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村上吉充の人となり

2012年03月16日 21:56

327 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/16(金) 01:06:26.53 ID:XtYqNzXR
三島村上水軍の棟梁のうち、因島の村上吉充は
ほぼ同時代を生きた能島の村上武吉と来島の村上通康の高名の影に隠れて今一つ目立たない。
そんな彼の人となりを、因島村上氏の一族の記録から見てみよう。


北九州方面から上方へ来る荷船は赤間関で、防長・豊前から来る廻船は上関で、能島衆が通行を取り締まっていた。
豊後・日向発で伊予方面に向かう荷船は来島衆の、備後方面へ向かう船は因島衆の担当である。
しかし上関や周防大島の衆が豊後沖付近まで出張って荷船から帆別銭(通行料)を取ってしまうことがあり、
それをされると因島衆の収入が減ってしまい、大きな悩みの種であった。

また、因島付近を通行する未取締船にも、小早川家のお膝元である近所の三原港に逃げ込まれてしまい、
仕方なく取立てを諦めることが何度もあった。
因島の当主・村上吉充は腹に据えかねて、この窮状を小早川隆景に訴えた。

「因島は三島の中でも小身なのに、このような仕打ちは我慢できません。
 何卒よくお考えいただいて、違反がないよう御命令を出してください」

「言いたいことはわかりました。ですが、海上のことは村上三家に一任していることですし、こちらからは何とも……。
 それに、海の関を逃げられることもそちらの不手際ではありませんか。新蔵人(吉充)よ、そのような申し出は通りません」

素気無く断られた吉充だが、一度では諦めなかった。
今度は配下の若者たちを動員して一斉に奉行所に訴状を出させたのだ。

しかし、これがまずかった。隆景の逆鱗に触れたのである。
(隆景様御機嫌悪鋪、仰出され候は、)

「三原へ逃げ込んできた船に、いちいち通行料免除をしなければいけないこちらも迷惑なのですよ。
 しかしどこの国の船であろうと、助かりたい一心で飛び込んできた者を助けないのもまた不仁。
 私に船を助けてはいけないと言うのであれば、その方もまた船を襲うことをやめるべきです。
 大体、元就様から過分の恩地を頂いておきながら『小身なのに』とは何ですか。欲張るのはやめなさい。
 海賊と言うものは所詮犬のようなもの。運送の荷船は鹿や猿だ。
 犬が鹿や猿を取ったからと言って、『よしよし、よくやった』と褒めるのは猟師くらいのものだ。
 元来犬の方が横暴なのに、鹿取る犬を誰が当然のようにもてはやそうか」

と因島の驕りを久々に睨みつけたので、吉充は困惑してしまった。
隆景腹心の乃美宗勝や磯兼左近大夫に取り成してもらい、何度も侘びを入れて許してもらったと言う。

これより以前、足利義昭の上使を毛利家が警固することになった時、因島の吉充に漕船及び警固船出動の命が下ったが、
遅刻してしまったことがあり、その時も「隆景様御機嫌そこね、御しかり成され候」

その後、引退もし損ねた吉充は乃美、末長、木谷ら小早川家重臣たちから代わる代わる説教責めにあったそうな。 
毛利・小早川に最も近い村上水軍棟梁の、意外な素顔である。

                                           (三島海賊家軍日記)




329 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/16(金) 09:44:48.39 ID:QWlGON1e
逃げられたお前が悪いのだは
戦国時代の道理ってことなのかな?

330 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/16(金) 10:27:30.38 ID:H/43bFj5
>>329
領地を与えられたがその経営の責任も負うのと同じような理屈なんだろう。
帆別銭の権利を与えられたらそれをうまく取るのは権利を与えられた者の責任と。

331 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/16(金) 12:39:58.96 ID:zZxtR2q+
逃げ込んで困るってわかってたら逃げれないように手打てや
自分が下手打ったのに被害者面するんじゃないよ

というのをオブラートに包んで仰っておられる隆景公

332 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/16(金) 16:00:41.41 ID:XA8ucx9+
でも家中内で発生したトラブルを「自分で何とか」したら処罰されるんだけどね


333 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/16(金) 16:30:30.80 ID:Q/aFy+4C
どこまでが判断を仰がなきゃいけない範囲でどこからが自分の裁量の範囲か見極めが要るのは今も昔も変わらんってことかね

清正なら全部判断仰ぐでいいんだろうし
黒田の大殿ならどこまで自分で判断するかまで読み切って仕事与えるんだろうけどさ

334 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/16(金) 16:36:07.97 ID:F4i7WSPY
だからってグーで殴るのはやめてください叔父上
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ある時、毛利元就が三島村上水軍の船印を見て

2012年03月09日 21:50

296 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/09(金) 00:01:55.07 ID:SuytvLuh
 ある時、毛利元就が能島・因島・来島海賊衆からなる三島村上水軍の船印を見てこう言った。

「能島・因島の船印が“丸の内に上の字”=㊤で、
 来島が“角折敷に三引両”(こんな感じ→《三》)――これは河野氏の紋と同じ、と。
 別に無理に家紋変えてって程じゃないんだが……
 もしよかったら、能島が“丸の内に一”、因島が“丸の内に二”、で来島が三、と
 こうならんか? そうすれば備えの時、(一)(二)《三》と並べられるのだ。
 ちなみにこの一は我が大江氏の祖、一品親王の一の略にして云々――」

 能島村上氏の当主武吉と因島村上氏の当主吉充、
 大手雇い主の気まぐれに対し「何様にも御意次第……」とは答えたものの、
 因島の家臣たちが異議を申し立てた。

「うちと能島だけ紋を変えて、来島は変えない、というのは納得行きません。
 来島は元々の㊤紋を他家の紋に変えたのに、今回はそのままってのはどうかと思います。
 そこで能島をそのままにして、うちを“丸の内に中の字”=㊥、来島を“丸の内に下の字”=㊦にして、
 これで㊤㊥㊦、どうでしょう?」

 これはこれで、と元就承認しかけたが、今度は来島氏が㊦なんて紋に納得するわけが無く。
 元就は「やはり毛利家の下で働くなら“一品”であるべきだ」とか言い出した。
 (当初は希望だった筈がもはや断定口調である)
 武吉と吉充は渋い顔を付き合わせ、

「あの~、今のうちらの船印を見ただけで敵は腰を抜かす有様で、十分役に立ってますから、
 なんとかそのままにしていただけませんでしょうか?」

 と訴えて紋を変えることは許してもらい、その代わり毛利の分国中でその役儀に従う船は、
 “一品”の船印を立てるように元就は堅く命じたということである。
                                 (三島海賊家軍日記)




318 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/11(日) 13:33:48.72 ID:JryqpYtz
>>296
一品って毛利家の一文字三星紋のことだよね?
文字で一品と言われるとピンとこなかった。

320 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/14(水) 00:47:18.60 ID:bNOtUlpF
>>318
その通り、縦に並べた「一品」が「一文字に三ツ星」の紋の原案だと言われています
原文では特に解説もなく“一品の印”となってますが、同じものだと思われます

321 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/14(水) 04:00:26.19 ID:l733RFy3
大江氏の祖の阿保親王が、一品の位にあったから、
それを図案化したんだとさ
だから、一品で普通に通じてたんでしょう