池田恒興の家臣森寺政右衛門忠勝は昔

2015年10月11日 19:23

822 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/11(日) 13:03:43.17 ID:7oCeuLK0
池田恒興の家臣森寺政右衛門忠勝は昔、美濃の豪族高木何某を暗殺したことがあった。
ある時江戸へと使いに行く森寺を高木の息子達が仇を取ろうと待ち伏せしていた。それを噂で聞きつけた森寺、わざわざ待ち伏せ場所にまで見に行くとそこには800人程が待ち受けていた。しかし森寺は堂々とその間を通り抜けていくが、何故か誰もかかってこない。
何事もなく通り過ぎた後、従者を使いに送って
「そこにいるのは本当に高木の倅共か?お前らの親の仇がここにいるぞ?どうしてかかってこないのだ。さあ、来いよ」と伝えさせたが、結局誰もかかってこなかった。
「あーあ、仇を取る絶好の機会だったのに。もう仇はとれないぞwww?」と森寺は笑いながら去っていった。

その後、高木は場所を問わず親の仇を取ることを許されたが、森寺にも身を守らせた上、「仇とれなかったら森寺の勝ち」というルールが決められた。
そこで森寺、火縄に火のついた鉄砲五丁・矢を番えた弓10丁、鞘を外した槍5本を持った家来30人を常に引き連れるようになった。秀吉の前に出仕した時も同様であり、殿中での帯刀を許されていた。
伏見城の落成を祝って諸大名が集まる中、周りから「今日こそ危ないからやめておけ」と忠告を受けたが森寺は意に介しない。いつもは持っている刀も従者に預けて手ぶらのまま、広間にいた仇の連中の間を堂々と通り抜けていき、そのまま帰っていった。

その後、慶長4年に病死という最期を遂げたそうだ。

『常山紀談』

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↑稲葉一徹の前で主君恒興への贈答品を粉砕した男のその後の話



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