516 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/18(金) 21:00:10.07 ID:zCVj+pE9
あるとき武田晴信(信玄)が、
山本勘助を呼んで聞いた
「そなたの生まれた三河国では、近年優れた大将は出なかったのか?」
これに勘助は答えた
「最近では、
松平清康という大将が、弓矢を取っては敗れること無く、生国の三河を征服し、
同国の侍大将たちを与力として従え、いまにも尾張国を手に入れようと、意欲的に活動していました。
彼は尾張と数度の合戦を重ね、尾州勢五千に対し、三河は千の軍勢でも、一度も負けること無く
尽く勝利を得ていました。
5年間の活動の間に、本国三河で与力となった侍大将衆は皆清康の被官となり、彼を主君と仰いで、
尾張は勿論のこと、美濃、伊勢にまで出陣し、近隣諸国に威力を振るい、清康は武道の大家として
名を馳せ、遠国の浪人衆まで馳せ参じで彼の家中での奉公を望みました。
そして本国は勿論のこと、尾張の者まで清康配下に入ろうという勢いだった所で、不慮のことで
亡くなられてしまいました(森山崩れ)。
今は清康の息子である広忠の代ですが、他国に広げた勢力圏は勿論のこと、本国三河すら
他人の物になろうとしています。
もし清康が健在であったら、三河侍は今時分、皆清康譜代として他国に威力を振るっていたでしょうに、
果報少なく不運だったため、思いがけぬ死によって、哀れにも今では本国の人々でさえ、
子息広忠の統制下にはいらない状況なのです。」
(甲陽軍鑑)
甲陽軍鑑より、
山本勘助の目から見た、
松平清康、広忠の時代の三河についてである。
517 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/18(金) 21:08:51.70 ID:mf74572e
伊勢に取り残された三河衆「やべっ帰れねえよ」
518 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/18(金) 22:40:56.35 ID:MyTHkvap
絵に描いたような後付
519 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/18(金) 23:43:25.45 ID:0hdfZqT/
松平清康って美濃や伊勢に出兵したことあったっけ・・・
520 名前:人間七七四年[] 投稿日:2013/10/18(金) 23:50:28.15 ID:8Y5WAdai
知らん
522 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/19(土) 21:49:30.57 ID:kwAootqa
清康のとき今川方面は攻めたりしなかったの?
526 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/19(土) 23:08:30.95 ID:s4ABQkQe
>>516
俺もこの部分投稿しようと思ってたけど、
>5年間の活動の間に、本国三河で与力となった侍大将衆は皆清康の被官となり、彼を主君と仰いで、
>尾張は勿論のこと、美濃、伊勢にまで出陣し、近隣諸国に威力を振るい、清康は武道の大家として
>名を馳せ、遠国の浪人衆まで馳せ参じで彼の家中での奉公を望みました。
>そして本国は勿論のこと、尾張の者まで清康配下に入ろうという勢いだった所で、不慮のことで ……
この部分、正しくは
5年も存命でしたら、本国三河で与力となった侍大将衆は皆清康の被官となり、彼を主君と仰いで、
尾張は勿論のこと、美濃、伊勢にまで出陣し、近隣諸国に威力を振るい、清康は武辺の家として
名を馳せ、遠国の牢人衆まで馳せ参じて清康を主君と仰ぐので、 本国三河の事は言うに及ばず、
尾張の者まで清康の譜代となっていたことでしょうに、不慮の儀にて……
だと思うぞ?新編岡崎市史はこの解釈だったし
527 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/19(土) 23:15:51.21 ID:2mLYCHGx
松平清康なんかよりも、織田信秀の方が全然勢力拡大してるのにスルーするし
所詮、甲陽軍鑑は江戸時代のインチキ資料
528 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/19(土) 23:18:41.13 ID:89+jMl0r
松平清康なんかよりも、フェリペ2世の方が全然勢力拡大してるのにスルーするし
所詮、甲陽軍鑑は江戸時代のインチキ資料
529 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/19(土) 23:24:44.11 ID:s4ABQkQe
というか信秀の勢力拡大って清康の夭折も一因なんじゃないの?
まあ清康の勢力拡大も今川氏親が死んで後継ぎの氏輝が幼少だったのに乗じてだけど