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加茂郡加治田の城主は

2021年05月02日 16:40

145 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/05/02(日) 15:34:35.17 ID:wBTwM86N
加茂郡加治田の城主は  斎藤新五郎長龍 同子斎宮龍幸

新五郎(斎藤利治)は龍興(道三の誤り)の子なり。信長に仕えて天正13年6月2
日、京都二条の城で、明智の家来・内藤内蔵助利一(斎藤利三)のために討死す。

その子・斎宮は岐阜中納言秀信(織田秀信)の小姓だったが、慶長5子年(1600)
8月23日、岐阜落去の際、信友・足立中務・武藤助十郎とともに、白昼に女の姿で
出立ち、長良川を越えて北山に落ちて行った。

その子孫は松平大和守道基(直基)に仕える。また池田三郎左衛門(輝政)の家にも
いるという。

――『美濃国諸旧記』



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前田利常「大和殿・・・じゃーん!」

2011年08月30日 22:11

600 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/30(火) 18:16:28.85 ID:NhNyIOAq
江戸城中で、松平大和守直基が大坂の陣について雄弁を振るった事があった。

・・・が、大坂の陣の時に、直基はまだ元服も済ませておらず、活躍したのは兄の忠直や直政である。
同席した諸侯に、かの戦で自身も傷つきつつ戦った者や、親族を失った者も存在する中での直基の語りは、
人もなげな振る舞いに見えた。

そんな時、ツカツカと直基に近づいたのは我らが権中納言前田利常であった。

「大和殿・・・じゃーん!」
「きゃ――――――――――っ!!!」
(原文:大和守殿の側へお寄りなされ、足を捲り、慮外がましき体・・・)

利常お得意の露出狂攻撃を食らった直基は、目の色を変えて立ち上がり、諸侯も「これは事じゃ。」と
身構えたが、二人は何事もなく立ち別れた。


十日ほど過ぎたある日、富山藩主・前田淡路守利次(利常次男)は、直基に呼び止められた。

「おお、淡路殿!わしは利常殿の所へ参り、申し上げたき儀があるが、公儀にはばかりあり、それもならぬ。
貴殿も然るべき旨、お心得あれ。」
「し、承知。(ヤベェ!中納言の親父殿には直接仕返しできないから、オレに意趣返ししようってか?)」
困り果てた利次は、義弟(利常婿)の浅野光晟に相談した。

「ああ、それは私が大和殿に、義父上の
『ウチもようやく犬千代という孫(のちの綱紀)が出来ましたが、初めて犬千代が殿中へ上がる際には、
大和殿に介添えを願い申す』という言葉を伝えたからでしょう。大和殿、スゴい喜んでましたよ?」

“斯様の儀、御方便と存ぜられ候”と、「微妙公夜話」は結んでいる。
もう鼻毛殿は下に何もはかなくていいと思う。




601 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/30(火) 18:25:25.37 ID:ZstUeY06
利常は下の話しか逸話がないのか

602 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/30(火) 20:56:44.22 ID:gKE0G6lL
上の話は鼻毛しかないので、上下話題に事欠かない、ってことで。