501 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/20(金) 01:39:07.28 ID:XspuTWx2
ドラゴンクエスト1 ~甲斐の竜王~
人から犬に至るまで戦闘力が高く、ロンダルキアに例えられる甲斐であるが、
なんと戦国時代初期にはドラゴンまでが多数生息し、人はその頭を竜王と呼んだ。
ショウキョウのころのことである。甲州巨摩郡に貧しい村があった。
ある時戦があり、道に迷ってボウキノカミという武士がやってきた。
村人達は宿をしつらえ、村を挙げて彼を歓迎した。
夜半、ボウキノカミは大きな物音に驚いて飛び起き、何事かと尋ねた。
村人はこれは大竜が叫び暴れている音なので、心配いりませんと答えた。
「なんと珍しい話だろう。それならば私が成敗して参らせよう」
といって、ボウキノカミは広い河原を歩いて行き、黒い淵をのぞき込んだ。
すると水面に泡が立ち、巨大な竜が躍り出て襲いかかった。
ボウキノカミは少しも慌てず、弓を引き絞り矢を放つと、矢は竜の片目を射貫いた。
竜は一度淵に沈み、これで落着かと思われたが、再び躍りかかってボウキノカミの
袖に食らいつき、彼を水の中に引きずり込もうとした。
ボウキノカミは刀を抜き、竜の鼻先を袖ごと両断した。
竜は刀を鼻先に食い込ませたまま再び淵に沈んで、ついに浮かんでこなかった。
ボウキノカミが「確かに大竜であった」と言うと、
村人は「あのような竜が数知れずおり、さらに巨大な竜王がいるのです」と答えた。
ボウキノカミは驚いて、「それでは私の手に負えない」と言った。
村人は「ありがとうごした」と言って彼をねぎらい、別れを告げようとした。
するとボウキノカミは、
「この貧しい村が私を歓待してくれた礼に、国主信昌公に申し参らそう」と言った。
村人達は相談して、嘆願状を作った。
502 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/20(金) 01:43:27.62 ID:XspuTWx2
ドラゴンクエスト2 ~甲斐の守り手~
その時国主であった武田信昌はこれを重く見て、悪竜の討伐に数多の武者を派遣した。
武者達は三日三晩、竜王の軍勢と戦ったが、ついに勝利を得ることができなかった。
ボウキノカミが戻ってきて国主に言うには、
「これを武力で征伐することはできません。法力を持って調伏致したく存じます」。
そこで信昌は国中の僧侶・修験者を集めて派遣し、土を盛って祭壇を作り祈祷を行った。
ある晩ボウキノカミが寝ていると、どこからともなく大きな声が聞こえてきた。
「汝はシンジョウというな。ならば汝のまことを信じて頼むのである。ソウダ淵の河原に、
赤と青の大岩が山から落ちて、互いに圧し合っているので、これをどけて欲しい」。
ボウキノカミと村人たちは人をかき集め、この大岩をどけようとした。
ところが余りに巨岩であり、とても地上を転がすことは出来ない。
そこで岩の根本にくさびを打ち、巨木を巻き付け、河原に土手を築いて増水を待った。
やがて大水が出て河原まで水に沈んだ。巨木の浮力と抵抗で巨岩は転がりだし、
なんとかその場所から河下へとゆっくり離れていった。
見守っていた人々が小躍りして喜ぶと、黒い水面から光り輝く巨大な竜女が現れた。
「以前の大地震のとき、私は妊娠の身体で岩に挟まれ、みな非常に苦悶していた。
いま仏の功徳と汝らの労苦によって、ようやく済度を得た。これからは山にこもり、
人の恩に報いるため、子を授け産を安んじて進ぜよう」。
503 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/20(金) 01:53:38.89 ID:XspuTWx2
ドラゴンクエスト3 ~そして伝説へ~
ボウキノカミは、竜神を鎮めたことを国主信昌に報告した。
信昌は大いに喜び、大竜のこもった山に寺を建てた。これが大竜山満福寺である。
いまボウキノカミが袖ごと竜を斬った淵は、袖淵といい、その刀を袖切という。
また、人々はこのあたりを竜王という地名で呼ぶようになった。
その後、国主の妻であった人が、子を授からないのを憂いて入水しようとした。
人がそれを止めて「満福寺の竜神様にお願いしましょう」と言った。
彼女がその通りにすると、やがて子を授かったので岩下殿と呼ばれるようになった。
信縄は大いに喜んで、三度舞った。これが後に武田氏中興の祖となる信虎である。
(「古老は語る-山梨の民話伝説-」から引用した小冊子より、現代標準語に意訳)
なお竜王討伐に乗り出すのが信昌でなくて信玄だったり、満福寺に祈願して生まれた
のが信虎でなくて信玄だったりするが、具体性などから恐らく後世の仮託だと思われる。
また、甲斐国志によると、ドウキノカミというのは山本道鬼齋勘助のことだとあるが、
この説を取るなら、年代的にあり得ない。
ドウキノカミというのは伯耆守とか、主鷹司(ようしのかみ)など官職名の転訛、
シンジョウというのは苗字か法名、或いは諱の有職読みだと考えられる。
年代は戦国時代であるのに、不思議に神話的なお話。
508 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/20(金) 19:53:09.86 ID:eOYzXCPF
>>501
ドラクエwww
竜王って地名が今も本当にあるのかwwww
http://dic.nicovideo.jp/a/%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%AB%E3%82%AD%E3%82%A2
ロンダルキアってどこだっけと調べてみたら、上九一色村とあるんだがwwww
あと、勇者は袖切の剣をどこで回収したんだろう?
509 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/20(金) 23:29:26.40 ID:iGiKBQjW
>>501
竜神が村人を苦しめる話は大体、
昔、河が氾濫して村人が苦しんでたって事を意味するらしいね。
で結果治水に成功したんだろう。
510 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/20(金) 23:54:41.51 ID:tqLj9n+t
ちなみに信玄堤は竜王にあるな
513 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/21(土) 00:52:46.22 ID:/yrRuGqQ
>>501
中央から派遣されたテクノクラートが、直轄領でない地域の治水に苦労した話なんだと思う。
ところで、
>>「汝はシンジョウというな。ならば汝のまことを信じて頼むのである
というのは、
『汝は「しんじやう(しんじょう)」という名であるから、私は汝を「しんじやう(信じよう)」でいいんだろうか。
514 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/21(土) 00:57:43.91 ID:/yrRuGqQ
>>509
だね。しかしそういうのは大体は古代の話なのに、戦国に入ってからそれが信じられて、
地名にまで発展するってのも面白い。
このボウキノカミさんが、竜神を漠然と信じる農民をうまく騙って働かせたんだろうか。
ググってみたら、山梨での竜神信仰は明治のころまで盛んだったらしい。
515 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/21(土) 10:20:08.08 ID:jaiZyrYO
信濃にも竜神だか鬼だかの話があったような
こっちは領主の娘に恋慕してクレクレするやつ
516 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/21(土) 14:23:41.23 ID:WnCpGCAY
>>514
つ足立重信
536 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/23(月) 02:31:39.99 ID:H0p29dMA
>>501
ボウキノカミってどこかで聞いたと思ったら、「ドウキノカミ」の逸話が『甲斐国志』二の300にあった。
清里の浅川の南西に道通という場所があり、徳川家康が信州へ移動する時の寝所に当てた。
これは浅川の口留番所であり、逸見路にかかわる平沢口の別道であったので、今でも番所橋という橋がある。
その昔この道を作って砦を築いたのは「ドウキノカミ」という人だったと伝えられている。
これは山本道鬼(勘助)のことだというが定かではない。
武田時代には平沢口へ通じる重要な場所であったために、浅川口番所を儲け浅川と樫山で守ったという。
しかし不便な場所であったので、その後は長沢(調べたらかなり麓の方)に番所が移った。
今の関本屋という商店のある場所が、番所のあった所である。
ドウキ(ボウキ)ノカミさんは、建設普請に優れた人だったんだろうね。
ドラゴンクエスト1 ~甲斐の竜王~
人から犬に至るまで戦闘力が高く、ロンダルキアに例えられる甲斐であるが、
なんと戦国時代初期にはドラゴンまでが多数生息し、人はその頭を竜王と呼んだ。
ショウキョウのころのことである。甲州巨摩郡に貧しい村があった。
ある時戦があり、道に迷ってボウキノカミという武士がやってきた。
村人達は宿をしつらえ、村を挙げて彼を歓迎した。
夜半、ボウキノカミは大きな物音に驚いて飛び起き、何事かと尋ねた。
村人はこれは大竜が叫び暴れている音なので、心配いりませんと答えた。
「なんと珍しい話だろう。それならば私が成敗して参らせよう」
といって、ボウキノカミは広い河原を歩いて行き、黒い淵をのぞき込んだ。
すると水面に泡が立ち、巨大な竜が躍り出て襲いかかった。
ボウキノカミは少しも慌てず、弓を引き絞り矢を放つと、矢は竜の片目を射貫いた。
竜は一度淵に沈み、これで落着かと思われたが、再び躍りかかってボウキノカミの
袖に食らいつき、彼を水の中に引きずり込もうとした。
ボウキノカミは刀を抜き、竜の鼻先を袖ごと両断した。
竜は刀を鼻先に食い込ませたまま再び淵に沈んで、ついに浮かんでこなかった。
ボウキノカミが「確かに大竜であった」と言うと、
村人は「あのような竜が数知れずおり、さらに巨大な竜王がいるのです」と答えた。
ボウキノカミは驚いて、「それでは私の手に負えない」と言った。
村人は「ありがとうごした」と言って彼をねぎらい、別れを告げようとした。
するとボウキノカミは、
「この貧しい村が私を歓待してくれた礼に、国主信昌公に申し参らそう」と言った。
村人達は相談して、嘆願状を作った。
502 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/20(金) 01:43:27.62 ID:XspuTWx2
ドラゴンクエスト2 ~甲斐の守り手~
その時国主であった武田信昌はこれを重く見て、悪竜の討伐に数多の武者を派遣した。
武者達は三日三晩、竜王の軍勢と戦ったが、ついに勝利を得ることができなかった。
ボウキノカミが戻ってきて国主に言うには、
「これを武力で征伐することはできません。法力を持って調伏致したく存じます」。
そこで信昌は国中の僧侶・修験者を集めて派遣し、土を盛って祭壇を作り祈祷を行った。
ある晩ボウキノカミが寝ていると、どこからともなく大きな声が聞こえてきた。
「汝はシンジョウというな。ならば汝のまことを信じて頼むのである。ソウダ淵の河原に、
赤と青の大岩が山から落ちて、互いに圧し合っているので、これをどけて欲しい」。
ボウキノカミと村人たちは人をかき集め、この大岩をどけようとした。
ところが余りに巨岩であり、とても地上を転がすことは出来ない。
そこで岩の根本にくさびを打ち、巨木を巻き付け、河原に土手を築いて増水を待った。
やがて大水が出て河原まで水に沈んだ。巨木の浮力と抵抗で巨岩は転がりだし、
なんとかその場所から河下へとゆっくり離れていった。
見守っていた人々が小躍りして喜ぶと、黒い水面から光り輝く巨大な竜女が現れた。
「以前の大地震のとき、私は妊娠の身体で岩に挟まれ、みな非常に苦悶していた。
いま仏の功徳と汝らの労苦によって、ようやく済度を得た。これからは山にこもり、
人の恩に報いるため、子を授け産を安んじて進ぜよう」。
503 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/20(金) 01:53:38.89 ID:XspuTWx2
ドラゴンクエスト3 ~そして伝説へ~
ボウキノカミは、竜神を鎮めたことを国主信昌に報告した。
信昌は大いに喜び、大竜のこもった山に寺を建てた。これが大竜山満福寺である。
いまボウキノカミが袖ごと竜を斬った淵は、袖淵といい、その刀を袖切という。
また、人々はこのあたりを竜王という地名で呼ぶようになった。
その後、国主の妻であった人が、子を授からないのを憂いて入水しようとした。
人がそれを止めて「満福寺の竜神様にお願いしましょう」と言った。
彼女がその通りにすると、やがて子を授かったので岩下殿と呼ばれるようになった。
信縄は大いに喜んで、三度舞った。これが後に武田氏中興の祖となる信虎である。
(「古老は語る-山梨の民話伝説-」から引用した小冊子より、現代標準語に意訳)
なお竜王討伐に乗り出すのが信昌でなくて信玄だったり、満福寺に祈願して生まれた
のが信虎でなくて信玄だったりするが、具体性などから恐らく後世の仮託だと思われる。
また、甲斐国志によると、ドウキノカミというのは山本道鬼齋勘助のことだとあるが、
この説を取るなら、年代的にあり得ない。
ドウキノカミというのは伯耆守とか、主鷹司(ようしのかみ)など官職名の転訛、
シンジョウというのは苗字か法名、或いは諱の有職読みだと考えられる。
年代は戦国時代であるのに、不思議に神話的なお話。
508 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/20(金) 19:53:09.86 ID:eOYzXCPF
>>501
ドラクエwww
竜王って地名が今も本当にあるのかwwww
http://dic.nicovideo.jp/a/%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%AB%E3%82%AD%E3%82%A2
ロンダルキアってどこだっけと調べてみたら、上九一色村とあるんだがwwww
あと、勇者は袖切の剣をどこで回収したんだろう?
509 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/20(金) 23:29:26.40 ID:iGiKBQjW
>>501
竜神が村人を苦しめる話は大体、
昔、河が氾濫して村人が苦しんでたって事を意味するらしいね。
で結果治水に成功したんだろう。
510 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/20(金) 23:54:41.51 ID:tqLj9n+t
ちなみに信玄堤は竜王にあるな
513 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/21(土) 00:52:46.22 ID:/yrRuGqQ
>>501
中央から派遣されたテクノクラートが、直轄領でない地域の治水に苦労した話なんだと思う。
ところで、
>>「汝はシンジョウというな。ならば汝のまことを信じて頼むのである
というのは、
『汝は「しんじやう(しんじょう)」という名であるから、私は汝を「しんじやう(信じよう)」でいいんだろうか。
514 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/21(土) 00:57:43.91 ID:/yrRuGqQ
>>509
だね。しかしそういうのは大体は古代の話なのに、戦国に入ってからそれが信じられて、
地名にまで発展するってのも面白い。
このボウキノカミさんが、竜神を漠然と信じる農民をうまく騙って働かせたんだろうか。
ググってみたら、山梨での竜神信仰は明治のころまで盛んだったらしい。
515 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/21(土) 10:20:08.08 ID:jaiZyrYO
信濃にも竜神だか鬼だかの話があったような
こっちは領主の娘に恋慕してクレクレするやつ
516 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/21(土) 14:23:41.23 ID:WnCpGCAY
>>514
つ足立重信
536 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/23(月) 02:31:39.99 ID:H0p29dMA
>>501
ボウキノカミってどこかで聞いたと思ったら、「ドウキノカミ」の逸話が『甲斐国志』二の300にあった。
清里の浅川の南西に道通という場所があり、徳川家康が信州へ移動する時の寝所に当てた。
これは浅川の口留番所であり、逸見路にかかわる平沢口の別道であったので、今でも番所橋という橋がある。
その昔この道を作って砦を築いたのは「ドウキノカミ」という人だったと伝えられている。
これは山本道鬼(勘助)のことだというが定かではない。
武田時代には平沢口へ通じる重要な場所であったために、浅川口番所を儲け浅川と樫山で守ったという。
しかし不便な場所であったので、その後は長沢(調べたらかなり麓の方)に番所が移った。
今の関本屋という商店のある場所が、番所のあった所である。
ドウキ(ボウキ)ノカミさんは、建設普請に優れた人だったんだろうね。
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