160 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/04/28(木) 15:35:02.06 ID:HeXbkUKV
慶長二十年(1615)五月七日、大阪夏の陣、徳川頼宣卿は大御所(徳川家康)の元に向かうため
頻りに諸軍を進めていたが、喉の乾きを凌ぎかね、馬上より水を乞われた所、三浦長門守邦時の付け人である
柾木清兵衛という者が、馬柄杓にて水を汲んで差し出すと忽ち飲んだ。
大御所に御対面されると、大御所は頼宣卿の髪を撫でられ
「今日はその方等に首を取り飽かせる事が出来なかった。残念である。」と仰せになった。
頼宣卿答えて
「御先手を承らなかった故に、詮無き道に刻を移し、戦に臨めなかったこと、無念至極です。」
と申された。
これを聞いた松平右衛門太夫(正綱)が、
「今日、手に合わすことが出来なかったとしても、御若年なのですから、今後幾度も合戦に遭うでしょう。」
と慰めたのだが、頼宣卿は
「私が十四歳のこの時は、再びは無いのだ!(予が十四歳の事が複あるべきか)」
と、頻りに落涙あって、怒り給いけるとかや。
(新東鑑)
161 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/04/28(木) 15:51:14.83 ID:9a1G/Nyl
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-709.html
徳川頼宣の初陣・いい話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3364.html
徳川頼宣「わーん!わーん!」
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-9708.html
遅しとあるは、上意とも存じ奉らず
似たような話はいくつかあったっけ
慶長二十年(1615)五月七日、大阪夏の陣、徳川頼宣卿は大御所(徳川家康)の元に向かうため
頻りに諸軍を進めていたが、喉の乾きを凌ぎかね、馬上より水を乞われた所、三浦長門守邦時の付け人である
柾木清兵衛という者が、馬柄杓にて水を汲んで差し出すと忽ち飲んだ。
大御所に御対面されると、大御所は頼宣卿の髪を撫でられ
「今日はその方等に首を取り飽かせる事が出来なかった。残念である。」と仰せになった。
頼宣卿答えて
「御先手を承らなかった故に、詮無き道に刻を移し、戦に臨めなかったこと、無念至極です。」
と申された。
これを聞いた松平右衛門太夫(正綱)が、
「今日、手に合わすことが出来なかったとしても、御若年なのですから、今後幾度も合戦に遭うでしょう。」
と慰めたのだが、頼宣卿は
「私が十四歳のこの時は、再びは無いのだ!(予が十四歳の事が複あるべきか)」
と、頻りに落涙あって、怒り給いけるとかや。
(新東鑑)
161 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/04/28(木) 15:51:14.83 ID:9a1G/Nyl
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-709.html
徳川頼宣の初陣・いい話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3364.html
徳川頼宣「わーん!わーん!」
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-9708.html
遅しとあるは、上意とも存じ奉らず
似たような話はいくつかあったっけ
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