しかし田中はその晩のうちに

2015年07月30日 11:38

128 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/07/30(木) 04:23:43.44 ID:LgybVBYt
加藤清正が宇土城を攻めた時の事。

清正は「夜襲が有るかもしれないから、警戒は怠らないように。」と部下達に指示していた。
果たして或る夜、宇土城方は杉本次郎介を隊長として清正の陣に夜襲を仕掛けてきた。
日下部平助と阪川忠兵衛が即座に応戦し、陣の守りが固い事を知った杉本は城中へ引き返した。

そんな中酒に酔って眠っていた田中兵助は鉄砲の音で目覚めると慌てて槍をとって参戦したが、
夜襲を仕掛けてきた敵兵はほとんど宇土城内に撤収した後であり、
隊長の杉本だけが大手門の柵の木戸口の所に留まり残っていた。
杉本は声を掛けてきた田中に十文字槍で一撃を与えるとすぐに柵の中へと入っていった。

さて戦闘が発生したからには論功行賞がある。
その日の夜襲に対応した者達を集めて論功行賞が行われたのだが…

日下部・阪川・田中「「「俺が一番槍だ!!!」」」
清正「」

実際にほぼ同率一番槍であった日下部・阪川に加えて遅れて参戦した田中も
「自分は先駆けをした」と主張した為面倒臭い事になった。

清正は三人の負った傷をよく観察してからこう結論を出した。
「一番槍は日下部と阪川のどちらかだろう。田中は嘘をついている。」

「日下部と阪川の二人は矢傷を負っている(が、田中には矢傷は無い)。
槍を合わせる前にはまず矢を射かけ合うものだから、矢傷のある日下部と阪川が
田中より先に戦闘に参加していた筈だ。」
「それに田中の槍による傷?は右腕にあるが、普通槍による傷は左腕に付くものだ。
まして横方向の切傷というのは…まさか自分自身で付けた傷ではあるまいな?」

清正の上記発言を聞いて田中は
「銀の沢瀉の立て物の兜を被って、杉本次郎介と名乗った十文字槍を持つ武士が
この傷を俺に負わせたのです、それなのに偽りと言われるとは俺はなんて不幸なんだ!」
と抗議し、退出した。

後日宇土城は明け渡され、杉本も清正に仕える事となった。
清正が杉本にその日の夜襲の事を尋ねると、
杉本は「城中へ退却する途中、とっぱいの兜を被って、槍を提げて走ってくる武者に
十文字槍で一撃を与え傷を負わせました。」と答え、これは田中の証言と一致した。
その為「疑ってすまなかった…。」と清正は田中に500石を加増した。

しかし田中は加増されたその晩のうちに
「虚名を受けて世の人達から批判を蒙りましたので加増して頂いた分も含めて禄はお返しします。」
と書置きを残して出奔し、肥後から立ち去った。
(常山紀談)

話としてはここまでなので残り数行は略したが、この後に
「田中は元々盗賊である。26歳の時、三条河原に盗賊たちの頭目である石川五右衛門が処刑の為引き出された所に走り寄って
五右衛門の警護役を一刀の元に斬り殺し、『日頃の恩は返したぞ』と叫んで騒ぐ人ごみに紛れて逃げおおせた。」
という本当か嘘か分からない田中の経歴が書かれている。

日頃からこういう調子のホラを吹く人物だったので疑われたのでは…?




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