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太郎信勝の良き生まれ付きも

2019年07月05日 18:26

228 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/07/05(金) 01:56:33.78 ID:mC5kOoJC
(前略)しかればその太郎信勝公(武田信勝)11歳の時、小姓衆多き中にて近習である友野形部の
息子の又一郎と、日向源藤斎の息子の伝次とで「扇切りを致せ」と太郎殿は仰せになった。

その時、友野又一郎は腰に差している扇を抜く。日向伝次は手に持っている扇を腰に差して、指を立
てて向かう。その時に信勝は「はや見えたるぞ、置け。せぬ扇切りに伝次は勝ったこと、逸物の心で
ある」と褒めなさり、日向に褒美を遊ばす。

これを高坂弾正は聞いて曰く、

「この御曹司太郎信勝は近代の名人の大将衆、安芸の元就・北条氏康・北越の輝虎(上杉謙信)・尾
州信長・三州の家康・祖父信玄公の幼い頃に似ている。そのような信勝でおありならば…」

と、只今武田の家は万事政事みだりになり、一昨年長篠にて勝頼公は御分別相違なされた故、長坂長
閑(光堅)・跡部大炊助(勝資)両人の諫めをもって信玄公取り立ての衆は尽く討死して、なお家風
は悪しくなった。そうしてついに武田が滅却してしまえば、太郎信勝の良き生まれ付きも要らず、空
しく相果てなさるだろうと、涙を流すばかりであった。(後略)

――『甲陽軍鑑(品第四十下 石水寺物語)』



229 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/07/05(金) 18:08:57.65 ID:SJY8LEsO
>>228
戦わずして勝った?それとも逃げるが勝ちっていう精神勝利法を意味してるの?
確かに長篠では決戦せずに退却していればよかったんだろうけどさ、家康と信長を同時に討てるチャンスはこれ逃したらもう無かったろ
解説お願いします。
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奥州の侍大将である伊達の子息が

2014年11月22日 18:47

230 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/21(金) 20:12:35.65 ID:DkPo+BuD
武田勝頼の時代、奥州から甲斐の武田家に、高崎織部という牢人が来た。この人が物語する中、こう言った

「奥州の侍大将である伊達の子息が、太郎信勝様(勝頼嫡男)と同い年ですが、
この子息がなかなか不思議な人物で、万海という行人の生まれ変わりとされているそうです。」

この話も奇特な事だと思ったので、後の世のために紙面に表すべきであると考え、高坂弾正がこれを書す。

(甲陽軍鑑)

甲陽軍鑑に現れる、伊達政宗の記事である。
そういえば政宗と天目山で死んだ武田信勝は同い年だったか…。



231 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/21(金) 22:56:14.00 ID:qKRhHhdP
立花と真田も同い年なんだよな

232 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/22(土) 14:02:00.07 ID:16pf4Ac/
信勝が早世したのは実に惜しい

233 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/23(日) 08:46:54.85 ID:28SvAzTF
信長の片腕になれたのにな