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群盗蜂起

2016年05月23日 17:20

647 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/05/22(日) 22:41:55.91 ID:Bf+Mj0o/
大阪冬の陣があって諸人漂白を踏む思いをなしていた所、和睦となったため人々は思いの外に
静かな春を迎え、安堵の思いをした。

ところがその頃、五畿内およびその周辺の国々では群盗が多く蜂起した。
彼らは「大阪籠城の浪人」と称し、民の財宝を奪い取り、旅人の衣装を剥ぎ取り、往還の人々まで
殺害した。

この時は四方より困窮した者たちも大阪浪人に与して集まってきたので、その数甚だしく、
諸国の庶民たちは大いに嘆き、大阪への恨みは日々大きくなっていった。
世間では『大阪城中の輩が申し合わせて、去年城郭を破却された報復として、このような非道をするのだ』
と言っていた。

板倉勝重松平定勝はこのような都鄙の騒動に大いに驚き、これを放置すれば終には乱の元になると
考え、両人申し合わせ諸国の大名に申し触れた。

『大阪籠城の浪人が諸国に分散し、押し取り、強盗を行い国々の煩いとなっている。
各々の領分の範囲で、手柄次第に捕縛し、なお手に余るようであれば討ち捨てにもされよ。
その委細は関東に報告する。』

しかし、或いは百、ニ百、或いは三百五百と徒党していたため、以ての外に手に余り、一揆が起こったのと
異ならない状況であった。

板倉はこの状況を急飛脚を以って関東へ知らせ、畿内の世上物騒であることを両将軍(家康・秀忠)に
伝えた。また大阪に対してもこの事を申し送り
『秀頼公の御為にも然るべからざる事なので、大阪からもこれを鎮めるようにしてほしい』
と伝えた。

これに対し織田有楽大野治長らの返答は
『去年集まった雑兵共は和睦のあと離散したため、何処に国に向かったかなど詮索も出来ない。
察する所、浪人によせて諸国の盗賊が集まったのだと見える。よくよくご詮議されるべきです。
秀頼公には毛頭和議を疎略にする考えはなく、この上何らかの雑説が流れても信用すべきでは
ありません、』

そう申し遣わしたが。上方ではこの年2月に神踊という事もはやり、貴賎老若動揺をなした。

(慶元記)

大阪冬の陣の和睦のあとも、安定しない上方情勢についてのお話



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秀吉方が最初人質として要求していたのは…

2011年05月26日 00:00

347 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/25(水) 01:36:14.24 ID:T4zBUTx8
天正12年(1584)冬、大阪の羽柴秀吉は小牧長久手講和の証しとして、徳川家康に
人質を要求する。この時家康の次男、於義丸(後の結城秀康)が送られたことは有名であるが、
実は秀吉方が最初人質として要求していたのは、この於義丸ではなかった。
秀吉が望んだ人質は、家康の異父弟、松平定勝であった。

この秀吉からの要求を家康も基本的に受け入れた。
が、大阪に定勝を出すことに強硬に反対する人物が現れた。家康の実母、於大の方である。

彼女は家康に向かって深く嘆き、

「三郎四郎(定勝)の兄である源三郎(松平康俊)は最初今川家の人質となり、
その後武田信玄の駿河侵攻で甲斐に連れて行かれ、そこからどうにか脱走してきたものの
雪山の中を逃げたため手足の指が凍傷により皆落ち、世に交われるような体では
なくなってしまいました。
今またこの子まで、人質として都に送らずともよいではありませんか!」

と、泣き口説いた。
家康が人質として苦労したことは皆知るところであるが、於大の再婚相手の子も
このように人質で不幸な目にあっていた、どうもこの人の子は、人質運が悪いというべきであろうか。

ともかくも実母にこのように泣かれ、さすがの家康もこれを無視することもできず、
仕方なく定勝に変わり、我が子於義丸を秀吉の人質にすることになったのだという。

この後しばらく家康は、「これは三郎四郎(定勝)が人質に行きたくなくて母上に訴えたからに
違いない!」と、定勝に対して大いに怒っていたが、そのうちにそれが誤解だと解り、家康の怒りも
溶けたのだそうだ。

家康が秀吉の元に於義丸を人質に出すまでの過程である。
(藩翰譜)




348 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/25(水) 02:09:11.55 ID:l/Xv3Cph
家康「お前でも我が子がかわいいか?」

349 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/25(水) 02:13:32.60 ID:bFLd78p/
>>348
お前も我が子だろうがww

350 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/25(水) 02:14:36.03 ID:YeMg+mJ8
何故か松平を名乗る事になった久松家

351 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/25(水) 02:16:48.58 ID:G9X/zWnQ
>>350
歴史が動いたのか

352 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/25(水) 02:28:05.89 ID:9/SVmQhP
当時は側室がいっぱいいたから、異母兄弟は全然珍しくないが
異父兄弟だとなんか嫌な感じがするな・・・
母ちゃんビッチかよって思われるし

353 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/25(水) 02:42:09.36 ID:e/Bk1vnC
>>352
女の再婚も多いから平気だろ。
むしろ経産婦は石女じゃないと判っているだけ歓迎されたような話も聞くが。

354 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/25(水) 02:56:01.19 ID:ZJ1xku1n
>>352
そもそも家康が後家さん大好きなわけで。晩年はロリ好きになったけどさ。

355 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/25(水) 03:00:39.73 ID:9/SVmQhP
そういえば昔は太閤殿下と大和大納言は異父兄弟って言われてたけど
最近だと、普通の弟だった説が有力らしいな

356 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/25(水) 06:30:35.77 ID:JdWKgAgQ
秀忠も忠輝も、異父兄が居るんだよね、確か。久松兄弟のように厚遇はされなかったようだけど

357 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/25(水) 10:27:54.71 ID:MYE9pJba
ここで家康が冷徹に突っぱねてたら二代将軍秀忠は無かったんだろな。

358 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/25(水) 12:02:19.32 ID:F8U7Whul
>>354
そもそも家康の祖父からして
水野忠政の奥さんの於富の方をもらって継室にしてるしな

361 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/25(水) 23:00:39.43 ID:UCq6xldZ
>>356
忠輝は姉だったような
兄がいるのは母親の茶阿局
しかもこの伯父さんは石田三成の家臣

362 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/25(水) 23:04:06.53 ID:TL32/uQ6
>>361
家老の花井三九郎が兄だったと思う

364 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/26(木) 01:10:14.55 ID:bQC6Y/jz
>>362
花井三九郎って連れ子の姉の夫でしょ?

余談だけどググってみたら「捨て童子」ってタカラヅカになってんのなw

367 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/26(木) 08:42:15.81 ID:Eh/D9loi
尾張の竹腰さんも義直のお兄さんだね。