君主の徳

2015年07月29日 13:08

456 名前:1/2[sage] 投稿日:2015/07/28(火) 19:59:24.16 ID:hrig4mSX
黒田長政の家臣である林田左門という人は、剣術の大名人として、西国では隠れなき人物であった。

ある時、黒田家中の者達5,6人が寄り合いをした時、このおり林田左門なども来て話をしていたが、
兵術の話になり、その中で若年の者が、彼は力量も強かったため、己が血気に任せて所持強きことのみを
好んでおり、このように語った

「兵法は武士の勤道とは言うが、あながちこれを学ばなくても、武道が成らない、というわけではない。
心さえ臆さなければたとえ兵術は知らなくても、高名を遂げることは出来る。」

そう居丈高に言い放った。
林田左門はこれを聞くと、
「其方の申されること、一理はあるように聞こえる。しかしながら、心剛なる上に
兵法優れていれば鬼に金棒というものではないか?」

しかしかの若侍は血気の者ゆえ
「いや、一心さえ動かずば、たとえ木刀の試合であっても無下に劣るとは思わない!
ちと試合してみたいものだ。」

左門、これを聞くや
「それは良い志である。いざ参らん!」
若侍も「心得たり!」と即座に座を立ち庭に飛び降りると、漆の木に結びつけてあった
長さ一間ばかりの丸太があったのを、「これにて仕らん」と引き抜き、土のついた所を拭い
2つ3つ打ちふるって左門を待った。

左門も座敷を立って縁側を見ると、小さな木刀があるのを見つけ、これを取ると庭に降り
「随分心の及ぶほど精を出し、出来る限りの大力を入れてみられよ。」と声をかける。
「言われるまでもなし!」若侍は丸太を打ち振りかかった。
左門は小太刀を引き上げ、そろそろと寄り、太刀の届く間合いになったと見えた時、若侍が
一打ちにと打ってきた所を、左門は一体どうやったのか、引き外し、飛び違いざまに、太刀の先で
彼の者の額を少し打って「参りたり!」と声をかけた。

若侍「どうやら木刀が当たったようだ。思ったよりも太刀が早い。なかなかあのようには出来ない」と、
持っていた丸太を投げ捨てた。しかし左門は「いや、残念なこと多い試合であった。今一度試合すべし」と
誘ったが、若侍は「いやいや、出来ない」と断った。

457 名前:2/2[sage] 投稿日:2015/07/28(火) 20:00:02.89 ID:hrig4mSX
双方座に戻り、左門が「今後は私を祈られよ」と言うと、「なるほど心得たり」と答え、
これに一座の人々も笑った。しかしそれから、彼の者の額はみるみる腫れ上がり血も滲んだ。
彼は表には素知らぬ体で居たものの、内心にはよほど面目なく無念にも思っていた。
しかしどうすることも出来ず、その場を立ち退いた。

この次第を黒田長政が聞いて、その若侍を呼び出し
「お前はこの前、左門と試合をし負けたそうだが、そのとおりか?」と尋ねた。
「御意のごとくです。」と答えると、長政

「若者には似合いの良い心ばせである。林田左門であっても打つべし、と思うのは、勇気の
優れた所であり、若年にてその志無ければ物の役には立ち難い。

さて、お前が試合に負けたことは、少しも恥ではない。
何故なら、あの林田左門は兵法の名人としての名を世に許された者である。
その方は素人であれば、どうやっても勝つことは出来ない。負けるのは道理である。

であるが、あの左門に武辺で負けてはならぬ。
剣術が上手だからといって、合戦の時必ず勝つわけではない。兵法不得手であっても、高名は
出来るものだ。こういったことは格別の詮議である。
しかし、だからといって、武芸を修行しないのは、武士の家に生まれた道理に背く。

その方が左門に試合で負けた事を、何時までも心に掛ける必要はない。
上手が勝ち下手が負けるのは定まったことだ。
私も昔、柳生但馬、疋田文五郎などに兵法を習った時、我意を立てて打たれたこと度々であった。
おまえも、今後左門の弟子になって兵法を学べ。習い得れば、かならず人に勝つ。勤めて稽古を
怠ってはならぬぞ。」

これを聞いて若侍は落涙し、そこから直に左門に家に参り、この次第を語り、師弟の契約をなした。
それ故に、後年この若侍は剣術の上手となった。

そしてこの話を聞いた人々は、黒田長政が君主の徳を持っていることを賞賛したのである。
(明良洪範)




458 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/07/28(火) 20:15:13.32 ID:QYbT+Hsr
>>456
同じものを呼ぶ時は同じ名称で書いてね、木刀・小太刀・太刀・丸太
若者は丸太のみで、もう一人は短い木刀だけに読めたが
途中で新しい呼び方が出てくると、もう一回それが登場しているか最初の方を読んで、また戻るの繰り返しになるから
俺の理解が違ったら謝るが、真面目に読んでいるからちょっと気になった

459 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/07/28(火) 20:17:54.95 ID:hrig4mSX
>>458
二人の得物に関する名詞がバラバラなのは原文のままなんだよ

460 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/07/28(火) 20:58:24.73 ID:IHKs+A9Y
原文左衛門はかく語りき

461 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/07/28(火) 21:12:31.49 ID:D5y49FXO
面白く拝読した。お疲れ様。
ただ私も>>458氏に賛成で、これくらいの量になると、
原文尊重もよいが、それなりに読みやすさも配慮して欲しいかなあ。
「所持」は「諸事」の誤変換?
「今度は私を祈られよ」のあたりは意味がよくわからないが…

462 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/07/28(火) 21:18:33.82 ID:upKQN8/x
>>461
>今度は私を祈られよ
俺は「これからは私に倣って武芸に励め」みたいな意味にとった


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左文は、剣術は名人だが

2014年09月10日 18:58

185 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/10(水) 01:49:57.32 ID:OGA+UiPN
黒田忠之の家士に林田左文(左門)という者がいて、戸田流の剣術の名人だった。
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3278.html

彼は足軽20人を預かっていた。ある時、その足軽のうちの6人が一味して人を
殺し、出奔した。この時、左文は馬に乗って馬場にいたのだが、この事を告げて
来たので、左文はこれを聞くとそのまま馬を飛ばして追い、

たちまち足軽たちに近付いた。足軽たち一同は立ち止まって左文に向かい、
「我々は他国へ参っても、追い付かれたと申すつもりはありませんので、御身様に
おかれても追い付かなかったということにして、ここからお戻りください。さもなくば、
敵対いたします」と、言った。

左文は静かに馬から下りて「私がここまで来たのは、お前たちを捕らえて帰り、
必ず処罰しようと思ってのことではない。是非を糺すためである。いざ来たれ」
と言った。6人の足軽は無言でいたが、やがて1人が刀を抜いて切り掛かった。

左文は抜く手も見せず、その者を即時に切り倒した。そして「皆々騒ぐな。
この者は敵対したので、止む無く切り捨てたのだ。敵対せぬ者をどうして切る
ことだろうか。早く来たれ」と、言った。

すると、また2人が切りかかる。左文は「はてさて、愚かな奴だな」と言いつつ、
2人とも切り倒した。残りの3人は一同に抜き連なって掛かったが、左文は1人を
切り捨て、2人に怪我を負わせた。これは6人一同に掛かってくれば面倒であろう
と思い、静かに言葉をかけて、6人の者の覚悟を決めた気を緩めさせたのである。

さて、左文は手負いの2人をその帯で縛り、乗って来た馬に乗せ、自らその馬を
引いて帰った。これにより「天晴れの者である」と言って、筑前の士の多くはこの
左文の門人になった。

ところで、馬爪源右衛門という鉄砲の名人の士がいた。鉄砲の他にも総じて武芸を
好んだ者だったが、彼は左文の門人にはならず、諸人がその理由を問うても、ただ
笑って答えなかった。その後、左文は罪あって刑せられた。

その時、源右衛門は親や数人に「左文は、剣術は名人だが、その性質は大奸邪だ。
ゆくゆくは何事を仕出すかも計り難いと思って門人にはならなかったのだ。師弟に
なった時に、もしも『奸曲に組せよ』と言われて組しなければ師に背くし、組すれば
主君に背くことになる。これが“愚者も千慮の一得”である」と、笑って語った
ということである。

――『明良洪範』



192 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/10(水) 19:46:54.76 ID:dPTJdtfR
>>185
そういう落ちか
なんだこいつ意味が分からない…と思いながら読んでたが

193 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/10(水) 20:00:31.37 ID:speW8beY
>>185
山田風太郎がこれを元に「妖剣林田左文」
って小説を書いてたな
栗山利安がしょうもない死に方してた覚えがある