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青沼新九郎の事

2020年02月05日 17:06

793 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/02/05(水) 02:36:08.02 ID:NZ2w9/rT
永禄八年七月、上杉謙信配下の柿崎和泉、北條丹後は上州下分にて働き毛作を刈り取り、そこから和田へ
取り詰め巡見をした所、武田衆が堅く守っていたため早々に引き取った。この時、青沼新九郎という
上杉謙信寵愛の小姓が遠筒(鉄砲の流れ弾か)に当たって疵を蒙り、翌日前橋に於いて死去した。
この青沼新九郎は、北條丹後の与力・青沼勘兵衛の三男で、久しく越後へ相詰め、休暇として六月より
父の在所に在った。

謙信公は佐渡より御帰城なされ、この新九郎の死を知らされると、彼が御暇を申さず忍んで父の在所へ
罷り帰り、剰え多日逗留した事は是非にも及ばぬと激怒された。そして既に掘り埋めてあった彼の屍を
引き出させ、これの首を斬り獄門にかけ、父子兄弟悉く追放された。

また、いかなる密事をお聞きに成ったのか、北條丹後の甥である伊豆守の末の弟・水右衛門という者、
その年二十二、三歳の、若く清気なる侍であったが、彼を飛脚を以て召し出した。
そして普段過ごされる部屋に彼を呼んで御言葉をかけ、例の國吉二尺九寸の刀にて袈裟斬りに斬り捨てられた。

松隣夜話

残虐な逸話の残っている武将というのは多く在るけれども、自身で人を手にかけるという描写がこんなに
多いのは謙信くらいでしょうね。



794 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/02/05(水) 03:53:57.45 ID:IgwN6hfh
わけのわからないところで激怒するのが本当に怖いな…

795 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/02/05(水) 07:47:21.68 ID:CBM3uDpN
酒を飲んだら人が変わる

796 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/02/05(水) 07:51:23.83 ID:IcG/PCM6
>>793
なんで斬ったのかだれか解説してくれ

797 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/02/05(水) 08:06:05.81 ID:LXVG1nRp
青沼新九郎
 越後に詰めていなければならないのに、無断で実家に帰って、
 戦死するまで3ヶ月も自分の役目に戻らなかった
 一族も新九郎を役目に戻るように計らわなかったので追放

北条高広の甥・水右衛門
 何かしらの密謀に関わってた(と謙信が判断した)ためお手討ち

798 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/02/05(水) 09:08:46.43 ID:JdBizlSl
さすが謙信台風
落馬しかけたときに助けようとした家臣を怒鳴りつけて殺した逸話があるらしいけど、松隣夜話が出典かな?

799 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/02/05(水) 10:24:14.44 ID:InAPMqiN
謙信公の名を貶めるようなことばかり書くとはまるで中韓アレルギーのネトウヨが如き作者ですね

800 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/02/05(水) 11:17:49.48 ID:5OMCCWI9
そういえば信長も無断外出した女房達を処罰してたな

801 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/02/05(水) 11:49:01.96 ID:JdBizlSl
信長って安土に移った頃ですら馬廻りや弓衆に命令を聞かない連中がいて処罰してるよね

802 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/02/05(水) 12:02:25.48 ID:1+5PdDNQ
信長の言う事聞かない家臣結構多いですよね
秀吉も手取川前だかに無断で帰ってるし

勝家宛だかの書状でも陰口叩くなよワシの方に足向けるなよみたいな内容出してる辺り
陰口叩いたり足向けるような連中である事認識してたわけだし

803 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/02/05(水) 12:08:21.59 ID:OD3qETlT
火事があって引っ越してないのがバレてさらに燃やされたんだっけ?

804 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/02/05(水) 12:32:39.88 ID:LXVG1nRp
>>797
6月に家に帰って7月に戦死だから
3ヶ月→1ヶ月(しかも最長で)
だった、赤っ恥

805 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/02/05(水) 12:41:09.38 ID:ytodUhRl
>>800
天正9年の桑実寺事件は同時代的にも異様なものだったらしく、
毛利へ「信長が取り乱している」と報告されてるな(石見吉川家文書)

806 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/02/05(水) 13:27:34.45 ID:/N2UOQXO
信長居ない時のフリーダム感すげえだろうなっては思う

807 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/02/05(水) 13:28:04.42 ID:ClW7PRNL
馬廻りは家族ごと安土に引っ越せって言われてたんだけど
家族を岐阜に置いてきてた人の家から火事が出て調べたら同じような奴がたくさんいて
岐阜の家を焼いて家族を強制引っ越し
罰として道路工事もさせた

808 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/02/05(水) 16:57:49.65 ID:yuA3pMt6
そう考えると織田ですら大名集権化にかなり手間取ってたんだなーって、というか出来てないからド油断したのを抜け目なくやられたと言うべきか
大名はあくまでも権利の保証者であって一挙手一投足まで指図される謂れもないわって考えもありそうだし
戦国大名から近世大名化失敗しまくる大名が星の数程いたのもむべなるかな
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故に良将はかならず軍を監督し

2019年03月10日 21:33

779 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/03/10(日) 09:15:15.13 ID:7JNEY6op
上杉謙信が自ら兵一万余りを率いて越中に入り、柿崎和泉(景家)に命じて、別将を副えて
辺塞を攻めさせた。ここから引き取る時、敵将が出てきたためこれと戦った。
この時柿崎の従兵である大川十郎は、左の腕を射抜かれたその矢も抜かず、取った頸を掲げて
柿崎の前に来た。ところがこの時、柿崎は大川を怒鳴りつけた

「お前は元より頸一つを取りかねるような者ではない!どうしてこの程度のことを誉れとするのか。
お前はまた、矢一筋くらいで弱るような者ではない。どうしてそんな事を勇だと思っているのか!?
一歩でも進むべきところを、知らないのか!」

そう辱めた。このためこの戦で士卒頸は斬捨てとなり、柿崎の軍は大いに苦戦した。

首級を置いて闘撃を先とする時は、功名の先後が転倒してしまう恐れがある。これは武士が怨みを
含む端緒となる。だからといって、ただこの恐れを無いようにした場合は、戦いに集中すべき場所を
引いて闘撃を止め、首級を貪ろうとする場合もある。こちらは兵勢が挫かれる基となる。

これ故に、良将はかならず軍を監督しこれを正すのである。

(武将感状記)



越中魚津の蜃気楼 乾達婆城の事

2018年02月19日 17:52

543 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/18(日) 19:10:30.83 ID:Z9pD70Ir
越中魚津の蜃気楼 乾達婆城の事



永禄7年(1564年)5月下旬より6月半ばに至り、本庄繁長柿崎景家を魁首として、
上杉謙信公は越中国に在馬した。

この折節、魚津の海上において貝の城が出来たのを見るといって、
浜辺には市のように多くの老若男女が集まり垣根を巡らしたようであった。

暑熱の時に属して、蛤がたむろして靄気を立てていた。
中華の書物で言われている蜃気楼とはこれであろう。

故老の説に曰く、

「蜃(シャコ貝の一種)は蛤の大きいやつだ。よく気を吐いて楼台を作る。南北海に多い。
 支那登州の海濤は、春夏の間に水面を遠くから眺めると、これ気がある。
 人馬の往来が絶え間ない城郭や市を彷彿とさせる。地元では海市と呼んでいる。
 西域でもこれに似た事があると伝え聞く。

 朝日が出始める時、紅輝天に映して楼門宮闕を現して、ちかく官人の出入りを見る。
 日が高く昇ると消滅する。しかしながら、肉眼の及ぼす幻みたいなもので実在はしない。
 これを乾達婆城と名づく。全て乾坤の間象を含む者、
 陰陽の二気を感じて変化の成行を計り知ることは出来ないという」


和泉は大食いのじいさんだなぁ

2016年01月12日 18:21

180 名前:人間七七四年[] 投稿日:2016/01/11(月) 22:21:43.79 ID:iWayTfBO
柿崎和泉守景家は非凡の猛将であった。

ある時、部下の老兵が「小蛇を土中に埋めた祟りだ」と発狂しだしたので、
景家は出陣の途中老兵の家に立ち寄って、蛇を掘り出して、
老兵の面前でムシャムシャこれを食べてしまった。
そして「このような珍味を土中に埋めておいたのではもったいないではないか。」と平気でいった。
それを見たものは皆、舌をまいた。
伝え聞いた謙信も「和泉は大食いのじいさんだなぁ」と大笑いしたそうだ。




183 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/01/11(月) 23:55:22.13 ID:ys1zp3di
>>180
ヘビは寄生虫の塊みたいなもんだから生食はダメ。素手で触るのも宜しくない。触ったら念入りに手洗い。
ナマで食って平気なのは鬼武蔵くらいだからな。

この景虎の先鋒に向かって恐れげもなく

2013年10月24日 19:19

569 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/24(木) 06:55:42.69 ID:6KlCSDX4
天文22年(1553)8月、長尾景虎(上杉謙信)は上野の平井城に滞在し、上野・下野の国境などを見て回った。
兵二千あまりを連れて、桐生から佐野に越えようと、新田龍広沢の境、足利八幡に差し掛かったが、
道幅が狭く、また地理不案内でもあったので、軍勢が左右の山の根や田畑を踏み荒らした。

この様子を、金山の横瀬雅楽介成繁の足軽大将である金井左衛門佐がそこから離れた茶臼山の要害より
これを見つけ、雨沼のあたりまで馬で駆け下りて、景虎の軍勢に向かってこれを咎めた。

景虎の先鋒である柿崎和泉守(景家)はこれに手のものを走らせ

「誰であろうと、馬上よりの誰何は無礼である!」
と言い返し、重ねて
「お前はこの近くの、地頭か誰かの使者なのか!?」
と問うた。

金井は答える
「私はこの地の領主、新田の家人で金井左衛門佐という者である。
この山の番所を預かり、警護をしている。

ここから足利までは、新田、長尾両家の土地が入り組み、なにか起これば複雑な事態となる。
大将たるものは部下が乱暴狼藉をしないように下知せよ!」

この報告を受けた景虎は笑い出し
「この景虎の先鋒に向かって恐れげもなく、しかも馬上からあしらうとは、無礼である!
このまま言うとおりに成っては、今後、この周辺の諸将にも侮られるであろう。」
そして
「その金井という足軽大将を殺し、彼の番所も焼いてしまえ!」
と命じた。

これを聞くや、逸り立っていた柿崎の手の者は刀を抜いて金井に迫った。
金井は、かなわじと見て馬を引き返し、神明の森まで逃げたが、越後の兵はなおも追撃を続けたため、
彼は寄騎の侍二人と踏みとどまって抜き合わせたものの、やはり多勢に無勢であり、
金井はついに立ち腹斬って果てた。

二人の寄騎はかろうじて番所まで逃げ帰り事の次第を告げ、番所に居た老人や女子供を
直ぐに山奥の谷に避難させた。
そして他の者達が防御のため弓、鑓、長刀と武器を探している所に、はや柿崎の家来たちが
踏み込んできて、目に入った者は老人であろうと子供であろうと片端から斬り捨てた。
その上で、番所に火を放って一片の煙とした。

(関八州古戦録)




570 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/24(木) 07:38:02.07 ID:Veg5aus4
ヒャッハー

571 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/24(木) 08:40:47.17 ID:OwYsjTG9
千葉や成田といい坂東武者ってのは時代錯誤も甚だしいねw
まあ関八州古戦録は謙信公の名を貶める資料だからしょうがない

572 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/24(木) 08:46:06.80 ID:K3geGEnj
関東からしたら影虎なんて手のつけられない暴風雨でしかないからなあ
構おうものなら身が破滅する

573 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/24(木) 12:36:36.05 ID:5tNL3Dlq
馬上でなんたらっていちゃもんの付け方が、まんまヤクザの手法だな
お前の言うことは正しいかもしらんが、その態度が気に食わん、誠意見せろや!って感じ

574 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/24(木) 15:15:09.78 ID:eKAptpLg
>>572
基本的に関東の武将が北条についたり上杉についたり北条についたりしたのは
謙信が怖かったからだよ!日和見してたわけじゃないよ!ってアピールは凄く感じる