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先祖の武功他人より聞く

2019年05月28日 17:37

948 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/05/28(火) 12:00:27.89 ID:yrMa/Tlc
高崎公(高崎藩大河内松平輝延か)の家臣である一人の学者が語った所によると、
「昔我が藩(高崎藩)の家臣に字五平といって長寿の人があり、90あまりで天草陣の事を覚えており、
これを語った」との事だが、その話の中に我が内の者(肥前国平戸藩)の事があったという。

その当時、我が藩に物頭を勤める某という者があり、彼が「今宵、城中より夜討ちを仕掛けてくるだろう。
その時は必ず立ち騒がず、何れも我が陣所の垣ぎわに後ろを向き、敵方を背にして座すべし。
たとえ敵が来たとしてもこれに向かってはならない。また人々の刀の峰3,4寸を残し、その余りを
木綿などにてよくつつみ置くべし。敵来たらば云々」と教え待ち居たるに、果たして敵は夜襲を成したが、
我が兵はその体故に、敵は後ろから近づいて切りかかったが、具足を着ていたためカチカチと云うばかりで
刀は通らず、兵卒たちは構え持っていた刀を肩に担いで、峰に敵を引っ掛け、負い投げに前へ跳ね飛ばした。
夜の事ゆえ敵はそのようなことが起こっているとは解らず、幾人も来て斬り掛かってくるのを、その度に
跳ね飛ばした。敵は来る、我は座して動かざる故、この調子で数十人を討ち取った。

味方の他の軍勢も夜の事であるからその手際見えなかったため、「松浦の手の者は、人礫を投げ打っている」と
沙汰したという。

これは伝聞の実説であるが、私は初めて聞いた。治五平が云っているのは誰の祖先であろうか。
先祖の武功他人より聞く、という俳句が有るが、それはこの事である。

(甲子夜話)



949 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/05/28(火) 14:54:49.50 ID:O4XdqIp8
夜襲で後ろから攻撃されて物理的精神的に耐えられるものなのか

950 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/05/28(火) 15:41:41.80 ID:26P+nF0r
>>948
剣豪小説に出てくる奥義みたいで面白いw
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吾中、治五平の天草陣物語

2016年11月19日 14:30

332 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/11/18(金) 22:49:26.22 ID:YqyP66QO
吾中、治五平の天草陣物語


 高崎侯の臣(市川)一学が語るには、昔我が藩の臣に治五平という長寿の人がいたそうだ。
九十余で天草陣のことを覚えていて話したという。
その話の中に我が藩のある者の事もあった。

 天草陣で松浦家で物頭を勤めていた某という者がいた。

「今宵城中から夜討がきっとあるだろう。
そのときは必ず立ち騒ぐべからず。
いずれも我が陣のところの垣ぎわで後ろをむき、敵方を背にして座すべし。
たとえ敵が来てもこれに向かうべからず。
また刀の鋒を三、四寸程を残して、その他を木綿などでよく包み置くべし。
敵が来たらこのようにせよ。」

と言い教えて待って居るとやはり敵が夜討をしてきた。
我らの兵はその体ゆえ後ろへ近寄り、切りかけられても具足なのでかちかちというのみで通らない。
兵卒共は構え持っていた刀を肩に担いで、鋒に敵をひっかけ、負い投げにして前へはねた。
夜のことなので敵はこの事が分からない。幾人も来てはこのようにして、来る毎にはねていた。
敵は寄せ来る、自分は座して動かない。
このようにして数十人を打ち取った。
味方も夜のことなのでその手際が見えず分からないので、
松浦の手の者は人礫を擲ったと沙汰されたという。

 これは伝聞の実説であるが、予は初めて聞いた。
治五平というのは誰の先祖であろうか。
先祖の武功は他人より聞くという俳句は、まさにこのことであろう。

(甲子夜話)



森本宇右衛門天竺より小人国に往く事

2016年06月26日 17:56

888 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/26(日) 00:23:04.18 ID:6jeSAv6P
森本宇右衛門天竺より小人国に往く事

清正の臣森本儀大夫の子を宇右衛門と称す。
儀大夫が浪人の後、宇右衛門は、わが天祥公(松浦重信)のときしばしば伽に出てきて、
天祥公はその咄などを聞かれたという。
この人はかつて明国に渡り、それから天竺に行こうとして、
かの国の境にある流沙河を渡る時に蝦を見たという。殊に大きくて数尺に及んだそうだ。
それから檀特山に登り、祇園精舎をも見て、この伽藍の様を自ら図記して携えって帰った。
〔今その子孫は、我が領内にいる。正しくこれを伝える。しかし今は模写である。〕

また方々をめぐり歩く内に、小人国に至ると、折節小人が集まっていた。
一石を運んで橋に架けようとしていたのを宇右衛門は見て、
自ら一人で石を水に渡したら、小人達は大いに喜んで、
報酬と思しき菓物を多く贈ってくれた。
これも今に伝えているが、年を経たためか、今では梅干のようなものとなったという。
〔初めは多かったが、人に与えていくうちに今はわずか二、三だけである。〕


近頃、ある人が曰く、これらの行ってきたところは、真の天竺ではなく他邦であると。
流沙河もその本当のところでは沙漠で水はない。
なので、我が国で常に聞き及んでいたので、これを名付けたのだ。
また山や舎の如きも皆異所であろう。
かの国にはこの類のことがなお多い。
また小人国も南北所々にあり、この小人はどこのものであろうか。
たしかに外域、はるか遠くの地に至ったのは疑いもないけれど、
その頃は世界四大洲の説もまだ明らかでなかったので、
あいまいで分かり難い。
とのことであった。


(甲子夜話)

実際は、祇園精舎ではなくアンコールワットだそうで
小人国って、ガリバーみたいだなあ