特に動揺はなかったという

2017年11月25日 15:27

451 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/25(土) 14:01:56.38 ID:JplSg2Nq
関ヶ原で東軍が勝利した後、近江佐和山城を筑前中納言小早川秀秋、小川(祐忠)、朽木(元綱)、
脇坂(安治)などに、城の請取が命ぜられた。
諸手面々が取り囲んで攻めたため、佐和山城では持ちこたえる手段無く、各々自害して天守に
焼草を入れ置き、発火のための鉄砲の火薬2,3石ほどを入れた。

この時、櫓の防衛に当たっていた手の足軽大将の元にあった火薬に、どうしたわけか火がうつり、
櫓ごと爆発した。
爆発の衝撃と黒煙のため、そのあたりでは目がくらみ敵味方の見分けもつかぬ状態となり、
攻め手の中の、とくに若い者たちは不覚にも崩れ、その不名誉は後に人の口に上ったという。

この時に懲りた故か、その後天守に火が付き、火薬のため爆発したが、特に動揺はなかったという。

(士談)



452 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/25(土) 15:05:58.50 ID:fRRJNyEY
鳥羽伏見の戦いで大坂城がほとんどもぬけの殻になった後
民衆が略奪しまくってたら城が爆発炎上した、て話を思い出した
某司馬遼太郎作品では薩長軍はそれを見越して後で悠々と城入りした
てことになってたけど、本当だとしたらこういう話を知ってたんだろうか

453 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/25(土) 15:11:15.31 ID:b86Bif5A
幕末までは日本人もちゃんと略奪とかしてたんだな
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草が風になびくような

2014年07月12日 19:30

671 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/12(土) 10:19:14.54 ID:amolp6fl
せっかくなんで、「徳川実記」家康公伝より
三好に追われた義輝を匿ったり、金ケ崎の信長逃亡を手助けしたり、の朽木元綱関連の話を

関ヶ原で金吾に引き続き脇坂、赤座、小川といっしょに寝返った朽木元綱
夜になってから、細川忠興を頼り家康本陣にご機嫌伺いに参上し、
「元綱が一旦敵方になっていた罪は言い逃れできませんが、脇坂安治の陣に従い、
お味方する意志を示しました。
どうかお許しをいただき、今後忠勤させてください」といった。
家康は
「お前のような地位の低いものは、草が風になびくようなものであるから、深く責める必要はない。
本領安堵はこれまでと変わらない」
とおっしゃったので、元綱も家康の寛容さに感動し、涙を流しながら退いたそうだ。

本領安堵とはいえ嫌味を言ってる気もするので悪い話に




672 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/12(土) 11:29:30.95 ID:2gB85Ays
実際の所、適当な理由付けて許してやらんと
仲介者の面目が立たんし