背比べの柱の疵は

2014年05月15日 18:47

311 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/14(水) 19:50:40.53 ID:qKg88vb0
藤堂高虎が羽柴秀長による但馬征伐で戦っていた時、最初に高虎の味方に参じたのは、
養父郡大屋村の梶尾源左衛門という郷士であった。
高虎は2年ばかりの間、この源左衛門の家を本拠として、但馬国内の一揆と戦ったのである。

ところでこの梶尾の家の大黒柱には、深く切り込んだ太刀疵がある。それにはこんな事があった。

ある時、高虎がこの源左衛門と背比べをした。すると源左衛門の方が、少しばかり背が高かったのである。
高虎はこれは無念であると、腰の刀を抜き打ちに柱に切り込んだ。その時の刀疵が、これなのである。

この刀疵の付いた柱は、記念として後代に至るまで同家で大切に保存された。
その頃高虎は、血気盛んな26歳であったそうである。

(洞津遺聞)

しかし2メートルを超える高虎より大きかったとは、源左衛門さんもすごいですね。
背比べの柱の疵は太刀疵だったのである、というお話。




312 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/14(水) 21:24:06.92 ID:N4Y0g+5s
>>311
藤堂高虎ってそんなにデカかったのかw

313 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/14(水) 21:32:06.47 ID:fsGfxFYl
6尺2寸だっけ。
平均身長的に、現代なら3m近い感覚だったのかね。
そりゃ就活も楽だったろうなあ…と下衆な考えがw

314 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/14(水) 21:50:22.68 ID:991KRTZo
3mの感覚て、それどこの巨神兵よ

315 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/14(水) 22:00:26.09 ID:fsGfxFYl
>>314
や、当時の人達の身長を考えるとね
今の190cm~2mとは周囲の感じ方が違うんだろうなあ、と
やっぱり大袈裟かな、ごめんw

316 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/15(木) 01:24:23.99 ID:glugOWNU
>>313
6尺2寸となると187cmならあり得なくもないから本当なのかな

当時の平均160cm弱だと、平成生まれの女性の平均身長と同じくらいだけど
187cmの女がいたら大女扱いだな

317 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/15(木) 08:01:35.26 ID:oVfsX05J
日本人のDNAじゃあり得ないから大陸出身なんだろうね

318 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/15(木) 09:30:56.42 ID:r5BL7njE
中学生は学校で理科の勉強もっとがんばるべき

319 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/15(木) 11:43:59.52 ID:SEUPt3eH
鮭様が見てる

321 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/15(木) 22:57:42.38 ID:Jbk8/6bg
>>316
そんな大女が無双にいたな。

322 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/15(木) 23:45:44.44 ID:cBxQSNgs
真柄のかあちゃんが戦場に立っていたらどうなったかな?

この間でていた大野の芳我台は容貌怪異の怪力姫様で身長の記述はなかったか

323 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/16(金) 13:35:31.10 ID:TzQB5c3n
巴御前扱いじゃね?

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