中村一忠、横田内膳成敗の事

2015年02月24日 18:28

437 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/02/24(火) 06:48:04.59 ID:lsITlDED
中村一忠、横田内膳成敗の事

慶長8年(1603)11月14日、伯耆国米子において、中村一学(一忠)の内儀の額直しの儀(元服)の時の事。
この時一学は14歳、重臣である横田内膳(村詮)一人が奥へと通り、西の丸にて番の小姓を伴って戻り、
奥での祝の終わる頃には夜に入っていた。

横田内膳が退出しようとすると、一学は広間まで見送った。そこで内膳は「刀を預かって頂いていたので、
それをお返しいただきたい。」と言った所を、一学が突然斬りつけた。

一学は内膳に3度切りつけたが、3度とも内膳に当たらなかった。一学は若年であり、力弱かったために
刀もうまく使えなかったのである。内膳は身に当たらなかったためにその場から逃げ出した。
ここで一学の太鼓の師匠である安井誠一郎、当時700石を取っていたが、彼が内膳に立ち向かった。
安井も一学と談合し、横田内膳の襲撃に加わっていたのである。しかし内膳によって左の拳を斬られ
後ずさり行燈を踏み倒した。そこには奥の殿原が二人居たが、この太刀合わせに驚き逃げ出した。

しかし内膳が潜り戸を上げて外に出ようとした所を、近藤善右衛門が長刀にて突き殺した。

この近藤善右衛門に対し、横田内膳はかつて恩義を与えたことがあったのだが、近藤はそのことを
全く知らなかった。かつて中村一氏が、当時6千石を与えていた垣見豊後を扶持放しした時、
その6千石の内、3千石を家老たちに分配し、残りの3千石を物頭6人に使わすようにと命じた。
ここで横田内膳は、「近藤善右衛門にも500石を遣わされますように。」と申し上げたが、
一氏は同意せず座敷を起ってしまった。しかし内膳はこれに追いかけ、無理に願い上げ善右衛門に
500石加増するとの一筆を書かせた。しかしこの事は加増に関わる大事の事だったので、内膳も
善右衛門に一言も語らなかった。
近藤善右衛門は後に、もしこの事を知っていれば、長刀で内膳を突き殺すようなことはなかったのにと、
語ったそうである。

中村一学が内膳に斬りつけた時、内膳の茶道が一楽を後ろから斬りつけた。そこをとっさに、
一学の茶道である宗把という者が気づきこれを斬り殺した。後でその褒美として千石が与えられた。

横田内膳という人は、元は三好殿に仕えた牢人であったのを、中村一氏が咄物(御伽衆)として抱えた。
ある時重大事があり、中村一氏も焦燥し悩んでおり、この時「内膳の考えも聞かせてみよ」と言った所、
内膳の申し上げた意見は非常に優れており、その後数度試した後、一氏は彼に三千石を遣わし、さらに
妹婿に迎え、国の仕置を申し付けた。
内膳の仕置は、家中の者への対応も国郡の政治も非常に良きものであったので、門前市を成す状況となり、
人からの賞賛は大方成らぬものであった。

しかし、中村一氏の跡を継いだ一学が幼少であったこともあり、内膳も驕り、甥の横田勘解由・主馬などの
高い知行を遣わし、聟に六千石を取らせるなど驕りを極めたため、薮内匠、服部小膳などの他の重臣は
用心のため身を引き引退した。
そして内膳は歌舞伎踊り、物見遊山などの享楽も好んだ。これら故にこのように成敗されたのである。

(中村一氏記)

中村一忠による、重臣横田村詮成敗についての記事である。



438 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/02/24(火) 08:35:35.02 ID:Wnf+Ge+k
長刀の優秀さが証明されてしまったか

439 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/02/24(火) 09:45:54.04 ID:2arNW6pY
格闘茶道の心得も必要なんだな

440 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/02/24(火) 10:16:15.82 ID:mjEsQPk+
目潰しに茶を吹きかけるのだな

441 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/02/24(火) 16:19:39.76 ID:kZLRFJwv
横田内膳って家康にも目をかけられた人物で、ていうか家康の指図で中村家の家老に命じられているんで、その辺も影響してるんだろうな
「横田って将軍に気に入られてるからって態度でかくね?」
「ていうかスパイじゃね?」
みたいな

当然、家康が自分が命じた横田が殺されたことを看過するわけもなく、中村家はあっさり取り潰しになりましたとさ

442 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/02/24(火) 23:46:59.10 ID:NBwyUHkk
スパイというなら客将の柳生宗章だろ
こいつ家康の誘いに応じず小早川秀秋のとこで警護役してんじゃん
柳生一族をも殺したのは不味いよなあ

443 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/02/25(水) 00:00:54.08 ID:ts3EH1ea
柳生宗章はくさい。
小早川に中村と、豊臣恩顧の大名のもとをぶらぶらしてるとこを見ると、ほんとうにスパイ臭い。
家康の誘いを断ったんじゃなく「スパイして来い。その功で取り立ててやる」とでも言われたんじゃないか。

同じような例に本田政重がいる。
こいつも豊臣恩顧の大名を渡り歩き、関ヶ原でも西軍として参加しているが、なぜか罪に問われず、どんどん出世していった。
最後は加賀藩の家老として7万石を領している。

444 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/02/25(水) 00:06:18.12 ID:ts3EH1ea
>>442
まあそのスパイ臭い柳生を、家康に目をかけられていた横田が客将として受け入れていたんだから、ますますスパイ疑惑も深まるというもの。

446 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/02/25(水) 00:34:50.73 ID:FByVptBU
>>441
この件で中村家は取り潰されてないんだが…。
中村家はこの事件から5年後、一忠の急逝に伴う無嗣改易だぞ。

447 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/02/25(水) 01:48:32.37 ID:ts3EH1ea
>>446
15歳の幼君だし、まだまだ諸大名の動向も不穏だったから、一時的に猶予されただけだと思うよ
一忠がくたばると、妾腹の男子があったが、正室が断固反対したため、無嗣扱いになって終了
ちなみに正室は徳川家康の養女w
家康―養女―横田―柳生のラインに逆らっちゃ生きていけないよ

448 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/02/25(水) 01:54:09.98 ID:FByVptBU
>>447
そもそも5年前に20で急逝するなんて誰が解るんだよ。君みたいな考え方を「陰謀論」と呼ぶ。
根拠も一切無い、印象論だけで何でもかんでも決め付ける、学問として最もやってはいけない態度だ。

449 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/02/25(水) 02:09:13.37 ID:ts3EH1ea
>>448
一忠が生きてても懲罰的減封ぐらいはされていただろうということ
猶予与えたけどダメで、そのまま死んじゃったから、正室と家康が組んで中村家潰した
家康目線だと、横田と柳生を殺した反徳川の家臣を排除にしたにもかかわらず駄目だったんで、
中村家自体が存続させる意味のないクズ家だと認識したんだろうさ

450 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/02/25(水) 02:51:47.33 ID:FByVptBU
>>449
だから根拠が一切ないじゃないか。君の主張を裏付ける史料は何?
最低限それの傍証となる同時代史料を提示しないと。
それが出来ないのなら君の主張は全部、ただの思い込みに過ぎない。

451 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/02/25(水) 02:55:44.98 ID:LTObXFfO
横田は家康に駿府を明け渡した人だからな~
家康のお気に入りであることは間違いなかろう
また先代の妹御を室にして外戚でもあり家老として申し分ない
戦国の世なら下剋上もあったろうが江戸じゃね
まあ子供がいなきゃ養子縁組が可能だろうが…
横田をスパイとするのは見当外れもいいとこ

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