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太田三楽斎追放

2019年10月10日 17:01

500 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/10/10(木) 12:42:52.59 ID:6oB8WiqO
永禄六年五月、小田原の北条氏康太清軒は、法華の僧を使いとして岩付城へ赴かせ、太田三楽斎(資正)に
このように伝えた

「この正月、国府台の合戦で思わず我等が勝利したが、これも弓矢を取る身の運不運である。
敵と味方に別れるのも時の勢いであろうが、もし今和睦をしても良いと言うなら、嫡子源五郎(氏資)に
家督を譲り、隠居されたい。そのようにして老後を心置きなく過ごされるおつもりなら、我が子氏政の
妹を源五郎に娶せ、自分がその後ろ盾と成り長く岩槻の社稷を守るであろう。」

そのように言い、それも二度までも使いが来た。その裏には、もし同心しないというのであればこちらにも
覚悟がある、という脅しの意味も含まれていた。

三楽斎も利口な男であったのでそのくらいの事は理解していた。しかし長年の兵乱に勢力は尽き果て、
この正月の合戦で兵の消耗も甚だしく、要害でもない平城でどれほど持ちこたえられるか先は知れており、
ここは一番和睦し、後日に事を謀ることが肝要であると、多年の宿意である上杉への肩入れを打ち切り、
小田原の意に従うことを決心した。

この事を伝えられた氏康・氏政父子は大いに喜び、すぐに吉日を選んで娘を岩槻へ送り、婚姻の式を挙げ、
千鶴万亀の祝をして、両家の昵懇はこの上なくまとまった。実に無意味な事である。

それからしばらく後、氏康は婿となった源五郎氏資に、垣岡越後守、春日摂津守などという太田家の
奉行職と相談させ、野州小山城、長沼城攻めを開始させた。しかしそれは氏康の策で、彼等を両城に
出陣させた後で、不意に岩付城を襲おうという密計であった。

三楽斎はその事に気づいており、またもとよりそのくらいの事は有ると思っていたので別に驚く事もなく、
何食わぬ顔で、密かに妾腹の子である梶原源太左衛門政景を招き、その場合に打つ手を色々と相談して、
政景に川崎赤次郎を添えて盟友である佐竹義昭(実際には義重 )の元に行かせ、自分は浜野修理介を
連れて、これも盟約の有る宇都宮三郎左衛門広綱の元へ向かった。

しかしこの事をすぐ、氏資に付いていた垣岡、春日が小田原に伝えた、氏政は早速太田大膳亮に兵二百騎を
付けて岩付城へ向かわせた。大膳亮はまたたく間に外郭を固めて二度と三楽斎を城に入れなかった。

ここにおいて三楽斎と梶原政景は浪々の身となり、政景のみは、弟の新六郎とともに佐竹に寄宿する
事となった。三楽斎はそのまま武州忍城の成田左馬助氏長を頼った。氏長は三楽斎の娘婿である。

ああ、世に前管領上杉憲政の旧臣は多いが、その中でも太田三楽斎と長野佐衛門大輔業正ほど
無二の忠誠を尽くし、上杉家の再興のため心を尽くした者があろうか。であるのに、時に利非ずとはいえ、
業正は箕輪にて討ち死にし(実際には病死)、三楽斎は今流浪の身となった。そして北条の武威のみが
したり顔となったのは皮肉なことである。

(関八州古戦録)

北条の謀略というより太田三楽斎が策に溺れた感強いな。



501 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/10/10(木) 23:56:01.31 ID:wCzp0YSp
太田資正って、扇谷上杉ならともかく、上杉憲政の臣下だって意識あったんだろうか
扇谷上杉壊滅後は北条(古河公方)家臣で、謙信越山以降は独立路線でやってるよね

502 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/10/11(金) 08:34:36.97 ID:ZngsXh4S
>>501
越相一和後の行動は完全に独立勢力でそ。

504 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/10/11(金) 15:33:46.50 ID:tAqYfxfy
>>500
策に溺れたというより、身の危険を察して逃げたというべき
養父、義父が婿に討たれるなんてのはよくある話
北畠具教や宇都宮鎮房をみよ
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最後の小田城落城

2010年09月04日 00:00

750 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/03(金) 17:58:27 ID:78+dxaM6
最後の小田城落城

http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4588.htmlにあるように、
元亀3年の大みそかの宴会でぐでんぐでんになったところを太田資正・真壁氏幹らに強襲され、正月
そうそうに落城の憂き目をみた小田氏治はこのままでは終わる男ではなかった。

同年の2月、記録的な大雪に見舞われた小田城にひたひたと迫る軍勢の姿。
坂東武士のハルウララもとい坂東武士の不死鳥こと小田氏治の手勢であった。そして、大雪の日に攻め
てくることがないとすっかり油断していた小田城の佐竹番衆から見事小田城を奪還した。
しかし、氏治はこの程度の手柄では満足しない。
「真壁のヤロー、小田家恒例の年越し連歌会を台無しにしやがって。これより真壁領に攻め込むぞ!」
同年の4月17日、小田軍4000人は真壁領に侵攻し乙幡村に放火、狼藉を行った。

「さては小田軍が攻めてきたのか!」乙幡村の一里先にある柿岡城主・梶原政景は、小田軍の侵攻を舅
真壁氏幹に知らせるとともに実父の片野城主・太田資正に援軍を要請した。
ほどなく資正勢が駆けつけ政景勢と合流し乙幡村で小田軍を迎え撃つも、寡勢の太田勢のみでは4000人
の小田軍とは勝負にならず、村内の古屋敷に立て籠もっては屋敷を出、出ては屋敷に引っ込みと、真壁
軍が駆け付けるまで時間稼ぎをすることになった。

とそこに真壁軍が乙幡村に迫ってきた。
しかし真壁軍の姿を見た小田氏治は不敵に笑う。
「さては太田勢はおとりで本体は真壁軍であったか。幸いにもこの村は三方を山に囲まれ伏兵を隠すに
は絶好の場所だわい。屋敷の太田勢はこのまま捨て置き、我等は伏兵となり真壁軍を待ち伏せるぞ!」

一方、到着した真壁氏幹は村の地形を見るや
「氏治の稚拙な用兵見破ったり。さては氏治の本陣はあの方角にあろう。者ども、伏兵はスルーして氏治
の本陣めがけて弓・鉄砲を喰らわせてやるがよい!」
と言い放つや氏治の本陣目がけて一斉射撃を加えた。

本陣をかく乱された小田軍は伏兵もろとも蜘蛛の子を散らすように四里先の小田城目掛けて逃げ帰る。
「父上、真壁殿の援軍が間に合ったようです。我等も屋敷を出て小田軍を追撃しましょう!」
「政景よ。ワシによい考えがある。小田軍に並走して小田城に向かうぞ。だが、決して小田軍に手出し
は無用ぞ。」と太田資正は家臣にある秘策を授けた。
そして、潰走する小田軍を追撃せずに併進するように太田勢がピタリと付き、やがて小田城に迫った。

「開門!氏治様のご帰還なり。」「われらは藤沢衆じゃ、門を開けてくれ。」城の前で叫ぶ小田軍の口上
を聞いた資正は、太田勢にその口上をマネさせたのだ。
そして、味方と勘違いした小田城の守備兵は敵の太田勢をうかうかと城内に招き入れてしまった。
「太田の旗印を城中に掲げよ!」
太田の旗印を見た小田城の守備兵は「すわ落城か!」とすっかり浮き足だって脱走しだした。

小田氏治はこの有様の前になすすべがなく藤沢城に落ち延びた。
それ以降小田家の旗がこの城にたなびくことはなかったという。




751 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/03(金) 18:21:32 ID:z4aHoJPt
生兵法はっていうか正直俺らがタイムスリップして敵の軍師やっても見破れそうなほどの軍略って言うか…w

752 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/03(金) 18:38:56 ID:Oa22tC2X
俺は小田さんに勝てる自信が無い。

753 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/03(金) 20:10:56 ID:UJ/Cwfnw
無策という訳ではないんだよな、いつも何かしら考えては自爆する。

754 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/03(金) 20:12:59 ID:NRU7bMrH
小田さんがダメな子なのか、相手の太田さんがすごいだけなのか…
太田資正も北条相手に引かずに戦い抜いた、何気に凄い人だし

755 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/09/03(金) 22:01:18 ID:ZokKapK/
カメレオンで言えばニーヤみたいだな。
負けても負けても全然戦意喪失しないで、いつもやる気十分。

756 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/03(金) 22:17:10 ID:qEj6m2xX
小田さん「消えろぶっとばされんうちにな」