秀忠、江戸城内に孫の遊び部屋を作る

2017年08月04日 13:14

122 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/08/04(金) 11:17:39.14 ID:UKPuWRly
秀忠、江戸城内に孫の遊び部屋を作る


元和7(1621)年、越前藩主松平忠直は病を理由に江戸の参勤を止め
自身は北庄に帰り、代わりに嫡男で7才の仙千代(光長)を参勤させた。

忠直は秀忠の娘婿で、庶兄の結城秀康の嫡男でもあったが
家中の騒動や本人の不行跡などが重なり、元和9(1623)年には配流される。
秀忠はそのとき既に思うところがあったのか
十月に叔父の松平直政と共に登城してきた仙千代を、殿中で養育することにした。

公(光長)はいまだ中剃がなかったので、将軍(秀忠)が自分の手でこれを剃り
夫人(お江)が髪を結われ、その間土井大炊頭(利勝)が(光長を)抱えていたという。
また、仙千代の為に遊ノ間を造らせ、柱などは(光長が怪我をしないよう)
悉く天鵞絨(ビロード)で包んだ。
――『美作津山松平家譜』

孫が可愛い秀忠の話。



123 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/08/04(金) 11:41:44.44 ID:JM7Qhewf
葵徳川だともし家光に嫡男が出来なかったら光長を家光の養子にと秀忠が考えてたという設定だったけど、この辺の話がネタ元なのかな
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勇士の名を汚さぬよう

2016年05月19日 21:27

738 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/05/19(木) 08:02:28.13 ID:Pn127/+v
越前少将松平忠直の家臣に、原隼人正貞胤という者があった。元は甲州武田家の武士にて武功の者であったが、
浪人していたのを忠直に召し抱えられ、黒母衣衆に編入され、その合戦の知識を高く評価されていた。

彼は真田幸村と古傍輩の好があり、旧友であった。そこで大阪冬の陣の和睦が結ばれると、真田方から
「和睦後、互いの辛苦も語り慰めとしたい」と、しきりに招請してきた。しかし原は自身で判断するわけにも
いかないと、忠直に伺いを立てると、御免あったため、真田の陣所へ赴いた。

真田幸村は原の来訪を大いに喜び、様々に饗応し、嫡男大介も見参に入れ酒宴数刻に及んでから、幸村は語った

「私は今回の合戦で討ち死にすべき身であったのに、今度の不慮の和睦で今日まで存命し、再びあなたに
お目にかかれたこと、生前の大慶である。
この幸村は不肖なれども、今回一方の大将を承った事、今生の面目、死後の思い出と存ずる。

今回の和睦も必ず一端のことであろう。永くは続かない。終にはまた一戦となると、私は推量している。
その時に潔く討ち死にすること以外、私は考えていない。
臨終の時は、いま床に飾っているこの鹿の抱え角の兜、これは先祖重代の家宝であったのを、父安房守が
私に譲られたものだが、これを着けて討ち死にするつもりである。
あなたがもし、この兜首をご覧になれば、幸村が首であると思い、一返の御回向にも預かりたい。」

原隼人はこれを聞くと
「戦場に挑む者のうち、誰が生きることを考えるだろうか。
遅れ、先立つとも、ついには冥土で再会するのだ。」

これに二人は笑いあった。

それから白河原毛という名の馬に、白鞍に金で六文銭を打ち付けたものを置いて引き出させ、
幸村はこれに乗って隼人に見せながら
「重ねて合戦有れば、大阪城の城郭は破却されれているので、必ず平場での合戦となるだろう。
だとすれば平野の辺に馳せ、出撃してきた東国勢に駆け合わせ、馬の息が続かないほどに戦って
死ぬつもりであるので、いまこの馬はひとしお秘蔵にしているのだ。」
そういって馬から降り、再び酒宴となった。

ここで原隼人は言った
「今の和睦こそ幸いである。貴方はともかく、子息のことは、御舎兄の伊豆守殿にお預けに成って、
とにもかくにも、跡を継がせるべきではないだろうか?」

幸村はこれを聞くとニッコリと笑い
「不肖のそれがしであるが、関東より度々招かれており、いま倅を伊豆守の元に遣っても、
さのみ悪いことではないと思う。であるが、一生日陰者として有るのも武士の恥辱である。
高鳥死して良弓蔵されるという。豪傑であっても治平の時代には用いられない。ましてや
柔弱なわが倅など誰が用いるだろうか。

人には皆名分がある。その生死、禍福は人意を以ってどうにか出来るものではない。
ただ私と死を共にして、勇士の名を汚さないようにしたい。」

二人は一日語り合い、黄昏に及んで原隼人は帰っていった。
実際に真田は翌年、かの兜を着けあの馬に乗って討ち死にしたとのことである。

(慶元記)



739 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/05/19(木) 12:26:34.41 ID:C+jA2yLf
こういう潔い武士らしさは、江戸時代でも好まれたんだろうな

740 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/05/19(木) 13:39:12.18 ID:dqPc8IuE
幸村ってあるから江戸時代に作られた話だろうしな

741 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/05/19(木) 17:46:38.62 ID:Iz92FozX
幸村とある時点で胡散臭さ、逸話度がグッと上がってしまうのがなんとも、ね

742 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/05/19(木) 18:08:43.85 ID:S5GhVgTP
写本してるうちに書き換えられたりするからそう単純な話でもない

743 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/05/19(木) 20:30:44.01 ID:ZEO/h7Rc
小楠公
真田大助
大石主税
日本人が好む英雄の息子たちも人気があるよね

744 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/05/19(木) 22:04:34.78 ID:VIqbXPQx
そういえば近所に"ゆきまさ"と名付けられた少年がいるなあ
字面までは知らんが

少将殿の仕置

2015年04月21日 18:21

678 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/04/20(月) 19:44:21.09 ID:apEtfDEE
越前少将殿(松平忠直)の家臣に、小野某という者があった。
彼は越前家の江戸屋敷に老母を残していたので、江戸に参り老母に会いたいと思っていて、
主人の江戸参府の供に当たることを3,4年待っていたが、当たることがなかったので、耐え兼ね
今度は支配に願い出た。これによって支配より申し立てたものの、その時にはすでに供方帳も
決定していたため、この度は相成らぬという沙汰であった。

小野某は憂悶し、ついに主君の少将に願書を提出した。その文の中に『数年老母に対面仕りません。
この度は是非是非お供仕って江戸に参って、対面したいのです。』とあるのを、少将は見て
「是非是非という申し分、法外のことだ!」
と、大いに立腹し、「切腹を申し付ける!」と言ったのを、家老たちが諌め
「若輩者が不調法申し上げたことは恐れいったことですが、それは孝行の心より起こったことですから、
切腹のことは御免下さるべし」と、様々に説得したため、塩川七之丞の所にお預けという処分に成った。
そうして小野某は一間に入れ置き、足軽12人が呼ばれ、昼夜6人ずつで番をする事になった。

ところで、この塩川七之丞の妻は、同藩平塚左衛門の娘であったが、この平塚平左衛門の妻というのが
奸曲な女であって、塩川七之丞に嫁がせた娘にも、夫に対する様々な悪意を申し含めたため、
自然と塩川と妻の仲も悪化した。

ある日、平塚平左衛門夫婦が塩川の所に来て、ふとした事から塩川と口論に成り、追々言い募り、
ついには平塚平左衛門の妻が

「左様な者の方には大切な娘は置けない!たった今連れて帰る!」

そう言い出し、塩川の妻を引き立て連れて帰ろうとした、平塚平左衛門も止める様子もなく、塩川の妻も
拒む様子もなく、3人共に同意と見えたため、塩川七之丞は暫く黙然としていたが、
「今は免し難し」
そう言うと刀を抜き打ちに、平塚の妻を斬り殺し、次に平左衛門、並びにその娘の自分の妻の3人を
忽ち討ち果たした。

これを見て小野某の番人たちは大いに驚き、小野に向かって
「塩川七之丞殿、乱心と見え舅平左衛門殿夫婦並びに自分の妻3人を皆斬り殺した!きっとこちらにも
斬りこんで参るだろう。こちらに来ない内に早く立ち去れ!」
そう言ったが、小野は

「心配していただいたのは、忝く思います。ですが私は、主命によってこのように籠居している身です。
何事があっても、私は一歩たりともこの外に出ることは出来ません。」

自若としてその場を動かないでいると、そこに塩川七之丞がやって来て、3人を斬り殺した趣意を語り
「この事は家老衆に書き残して私は切腹いたす。さて、貴殿とは御亡父より懇意を申し上げる仲であったが。
対面も唯今限りです。」
そう暇乞いをし、それから届書を認め、元の座敷に戻りその封書を床の間に置くと、平塚平左衛門夫婦の
死骸の上に乗って切腹して果てた。

その後、小野某は山口太郎右衛門へお預かりと成ったが、塩川七之丞が3人を斬り殺した騒動の時、
番人の者達は皆逃げ退いた中、一人主命を守って動かずに居たのを感ぜられて、それから程なく暇を出された。
また、逃げた番人の足軽たちは、その時の当番6人全員が死罪となった。

少将殿は武辺者であるが、武辺者過ぎて仕置も厳しすぎた、と言われている。

(明良洪範)



679 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/04/20(月) 20:02:58.11 ID:lh78JhE4
この流れで暇を出されるのか…

680 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/04/21(火) 02:10:29.36 ID:sgD726Jq
江戸に行って親孝行してやれ…と言う意味かと思ってたが越前屋敷にいるんだな
この場合お母さんはどうなるんだろう

681 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/04/21(火) 02:13:59.64 ID:GmfWYMbu
暇を出されたって、禁固刑食らってたのを赦されたって事じゃないの?

682 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/04/21(火) 10:05:55.08 ID:UbkiBjMC
それなら赦免されたとか許されたとか記されてるんじゃね?

683 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/04/21(火) 19:22:45.07 ID:d9ATDP9Z
原文見ても「何共なく只暇を出されける」
としか書いてないか
「いとまごい」の暇で休暇ってことだとは思うが

大坂城、桜門に幟を一番に

2013年07月03日 19:51

597 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/02(火) 20:19:21.44 ID:rTXVgEIo
大阪夏の陣、幕府軍は遂に大阪城内に突入する最終局面となった。

私(水野勝成)は船場の道から城に乗り込もうと考え、その道筋を進んだ所、
船場方面から明石掃部の軍勢が押し上がってきた。そこは去年の大阪冬の陣で、
東堂和泉守(高虎)が仕寄せした場所であった。

敵はその道を押し上げ、鉄砲を一度に撃ち放つとそのまま騎馬の者達が突進した。
この攻撃に味方は追い立てられ崩れ、我々の手前まで逃げて逃げ駆けて来る。

私はその時馬から降りて立ち、

「卑怯者共!一体どこへ逃げる気か!?お前たちの顔は皆見知っているぞ!返せ!!」

と怒鳴ったが、聞くこともなく皆崩れ懸った。

この時私の家来である廣田図書、尾関左次右衛門と申す者達が鑓を手に敵へ向かっていった。
特に廣田図書は私のいた所から14,5町(およそ1.5~6キロメートル)先まで進み、敵と
鑓を合わせてこれを突き倒し、首を獲ったのを目撃した。

それから私も急ぎ進んで、廣田図書の首を取ろうとした者を突き倒し、図書を討たせる事を
阻止した。そして突き倒した者の首を

「これこそ鑓下の首(相手を倒し喉に垂直に鑓を突き立てたもの)である。この首をとれ!」

と言って、岸文左衛門と言う者に首を取らせた。
そして他のもの2名が私に向かってきたが、私は彼らを突きまくった。
するとまた一人、今度は金のなし打ちの兜に鳥尾の引廻しを付けた者が私の右側から鑓を
突いてきた。私はその場でこの敵を突き倒し、傍に居た成瀬久太夫と言う者が走り出て

「この首を私が討ちます!」

と申したので、その首は久太夫に取らせた。

その後、敵は引いていったので、桜門に私の幟を一本、一番に立てた。
この時、幟奉行の神谷久右衛門と言う者を召し連れて出陣していたのだ。

二番に越前の一伯様(松平忠直)の幟が一本立った。
この二本より他に、桜門に立った幟はなかった。
(水野日向守覺書)

大阪夏の陣で、大阪城に乗り込む時の模様である。




598 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/02(火) 21:18:00.17 ID:aeQlAzKj
強い人は本当に強いんだな

599 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/02(火) 22:09:41.90 ID:wnAbh2d7
>>597
するとまた一人、今度は金のなし打ちの兜に鳥尾の引廻しを付けた者が私の右側から鑓を突いてきた。

派手な格好した奴が出てきたなぁ
金色の梨子打烏帽子型の兜に鳥尾の引廻し…
そりゃ格好まで強烈に印象に残るわな
実際、こうして勝成が思い出して語ってるわけだし
やられた奴も本望かと

600 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/02(火) 22:20:38.15 ID:xFdArd2N
安土城といい大坂城といい名城が焼け落ちて残ってないな

徳川家康「その道存とは誰だ」

2012年09月25日 20:28

563 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/24(月) 18:24:46.93 ID:tt2gFvNR

松平忠直は讒言を信じて家臣の布施但馬(久世但馬守)を殺害した。
この時、表口より本多富正、好寄屋口より永見伊右衛門、台所口よりは
永井道存が討手として遣された。

その話を聞いた徳川家康が「その道存とは誰だ。
他の二人のようにこのような時に出るべき者なのか」と尋ねると、

本多正純が「それは永井善右衛門のことでこざいます」と答えた。

「善右衛門のことか! 親の秀康の心にかなわず退去した者を
その子が使っておるのか!

他所に口に糊する所がなかったのだな。親が見限った者を
子として養う道理はない。我が生前に再び道存の面を見ることはないだろう!」

家康は相当不機嫌だったようで、忠直としても放置しておくわけにもいかず、
道存は逼塞を命じられた。

――『徳川実紀(武功実録)』




564 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/24(月) 21:30:29.62 ID:maC7aOIv
権現様も最終的には秀康のことかなり評価してるっぽいんだよなあ
秀忠に対する礼の篤さが権現様の心を溶かしたのか

565 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/24(月) 21:46:59.11 ID:c7kC9PRQ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2690.html
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-6023.html
上の話だと永井善左衛門は、秀忠に壺や刀を献上して徳川家に戻った、てことになっているが
秀忠は親の家康の心にかなわなかったものの帰参を許したことに?

息子は走り寄って、遺体を肩にかついで

2012年07月03日 21:00

218 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/02(月) 22:37:19.22 ID:ahYKAU7E
松平忠直の家臣の馬場三郎兵衛は息子とともに大阪冬の陣に参加したが、
敵の陣に突撃して討ち死にしてしまった。すぐそばで父の戦死を目の当たりにした
息子は走り寄って、遺体を肩にかついで、戦場から撤退しようとした。

219 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/02(月) 22:40:21.13 ID:ahYKAU7E
>>218の続き
銃弾の飛び交う中を6~7間ほどさがった時、息子はふと「これでは父親を
盾にして引きあげるようではないか。心得のある武士のすることではない」と
考えて、自分の家来に遺体となった父を囲ませて、敵の銃弾が当たらぬように気を配った。




220 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/02(月) 23:10:10.08 ID:bO8stOcc
大阪冬の陣って事は下手すると初陣か・・・立派すぎる
しかし父としては自分を盾にしていいから生還してほしいと願いそうな気も

221 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/02(月) 23:30:17.93 ID:41/r/Fye
政宗「父を盾にする奴は父と一緒に撃ち殺してしまえ!」

222 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/02(月) 23:49:28.66 ID:pAZgF9/v
家来を遺体の盾にする分にはいいのね…

223 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/03(火) 00:03:30.79 ID:HU9wdxzM
言われてみればw
部隊を率いる者としては一人前とは言えないなw

224 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/03(火) 00:04:15.19 ID:IDaq8dwx
主君の遺骸を守るとか真の忠臣じゃないですか

225 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/03(火) 00:40:45.54 ID:wIlRQ0aT
>>222
人は城、人は石垣、人は濠
盾に使って何が悪い(´・ω・`)

226 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/03(火) 03:14:23.18 ID:8jTMfKbX
>>225
それはどこの人海戦術軍かと。
地雷原?そんなの兵士を散開させて進ませればいーじゃん、ていう考えは北の大国では今も健在なのだろうか…。

227 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/03(火) 03:42:12.05 ID:IUnFH5m1
>>225
「疾き事屁の如く 徐かなる事屁の如く 侵略する事屁の如く 動かざる事屁の如し」

旗印にどうぞ

228 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/03(火) 03:51:52.32 ID:Zxzeslwz
>>226
シベリアのスッカスカぶりに焦ってるらしいから、やんねーんじゃないな
その下の国(除くモンゴル)は、やりかねないけど

229 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/03(火) 12:57:51.83 ID:8jTMfKbX
>>228
下の国も一人っ子政策の影響で兵士が跡取りばっかでうっかり死なせられないって嘆いてるって聞いたな。
その割りにどっちの大国も人命軽視なエピに事欠かないような気もするが(汗

230 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/03(火) 13:28:04.70 ID:sEZ18WdI
共産主義っていうのはいろんなものを停滞させるのかな?
両国とも結局は資本主義、自由経済に飲み込まれたけど人の命の重さもふくめていろいろと
『オマエラもう中~近世じゃないんだからそろそろ慣れろよ・・・』って言いたくなる時代遅れっぷり
を感じることはよくある、地力はあるだけに隣人としては厄介この上ない

231 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/03(火) 13:40:15.97 ID:wiZ0Tdq2
共産主義以前から、専制国家だった歴史が長いからだろ

232 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/03(火) 14:15:16.27 ID:Mo9SyXmX
>>230
ああいうのは資本主義を利用しても、理念には馴染まないから強いんだよ
マフィアの強さと同類(笑)


233 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/03(火) 20:11:14.99 ID:IUnFH5m1
共産主義こそが堕落した資本主義の一歩先をゆくのだ

そして今や資本主義は崖っぷちに立っている!

247 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/03(火) 23:00:44.07 ID:Rvoq3Uov
>>226


人間なんて10何億のトコは密集突撃で地雷原啓開だお。

249 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/03(火) 23:39:13.42 ID:y0G7Djti
>>233
一歩先に崖から落っこちたのはどこのどいつだい?