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「朝野雑載」から八丈島の話

2022年02月27日 12:21

70 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/02/26(土) 22:17:47.71 ID:C/KFd0uw
朝野雑載」から八丈島の話

豆州の住人、朝比奈六郎知明という者、軍兵を集め、大船を催し、数年用意して、下田より船を出し、八丈島に着き、島中を従え、
今後より日本伊豆国の内なるべしと定め帰り、北条早雲へ申し、氏直まで五代領知し、日本の内となれり。下田より未申にあたる。
島の風俗、家主は女にて、男は入り婿なり。
女は髪長く、色白く、容艶にして、日本人にさしてかわることなし。
女は多く、男は少なし、女をうめば悦び、男をうめば捨てもののように思う。
知明渡海の頃は永正の初めなり。

おそらく「北条五代記」の記事をまとめたものと思われる。
「北条五代記」ではこのあと板部岡江雪斎の八丈島報告が書かれているが
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3820.html
板部岡江雪と「八丈島」
で出ていたのでそちらを参照

71 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/02/26(土) 22:21:19.29 ID:C/KFd0uw
ついでに択捉島に立っていたロシアの十字架を倒して「大日本恵土呂府」の標識を立てて日本の領有権を主張した事で有名な、
近藤重蔵の息子である近藤富蔵は殺傷事件を起こし、八丈島に流され「八丈実記」を記しているが、その中の話で「綜嶼噺話」という書物を引用し、
「大津波が起きて妊婦一人だけが助かり、男子を生み、母子が交わって子孫を作った」
という、小松左京「日本沈没」でも言及されていることで有名な「丹那婆伝説」について書いているが、
実は引用元の「綜嶼噺話」には「妊婦は女子を産んだ、これが女護島のゆえんである」と書かれている。
本来は上の話にもあるように、女性中心の神秘的な島の始祖伝説のはずだったのに母子相姦の始祖伝説にされるとは



72 名前:人間七七四年[] 投稿日:2022/02/26(土) 22:58:28.36 ID:9qpY0v6i
>>70
現時点で史実とされる経緯とは大分相違している。

八丈島は山内上杉の所領だった。
朝比奈は三浦の被官で、山内方或いは扇谷方の奥山という者と共に八丈島の支配に当たっていた。
後に伊勢宗瑞方で下田に拠る御簾という者の強襲を受けて争った結果、敗北して下田に抑留された。
伊勢が対上杉宣戦に踏み切る伏線を成す在地抗争の一つとみられている。

『北條五代記』では論じても詮方無いが…。
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やもめ女とやもめ男

2016年09月02日 19:56

142 名前:人間七七四年[] 投稿日:2016/09/02(金) 04:57:31.31 ID:Esn9Ugfg
やもめ女とやもめ男

ある日、上野の国の吉村の男が女に頭を棒で殴られ血を流したと訴えてきた。

男は「それがしは男やもめであり、この女もやもめであります。私達二人は同じ里の近所に住んでいて、
この女の家に夜な夜な通って情を交わしておりましたが、この女は別の男ともつきあい、
それがしを嫌い始めて泥棒呼ばわりして棒で頭を叩いてきました。
しかしそれがしは決して泥棒ではありませんから、無実を訴えに来たのです」と言った

女は「男と会ったことは無く、この男が夜中に家の戸を破って入ったので泥棒に間違いありません」と言った。

男はこれを聞いてもさしたる変化も無く、目もすわっていて受け答えもよどみがない。

結局どちらが正しいのかはっきりしないでいた。

そこで奉行の板部岡江雪斎が「やもめの男女を裁くのは珍しい事だ。両人とも証拠を示せ」と言った

すると女が「私は三年前に夫を亡くして、その時から理由の分からない腫れ物が出来ています。
医者曰く、これは「開茸」と呼ぶそうでなかなか治りません。
これを他人に見せるのは恥ずかしいので、それ以来男と付き合うなどと思った事がありません」と答えた

男は「しかし、女に腫れ物があっても寝起きは容易にしています」と返すと女は大笑いして

「私の体には腫れ物なんてありません!わざと嘘を言ったのです」と言った。

そのとたんに男は顔色を変え返答できなくなってしまったので、男を縄にかけて女は家に帰した。

盗人もうまく嘘をついたが、女の知恵には敵わなかった。それにしても
「開茸」の嘘は良く思いついたものだと、ここに訴訟を記しておく。

「北条五代実記」

見た事あったような気がするけど、まとめ探しても無かったので




143 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/09/02(金) 16:18:11.74 ID:aSA/depL
>>142
ありがちだけどそれだけに実際あってもおかしくなさそうで好き

144 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/09/02(金) 16:51:40.99 ID:2JRig5Tm
豆泥棒だったのか

関ヶ原の凱歌

2013年12月29日 18:28

991 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/29(日) 13:39:00.70 ID:spJkqD06
関ヶ原の戦いはすでに勝利に属し、諸将はとりどりに徳川家康に謁賀した。

この時、岡江雪入道は「只今こそ、夜の明けた心地がします。
勝凱を執り行いなさるのでしょうか?」と申し上げた。

これに家康は「今、従軍している諸大将の妻子はみな敵方に
囚われて大坂にいる。誰もがさぞ心許なく思っていることだろう。
我もまた、そのことを心苦しく思うのだ。

三日のうちには大坂まで押し至り、皆の人質を引き渡して、
そのうえで凱歌は行うべきだ」と言った。

いまだ誰も彼も妻子のことなど思い出す者はいなかったので、
この言葉を承っていずれも盛慮のほどを心肝に銘じ、おそれ多く思った
ということだ。

後年、浪花の役でも凱歌を奏しなかったという。

――『徳川実紀(天元実記、榊原日記)』





992 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/29(日) 13:45:38.56 ID:n5E6Bx3Y
あれ、板部岡江雪斎なら江雪斎だと思ったが
ますますどこで区切るのかわからなくなる

993 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/29(日) 14:26:54.17 ID:nbxUz1SD
羽筑前と同じ表記方法だよ

994 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/29(日) 14:42:36.43 ID:+Ba7VLdm
岡野の岡か

995 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/29(日) 14:47:16.92 ID:TbGNcQK/
板部岡 江雪斎(いたべおか こうせつさい)

996 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/29(日) 17:35:19.81 ID:56Jp5kJM
板部 岡江雪 斎
ではだめ?

997 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/29(日) 18:19:12.83 ID:DxuISn5I
国宝「岡江雪左文字」

…う~んw