十人に九人は、公家方と申すと鬼神のように心得て掛売もしない。
なにとぞなされようがあってほしい事と思われます。
今は関白殿下を始めとして、揚名の官(名ばかりの官職)でして政に関与なさることはなく、
明け暮れ歌を詠み、香車風流ばかりを弄びなさっています。
きわめて小禄の公家衆は歌も詠まず、おおかた無理に飲むことで酒をたしなみ、身軽いので密かに勝負事の場所へ入り込まれています。
あるいは貧しい売女のような者に恥とも思わず馴れ通って、果てにはその売女を本妻にされる類も内内に聞いております。
 これは貧しいから起こることで、なんとも気の毒でございます。
なにとぞ全公家衆のもとへ三万石ばかり贈られれば、お行儀も直せるのではないでしょうか。
かつ禁裏様の御守護も重くなるのではないのでしょうか。
(本阿弥行状記)

全ての公家に三万石はきついでしょうねえ



450 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/26(土) 23:29:32.27 ID:tBtQgp7s
合計で三万石ってことでしょうね

451 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/27(日) 02:28:56.27 ID:IdgiLpGz
ああ、そうですね
公家の数を約130家としますと、一家に約230石ぐらいとなりますね

452 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/27(日) 07:56:29.16 ID:vQfV29B3
実力で成り上がった秀吉は利用する価値もない泡沫公家なんか大嫌いだろw

453 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/27(日) 09:03:00.89 ID:edYvsl2/
これ猪熊事件の頃の話じゃないのか

454 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/27(日) 09:18:58.21 ID:pZZ2/1xg
織豊以前はもっと困窮してたろ

455 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/27(日) 09:33:37.01 ID:7Jein4zk
この後に和子入内で秀忠が増やしてやってるんだよね

456 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/27(日) 09:35:50.11 ID:U/uXeUMx
関白も政治に関与してないって事から
徳川幕府成立後の話なんでは。
秀吉公の~ってのは予防線としての前置きみたいなもんだと思う。

457 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/27(日) 11:31:47.93 ID:9X1WzsL8
4割と定まってるならそれ以上多額の税をかけるわけにもいかないということか
貧乏をこじらせてやることといったら飲む、打つ、買うってのは確かに哀れなんだよなあ
逆に戦乱で京都から亡命してた頃のほうがいい暮らしができてた人もいるんじゃないか

458 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/27(日) 11:59:36.91 ID:Qwl0utdK
公家領は武士に対しては存在する軍役・賦役が無く、税収がまるまる懐に入るので実は武士より恵まれていた面がある

459 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/27(日) 13:17:44.94 ID:9X1WzsL8
>>458
あー、言われてみればそれもそうか
でも同額面の武家の知行の数倍相当だとしても決して高くはないのでは

460 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/27(日) 13:29:35.72 ID:7Jein4zk
亡命出来るくらいの公家は手に職持ってるからそれなりでは
亡命時代の日記みても今度は小姓に六韜講義しろって言われためんどくさとかいってたり
やっぱそれなりに大変そうやでw

461 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/27(日) 13:42:50.81 ID:9X1WzsL8
>>460
確かにそれもそうだ

462 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/27(日) 18:00:19.13 ID:4Aczxb8v
>多くの商人達の十人に九人は、公家方と申すと鬼神のように心得て掛売もしない。

どういう意味だろうと思ったら、ローンで買わせてくれないってことか。
金を返してくれない存在と商人たちが思ってたってことで。

466 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/27(日) 21:53:16.39 ID:/od626cG
>>462
ローンじゃなくて現金払いかどうかって事。

クレジットカードに近いけど、集金するのがクレジット会社じゃなくて
商店自身がやらないといけないので、踏み倒す危険性が高い人は
掛け売りを断られてしまう。

467 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/27(日) 23:00:42.57 ID:bRpg+Au9
なお細川家…

468 名前:人間七七四年[] 投稿日:2016/03/27(日) 23:45:07.53 ID:4Aczxb8v
武家は武器で脅して踏み倒していたけど
公家はどういう理由で踏み倒し得たんだろ・・・

469 名前:人間七七四年[] 投稿日:2016/03/27(日) 23:49:49.56 ID:4Aczxb8v
あー、公家は武家と違って一度不渡りを起こしたら二度と貸してもらえないんだ。
自分で解決した。武家が刀で脅すのは二度目ですね。

470 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/28(月) 03:32:00.26 ID:kKHIffK9
???「借金?そんなもんは一揆起こせばチャラになるから怖くねーぜ!」

御大名方へ銀主と申す者達が

2016年03月23日 18:46

416 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/23(水) 01:09:40.50 ID:iBFEBss3
 御大名方へ銀主と申す者達が御館入を務め、金銀の御借入れの事などを近年承っています事は甚だあってはならないことです。
万石取は町人風情の金銀を御借入れなくても、なさりようで毎年準備金を残すことができると思われます。
このような事等は誠に役人が物事を自らの仕事を済ますとすぐに立ち去るように取り扱うために起こるのであり、
この事情により御借入することが出てくるのであると思われます。
 銀主と申して館入を務めることは、秀吉公の御代から始まりましたことだそうで、
その余毒がただ今でも行われてきたことは、あってはならない事と思われます。
(本阿弥行状記)

天下一統により需要が増えたので借金しなければならなくなったのでは?
後、本阿弥家のある京阪では銀で、江戸では金なのですね



林羅山の心をも動かす平家物語

2016年03月22日 11:14

林羅山   
522 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/21(月) 21:40:22.47 ID:WI2DWjOe
 林道春は鳥羽戀塚の碑銘を書かれた時、

「袈裟御前は女ながらも鉄肝石心の烈婦で、源ノ渡に義を立てて身代わりになった志、古今に例のない女のみさおである。」

と、感涙を流された。

また

「源渡、後に重源と改名した者は、隔て心のない出家である。自分は儒者であるので、
儒の見識によりこの評論はしばらく筆を差し置かせてもらう。」


とも言われた。
(本阿弥行状記)

林羅山の心をも動かす平家物語



それゆえ山津波と申すことが

2016年03月21日 20:55

399 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/21(月) 00:11:41.04 ID:WI2DWjOe
 都の近所の丹波丹後などを見受けましたところ、山を開いて山畑を造り、水の便の良い所は畑年貢で米も作っている様子でございます。
それゆえ山津波と申すことが近年所々にあると承っております。
 その様子は山に木を無くしましたので、大雨等がとどまる所が少なくなり急に流れます。
すると、いくつかの川がつかえまして、水損と申すことが出てきました。
もちろん常に水がない川の者は新田を願い出、だんだんと新田が増えることでしょう。
両方が利益の追求に走ることで、かえって上等の田が損してしまうことになるかと思われます。
 きっと近国に限らず、皆このような類が数か所で発生していると思われます。
(本阿弥行状記)




400 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/21(月) 02:50:01.47 ID:CTRuR/43
戦国時代は、集落の近辺は禿山ばかりだったはずだしなぁ

401 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/21(月) 07:36:20.97 ID:YeOWXXly
>>400
燃料から資材として森林を使いまくっていたもんな
禿げ山だらけなんだよな
今の時代のほうが森林としては豊か

402 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/21(月) 09:45:43.45 ID:3uzQrhf5
           |
            |  彡⌒ミ
           \ (´・ω・`)また髪の話してる
             (|   |)::::
              (γ /:::::::
               し \:::
                  \

403 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/21(月) 10:54:37.96 ID:gb6tx5ZK
昔はヒノキの大木なんてそこら中に林立してたんだろうね

404 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/21(月) 11:17:12.46 ID:497TVpTj
昔つっても大昔ならな

405 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/21(月) 16:33:21.41 ID:gWI1KZhW
集落の近辺がみんな禿山ってありえるのか?
それなら集落維持できなさそうだが

406 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/21(月) 16:34:41.67 ID:XdFMeAZt
京都がマツタケの名産地になったのは木材の需要が多い為
殆どの山が禿山になってしまい、その後アカマツしか生えなかったから

407 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/21(月) 19:27:17.85 ID:vepE1UGe
木曾とかはどうなんだろ
もともと制限かけて守ってきたのかな?

新法は当分便利でも良い事は無い

2016年03月20日 18:59

380 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/19(土) 23:11:31.28 ID:tWYe0WnB
 運上の事で色々願います者が次第に出てくるでしょうが、古来から無かった事は御取り上げないことがよろしいかと思われます。
とにかく国々では昔から何事にも古掟等があるでしょう。甲州一分は今をもって信玄公の御代の通りにその国限りで使われており、
国の掟も信玄公の御定めの通り権現様はお聞き届け、そのように治めなされたといいます。
以上のように考えますと、新法は当分便利でも良い事は無いと思われます。
(本阿弥行状記)

甲斐では他国との貿易に金を頼らざるをえないので、
信玄は持ち出し禁止にせざるを得なかったのでしょうね





中国から見た日本の聖人とは

2016年03月19日 18:01

495 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/19(土) 01:50:48.16 ID:tWYe0WnB
 本朝では六孫王経基公より代々の名将が学問を好みなさったという事は承っておりませんが、
天下を治めなさりますのなら、とにかく不学でも心に置くものと思われます。

 もっとも宋朝の儒者が書き残した書などは、高論もあると聞いておりますが、
誠に口先ばかりで天下一統の功に全く寄与できませんでした。
そうでありますので、学文も我が朝の御政務としてはあまりよろしい方法と思われません。
ただ権現様が御定められた掟を守らせなさることが第一と思われます。

 本多佐渡守を以前門徒宗に味方なされましたことにも似合わず、今は仏法を軽んじられております。
貞永式目等にも仏神尊敬の事を認めてありますので、佐渡守様がいかなる御見識かは知りませんが、ちと御不料簡かと思われます。
そのうえ学文をことのほか御政務のことに仰せられます。しかし天下の大綱は上様が直にご決断なされますので、格別学文の害が出てこないのです。

 また佐渡守様が堯舜禹湯文武周公孔子の聖人を天からこの世へ授けなさり、天下万民を安泰に教え導くなさった様に申されます。
しかし、聖人方が自然と世に出られたのです。
その理由は唐土でももはや孔子在世の時には乱世で、なかなか孔子のお力があっても太平になりませんでした。
また父を弑し、主を弑し、国郡を取る人が数多くおり、後代明朝までの歴史に思いがけない悪人も数多くいました。
これも天から悪人をこの世へ出されたと申すべきでしょうか。
孔子の後にも漢高祖、後漢光武帝、元太祖皇帝、明太祖皇帝、この四人の天子が天下を順にお取りになされました。
彼らははなはだ聖人に近い者でありましたが、英雄賢君とばかり書にも明記されております。
堯から孔子まで聖人が打ち続いて天からこの世へ出されたとは、天も偏ってなされかたするものだと申すべきでしょうか。
何事も天下の治乱であっても、まずは自然とでてきたものだと思われます。

 とにかく上にいる方々が無欲でありましたら、下は自然と治まるものではないかと思われます。
楠正成公の庄五郎正行公への遺言などは甚だありがたいものです。これも二三ヶ国を治めますのなら随分よろしく思われますが、
天下の御政務には恵みがなくては下々は詰まるのではないかと思われます。
そのうえ本朝は下々の謀反が出てきた時、その家でなければ味方します者は一人もいません。神代から今の代までついに承っておりません。
そうでありますので、外国と違って、甚だ治政が良い事と思われます。
また唐土の方から本朝の聖人を選びますと数人は挙がるでしょう。

 何事もあまりに物事を詳しくしすぎますと、円郭の周りに沿って人を追いかける様であり、まるで先に走っている者が
かえって遅れているものを追う事と似てきます。
何事も始めは少なく後に大きくすることが、物事を根強くするもので、鼻の先の学術智術ばかりでは、大きな舞台では
行き届かないことがあるでしょう。

 これにつけても、天満宮が御在世の時、遣唐使のことを御諫めされて御止めになりましたことなどは
ありがたい御尊徳と思われます。
(本阿弥行状記)

中国から見た日本の聖人とは




496 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/19(土) 04:53:37.41 ID:ZJZgB71Y
朱元璋「聖人とは朕のごときものが名乗るべし」

497 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/19(土) 14:35:26.09 ID:8YDH9Ll4
皇帝のご威光はまさに光り輝いているようですな

倹約と吝嗇を取り違える者がままいるものですから

2016年03月16日 13:16

477 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/16(水) 02:26:37.27 ID:IKzbChQ9
 権現様はお鷹狩等をされる時はご側室や付添いの女中も連れず、馬上でお供のことなどをたびたび拝見されていました。
駿河から江戸表へ鷹狩から直接行かれる時はいつもこのような事で、古雅で尊い品行だと思われます。
 このような事も下々への倹約をお示すためと存じています。
そうでございますので貴賤ともに倹約に専念しており、この御示しをありがたく思っております。

 しかしあまり貴人方が倹約なされると、職人とりわけて織屋などは今日の生計が尽きてしまうのではないでしょうか。
貴人には貴人の倹約が有って、あまり衣裳法度などを厳しく仰せ付けられると、
下々は表向きは君の御意に叶いますように見苦しいものを着用して、
私的な用や夜分または私邸では、思いのほか結構なものを着用する事などが出てくるものだと思われます。
 十人いたら九人は良い物を着たがりうまいものを食べたがるものです。

 倹約の例は五百年前でも稀なことなので、青砥左衛門尉が布帷子に藤巻の大小を用いられたことが日記にも残っています。
今では何の考えもない人たちがケチの例え使っておりますが、その真似はできるものの、その青砥の器量を真似る事はおぼつないものです。
もっとも青砥左衛門尉は主の心に叶えようと倹約をなさったのではありません。
 北条三代目の泰時、時頼の品行もこれに似ていたので、この青砥のような人も目利きに預かって評定衆の第一となりました。
この青砥左衛門尉藤綱は藤済の末氏と聞いております。

 これにひきかえ太閤様は奢りを徹底的にお極めなされました。
それを大名小名も目に入ったり聞いたりして、段々と下々の者までにも伝わって奢りが移っていきました。
御仁政が多く御代が太平でしたので、皆が我を忘れた事と思われます。
 いつでも倹約は人間の常でありますが、下々の者どもが痛まないような御倹約を示されたいものです。
倹約と吝嗇を取り違える者がままいるものですから。

(藤綱の先祖は伊豆国住人大場十郎近郷、承久の兵乱で宇治に向かって高名をなした。
その勧賞に上総国青砥荘を給わり、これより相伝して代々青砥左衛門尉と呼ぶとのことです。)

(本阿弥行状記)

倹約が過ぎると本阿弥一族にも支障がでたのでしょうね



天下の政は『重箱を擦子木で洗う』

2016年03月15日 11:23

336 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/15(火) 00:53:38.69 ID:r9VV4Cyo
 天下の政もあまり厳しくしますと、我が朝は勇智が鋭い国ですので、役についている者が安心せず、
思いもよらぬ自害をする事も出てくるでしょう。
 権現様が毎度仰せられていたことに、天下の政は『重箱を擦子木で洗う』(細かなことまで詮索しない)
ようにするのがよろしいとのものがあります。
この御上意は末代の亀鑑だとと思われます。

 また何の役であろうと、自分の仕事が済むとすぐに立ち去るように考えている人がございます。
これは先祖からの知行に疵が付かないようにとの心で、
先祖へは奉公の様に聞こえましても、君への不忠かと思われます。
これは上の情は下へ通らず、下の情が上へ通じないことから出てくるのだと思われます。

 そのうえ権現様が御他界されてからわずかな年月しか経っておりませんのに、自然と華麗になっていますので、
私も人もこれを心に忘れないように、上様の御恩を子孫の者どもへ申し聞かせるのでございます。
(本阿弥行状記)

仕事の引継ぎを準備せず放り投げてくる人っているよね(´;ω;`)



一休和尚は御臨終の時、並びに本阿弥行状記の筆者は誰であるのか

2016年03月11日 13:46

456 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/10(木) 21:30:55.87 ID:l/ankN4B
一休和尚は御臨終の時、「しにとうない」と弟子に仰られたことは
とても珍しいことで、一休でなかったらこのような事は仰ることができないだろう。
それゆえ今の代までも尊ばれているのだ。
この意味は筆紙の及ぶところではない。
(本阿弥行状記)

>>371-374 >>376
本阿弥行状記の筆者は誰であるのかというのと、成立年代について少し述べたいと思います。
本阿弥行状記というのは、大きく分けて上巻と中・下巻の二つに分類できます。

上巻は一~六十四段で構成されていて、

一~十四段:光悦と妙秀の逸話
十五~五十段:松平信綱が上京した時に、信綱と板倉重宗に光悦が意見した内容を書き上げたもの
五十一~六十四段:鷹峯と本阿弥家の逸話

に分けられます。五十段では「家父光悦」と書かれているので光悦の子の光瑳が五十段目まで担当し、
五十五段では「親光瑳」との記述があるので、五十一段からは光悦の孫で光瑳の子の光甫が担当したと読み取れます。
そして、光甫が上巻を編纂した考えられます。

中・下巻は上巻の附録として六十五段~三百八十段あり、光悦と光甫の二人が書き残した反故紙から取り出した逸話と
編集者の聞いた話を混雑校合せずに列挙したものだとの説明があります。
では編集者は誰なのかというと、三百三段に「堀田公老中、酒井雅樂公御大老の砌」に「祖父の被申は」とあるので、
酒井忠清が大老で堀田正俊が老中であった延宝七、八年の時には当主光甫であったので、
彼の孫で本阿弥家当主を務めた光春だと推測できます。

いつ頃中・下巻が成立したのかというと、
一番新しい逸話としては二百四十九段と三百四段に吉宗の諡号の「有徳院」の名がみえるものが挙げられますので、
宝暦元年閏六月二十九日に吉宗に諡号が授けられた後ということになります。
つまり、今までちょっといい話・悪い話に投下した本阿弥行状記出典のもので本阿弥家と光悦の意見に該当しない、
戦国武将の逸話等の作者は戦国期の光悦でも江戸前期の光甫でもなく、吉宗の時代の光春の可能性がある、
いや、かなり高いと思われます。

それは、光甫の編纂したので江戸前期のものと思われる上巻も所々おかしな記述が見受けられるからです。
石川五右衛門の名が堂々と出てきたり、寛永二年を秀忠の代としていたり(秀忠は生きているが家光に譲っている)します。
また、家綱の諡号「厳有院」の名がでてくるので延宝八年以降に光甫は編纂したことになるのですが
光甫はその二年後の天和二年に八十二歳で亡くなるので行状記は八十歳でまとめたという計算になります。
加えて、もう延宝七年には鷹峯を返上してるのにまだ住んでいるという記述があったりして事実と矛盾があります。

そして本阿弥行状記の大きな問題点として、原本が現存していないということがあげられます。
今残っている写本は数種類ありますがそのどれもが同一系類で、奥付の由来が途中まで一緒なのです。
そしてその写本の最初は宝暦元年初冬に佐々木高豊という人によるものなのですが、その写本も失われており、
現存の写本は天保以降に写した写本の写本の...となっています。

先の上巻の誤りは写していく過程で生じたものかもしれないとの指摘があると思いますが、
刊本されない家伝書だからといって、宝暦頃まで写本が一つもない、現在も一つの系統しかない、というのはおかしな話です。
いちおう大田南畝が『仮名世説』の中で本阿弥行状記の妙秀の話を書いています。
『仮名世説』が刊行された文政八年には存在したことになりますが、
それ以外に江戸期にこの行状記の内容に言及したものは寡聞にして知りません。
上巻の光悦の意見の箇条書きは、家康も見たと行状記の中に書かれていますが、
そんな記録はどこにもありません。

なので、この本阿弥行状記は大体吉宗の頃に当時の本阿弥家が一から書き上げた書で、光悦でも光甫も書いてない
と言われても反論の仕様が無いのですね。
実際のところは、光悦や妙秀の元となった逸話自体はあってそれを膨らませていったのだと思いますが、
とりあえず、本阿弥行状記の作者を光悦や光甫と考えるのは少し危険かもしれませんね。



妙秀は人が死んだ後に借銭が少しあると聞けば

2016年03月09日 18:19

443 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/09(水) 06:18:22.49 ID:MxI7Zgjc
 妙秀は人が死んだ後に借銭が少しあると聞けば、

「さてさて、その子供はめでたい譲りを受けたものだ、冥加があるだろう。
親の心は高きも賤しきも、自分の身を切り詰めて子に譲りたく思うものです。
 まして下劣の者どもは自分の身に着たい物を子に着せて、珍しい物があれば自分で使わず子に与えます。
老い衰えて見苦しい姿となるまで田舎遠国へもへつらって廻り、金銀を貯え持つのは皆子に譲りたいためです。
 そうであればこの譲りを受けるのは、親を剥ぎ、親の咽を絞め、親に恥を与えるものではありませんか。
この道理を心に持って、分に過ぎて親の譲りを受け取った人々は猶更考を尽くすべきです。

 遺産を譲り受けた富貴の身としては、親が死んで『これは』という程の仏事もなさず、
一生の恩を忘れて、その忌日だけにさほど聞こえのない僧をただ一人二人招いて弔うだけでは不足であります。
自ら香花を供養し、慇懃に僧の給仕するべきです。

 また親が借金を負ったのは、子に譲るべき物をたくさん使ったためです。
親が苦しみながら持っていた借状を将来に相続する子には、仏神の御恵みがあり天命に叶ったのを数々見てきました。
返す返す考えるに、欲深く貯えた金銀を譲り受けることは恐ろしい事です。」
妙秀は常に申していたという。
(本阿弥行状記)




『遠きは花の香』

2016年03月08日 13:10

440 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/08(火) 08:04:27.69 ID:zmeUVn88
 妙秀が常に申すことでは
「親子兄弟は近くに住むことはよろしい事ではない。『遠きは花の香』と言われています。
住居が近ければ、下働きの者がたびたび行き来して、良きことを言わない。
またもし火事に遭うことがあっても、兄弟で別々の家があるとその方へ立ち退いて、差し迫って事を欠かない。」
とのことであった。
(本阿弥行状記)



『土蔵にただ今火が入ってきました』「さてさて、嬉しいこと嬉しい事」

2016年03月05日 14:09

412 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/04(金) 23:33:07.35 ID:2bHsAD0P
 昔大火事が有った時、私たちの聟の家も類焼に遭った。
召し使っていた女が『土蔵にただ今火が入ってきました』と
嘆き来たのを妙秀は聞くと

「さてさて、嬉しいこと嬉しい事」

と言った。光悦が側に居り

「何という事を仰られますか。人が聞いていますよ」

と言うと、

「確かにそうですね。しかしこの者の先祖は無慈悲けんどんで、わずかな金を貸して悪くない物を質物に取り、
持主が金を返したので質を返してほしいといっても、『もはや期限の日も過ぎたので外へやってしまった。』と
偽って返しませんでした。

 その道具の持ち主は高値で売り払ったものの、後に妻子を養おうと思っていた物を取られ迷惑していたというのに、
むごいことにあの者は返さなかったのです。
 そうやって人の宝を痛ましくも自分の物にして高価で売り渡し、
何につけても欲深く貯えて置いた財宝が今にも蔵の中にあります。
この財宝があるうちは聟は災難に遭うだろうと日夜心苦しく思っていました。

 そこに蔵へ火が入ってきたと聞いたので、あまりの嬉しさに何のわきまえもなく
先の事を言い出してしまいました。
許してください。」

妙秀は返事した。
(本阿弥行状記)



413 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/05(土) 13:21:27.73 ID:i83ZJqNE
テレビとかで詐欺の報道見る度にバカだなあと思うけど騙される時は騙されるんだよ明日は我が身とはよく言ったもんだ

414 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/05(土) 22:36:52.81 ID:BiCLFBQb
これがその「災難」なんじゃ…
災難にあい続けることはなくなったってこと?

義理を知らない者には必ず災難が来るものだ

2016年03月03日 18:18

408 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/02(水) 22:27:24.64 ID:ymgD2YIm
 何の某とかいう者が、侍の娘を娶り子を三人産んだ。
しかし、侍は娘がその後に疱瘡にかかり見た目が悪くなったといって、娘の元から去ってしまった。
初めの時よりますます大切にするべき事だというのにと、人々は侍を見限った。
だがその指摘みたいに大切にされる事がかなわない女はあまたいる。

 親がいるときに嫁としてもらったら、親が死んだ後に嫁の元から去るものではない。
また親の身の上が衰えたからといって去るものではない。
嫁が盛りを過ぎたからといって去るものでもない。



 光悦の弟に宗智という者がいた。
京中で隠れない大正直者であったが、かの妻と離別した者と時々出会っていると妙秀が聞いて

「世に隠れない畜生と伴にいる者もまた畜生である。私の子ではない。」

と勘当した。これはあまりの事だと人々が申していると

「私もさように思いましたが、
我が一類が多いのでこのような義理に違う者もいるだろう
と思ったので見せしめにしました。」

と彼女は申した。

 また本妻が年老いると夫婦仲が薄くなり気随放埓となり、成人した子供の思いにも恥じることなく、
本妻の心を痛めさせる義理を知らない男がいる、
との話を妙秀は聞くと、

「さような者とは必ず疎遠にするべきだ。義理を知らない者には必ず災難が来るものだ。」

と申していた。
(本阿弥行状記)

宗智さん、ちょっととばっちりのようなきがしないでもない



富貴な人ではけんどん(けちで欲深い)なので

2016年03月01日 10:44

404 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/03/01(火) 04:24:57.41 ID:RUUgDYNK
 妙秀には男子が一人、女子が二人いた。姉の方の娘は尾形という者の方へ遣わした。
しかし、仲人が偽って身の上が良いように申していたが尾形家は殊の外貧しかった。
「娘は内心ではさぞかし苦しく思っているだろう。」と光二は大いに悔やんでいた。
 しかしこれに妙秀
「身が貧しいことは苦しくありません。富貴な人ではけんどん(けちで欲深い)なので有徳(富み栄える)となったの
だろうと心もとないです。
 この聟の親は正直正路で親に孝行な者です。このことを確かに聞き及び心が引かれたので娘を遣わしました。
先祖が善心であることに勝る宝があるのでしょうか。
 第一に夫婦仲の事は心安く思ってください。彼らは頼もしいですよ。」
と申された。

 さて程なく娘夫婦は男子をもうけた。男子は尾形新三郎といった。
尾形家は浅井殿の御家来筋のものであったので、台徳院(徳川秀忠)様へ御台様(お江の方)が御輿入れなさった時、
聚楽から伏見へ、かの妙秀の孫の新三郎もしおれた袴と肩衣でお供に参っり、その後も常に式台に詰めていた。

 程なく(秀忠が将軍となり)天下の御台様とならせられました。
御台様は(姉の淀のいる)大坂へ言付けをなされたおかげで、尾形家は大坂へ呉服を差し上げることができ、
それで御台様の御用は申すに及ばず、その家柄により今に至るまで上様方のおかげで
かの者の子孫は見かけ良く世を渡っております。

 とにかく妙秀はけんどん大欲で有徳になった者は程なく滅ぶ、と申して大いに嫌っていました。
(本阿弥行状記)

この尾形新三郎宗柏の孫に
五千円札の燕子花図でお馴染み、 尾形光琳がいます



しかし妙秀は、

2016年02月29日 22:02

396 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/29(月) 02:24:48.36 ID:7U1uPL/A
 人を殺めた者が血刀をさげて走り込み、妙秀本阿弥光悦の母)を人質に取った。
しかし妙秀は、
「私はあなたを助けましょう。こっちへ来てください。」
と納戸の内へ押入れ外から掛け金を掛けて、自身はそのまま家の外の近くに出て座った。
 追手の者どもが数十人駆け入ってきた。
妙秀はまだ若い女であったが顔色も変えず、
「これは何事ですか。」
と言うと、追手は
「人を切った者がただ今この家へ走り入った。」
と話した。妙秀は聞くと、
「何と恐ろしいことでしょう。裏へ走って行ったのかもしれません。
よく探してください。」
と言って大いに騒いだ。追手たちは『さては隣家にいるのだろうか』と隣を探したそうだ。

 日が暮れた後、妙秀は彼にかたびらを着替えさせたり編み笠を被らせたりして、
旅費などをやって去らせた。
(本阿弥行状記)

なぜ妙秀はここまで手厚くしたのでしょうね



397 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/29(月) 06:56:16.84 ID:Ekt8UXVi
知り合いだったとか
あるいは宗教の同門
実は光悦の本当の・・・

今の甲賀衆がこれである。

2016年02月25日 19:05

378 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/25(木) 07:36:37.17 ID:8HeofBJo
 信長公が明智により生害なされたころ、東照宮は御上洛し堺に逗留されて、諸方の珍器等をご覧されていた。
 そのところへ、御注進が来て堺の辺りも殊の外騒がしくなった。御小勢なのでとても明智へ向かいなさることは叶わず、
大和路から伊賀越えで江戸甲賀郡へ御ひらいて御帰国なされようとしたところ、甲賀郡で野武士どもが、『落人がいた』と数十騎で道を妨げた。
東照宮は馬上で真っ先に御出でになされ、

「我は全く落人ではない。三河国の徳川家康である。上洛の折から将軍が御生害ゆえ本国へ引き取
るものである。道を開け。開運の時節もあらば恩赦があるだろう。」

との御上意があった。するといずれも御威光に恐れて御道を開き御国元へのご案内をしたという。

 今の甲賀衆がこれである。伊勢の神宮三方衆もこのたびの御恩賞として、神務の外に今は御朱印を頂戴されたという。

 天下を取りなさった君は、天がゆるせる御果報があって、めでたく帰国なされたという。
危うい場所での御高運と言えるだろう。
(本阿弥行状記)



379 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/25(木) 08:33:22.41 ID:TxbN0KVY
これが徳川に対する配慮かw

380 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/25(木) 08:45:28.21 ID:OMvcFVKY
アンコンされてるな