武勇実談の事

2016年07月29日 14:12

928 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/07/29(金) 00:42:50.57 ID:qYW8xHbD
武勇実談の事

戦国が治まり太平に成りました頃まで長生された老人が、
〔此の老人の名を聞いたが忘れてしまった。問い質したうえで追って申し伝えたい、と川尻氏は言った。〕
集会にでて雑談していたとき、年若い輩が戦場に出て功をなしたいとの事を狂い語ると、
かの老人は笑った。

「それは大きな了見違い違いじゃ。
我らは数度戦場に出たが、なかなか恐ろしくて、かねての心がけはできないものじゃ。
我らはある日の戦で、伏勢の中に組み入れられて草が高い林の中に埋伏しておったが、
その時の心に、
『ぜひとも、敵よこの道を過ぎてくれ...』と思っておった。
遥かに馬煙が見えた頃には、いよいよ恐ろしくなり、
『今度の合戦が済みましたら武士を辞めましょう。』
とまで思うが、
敵兵が通り過ぎる頃に合図が出て打ち出るに至ると、さほど恐ろしく思わず、
味方の馬に踏まれたり、打ち者に当たったりして討ち死の数に加わる者もあるが、
その期に至っては何とも思わん。
籠城にも数度行ったが、このときも再び武士にはなるものかと思い詰めた事もあったが、
戦が散った後は、また辞めようなどという気は失せるんじゃ。」

と語ったという。

そうでもあろうという実情の物語だと、聞いたままに記した。
かの老人の物語に
「我が臆した心底だから、こうなのじゃろうと思われるだろうが、
そのときの同輩の者はいずれも同様なのじゃ。」
と話したという。

(耳袋)

いかにもなお話ですね




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と、たびたび上方へ行った人は語る

2016年05月31日 17:02

774 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/05/30(月) 19:01:03.04 ID:cykArEs2
訳ありといいしもその土俗の仕癖となる事

京都では、盆中に家毎に灯籠を三十日の間灯すという。
これは明智光秀が京都の地子を許したので、かの土のものが嬉しい事と思って、明智滅亡の後、
追善の心得で七月中は灯籠を門へ吊るしたことからという。

大坂では五月の幟を市中では節句の四つ時分までには残らず取りしまうという。
これは大坂では秀頼が落城した城攻めは五月の節句に当たるので、小児などの幟をとりやめ、
また追って追善を思う故や、と昔は言った。

今日はこれらのような訳でなく、盆灯籠は京都では七月中に家々にともし
大坂では五月の幟も五日の昼はしまう事となって、自然とその風土の仕癖になった。


と、たびたび上方へ行った人は語る。
「耳袋」

今でもそうなのでしょうか?