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小又兵衛

2015年12月27日 17:37

117 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/12/27(日) 04:11:04.50 ID:LWKcLI1N
殿様(前田利家)はたいへん御機嫌の良い時か、または御叱りなさる時に、
勘十郎(村井長明。著者)のことを“小又兵衛”と仰せになった。

その時は、「お前の父の豊後(村井長頼)は俺が名付けた“又兵衛”である。
今は天下も静まって武辺事は無いから、よく奉公仕り年齢20余りになったら
又兵衛になれ。その時は、小又兵衛とは言うまいぞ」と、度々仰せになられ、

もったいなく存じ奉る。斯様の仰せは生生世世ありがたく存じ奉ることである。

――『菅利家卿語話(黒川本利家夜話)』



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金比べ

2011年04月17日 00:10

685 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/15(金) 22:59:46.63 ID:8WscTJVQ
前田利家が未だ若い頃。
彼は信長によって繰り返されていた美濃への侵入にいつも付き従っていたが、その身代は
わずか四百五十貫であった。

そんな利家がある時戯れに、家来の村井長八郎に「所持している金の額を比べよう!」
と言い出した。

利家が巾着をひらくと、その中には四両三分入っていた。
長八郎の巾着の中には、二両一分入っていた。

これを見て利家、「俺のと合わせれば、長八郎は金持ちになるな!」
と笑ったそうである。

ちなみにこの村井長八郎、後に村井豊後守長頼。
前田家の家老として利家、利長を支え、加賀藩の基礎を作り、前田家の年寄八家村井氏の
祖となった人物である。

利家は自身も、そして村井も大身となった後も、村井に

「あの時の二両一分、今も持っているか?俺もあの時の四両三分が運を引き寄せたと思い、
今も大切に取ってあるよ」と笑って言ったという。

そんな前田利家が若い者たちに常に言っていたことがある。その内容はこうである。

「とにかく金を持て。金さえあれば世の中も人も、恐ろしいとは思わない。
しかし金がなければ、世も人も恐ろしくなるものだ。」

織田家からの牢人中、金の切れ目が縁の切れ目を実体験した利家らしい言葉であろう。


まあ悪い話じゃないんだけど、だからといって特段いい話でもない気がするのでこっちにw





689 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/16(土) 06:30:17.96 ID:9DZhlpqw
>>685
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-543.html

691 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/16(土) 09:18:12.17 ID:n4LHN4lD
>>689
おお…申し訳ない。し、下の方は未出のようなのでそこでなんとか許してほしいw;



関連
前田の両腕・いい話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-543.html

村井又兵衛長頼、夢のお告げで

2011年01月07日 00:02

150 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/06(木) 20:16:33 ID:d9Gr09Yv
織田信長が近江、金ヶ森城を攻めた時のこと

城攻めの前夜、前田利家の家臣、村井又兵衛長頼が軍営地の小屋で寝ていると、その夢に山伏が出てきて、
又兵衛に語りかけた

『時もよし!絶対に左の道を行くのだぞ!』

又兵衛、驚き目を覚ますと

「さてはわしが日頃から愛宕山を信仰している故に、このようなお告げを頂いたのだな!」
と愛宕権現に感謝し水垢離を行い、すぐに具足を付け大喜びで主君前田利家の陣所へと駆けつけた

「又左衛門(利家)様ー!合戦の準備できましたよー!」

「何刻だと思っているんだバカヤロウ!」
出てきたのは寝入ったところを起こされ不機嫌この上ない前田利家

「まだ一番鶏すら鳴いていないじゃないか!もう少しあとになってから来い!」
「ちぇ~」

村井又兵衛、仕方なく小屋に帰り二度寝をはじめると、その夢にもまた山伏が出てきて
『良いな、左だぞ。左に付くのだぞ』
と語りかけた。愛宕権現、なかなかしつこい。

さて、夜明け前信長の本陣より一番貝が轟いた!合戦の始まりである!
織田軍の先陣は一斉に金ヶ森城に押し寄せた!その中に当然村井又兵衛も居る。
彼らが城下にたどり着くと道が左右に分かれていた。織田軍はみな右の道へと進んだ。又兵衛も
皆と一緒に進んだが途中で「いやいや、愛宕山のお告げがあったではないか!それに従うのだ!」
と、分かれ道のところまで取って返し左の道を進むと、空堀と柴折垣で防御されている場所に出た。

と、その柴折垣の側に、誰とも知れぬ4,5人の男達がいる。又兵衛が

「そこにいるお前たちは敵か、味方か!?」と問いかけるとその中の一人
「ここに居るのは柴田修理(勝家)の甥、佐久間玄蕃(盛政)という者だ!」

「わたしは前田又左衛門(利家)の家来、村井又兵衛です!」

「又左殿の家来か。前からその名を承ってはいたが、この合戦場で初めてお会いできるとは実に喜ばしい。
夜が明ければ共にこの柴折垣を切り、ここから侵入しようではないか。」

そうしているうちに後から、後備の味方も駆けつけてきた。そこで又兵衛は玄蕃と声を掛け合いながら
柴折垣を斬り倒し、両人共に即座に敵の首を取った。

さて、このとき前田利家は、信長の居る本陣にいた。

又兵衛が利家に首を見せるとその姿が信長の目に止まり

「兼ね兼ねからの事だが又兵衛、手柄を立ておったな!」
と、陣所に置いてあった吊し柿を手ずから又兵衛に下し、また「並々ならぬ働きの験だ」と
南蛮からの献上物も又兵衛に与えたそうだ。


ところで同時に首をとった佐久間玄蕃。

彼は信長の本陣から離れた場所にいた、柴田勝家に首を見せに行っていたため、その首を
信長のお目にかけたのはかなり遅くになってからだったという。


村井又兵衛長頼、夢のお告げで手柄を立てる、と言うお話。