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故に良将はかならず軍を監督し

2019年03月10日 21:33

779 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/03/10(日) 09:15:15.13 ID:7JNEY6op
上杉謙信が自ら兵一万余りを率いて越中に入り、柿崎和泉(景家)に命じて、別将を副えて
辺塞を攻めさせた。ここから引き取る時、敵将が出てきたためこれと戦った。
この時柿崎の従兵である大川十郎は、左の腕を射抜かれたその矢も抜かず、取った頸を掲げて
柿崎の前に来た。ところがこの時、柿崎は大川を怒鳴りつけた

「お前は元より頸一つを取りかねるような者ではない!どうしてこの程度のことを誉れとするのか。
お前はまた、矢一筋くらいで弱るような者ではない。どうしてそんな事を勇だと思っているのか!?
一歩でも進むべきところを、知らないのか!」

そう辱めた。このためこの戦で士卒頸は斬捨てとなり、柿崎の軍は大いに苦戦した。

首級を置いて闘撃を先とする時は、功名の先後が転倒してしまう恐れがある。これは武士が怨みを
含む端緒となる。だからといって、ただこの恐れを無いようにした場合は、戦いに集中すべき場所を
引いて闘撃を止め、首級を貪ろうとする場合もある。こちらは兵勢が挫かれる基となる。

これ故に、良将はかならず軍を監督しこれを正すのである。

(武将感状記)



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越中魚津の蜃気楼 乾達婆城の事

2018年02月19日 17:52

543 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/18(日) 19:10:30.83 ID:Z9pD70Ir
越中魚津の蜃気楼 乾達婆城の事



永禄7年(1564年)5月下旬より6月半ばに至り、本庄繁長柿崎景家を魁首として、
上杉謙信公は越中国に在馬した。

この折節、魚津の海上において貝の城が出来たのを見るといって、
浜辺には市のように多くの老若男女が集まり垣根を巡らしたようであった。

暑熱の時に属して、蛤がたむろして靄気を立てていた。
中華の書物で言われている蜃気楼とはこれであろう。

故老の説に曰く、

「蜃(シャコ貝の一種)は蛤の大きいやつだ。よく気を吐いて楼台を作る。南北海に多い。
 支那登州の海濤は、春夏の間に水面を遠くから眺めると、これ気がある。
 人馬の往来が絶え間ない城郭や市を彷彿とさせる。地元では海市と呼んでいる。
 西域でもこれに似た事があると伝え聞く。

 朝日が出始める時、紅輝天に映して楼門宮闕を現して、ちかく官人の出入りを見る。
 日が高く昇ると消滅する。しかしながら、肉眼の及ぼす幻みたいなもので実在はしない。
 これを乾達婆城と名づく。全て乾坤の間象を含む者、
 陰陽の二気を感じて変化の成行を計り知ることは出来ないという」


和泉は大食いのじいさんだなぁ

2016年01月12日 18:21

180 名前:人間七七四年[] 投稿日:2016/01/11(月) 22:21:43.79 ID:iWayTfBO
柿崎和泉守景家は非凡の猛将であった。

ある時、部下の老兵が「小蛇を土中に埋めた祟りだ」と発狂しだしたので、
景家は出陣の途中老兵の家に立ち寄って、蛇を掘り出して、
老兵の面前でムシャムシャこれを食べてしまった。
そして「このような珍味を土中に埋めておいたのではもったいないではないか。」と平気でいった。
それを見たものは皆、舌をまいた。
伝え聞いた謙信も「和泉は大食いのじいさんだなぁ」と大笑いしたそうだ。




183 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/01/11(月) 23:55:22.13 ID:ys1zp3di
>>180
ヘビは寄生虫の塊みたいなもんだから生食はダメ。素手で触るのも宜しくない。触ったら念入りに手洗い。
ナマで食って平気なのは鬼武蔵くらいだからな。

この景虎の先鋒に向かって恐れげもなく

2013年10月24日 19:19

569 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/24(木) 06:55:42.69 ID:6KlCSDX4
天文22年(1553)8月、長尾景虎(上杉謙信)は上野の平井城に滞在し、上野・下野の国境などを見て回った。
兵二千あまりを連れて、桐生から佐野に越えようと、新田龍広沢の境、足利八幡に差し掛かったが、
道幅が狭く、また地理不案内でもあったので、軍勢が左右の山の根や田畑を踏み荒らした。

この様子を、金山の横瀬雅楽介成繁の足軽大将である金井左衛門佐がそこから離れた茶臼山の要害より
これを見つけ、雨沼のあたりまで馬で駆け下りて、景虎の軍勢に向かってこれを咎めた。

景虎の先鋒である柿崎和泉守(景家)はこれに手のものを走らせ

「誰であろうと、馬上よりの誰何は無礼である!」
と言い返し、重ねて
「お前はこの近くの、地頭か誰かの使者なのか!?」
と問うた。

金井は答える
「私はこの地の領主、新田の家人で金井左衛門佐という者である。
この山の番所を預かり、警護をしている。

ここから足利までは、新田、長尾両家の土地が入り組み、なにか起これば複雑な事態となる。
大将たるものは部下が乱暴狼藉をしないように下知せよ!」

この報告を受けた景虎は笑い出し
「この景虎の先鋒に向かって恐れげもなく、しかも馬上からあしらうとは、無礼である!
このまま言うとおりに成っては、今後、この周辺の諸将にも侮られるであろう。」
そして
「その金井という足軽大将を殺し、彼の番所も焼いてしまえ!」
と命じた。

これを聞くや、逸り立っていた柿崎の手の者は刀を抜いて金井に迫った。
金井は、かなわじと見て馬を引き返し、神明の森まで逃げたが、越後の兵はなおも追撃を続けたため、
彼は寄騎の侍二人と踏みとどまって抜き合わせたものの、やはり多勢に無勢であり、
金井はついに立ち腹斬って果てた。

二人の寄騎はかろうじて番所まで逃げ帰り事の次第を告げ、番所に居た老人や女子供を
直ぐに山奥の谷に避難させた。
そして他の者達が防御のため弓、鑓、長刀と武器を探している所に、はや柿崎の家来たちが
踏み込んできて、目に入った者は老人であろうと子供であろうと片端から斬り捨てた。
その上で、番所に火を放って一片の煙とした。

(関八州古戦録)




570 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/24(木) 07:38:02.07 ID:Veg5aus4
ヒャッハー

571 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/24(木) 08:40:47.17 ID:OwYsjTG9
千葉や成田といい坂東武者ってのは時代錯誤も甚だしいねw
まあ関八州古戦録は謙信公の名を貶める資料だからしょうがない

572 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/24(木) 08:46:06.80 ID:K3geGEnj
関東からしたら影虎なんて手のつけられない暴風雨でしかないからなあ
構おうものなら身が破滅する

573 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/24(木) 12:36:36.05 ID:5tNL3Dlq
馬上でなんたらっていちゃもんの付け方が、まんまヤクザの手法だな
お前の言うことは正しいかもしらんが、その態度が気に食わん、誠意見せろや!って感じ

574 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/24(木) 15:15:09.78 ID:eKAptpLg
>>572
基本的に関東の武将が北条についたり上杉についたり北条についたりしたのは
謙信が怖かったからだよ!日和見してたわけじゃないよ!ってアピールは凄く感じる