山下金之助

2017年02月28日 08:10

683 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/02/27(月) 12:11:55.34 ID:KKvYoxvy
山下金之助

 幕府旗本の人々はいずれも旗本となった由縁がある
広く聞いたらさぞ名家が多いのだろう。

 林子(林述斎)は近頃、山下金之助と女子の結婚を仰せつけられた。
その家を林子に問うと、
その家の家紋は三頭の左巴、または井桁を用いる。
井桁の家紋は神祖から拝領して、殊に重用しているという。
 そのわけは、神祖が駿府にございました時、
御狩の御供をしていると、大猪が出てきて皆狼狽した。
そこへ山下は刀を持って猪に対面し、井桁に押し付けて仕留めた。
その後継を間近でご覧になられて、
御感賞のあまり着られていた紫縮緬御紋付の御陣羽織を脱がれて手ずから贈られ、
かつこの後に井桁を家紋とせよとの上意があったのでこれを用いたという。
その御陣羽織は今も家に秘蔵しているという。

元祖は綱義。弥蔵、または文十郎と称し、広忠公に奉仕し、安城で討ち死。
二代は義勝。弥蔵、または庄大夫と称し、神祖に奉仕し、関ケ原、大阪両陣をお供した。
三大は周勝。弥蔵と称し、父とともに両陣をお供した。
その後、駿府の御狩にお供した人である。
このひとから金之助は七世の孫という。

(甲子夜話)



684 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/02/27(月) 12:50:10.89 ID:SjJ0ReA5
井桁の家紋か
いいかもん
いいかもん

685 名前:人間七七四年[sagr] 投稿日:2017/02/27(月) 20:01:18.80 ID:B7XqD9oS
今じゃ!
>>684の頭上に熱々の糞尿をぶっ掛けるのじゃ!
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江戸御城は、道灌のみに非ず。高虎縄張の事併道灌風流、桜楓の事

2016年12月09日 09:19

392 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/12/08(木) 22:25:27.26 ID:J91C5wri
江戸御城は、道灌のみに非ず。高虎縄張の事併道灌風流、桜楓の事

 ある人が語るには、
江戸の御城は、初めは太田道灌が興したというので今は何事も道灌に帰しているようだが、
道灌が築いたのは今の西の丸で、御本丸は藤堂高虎と諮られて御新築されたという。
よって『駿府政事録』には、"新城"とあるのだそうだ。

 また道灌も流石は風流人であって、
今の桜田という辺りには多く桜を、今の紅葉山という地には楓樹を植えて、
春秋の詠を専らとしていたという。
今増上寺の門前に流れている小川を桜川と呼ぶのも、その源泉は桜田から出ているので、
その年からこう言っているのだという。

 この事を林老(述斎)が聞くと
「桜楓のことは同意しない。桜田はもとから村の名で桜を植えたからではない。
御城外の桜田から今の桜田町まで行程はかなりある。
その年にどうして一年間で花木を植えることができようか。
また紅葉山は駿府に有った名を移されたものである。」
と話された。

(甲子夜話続編)

松浦静山の頃には、かなりの誤伝が広まっているのだと思われます



398 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/12/09(金) 22:52:45.81 ID:8ZfVzv1H
>>392
昔から道灌すげーと思われていたんだな

400 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/12/10(土) 00:02:16.10 ID:mqM9v91Y
道灌「この城どうかんならねえか?」
家康「家、やすいなら買おう」
と庶民には思われてた説

401 名前:人間七七四年[] 投稿日:2016/12/10(土) 00:18:49.26 ID:6eJna+f9
>>400
        シャカ
      [二] シャカ
  ロ=== (´・ω・)
  (::) ( >on o θ
日[二二] と_){三}


        ス...
      [二]
  ロ=== (´・ω・)(
  (::) ( >oy>o )
日[二二] と_)_){三}

402 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/12/10(土) 10:55:42.83 ID:BHAJeKED
世紀末荒野だった戦国の関東平野で
歌詠みまくって風流も競い合ってたってのがまた不思議

406 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/12/10(土) 19:47:48.65 ID:J3N68zoo
北条家も風流なイメージ持ってる

侍妾等宗旨の話次、太閤の宗旨の尋に当惑せし事

2016年12月03日 09:01

370 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/12/03(土) 01:07:04.40 ID:YNCSQY1u
侍妾等宗旨の話次、太閤の宗旨の尋に当惑せし事

 一笑のことを記す。
ある夜、予の書机の傍らで待妾等が居て話しているのを聞いた。
「私は何宗です。」、「私は何宗ですよ」...等と言っていた。
やがて予に向かって、

「公儀の御宗旨は何ですか?」

と質問してきた。

「御先祖の頃から浄土宗である。
上野の寛永寺は天台宗だが別に理由がある。」

と答えた。そして、こうも質問してきた。

「ならば太閤様の御宗旨は何ですか?」

予は返答に当惑した。
思ってみると、足利は尊氏以来禅宗だというのは世の知るところで、
信長も総見寺のことをみれば同宗である。しかし太閤に至ってはまだ知らない。
よって「全く知らない」とその場では笑って過ぎた。

 それから明日天祥寺に詣でたときに、和尚二人に出逢ったのでこのことに及ぶと、
両和尚の答えもあれやこれやで的を射たものでなかった。
また林氏(述斎)へも便りにこのことを問うと

「御宗旨は大仏殿などのものと同じかもしれない。
しかし私は元来儒家で、釈子のことには関わっていない。
なので審査しないので答辞に及ばない。」

そこで隣宅の荻野長に問うた。

「高野山行人方の木食高山上人のことについて、黒田如水の覚書に記した文に、
『御所様はまだ御小身の御時から、高野山行人の衆を御信仰と云々』というものがあります。
また高山上人の取り成しにより豊太閤の助勢を得て、高野山は再興しました。
ゆえに今も高野山奥院大師の廟は行人方で管理しています。
行人方は秀吉の取り立てで高山寺を頭頂としましたので、
学侶は青厳寺を本寺としたようです。
阿弥陀が峰も高山寺の持ちであります。
今は妙法院でお持ちになられていて、慶長十二・十三年の頃から天台座主のお持ちとされたそうです。」

ならば秀吉は真言宗である。

『秀吉譜』で云う
「十八日、前ノ関白秀吉伏見の城に薨ズ。洛東ノ南辺阿弥陀ガ峰ニ葬る。
木食興山上人経始之事ヲ監ス。墓を其巓ニ築キ、祠ヲ其麓ニ構フ。
廟社既築、後妙法院ニ於テ、秀吉之月忌毎ニ必ズ諸宗ノ僧徒ヲ聚メ、斎ヲ設ク。
聖護院門跡道澄ヲ以ッテ大仏殿ノ住持ト為ス。
〔院号ヲ改テ照高ト曰フ〕」

(甲子夜話続編)

確か、方広寺の大仏殿で秀吉の先祖の供養ために
不受不施派以外に宗派を呼んだたしいので、
秀吉は不受不施派以外全てであるでも正解かもしれません。



城地革変甲冑論

2016年11月20日 17:37

林述斎   
326 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/11/20(日) 00:16:12.28 ID:u73Z9G9W
城地革変甲冑論


 林子(述斎)曰く、
城地はその時代により移り行くものなので、作り替えねばならぬ物であるという。
山城などは水地と違い地勢もかわらないが、その時の敵のある所で用不用がある。
例えば、照祖(家康)が三遠におわしました時は、
金谷駅の上にある諏訪原(牧野原とも言う)の城は真の要害であった。
これは甲州の押さえの為であった。
甲州が亡んだ後はこの城は用が無くなったので廃城となった。
世人はこのような訳も知らず、深い考えもなく、
「あの所の古城跡は天険の地なのに、なぜ廃したのか?」などと言い出すのは笑ってしまいそうだ。

 また慶長中、伏見の城を淀に移されたのは、その頃淀川の水道が今と違い、
城からの川の水位は低く、水車で城内へ水を汲み入れていた。
百余年を経て川床が高くなり、水車は景色ばかりとなって実用すること無くなり、
出水ごとに、淀城はいつも氾濫の患を被らないことはなかった。
これは河道の変化によるもので、城築の時の地勢によるものではない。

 古今の変化に通じなくて、城の利不利などを評する人が往々にしている。嘆くべきことだ。
その他に海を要害にした城だったが、今は海があせていつのまにか田となったものもある。
また、城門の前の間地も、後に間近くに家を建て列ねているものも多い。
これらは事に臨むときに身を滅ぼす元ととして成る程便利であろう、と林子は言われた。
西方への旅行の時、諸国の城地を目撃して意中に心得がたいことが多かったのだろう。

 そもそも城のみでなく、着具なども同じことである。
先祖の具足と貴び所蔵するのはいい。
それを自分も着るものだと思う輩がまた多い。
そもそも人に大小肥痩があるので、今に当たって自分が用いる乳縄(※胴の乳の辺りの寸尺)
で製作しなかったものは用に立たないものだ。

 私は若いときは痩せて、中年から肥えた。年少の時の乳縄は今とはかなり違う。
一人のものでさえこのようなのだ。
これらは分かりきっていることなのに心にも付かず、着具を作り変えることも知らないまま、
いたずらに月日を過ぎる武家は実に太平の余沢に豊かに過ごしているといえよう。
(甲子夜話)


こういう「当時と地形が全然違うだろ」って突っ込みが頭の中にあるから
あんまり古城めぐりには乗り気ではないんですよね



327 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/11/20(日) 09:56:03.54 ID:sN07tgQU
郷里で再会した同窓生の嫁をみて、伴侶とした理由を聞くようなものですねw

328 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/11/20(日) 14:25:06.85 ID:FttclQe/
>>326
クラウドファンディング「そんな貴殿にVR、当時の地形も再現致しますぞ」

切団子

2016年11月07日 09:43

302 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/11/06(日) 22:15:27.02 ID:fuOGN5H1
切団子〔水野家伝。伝通院殿遺事〕

 浜松侯〔水野左近将監忠邦〕の家に「きりだんす」という製菓子が伝わっている。
切団子と書くとのことだ。昔伝通院殿が常に好まれていたので伝わっているという。

 林子(述斎)と侯は師弟なので、ある日侯はこれを作って林子に差し出した。
林子はその古色と故事とを賞し、そのことを予に語った。

 実はこの調理はかの家でも久しく作っていなかったので、これを知る者もなかったが、
今の侯が台所の古書留から捜し獲て再び昔のことを知ることができたとか。

 また同じ年の大晦日に以下の書付を送られた。
「切団子製法

一、小豆 一升四合 一、糯之粉 一升二合
一、粳之粉 八合  一、砂糖 二斤半

この割合で湯で練り合わせます。棹取小判にして小口切六歩くらいに切り、
煮立てました湯に入れ、浮いてよろしい時分に器に入れ差し上げます。
小豆はかねてからこしあんにしておき、乾かし、よくほぐし、ふるいにかけおきます。
または青黄粉などを小豆代わりにすることもございます。
切りだんすはもともと温かいものを賞翫するものですので、
『お出しするのは只今だ』とございましたら、
ずいぶん手回しとく急に仕立てて差し上げますものにございます。
以上

四月」

これは林子が水野氏に所望し、かの料理方から書き出した書付である。
(甲子夜話)



303 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/11/06(日) 22:32:48.27 ID:6Z1DPi6F
そういえば昨日の世界ふしぎ発見がオランダ回で
第10代平戸藩主・松浦熈(松浦静山の息子)が後世に伝えるために描かせたと言う
「百菓之図」(和菓子、洋菓子など百種類の図と解説)について紹介していた。
再現されたお菓子が松浦史料博物館で提供されてるとか

親子そろって菓子のレシピに興味があったのかな

石田三成、長曽我部

2016年08月10日 07:59

967 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/10(水) 06:30:29.84 ID:KNtupSJv
石田三成、長曽我部

石田治部少輔三成は世では"みつなり"と唱えている。
しかしかつて三成に懇ろにしていた伊勢の一身田高田派の一向宗の寺
[この寺の名は忘れた。大寺である。今の上人は先帝の御弟で、奥方は津候の伯母である]
(※専修寺だそうです)
には、三成自筆の仮名文数通あり、皆"かずしげ"と書いてあった。
三を"かず"と訓じ、成を"しげ"と訓じていたのを、今は知る人もいない。
以上は津候の臣、藤堂主計、及び儒臣石川貞一郎の話である。

また津候の家に伝わる石田の仮名文一通にも、"かずしげ"と書いてあるという
津候の祖は三成と同時期の人であり、文通があってもおかしくないので、いよいよ世の誤りを知ることができる。

また長曽我部元親も、その時は"長曽かめ"と唱えていたと聞く。
長曽我部を仮名で"かめ"と書き、またはその四字に仮名をつけた書に、我部に"かめ"の傍書がある。
また拠るところでは、我部をそのころの書に亀と書いた物もあるという。
以上を朝川鼎が語った。

林述斎はこれに関して、以下の話をした。

今人の苗字も近頃唱え違いが多い。
増山は"ましやま"である。建部は"たけべ"である。
なのに人々は、"ますやま"、"たてべ"という。
この類はいかほども有る。松浦は"まつら"であるのに、世では"まつうら"という。

(甲子夜話)



968 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/10(水) 07:10:30.76 ID:1kSLhF/I
ワタベとワタナベ
ソガワとソゴウ

969 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/10(水) 07:25:31.19 ID:GVKjmEBJ
>>967 三成が「かずしげ」?。うーん本当かな。

囲碁マンガで「ヒカルの碁」の中で、藤原佐為というのがいるが佐為=さい ではなく、
当時の読み方からいえば、「すけため」である、という説があった。音読みと訓読みと
当時の慣例により。

970 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/10(水) 07:29:35.77 ID:jh0yf/bh
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5177.html
これにも、「かつしげ」と読むとあるな

978 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/10(水) 14:29:14.11 ID:BlSChZfX
>>967
この時代でさえわからなくなるんだから、まして現代ではなぁ。

979 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/10(水) 16:23:02.25 ID:bEkGN4Oq
にしこりとにしきおり