fc2ブログ

こちらは相応の礼をしたなら

2022年09月06日 19:06

577 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/09/05(月) 18:57:07.57 ID:ufOQ8BTK
小河内蔵之丞噺覚書写全」から

ある時、城内で栗山大膳と小河内蔵丞(小河之直)が出くわした。
二人とも乗物であったため、内蔵丞は乗物から降りて相応の会釈をしたが、
栗山大膳は乗物に乗ったまま「御免なされそうらえ」と言ったまま通りすぎた。
これを見た野村隼人(野村祐直。母里友信の甥)は、内蔵丞と対面した時に
「身代の差はあれど、小河様も栗山様も同じ家老であるのにあの態度とは、侮っているように見えます。
今後は小河様も乗物に乗ったまま挨拶されるべきでしょう」と言った。
しかし内蔵丞は「あちらが無礼な振る舞いをしたのはあちらの過失であり、こちらは相応の礼をしたなら、こちらの一分は立ったと言えます。
相手方の無礼などどうでもいいことです」と言ったという。



スポンサーサイト



二、三十人でさせるような仕置きを

2022年08月31日 18:55

344 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/08/31(水) 13:47:28.43 ID:9t7KSC9U
小河内蔵丞(小河之直)は栗山大膳らとともに黒田忠之の家老として精勤に励んだ人物であるが、その若い頃の話

内蔵丞がまだ喜助と言っていた十六の時、領内の百姓の馬を牛が突き殺してしまった。
馬主は「牛主に弁償させるべきです」
牛主は「牛主が不在の間に牛がしたことです。畜生のしたことですので牛主の責任ではありません」
と互いに水掛論となり、公事となったが決着しなかったためとうとう黒田長政の耳にまで達した
長政は「どっちももっともであるので、馬が百匁の値であるなら半値の五十匁だけ牛主が弁償してはどうだ?」
と裁定されたので、両者とも不満に思ったものの渋々帰っていった。
これを聞いていた喜助は朋輩衆に対して「このたびの判決は理非をわきまえぬ判決である」と言った。
朋輩衆「歴々の方がなされた判断であるのに何を言うか?」
喜助「牛主や馬主が牛や馬を繋いでいた間に起きた、とあるが繋いだ時間に前後があるはずである。
牛は相手に向かって突くのが習性なので、後で繋いだ飼い主に責任があると言えよう」
これを聞いた朋輩衆は手を打って讃嘆し、これが評判となり長政の耳に達した。
そこで改めて馬主、牛主を召喚すると、先に馬主が繋ぎ、後で牛主が繋いだことが判明した。
こうして牛主は全額百匁を馬主に払うこととなり、馬主は当然喜んだ。
牛主は最初の判決より五十匁多く払うことになったものの、今度は理屈が通っていたため、納得して帰ることとなった。
こうして長政は喜助を「常の人物ではない」と認め、十七の頃から評定衆に入れ、そののち小河伝右衛門の養子として名を内蔵丞と改めさせた。
長政のから忠之の代まで、今であれば二、三十人でさせるような仕置きを内蔵丞一人に任せたが、上からも下からも一言も苦情が出なかった

出典:竹下稔著・福田泰隆校訂「福岡藩初期家老 小河内蔵丞之直「小河内蔵之丞噺覚書写全」を読む」



星野宗右衛門について

2022年02月08日 16:31

318 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/02/07(月) 18:24:39.04 ID:v+FyJ//b
星野宗右衛門について

http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5590.html
栗山大膳と『旅枕』


10年以上前に出たこの逸話で栗山大膳の親友として紹介されている星野宗右衛門
黒田騒動箱崎文庫」や歌舞伎では栗山大膳側の勇士ということで大活躍をしているが、活躍の一つに
親友の有川駿河という軍学者が、倉橋重太夫の陰謀で三百両の借金をさせられ、幕府に禁じられている大船の図面を描いてしまった。
星野宗右衛門が河内屋にかけあって三百両を工面したことで、少なくとも有川は武士の対面を保つことができた。
しかし有川は図面を描き黒田家を危機に陥れたことを詫びて切腹、といった話がある。
黒田騒動箱崎文庫」では上記の逸話の通り、栗山大膳がかつて利休が所持していた「旅枕」を用いて星野宗右衛門の三百両を帳消しにした、としている。
なお「旅枕」を所有している和泉の久保惣記念美術館の旅枕に関する記事には栗山大膳についての記載はないので、この逸話の真偽は不明。
ただ、星野宗右衛門のほかの活躍を見ると、
「星野の大食鍋島家を驚かす事」では星野宗右衛門が鍋島家に舐められないように、
鍋島家が用意した鯛の浜焼きを城下の魚屋全てからかき集めた分だけ食い尽くし
七合入りの盃で酒を七杯呑み、飯を15碗食い、鍋島家の者どもは大いに驚き、忠之から拝領物を賜り、「鯛喰いの宗右衛門」というあだ名がついた
ことになっている。

319 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/02/07(月) 18:30:08.99 ID:v+FyJ//b
実はこの話、
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-13373.html
毛谷主水について


で書いたように「博多細伝実録」に出てくる、元禄の頃に鍋島家で大食を披露した星野助右衛門の話そのままである。
どうやら黒田騒動に栗山大膳側の善玉の豪傑を登場させようと思った「箱崎文庫」系統の作者が
博多細伝実録」の大食漢・星野助右衛門の話が印象的という事で時代を移して栗山大膳の同志にさせたらしい。
というわけで、
関ヶ原で西軍の物見をしてたくさんの饅頭を食べた毛屋主水武久と
元禄に鍋島家に使いに行った時に魚の焼物をたらふく食った星野助右衛門
百年ほど時代の違う二人の大食いが、間の寛永年間に
方や女に籠絡され主家を滅亡させようとした悪玉・毛谷主水
方や主家を守ろうと剣と知恵を振るう善玉・星野宗右衛門
として共演することになったという奇妙な話。

ついでに1936年に公開された映画「栗山大膳」には毛谷と星野の両方とも出てくるが、
毛谷主水の方は、城井一族の復讐を狙うお秀の方に籠絡され、栗山大膳の命を狙う一番の敵役となっている。
(紅陽法師も城井の若様として少し語られている)
星野宗右衛門の方はというと、図面を描いた有川を叱責する以外はたいして出番がない。


井伊直孝、理あるところを以て、公論を申し上げる

2011年06月17日 00:14

178 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/15(水) 23:52:50.72 ID:lp2z3JYz
嘉永九年(1632)六月、福岡藩主黒田筑前守忠之の家老、栗山大膳が主人の不行跡を幕府へ訴えでた。
いわゆる黒田騒動に対し、幕府では黒田家の取り潰しを決行しようとした。
だが、その席で井伊直孝が反論を唱えた。

「大膳の訴状を読みましたが、特に領地を没収せねばならんような罪科はないですよ?
大船建造のことも忠之公本人でなく先代の長政公の時のことでしょう、今更咎めるのは無茶でしょう。」

更に直孝は指摘する。

「大体忠之公の謀反自体がデマでしょうこれは。
大膳がしばしば諫言したから、城中に呼び出されて毒殺されかけたと書いてますけど…
そもそも家臣に罰が与えられないからって、毒殺しようとする奴が幕府に謀反なんて無理でしょうw」

と主張した。その直孝の主張に対し、将軍・徳川家光は冷やかした。

「おい直孝、お前忠之を贔屓すんのかね?」と。直孝の返答は以下のとおりである。

「贔屓なんてしませんよ。忠之公は蜂須賀蓬庵(家政)と不和です。
私は蓬庵の娘婿ですが、辿れば私にとっても恨みはありますよ。
私は、理あるところを以て、公論を申し上げただけに過ぎません。」と。

黒田家の取り潰しは、この閣議によって沙汰止みとなったとされる。

(名将言行録巻之六十一より)





黒田騒動

2011年05月10日 00:00

503 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/09(月) 00:12:02.01 ID:Jvx52BXW
戦国はもう終わってるけど、栗山大膳さんの項目がまとめにもあるので
黒田家の御家騒動の話を投下。三大御家騒動の一つに数えられるこの黒田騒動、
栗山大膳事件と呼ばれるくらい大膳さんが中心人物である。


先代藩主である長政はその臨終の際に息子忠之と、大膳を読んで遺命を伝えると
「我が遺言の証拠は大膳である」告げていた。

そんな訳だから大膳も何かと諫言を呈することとなる。ただし、大膳にとっては
忠言のつもりであったが、忠之の方ではそうは思わなかった。自分が何かするたびに
文句を言ってくる大膳をだんだんと鬱陶しく思ってきたのである。

御家騒動と言えば先代からの老臣と、新たに取り立てられた側近との対立と言うのが
典型的な例であるが、この黒田騒動も例に漏れなかった。忠之の児小姓から出世して、
八〇〇〇石まで禄することになった倉八十太夫という男である。

こうして倉八を得た忠之はだんだんと側近政治を始め暴走していくこととなる。
幕府の思惑を配慮して初版が軍縮をしていく中、幕府禁制の大型船を建造、
倉八に命じて足軽二〇〇人を新たに召し抱えたりした。

更に大膳の父利安が寛永九年(1631)に没すると、領地を召し上げ、大膳処断のために
幕府の有力者に了解を取り付けようと奔走、おまけに大膳の娘は坊主か町人の嫁にするとか
言い出す始末である。

流石にここまでやられれば誰でもキレる。大膳もキレた。それどころか先代様に頼まれた
黒田藩すら危うい。こうして大膳も逆襲に転ずるのである。

寛永九年一月に徳川二代将軍秀忠が没すると、忠之は葬儀後に帰国。かねてより大膳を処断する
つもりであった忠之は、倉八一派を排斥しようとしていた大膳に切腹を命じる。
これには剃髪し、人質を差し出したことでなんとか逃れた。

同年六月十五日、忠之の手の者が博多の町で一人の男を捕えた。その男、とんでもない書状を
持っていた。何と黒田忠之に幕府に対して謀反の企てがあるという訴えをしたためた書状である。
実はこの男、大膳の手の者。先日の件でもはや一刻の猶予もないと思った大膳は幕府への訴え
という強硬策に出たのである。

この男は捕まったが、密書は二通あり、もう一通は豊後幕府惣目付け竹中采女正(竹中半兵衛の甥)の
もとへ届いてしまった。驚いたのは竹中である。黒田家と言えば関ヶ原の折に家康自ら手を取ってもらい
親父に怒られた大功の家であるし、関ヶ原ではともに轡を並べた仲でもある。

とはいえことは公のことである。早急に福岡へ向かうと、大膳の身柄を確保。訴状は江戸に差し出した。
かくして忠之に出頭命令が下る。先日も加藤家が改易されたばかり。流石の忠之も震え上がった。

ことの次第に幕府も土井利勝、井伊直孝、酒井忠勝らフルメンバーの体制で取り調べを開始した。
評定は長引き、とうとう将軍家光自ら忠之を城中に呼び寄せ謀反の有無を問いただした。その結果、
謀反の疑いをはらすことができた。

謀反の企てが虚言であるならば、何故大膳は虚言を訴え出たのか?改めて大膳を呼び出し問いただせば、
大膳は主君に逆心ありと訴えたのは虚言であるが、黒田家を滅亡の淵から救うには御公儀の力を借りるしかなかったと
陳述し幕閣らの涙を誘った。

寛永十年三月十五日、将軍家光の裁定が下った。黒田の領地は没収。しかし、父長政の功績に対し改めて
旧領を与える。大膳は盛岡藩へお預け。しかし四里四方お構いなしというどちらにも寛大な処置であった。
また件の倉八十太夫は黒田家追放となったのだった。





509 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/09(月) 00:48:34.46 ID:KESICShn
>>503
黒田は播磨に移った重隆以来、知恵者の家系のイメージがあるが(『黒田三十六計』の影響)、
あっというまに錆びついてしまうんだな

510 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/09(月) 00:50:41.48 ID:4DirppR1
三大お家騒動って黒田と伊達と最上でいいの?

512 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/09(月) 00:56:16.95 ID:Ca13vKuG
>>510
鍋島「あぁ?化猫ディスってんのかゴラァ」

513 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/09(月) 01:04:57.23 ID:O/aU8XRM
お家騒動っていえば二回崩れとか あれ犯人は誰?宗麟?w

514 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/09(月) 01:23:09.45 ID:Gf7qNv8e
>>510
黒田、伊達、加賀(前田)

515 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/09(月) 01:26:02.51 ID:4DirppR1
>>514
それだ! トン

516 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/09(月) 03:28:06.20 ID:A/HdV7ly
仙谷さんも騒動起こしてるよな

517 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/09(月) 06:16:58.57 ID:9eQ2ydlR
三大○○と言えば2TOPプラスおまけという構成だろ

518 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/09(月) 06:34:48.23 ID:CjRdsrjg
>>509
官兵衛のより前の代の黒田家の人達も有能だったっぽいし(そうでないと新参が家老にならないだろう)
長政まではタイプは少し違えども、出来る人が続くのに

なんで忠之はこんな馬鹿殿なんだろ

519 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/09(月) 07:41:36.99 ID:4xjAs39q
>>518
胤が違ったりしてなw昔の女は股が緩かったそうだし十分あり得る

520 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/09(月) 08:23:27.63 ID:CLs02VTB
お前さんの嫁御は大丈夫か?

521 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/09(月) 09:07:22.09 ID:JASQ5F8b
ボンクラがTOPでもなんとかなるのが平穏な世じゃないんかなぁ…
まぁ、ボンクラすぎると御上に潰されちゃうけどね^^

522 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/09(月) 10:11:26.27 ID:Uakr1sLz
バカ殿と馬鹿にされてるうちが華であるか。

523 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/09(月) 10:24:23.13 ID:9De9SWD2
>>521
いやいやボンクラ過ぎた故にお家存続できちゃった信雄さんてのもいるw

524 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/09(月) 11:07:36.02 ID:65vJupKh
何だかんだ言って、したたかさと世渡り上手な所はあるような気がする>ノブオ

525 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/09(月) 11:33:22.04 ID:LMJBc8cA
関ヶ原や大坂の陣での動きを見てると、世渡り上手って気はしないけどなw

526 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/09(月) 11:44:11.34 ID:i+KmlX03
自分が偉才であると信じているぼんくらさんよりは余程いい

527 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/09(月) 12:44:20.74 ID:TNYTXYwF
それまんまのぶかっちゃんじゃねーの?w

528 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/05/09(月) 12:56:51.98 ID:KuIyAprL
>>525
関ヶ原では西軍について領地を没収されてるけど、それは表面上のことらしいね
晩年は以前の三倍近くの所領を貰って天寿を全うしてるし

三成側についたのは西軍の内情を家康に知らせるのが目的だったようだし
関ヶ原以降も豊臣家に仕えてたのは案外それが目的かも。
信雄は秀吉の国替え命令を拒否して殺されそうになったときに
家康に助命のとりなしをしてもらった恩があるから、ありえそうな話だと思う

529 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/09(月) 14:17:38.93 ID:DmxTEp0I
親父の家来の下につくよりは親父の同盟相手の下につく方が割り切れるだろうしね。