250 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/06/05(土) 04:43:15.95 ID:SzDQL2Bk
大永5年(1525年)2月22日、大内義興が安芸国厳島に滞在中のこと。義興は大野(現在の廿日市市大野町)の門山城の辺りを見るため島から渡海した。
義興が島を留守にしている最中、有ノ浦(厳島)沖に停泊した御座船で火事が起こり、その日の船番を担当していた能美孫三郎は御幡箱(旗の入った箱)を手に取って持ち出すと、海へ飛び込み他の船の舵だか何かに取り付いて辛うじて命は助かった。
そうこうしている内に義興が島へと戻って来たが、御座船が焼けた責で孫三郎は切腹になるのではないかと孫三郎本人や周囲の人々は思ったが、
事情を聞いた義興は孫三郎が若輩ながら旗を守って船から逃れたことを褒め称え、防州田布施に50貫の所領を与えた。
(棚守房顕覚書)
義興さん太っ腹なお話。
大永5年(1525年)2月22日、大内義興が安芸国厳島に滞在中のこと。義興は大野(現在の廿日市市大野町)の門山城の辺りを見るため島から渡海した。
義興が島を留守にしている最中、有ノ浦(厳島)沖に停泊した御座船で火事が起こり、その日の船番を担当していた能美孫三郎は御幡箱(旗の入った箱)を手に取って持ち出すと、海へ飛び込み他の船の舵だか何かに取り付いて辛うじて命は助かった。
そうこうしている内に義興が島へと戻って来たが、御座船が焼けた責で孫三郎は切腹になるのではないかと孫三郎本人や周囲の人々は思ったが、
事情を聞いた義興は孫三郎が若輩ながら旗を守って船から逃れたことを褒め称え、防州田布施に50貫の所領を与えた。
(棚守房顕覚書)
義興さん太っ腹なお話。
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