大梅梅子(たいばいばいし)

2016年03月18日 17:09

488 名前:人間七七四年[] 投稿日:2016/03/17(木) 20:45:36.78 ID:4Ep7Bp6v
大梅梅子(たいばいばいし)

應仁元年(1467年)のことである。後土御門天皇は遣明使を派遣することを画策し、随行する数人の僧侶を選抜するように
京都東山の建仁寺の住持、岐陽和尚に依頼する勅命を出した。
依頼を受けた岐陽和尚は、公平を期するために、全国から選ばれた八十余名を建仁寺に参集させ、選抜試験を課することにした。
当日、受験生が試験会場に入ると、各人の目の前には、なぜか大きな梅干しが一個ずつ置いてある。
全国各地から参集した受験生が不思議に思っていると、時間になって、試験官である岐陽方秀和尚が粛々と上座に着席する。
すると、鳴磬一聲、大書された『大梅梅子(たいばいばいし)』の題が高々と掲げられたではないか。
「大梅(たいばい)」とは、大きな梅のことである。また、「梅子(ばいし)」とは、梅の実を指す。だから、『大梅梅子(たいばいばいし)』とは、
大きな梅の実のことであろうか。
まるで、禅の公案みたいなものである。いかにも人を喰ったような題で、全国から集まった英才たちも、さぞかし面食らったことであろう。
いくら禅寺であるとは言え、出題した岐陽方秀和尚も只者ではない。
すると、ある一人の僧侶がただちに次の詩を詠んだと言う。

   大梅梅子鐵團團   大梅梅子、鐵團團。
   八十餘人下觜難   八十餘人、觜を下すこと難し。
   今日當機百雜碎   今日、機に當たり、百雜碎く。
   那邊一核與他看   那邊の一核、他と與に看る。 
  
  (大きな梅の実一個。それは真ん丸で、まるで鉄の塊のよう。
   ここにあつまった八十余人は、それを目の前にして、どうすることも出来ない。
   本日、遣明使随行の一員たらんと思ってやってきたが、その思いもむなしくなるばかり。
   誰もがこの梅干しをどうにかしようと、ひたすら見つめている)

この詩を詠んだのは、長門にある永福寺の住職であった桂庵禅師その時四十一歳。
この詩で遣明使となり、明に渡海して蘇州などを遊学し、後に薩摩に赴き薩南学派の祖として名を成した人物である。
(「三国名勝図會」、『桂庵禅師傳』、「漢学起源」)
補足:「大梅梅子(たいばいばいし)」は、大梅法常和尚の残した公案であると言う。
(大梅法常(752~839年)唐の僧侶)



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