森本宇右衛門天竺より小人国に往く事

2016年06月26日 17:56

888 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/26(日) 00:23:04.18 ID:6jeSAv6P
森本宇右衛門天竺より小人国に往く事

清正の臣森本儀大夫の子を宇右衛門と称す。
儀大夫が浪人の後、宇右衛門は、わが天祥公(松浦重信)のときしばしば伽に出てきて、
天祥公はその咄などを聞かれたという。
この人はかつて明国に渡り、それから天竺に行こうとして、
かの国の境にある流沙河を渡る時に蝦を見たという。殊に大きくて数尺に及んだそうだ。
それから檀特山に登り、祇園精舎をも見て、この伽藍の様を自ら図記して携えって帰った。
〔今その子孫は、我が領内にいる。正しくこれを伝える。しかし今は模写である。〕

また方々をめぐり歩く内に、小人国に至ると、折節小人が集まっていた。
一石を運んで橋に架けようとしていたのを宇右衛門は見て、
自ら一人で石を水に渡したら、小人達は大いに喜んで、
報酬と思しき菓物を多く贈ってくれた。
これも今に伝えているが、年を経たためか、今では梅干のようなものとなったという。
〔初めは多かったが、人に与えていくうちに今はわずか二、三だけである。〕


近頃、ある人が曰く、これらの行ってきたところは、真の天竺ではなく他邦であると。
流沙河もその本当のところでは沙漠で水はない。
なので、我が国で常に聞き及んでいたので、これを名付けたのだ。
また山や舎の如きも皆異所であろう。
かの国にはこの類のことがなお多い。
また小人国も南北所々にあり、この小人はどこのものであろうか。
たしかに外域、はるか遠くの地に至ったのは疑いもないけれど、
その頃は世界四大洲の説もまだ明らかでなかったので、
あいまいで分かり難い。
とのことであった。


(甲子夜話)

実際は、祇園精舎ではなくアンコールワットだそうで
小人国って、ガリバーみたいだなあ



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