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自分の手で頸をもたげ

2017年04月13日 11:21

806 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/04/13(木) 08:32:23.85 ID:WJZIhrj7
北条家の馬屋の預かりであった諏訪部という者は、度々善き働きがあった。

豊臣秀頼の小田原陣の時、諏訪部と勝田八左衛門という両人が物見に出た所、急に敵に接近され、
二人は早々に引き取った。
この時、諏訪部は馬屋の別当であったために善き馬を持っており、この敵の急追を振り切って
帰ることが出来た。
しかし勝田は良馬を持っていなかったため、敵を振り切ることが出来ず、立ち止まってこれと戦った。
勝田が後に残ったと聞いて、北条軍の人々はこれを救出するため馳せ参る間に、勝田は敵に討ち伏せられ
頸を半ば過ぎまで切られていた。

敵は勝田の救援が来たのを見て引き取った。しかし助けに来た味方も
「勝田は深手を負っているから連れ帰っても死ぬだろう」とこれを棄て帰ろうとした。

ところが、勝田もさすがの勇者であった。彼は自分の手で頸をもたげ、
「未だ生きているのに、各々は棄てて帰るか!?」
と喚いた。

味方はこれを聞きつけ、彼を連れて帰った。

この時、諏訪部は良馬を持っていたが故に却って遅れを取り、勝田は危うい命助かり、勇を表した。
そう、その頃の人々は沙汰したという。

勝田八左衛門は吊り鏡の指物を差していた。後に漂泊し、松平右衛門太夫(正綱)の所で身罷ったそうである。

(士談)

なんというか色々凄まじいお話



807 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/04/13(木) 11:04:17.58 ID:5tXU3jKh
デュラハンかよ....

808 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/04/13(木) 11:22:59.31 ID:KM5oiyGV
関東武士はいろいろとオカシイ

809 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/04/13(木) 14:31:47.16 ID:wGmclQZB
>>806
助かったのかよw!
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徳川家康「夏目を呼べ」

2012年08月29日 20:51

259 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/29(水) 18:10:26.39 ID:33mHT8id

大坂夏の陣の時、徳川家康が茶臼山に据えた陣では祝詞を述べるために諸大将が次々と
参謁した。この時、徳川頼宣はろくに戦うことが出来なかったことを悔いて、「十四歳なのは
今だけだ」と、慰める松平正綱を睨みつけた。(http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-709.html)

その後、本多正信が馬に乗って上がってくるのを見た家康が「坂まで上れ」と言うと、
正信は「もちろんですとも」と、家康の側までやって来た。

この時、藤堂高虎が「佐州早いな」と言うと、正信は「今日の私の武者振りはどうですかな」
と笑った。その日の正信は兜羅綿の羽織に裏付の袴、五位の太刀を身に着けていた。

さてその時、城中から黒煙が上がっているのを見ていた家康は小出吉英を呼び、「あれを見よ」と
言った。吉英は城の方を熟視して両手をつき「なんと痛ましいことでしょう」と言った。

その様子を見て家康は「汝の境遇で只今の申しぶりは殊勝である」と言った。吉英は豊臣家の
旧恩を受けた者であったが、その過去を忘れていないことは家康の心に深くとどめられた。
(こちらでは三尹 http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5389.html)

それから家康は俄かに「夏目を呼べ」と言い出した。それは夏目吉信の三子・長右衛門信次
のことであったが、信次は小身ゆえに旗馬印もないので、どこにいるのかも分からず、
使番があちこちを探し回ってなんとか見つけ出すことができた。

この時、家康が「昔、汝の父が三方ヶ原でわしに代わって一命をなげうったことは
忠節の至りだ」と言葉をかけたので、信次は思わぬ賞詞に感激して涙を流した。

このような勝利の時にも旧功の者のことを思い出して言葉をかけたのは、小出が豊臣家の
旧恩を忘れていなかったことを賞したことに起因し、家康の仁厚の深さを感じない者はいなかった。

――『徳川実紀(天元実記、古人物語)』




260 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/29(水) 18:59:10.68 ID:Q32skZMw
もうこの頃になると色々記録されすぎててやかましいくらいだ

261 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/29(水) 19:11:00.58 ID:eAGydez2
話一割でもトンデモナイ人格者>家康

262 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/29(水) 19:31:34.75 ID:s5ssCwKt
でも逆に言うとさ、やられて嫌なことも覚えてるんだよな。孕石とか

263 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/29(水) 19:59:15.30 ID:/Npa1O/P
孕石さんは名前が目立ちすぎて切ない

264 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/29(水) 20:18:56.74 ID:5SoZvD8+
>>262
論語にもあるな。
仁者ほど人を憎む時は凄いみたいなの。
これは三英傑全員に共通してるね

265 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/29(水) 20:22:05.79 ID:8tBtwSyk
武士ってのは基本そういう業の深い存在だからねえ。八幡太郎義家の時代から。

坊主はまた叱られてしまった

2012年07月16日 20:58

524 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/15(日) 19:15:41.05 ID:SJCrnKFz
徳川家康は倹約を徹底したといわれているが、明かりに関しても同じだった。
ある時には蝋燭は数本だけで残りは油火ばかりという徹底ぶりで日頃から
家人たちも厳しく言われていたらしい。

ある時、成瀬正成松平正綱が急ぎの連署状を書くために坊主からわずか
二、三寸の蝋燭を請い得て連署状を書き、その場を離れた。

この時、二人はうっかり火を消し忘れた。見回りが蝋燭を見かけると
坊主は呼び出され「上様が御覧になったらお咎めになるぞ。何故消さない」
と叱られてしまった。

「いや、これは隼人殿たちが…」と、坊主が説明しているところに消し忘れに
気付いた二人が戻ってきた。

「お前たち、消し忘れに気付いていたなら何故消さない」
坊主はまた叱られてしまった。




525 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/15(日) 19:35:21.66 ID:jy7EbxNU
当時蝋燭はかなりの高級品だったみたいよ
一般人は使ってなかったんじゃないかな?
水戸黄門とかの時代劇だと農民でも使ってるけど

526 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/15(日) 19:35:48.56 ID:SmZeOzs0
火の管理は節約という以上に火災予防の面が強かったので、消し忘れはすごく危険なミスとして認識されてたりもする。

527 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/15(日) 19:46:21.38 ID:rZBNcugH
上様が叱るからと言う理由で上様に媚びるかのように叱る
そして肝心の消し忘れはそれと気付いているのに消そうとしない
この見回りは一体誰でしょうな


528 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/16(月) 00:11:35.33 ID:O8eaPXUR
借りるなら油にしとけって幽斎様が…

529 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/16(月) 08:10:27.90 ID:uN8vUu/G
油だと鍋島さんとこのヌコが寄って来るじゃないですか~

530 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/16(月) 09:21:53.41 ID:AKgEYPKZ
つうか蝋燭消し忘れたのは自分らだって事を棚に上げて説教かましたんですか成瀬さんと松平さん
坊さんマジ踏んだり蹴ったり

531 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/16(月) 10:31:26.98 ID:qMOzFLgo
利家とジャイムズくんが寄ってきそうな話だ