270 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/01/10(月) 21:59:52.63 ID:UGpWE7JG
或る記に、小栗又市(忠政)は、初め庄治郎と称したが、いつも一番首一番高名を遂げたことで、
大御所(徳川家康)の命によって又市と改めた。
去る関ケ原合戦に、米津清右衛門清勝が敵の首を得て小栗に見せた所、彼はそれを見て
「我も高名せん!」と、罵りながら馬を馳せ、島津の後殿に辞をかけ、馬上より突き落とし
首を得て帰るとそれを米津に見せ、たちまちその首を捨てた。これはその時の手柄が、名に
応じなかった故だという。
また曰く、この時(松平)薩摩守忠吉朝臣も敵の首を取られ、家康公の御前に出られると、
家康公を始め諸大名これを称賛したが、この時小栗又市は
「敵が弱く逃げ廻っているのを、家臣に足手を持たせて首を取らせ参られたのを褒められては、
いつでも敵は弱いものだと思し召されて、いざという時怪我あるべし。」
と申したことで、忠吉朝臣も立腹されたという。このような人物だったが故に、高禄にはなれなかったと
云われる。
(新東鑑)
271 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/01/11(火) 01:02:57.11 ID:AD0C/h+Y
小栗一族って骨ありすぎて報われないのかな
272 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/01/11(火) 10:42:55.30 ID:1bCBJ5R/
面倒臭いの一言でok
或る記に、小栗又市(忠政)は、初め庄治郎と称したが、いつも一番首一番高名を遂げたことで、
大御所(徳川家康)の命によって又市と改めた。
去る関ケ原合戦に、米津清右衛門清勝が敵の首を得て小栗に見せた所、彼はそれを見て
「我も高名せん!」と、罵りながら馬を馳せ、島津の後殿に辞をかけ、馬上より突き落とし
首を得て帰るとそれを米津に見せ、たちまちその首を捨てた。これはその時の手柄が、名に
応じなかった故だという。
また曰く、この時(松平)薩摩守忠吉朝臣も敵の首を取られ、家康公の御前に出られると、
家康公を始め諸大名これを称賛したが、この時小栗又市は
「敵が弱く逃げ廻っているのを、家臣に足手を持たせて首を取らせ参られたのを褒められては、
いつでも敵は弱いものだと思し召されて、いざという時怪我あるべし。」
と申したことで、忠吉朝臣も立腹されたという。このような人物だったが故に、高禄にはなれなかったと
云われる。
(新東鑑)
271 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/01/11(火) 01:02:57.11 ID:AD0C/h+Y
小栗一族って骨ありすぎて報われないのかな
272 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/01/11(火) 10:42:55.30 ID:1bCBJ5R/
面倒臭いの一言でok
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