賊軍の平行長から

2017年03月10日 13:08

651 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/03/10(金) 00:39:46.61 ID:CuKbDLlq
ついでに↓でも触れられているけど柳成龍による巨済島の海戦
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1642.html
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2860.html

賊(日本)軍の平(小西)行長から要時羅(よしろう)という人物が金応瑞に派遣されて
「自分は講和交渉を台無しにした加藤清正を甚だ憎んでいる。
これこれの日に、清正の倭船が渡海してくるので朝鮮の水軍は迎え撃つべきだ」と言った。
権慄はこれを信じたが、李舜臣は賊の罠だと疑い、前進せずに遅延してしまった。
とうとう清正が上陸してしまったため、朝廷は李舜臣を咎め立てし獄舎に投ぜられた。
するとまた要時羅が派遣されて「これこれの日に倭船が来援します」と伝えてきたため、
李舜臣と仲の悪かった元均は、あるだけの船を全速力で向かったところ、
強風が吹いて散り散りになり、疲れたところを賊軍に襲われてわが水軍は壊滅してしまった。
思えば、賊軍は水軍にだけは敗北を喫していたため、秀吉がそれを憤って行長に撃破を命じ、
行長は応瑞を騙し、李舜臣を罪に落とし、元均を海上におびき寄せて襲撃したのだった。
その計略は至って巧妙で、わが方は、ことごとくその計略にはまり込んでしまった。
哀しいことである!

友軍を売ろうとしたら大戦果を収めてしまった小西行長であった


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元均の人柄を見るに

2016年12月30日 18:17

元均   
479 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/12/30(金) 00:16:58.55 ID:vzqPZiwu
誤った文で送信してしまったので再投稿

唐入り戦間期の頃、李舜臣が失脚し元均が統制使(朝鮮水軍の司令官)になった時の話。

私(安邦俊)の叔父である東巌公の妻が元均の親族だったので
統制使となった元均が私の家を訪ねてきてこう言った。

「何がうれしいってをこの肩書になったことで栄華を極めたことなどではなく
李舜臣に対する恥辱を雪ぐことになったことが何より嬉しい」

これを聞いた東巌公はこう答えた。

「あなたが充分に忠節を尽くして敵を打ち破りその功績が李舜臣を上回った時こそ恥辱を雪いだと言える。
ただ李舜臣の肩書になり替わっただけで嬉しいとは…。恥を知れ!」


すると元均

「私が敵と戦う時は遠ければ片箭(弓)を使い近ければ長箭(槍か?)を使い
ぶつかり合う時は剣と気合を使うので勝てないわけがないだろう」

といった。

東巌公は笑って

「隊長なのに刀を振るわねばならないのか?」

と答えた。
元均が帰った後、東巌公が私に

元均の人柄を見るに将来は立身すると思っていたが間違っていた。
 元均は趙括や騎劫と言った古の武将と似たような男ではないだろうか」

としばらく嘆いたという。


(隠峰全書)



「閑山島海戦」の敗戦

2013年05月28日 19:41

719 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/28(火) 06:39:42.85 ID:NL44dUxg
文禄元年(1592)7月、朝鮮の役

脇坂安治九鬼嘉隆加藤嘉明の3人は都より14日かけて釜山海の川口に到着し、敵の番船を
どう討ち取るかを評定したが、九鬼・加藤両人は船を動かさずに居た所、脇坂安治は一人、
自身の手勢だけで、7月7日、唐島表に船を押し出した。

この時瀬戸の内には敵の番船が4,5隻ばかり居たのを見つけると、脇坂軍は鉄砲を撃ちかけ
半時(約1時間)ばかり攻め懸け戦ったが、敵船は少しずつ退くのを、隙間なく攻めかかり、
およそ3里(12キロ)ほど追撃したのだが、敵船は瀬戸の内を過ぎて広い所へ出ると、
一度に舵を取り直し、大船を3手に分け、味方の船を引き包み、差し詰め引き詰めつつ
攻撃してきたため、味方の船は死傷者が多数出た。

その上、敵は大船であり見方は小舟であったため、対抗できないように見え、元の瀬戸の内に
引き退こうとした時に、敵船は一気に押しかけ、味方の船に焙烙火矢を投げ入れ、たちまちのうちに
船を焼いたため、脇坂安治の家臣である脇坂左兵衛、渡辺七兵衛を始めとした、名の有る者共が
討ち死にした。
しかし脇坂安治は、櫓の数の多い早舟に乗っていたため、その駆け引き自在の運動性に
助けられ、その身は無事であったが、それでも鎧に屋が当たるなど、十死一生を得る危うさであった。

敵船はなおも追撃し、しきりに火矢を射かけてきたが、脇坂安治の早舟は終に金海に撤収した。

この時敵に討ち漏らされた手勢が200人余りあったが、彼らは陸地から50町(約5.5キロ)離れた
小島に船を着け、各々船より上陸した。
この時、追ってきた敵船によって味方の大船が焼かれてしまった。
眞鍋左馬充と言う者は、その船の船長であったが、
「この船を焼かれた上は、私の命ばかりが助かった所で何の意味があるだろうか?
再び軍中において諸士に逢っても、語る言葉も無い!」
と言って、切腹して死んだ。

この頃、九鬼・加藤の両人も脇坂安治が既に唐島の敵船団に敗北したとの情報を聞き、直ぐ様
船団で馳せ向かったが、敵はカズも多く大船でもあるため叶わぬと判断し、二人共に安骨浦に引き返した。
敵船はこの後を追い、日が暮れるまで安骨浦の湊において船軍となった。
ここでも見方は敗北し、九鬼の船は帆柱をも打ち折られた。

夜に入って、敵船は唐島へと引き上げた。これにより唐島浦の小島に避難していた脇坂家の家臣たちは、
焼き捨てられた舟板で筏を作り、陸地に渡ろうとしたが、敵船10雙ばかりが昼夜島を取り巻いていたため、
彼らは13日にわたり、松の葉や海藻を食べて敵船が引き退く隙を待った。
こう言ったところに、再び唐島表に日本の兵船が多数向かうとの情報が流れ、敵船はにわかに
島から退いた。

この隙に島より、5人、10人づつ筏に乗って陸地へと渡ったが、敵船はまた引き返してきて、
海辺で10人ばかりを射殺した。
残った200人ほどは虎口を逃れ、危うい命が助かって、金海へと帰還した。

この敗戦は日本に知らせられ、豊臣秀吉より、藤堂高虎を遣いとして、直々に批判と
防衛の徹底を求めた書が下された。

こうして脇坂安治は、唐島表において敵船団に討ち負け士卒を多数討たせたことを遺恨に思い、
敵船団ともう一戦しようとあちらこちらと探索したが、終に敵船団に行き会うことはなかった。
ある時、敵の物見の船を見つけ、即座に乗り捕り尽く撫で斬りにして、大将と見えた者を生け捕りにし
牢獄に入れておいたが、しばらくして敵陣へと脱走した。この者は後に唐島表の海戦の時に、
8万の軍の大将となって来たとの事である。
やがてその年も暮れと成ったため、熊川へと引き取った。
(脇坂家傳記)

朝鮮役において、抜け駆けをした脇坂安治が李舜臣の船団に敗北したいわゆる「閑山島海戦」の敗戦の模様である。




720 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/28(火) 07:20:20.50 ID:IauFkIIW
なんか脇坂さんっていつも一か八かの博打が多い気が
この前の秀吉待ちぶせといい、
赤鬼に単身談判といい、
上野城攻めといい(司馬遼太郎「貂の皮」でしかしらないけど)、
この閑山島海戦といい、
関ヶ原での便乗裏切りの素早さといい

721 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/28(火) 12:28:48.12 ID:1lW1YO6h
一貫性があるのがいいね!

722 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/28(火) 12:36:26.61 ID:kR++sBbf
7本槍なのにいまいちな印象(´・ω・`)

723 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/28(火) 14:15:40.22 ID:MDl3PRNH
韓国では脇坂は戦死したことになってるんだったか

724 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/28(火) 14:18:53.22 ID:qLXtfEUQ
影武者が本人に成り代り活躍とかなら面白いけど
ウリナラファンタジーのコリエイトだから無いな

女真族の侵入と李舜臣

2011年08月08日 23:01

李舜臣   
349 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/08(月) 02:34:01.72 ID:X7LsoWEo
朝鮮の防備は女真族の戦いを想定した北方偏重の態勢であり
朝鮮軍の主力は常に北辺にあった。

朝鮮の武官李舜臣も北方に赴任し、豆満江の河口にある鹿屯島の屯田を守る任務に就いていた。
ある霧がかった日、軍人たちは皆収穫の為に出かけ、砦には李舜臣以下十余人だけが残っていた。
そこに突如女真族の騎兵が四方から集まってきたのである。
李舜臣は直ちに砦の門を閉めさせると、自ら柳葉箭を射て数十騎を馬から射落とし
さらに女真族が逃げ始めると単騎で飛び出して大声で呼ばわりながらこれを逐ったので
女真族は総崩れとなり、李舜臣は略奪されたものを取り戻して砦に戻った。

この出来事に対して朝廷は「女真族の侵入を招いた李舜臣は今後一兵卒として白衣従軍すべし」とした。
後に官職への復帰は叶ったものの以後李舜臣の昇進は遅れ
柳成竜によって抜擢されるまで不遇な状況が続くこととなる。




350 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/08(月) 02:56:50.00 ID:6iq36ZIz
これ、はっちゃけすぎて「むやみに女真族刺激すんじゃねぇボケ」って怒られたのか?
後の英雄化で詳細がぼかされて状況がわけわからん事になってるなw

351 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/08(月) 11:41:31.97 ID:TviMI2W4
もしくは違うエピソードが二つくっついて、
登場人物が有名人に置き換えられたとか。

これだけだと目立つ活躍をしたから閑職に追い遣られた、
という解釈の方が良いんじゃないかと。
当時のかの国の上層部が腐ってた悪い話というか。

352 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/08(月) 13:32:08.54 ID:1ihk+plq
>>350
攻めてきた女真族の撃退には成功したけれど
被害はせっかくうまくいっていた屯田を廃止せざるをえないほど大きかったので
直属の上司と一緒に責任を取らされた。

李舜臣自身は「前から兵が少ないと訴えていたのに、増やしてくれなかったじゃないですか。」
というような事を言っているので、元から防衛体制に問題があって
そこに付け込まれた責任を現場が取らされたということかも。