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北条水軍の秘密兵器

2010年10月08日 00:00

533 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/07(木) 12:59:51 ID:QLzAqMSH
向こうに梶原景宗いたんで

武田勝頼の時代に甲斐武田軍が後北条を攻めた事があった
小田原征伐や殿いつのせいで北条はヒッキーな印象があるが野戦も普通にこなす
この時も陸海から敵を迎撃せんと鋭意進軍中

「何やら陸上が騒がしい事になっているなぁ」

若干先行していた水軍部隊の梶原景宗は沿岸の小高い丘に武田が陣取っているのを発見したのである

「やるべきか?うん。やるべきだ」
「大将?」
「艦を一杯まで陸に寄せろ。本艦はこれより敵陣地に対する艦砲射撃を実施する」

武田軍もこれには驚いた

「げぇっ!関羽!」
「それ違う!」
「メーデー!メーデー!こちらヘンダーソン飛行場!ジャップの新兵器だ!」
「それも違うっ!」

大混乱である
武田軍も矢、火矢、鉄砲で応戦するがいかんせん射程と単発での威力が違う
しかし…

「弾薬が心許ない、か…。やむを得んな」

北条水軍は後退、武田軍も程なく混乱を収拾した
残念ながらこの艦砲射撃は地上部隊との連携が全くとれておらず戦術的な有効打にはならなかった

ちなみに内容は北条五代記に準拠

まあ、甲陽軍鑑ですら艦砲射撃の威力は認めている
…主に精神面で

実は北条五代記は些か誇張とも言えるのだ
他の資料などから総合的に判断すると北条水軍は最大の船ですら‘大砲一門搭載の大型木造船’
今の研究じゃ信長鉄甲船ですら大砲は三門程度ってのが主流である
上の寸劇だと歴史ドラマで出てくる片舷数十門の大砲が並ぶ戦列艦を想像した人の方が多いだろうがそんな船は
幕末まで日本には無い
よって、実際問題陣地をなぎ払える破壊力があったとは思えない

この件は歴史的評価の辛い甲陽軍鑑相手に‘北条五代記より甲陽軍鑑の方が真実味がある’とされる
北条五代記には、これ以外にも誇張された面が散見される
甲陽軍鑑よりも一次資料の裏付けが取れるのにも関わらず北条五代記が甲陽軍鑑同様に
歴史的価値は低いとされる原因の一つなお話




534 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/07(木) 16:08:09 ID:0f9DRSjb
>「げぇっ!関羽!」
>「それ違う!」
>「メーデー!メーデー!こちらヘンダーソン飛行場!ジャップの新兵器だ!」
>「それも違うっ!」

意図はわかるけど無理に入れなくてもいいと思うよ
実際には投げ焙烙とか大筒とかによるものなんじゃろね

535 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/07(木) 17:45:09 ID:Huzjf2ad
投げ焙烙って船対船の切り込みとか城方が防衛につかうもんじゃないのか?
沿岸を襲うときにはそもそも届かないと思う

536 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/07(木) 17:49:19 ID:7i7ZMJOM
>>533
ネタ部分は好き嫌い分かれそうだが俺は嫌いじゃないぜ…

なんか氏政のねこまんまの逸話を思い出した
氏康が氏政がするんじゃないかと心配していた失敗を梶原景宗がやっちゃった、みたいな

547 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/07(木) 21:32:22 ID:JwZchOY6
>>533
佐藤大輔調の独白のせいで、梶原景宗さんが新城直衛っ面で笑ってる光景しか思い浮かばないんだが

549 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/07(木) 22:19:28 ID:k7Tcss0U
>>547
お前のせいで俺までイメージが固定されたじゃないかW

『殿といっしょ』を読んだせいで小松殿のイメージが決まって以来の惨事だ。
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北条氏直と梶原景宗

2010年10月07日 00:01

523 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/06(水) 09:32:24 ID:ylzRGq2Q
北条水軍に梶原景宗という将が居た

元は紀伊国出身の海賊と言われるので高尚な血筋でも剣豪の親戚でもない
近年では単なる水軍指揮官ではなく海運流通を取り仕切っていたのではないかとの説もある

秀吉の関東征伐において梶原景宗は九鬼、面倒な本多を中核とした豊臣水軍に敗れた
そりゃあもう、数日の内に伊豆から小田原にかけての水軍の拠点を悉く失うくらいに負けた
一部史書では死んだ事にすらされた

が、どっこい彼は生きていた
小田原の役で敗れ流された北条氏直に従って紀伊高野山に入っていた事が確認できる
譜代の臣下でもない彼が氏直に従った理由は不明
当時の氏直の生活は苦しく年賀の品を揃えるのに借金すらしていた
梶原景宗はそんな主君の年賀に彩りを添えようと走り回った
その成果は氏直近侍の山角直繁のテンションを上げるに充分であった

直繁「殿~!」
氏直「何だ、騒々しい」
直繁「海苔が、海苔が!」
氏直「はぁ?」

江戸時代に養殖技術が確立するまでの海苔とは天然物の生海苔の事
沿岸出身の北条勢にとっては慣れぬ山間部での生活で光る宝石の様に思えたのかも知れない
ちょっと逸れるが海苔は温暖な海域を好む
当時は気象学的に地球全体が寒冷期であり、しかも季節は冬である
本当にどこから入手したのやら
ちなみに目録を読み上げる前に中身をバラしてしまった直繁は氏直に不作法だと怒られた

若葉の生い茂る頃、北条氏直は高野山での謹慎を解かれ大阪の旧織田信雄邸に館を移した
もちろん梶原景宗も主君の近所に移り住んだ
当初は所領を持った訳でもないので氏直や近従も懐は依然寂しいまま
この頃の借用書、返済計画書も現存している
そんな困窮下でも梶原景宗は主君に祝を送った

直繁「殿、梶原殿より転居祝いが」
氏直「ほう。で、何か」
直繁「目録。贈、鯖五十」
氏直「な…んだと…?」
直繁「ですから鯖五十匹」
氏直「この真夏にか?」
直繁「はい」
氏直「冷蔵庫に…」
直繁「殿、左様なオーパーツは。せめて氷室と…」

贈答書状は現存するがこの鯖が如何に食されたかは不明

半年後
僅かながら所領を与えられ妻の督姫も呼び戻し本格的に御家再興が叶わんとする直前に氏直は病に倒れた
死因は疱瘡とされる
鯖にあたった…訳ではなかろうがとにかく養子で叔父氏規の子氏盛が北条宗家を継ぐ事となった
氏盛は氏規死後にその遺領を相続し本格的に大阪狭山藩主として後北条家再興を果たすのである
しかし、狭山に梶原景宗の姿はなかった
彼は出身地の紀伊に帰り、帰農したとされている




527 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/06(水) 10:01:31 ID:NJCtQKg3
>>523
> 直繁「ですから鯖五十匹」
> 氏直「この真夏にか?」
> 直繁「はい」

わらたw
まあ保存用に干したものなんだろうけどw

528 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/06(水) 10:05:29 ID:YUN4hJqp
大阪なら新鮮なサバでもおかしくない

529 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/06(水) 10:07:30 ID:/sPbZNFN
真夏だぜ?
腐っちゃうよw

530 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/06(水) 10:07:56 ID:tli2yO8o
サバの生き腐れという言葉があってだな

531 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/06(水) 10:14:16 ID:YUN4hJqp
半日程度じゃ腐らないよ

532 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/06(水) 10:25:48 ID:o3TVgZCu
こんにちは私アニー、氏直さんの胃と腸に旅しに来ました

533 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/06(水) 11:11:22 ID:LK5owhGY
>>532

つ 炎炎炎

534 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/06(水) 11:15:00 ID:Fg0rOEKz
紀伊の人なら、馴れ寿司用の発酵させた鯖じゃないかな

>>532
旅行と称して居座る不法滞在外国人のようだw

535 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/06(水) 13:45:18 ID:LzGBAUyf
>>523
>ちなみに目録を読み上げる前に中身をバラしてしまった直繁は氏直に不作法だと怒られた
安心の北条クオリティだなw

伊豆海賊衆と言うと怪力の清水康英さんやいろんな物を禁止するきっかけになってしまう
富永山随さんが思い浮かぶけど、実は梶原さんも相当なポジションだよね。

537 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/06(水) 18:49:16 ID:NJCtQKg3
>>535
> 安心の北条クオリティだなw

さすが礼法の伊勢氏らしいよねw

540 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/06(水) 22:53:05 ID:UFreW+e3
>>532
氏直のお腹の中で「トゥモロー、トゥモロー♪」って歌い出すのかw