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康政の後の榊原家

2011年10月14日 22:03

283 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/14(金) 16:16:19.67 ID:zhlbjYkh
中々目立たない徳川四天王の子のお話。

榊原康政の三男榊原康勝は、父康政の死後後を襲い榊原家を継いだ。
(長男榊原忠政は大須賀康高の養子、次男榊原忠長は父に先立って病死)
さすがに父親が家中屈指の名将なだけあって、この人物も優秀で、
その後大阪冬の陣では苦戦中の佐竹義宣の軍勢を背後から佐竹勢もろとも撃ちつけ・・嘘です、
佐竹勢をしっかりと支えその窮地を救った。
だが経験不足だった(26歳)のだろうか、翌年の夏の陣では木村重成に大打撃を与えられ、
陣中で兼ねてからの腫れ物が悪化し、亡くなってしまった。
だが一説によると鞍壷に腫れ物の血が溜まって尚戦い続けたという・・・なかなか壮烈である。
三河武士の子はやっぱり三河武士でした、というお話。
大坂の陣では家康は四天王の子2人(榊原康勝と本多忠朝)をそれぞれ失ったことになる。

ここで終わったら忠烈な話で終わるのだが、この後が寂しい。
康勝には子がいたが、幼少のためこれを嫌った村上弥衛門らの家老は康勝には子がいない、と申告。
末期養子が認められていなかった当時、譜代親藩といえども取り潰しが多かったが、
さすがに関ヶ原のあとで「悪いようにはしない」と
三河からの重鎮康政に誓った手前、潰せなかったらしく、康政の長男忠政の子大須賀忠次に
榊原家をつぐよう命じた。

このあと家老衆の嘘がバレ、家老たちは流罪に処され、康勝の子勝政は旗本に取り立てられた。
(そして勝政の孫正邦がのちに榊原本家に復帰する。)
ちょっと後味が悪い康政の後の榊原家のお話。




284 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/14(金) 16:57:57.06 ID:8MzbYUs3
この際に断絶になった大須賀家こそいい迷惑だったな。

285 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/14(金) 17:13:24.95 ID:AHo3Aqja
そもそも、なんで家老は嘘ついたん?

286 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/14(金) 17:16:08.22 ID:PQiMVWez
幼児に後を継がせると内部での権力争いとかでゴタゴタするとでも思ったのかねぇ

287 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/14(金) 17:18:36.38 ID:IQJ/dYpQ
Wikipediaより

>なお康勝には庶子・平十郎(勝政)がいた。ところが、家老の中根吉衛門、原田権左衛門、村上弥右衛門の3名は、
>幼君では武功を立て難たく、立身を望めないと策謀して、幕府・家康からの質問に対し康勝に嗣子なしと回答した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A6%8A%E5%8E%9F%E5%BA%B7%E5%8B%9D

288 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/14(金) 20:25:37.88 ID:cdB2qfcr
この時代になってまだ武功とか
家老共どんだけ戦国脳だよw

289 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/14(金) 22:30:14.41 ID:jVTU1ude
赤ん坊が元服を迎えるくらいの時間が経ち、
もう戦国は終わったかと思われた頃に大坂の陣。
関ヶ原以前を知っている年寄りたちには
「豊臣がいなくなったからもう泰平♪」と
素直に信じられなかったんじゃないかなあ。

290 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/14(金) 22:33:13.57 ID:9ZX6Pi9d
>>288
まぁ大阪の陣まではそういう気風が残っていたのは、
豊臣というそれなりに強力な仮想敵が居たから分かるけど、
大阪以後の話だからねぇ…。

291 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/14(金) 22:36:23.86 ID:IQJ/dYpQ
日本人が一般的に、社会がもう安定して平和になったと信じたのは家光の時代で、国内で戦争なんてものはもう
起こるはずがない、とまで感じたのは綱吉の時代くらいだね。

292 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/14(金) 22:37:15.58 ID:T4RqoQPy
結果的には大坂の陣以後は戦乱が起こらなかったが
島津・毛利・伊達等の仮想敵を攻め潰すための戦争で手柄を立てたかったのかな

294 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/14(金) 22:41:18.65 ID:IQJ/dYpQ
>>290
家光の時代くらいまで、大名の反乱やポルトガルスペインといったカトリック国の侵攻などが、かなり
現実味のある脅威として捉えられていて、幕府もそういったものに対処するための軍備を緩めていない。
大坂の陣以後でも社会的にはまだまだ、軍事的な緊張下にあったのは確か。

298 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/14(金) 23:13:02.37 ID:9ZX6Pi9d
>>294
まぁ黒田の城破却話も大阪から5年後の話だからねぇ。
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3721.html
この時期だとこういう噂が流れてもおかしくない程度には戦乱の気配が無くなったって事だろうが、
逆に言えば、それがある程度驚きをもって迎えられるほどにはまだきな臭さが残ってはいたんだろうな。

300 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/15(土) 00:19:29.44 ID:LJaNutIO
豊臣の後でもTOKUGAWAにたてつくってまーくん以外考えられないんだがw

301 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/15(土) 00:27:58.14 ID:gUNrfaTc
奴だってポーズだけだろ
家光時代はもうべったりだったし

302 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/15(土) 00:35:55.15 ID:HgBDEKk5
>>300
後世の眼から見ればそうなのだろうけど、当時としては、乱世の記憶もまだまだ残っているわけで、
とてもそう簡単に安定するとは思わなかった、ってことだよ。

303 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/15(土) 00:42:02.18 ID:4bdTlawF
幼君ってのは武功以外にも色々不安だろうからな。

305 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/15(土) 02:10:04.29 ID:byUZYr8K
>>283
榊原康勝の腫れ物って、要するに痔なんだよね
冬の陣では、尻から大出血しながら奮闘したらしい

父親の康政は、疾風迅雷の機動力で敵の横に回りこむのが得意だったけど、
息子はなあ…大将が痔じゃ、動き回れなかったんだろうなあ

余談だけど、痔で死んだ(かも知れない)人四天王
穴山梅雪、榊原康勝、…
2人しか思いつかない…
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