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利根にて利発にて、しかも利口なる人

2023年03月15日 19:29

713 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2023/03/14(火) 21:11:06.83 ID:r3YEvImd
土屋右衛門尉(昌続)が、山県三郎兵衛(昌景)に聞いた

「いつぞや、穴山(信君)殿が、馬場美濃(信春)殿に問われた、遠州浜松の徳川家康についての噂について、
馬場美濃殿は、『藝能はやく請取る人を利根者、座配良き人を利発者、武辺の勝れて仕る人を利口者』と、
美濃殿は教えられたと聞き及んでます。さて、では(武田家中の)諸侍の中に、利根にて利発にて、しかも
利口なる人は有るでしょうか?」

山県曰く
「信玄公の御家には、侍大将としては内藤修理正(昌豊)、足軽大将としては横田十郎兵衛(康景)と、
この二人が居ります。この他侍大将の中で、若手では小山田弥三郎(信茂ヵ)なども居ります。
そういった人物の中でも、川中島合戦の時討死なされた故典厩(武田信繁)様などは、物事相整った、
まさしく副将軍と言うべき人物でした。」

山県三郎兵衛はそのように申された。

https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1630338432/702
このお話の続きですね

甲陽軍鑑



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武田信虎追放について

2022年10月14日 19:10

622 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/10/12(水) 21:25:04.54 ID:pUCJxExe
同年(天文七年)の三月九日に、武田信虎は駿河を訪問された。
嫡子・晴信について、駿河より一報があり次第来るようにと、晴信公は甘利備前の所に預けられ、
次郎殿(信繁)は御館の御留に置かれた。

信虎公が駿河に行かれるということで、晴信の衆は内々に支度をした。そうした中、板垣信方、飯富兵部(虎昌)
両人を、晴信公は御頼りになった。

信虎公が甲府を出立されて九日目、三月十七日に逆心が行われた。
この事については既に駿河の今川義元と内通されていたために、少しも手間取ることはなかった。
信虎公の御供の侍衆も皆、その妻子を人質に取られていたので。彼らは信虎公を捨てて皆甲州に帰った。

甲陽軍鑑

武田信虎追放について。



これは晴信公十八歳の時の事である

2022年10月12日 19:05

620 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/10/11(火) 21:00:09.80 ID:LIz3lhCB
天文七年正月元日に、武田信虎公は子息晴信公に盃を遣わされず、次男次郎殿(信繁)へ御杯を
遣わされた。

そのような事があって正月二十日には、板垣信方を以て信虎公より嫡子・晴信公へ仰せ遣わされた。
その内容は、太郎殿(晴信)は駿河の(今川)義元の肝入を以て、信濃守・大膳大夫晴信と名乗られた事で、
この上は義元に付き添い、万事異見を受け、心の至る者の機、作法をも学ぶように、との事であった。
晴信公はその返事に「ともかくも信虎公の御意次第」と仰せになった。

すると重ねて、飯富兵部ら二名を使いとして信虎公は仰せになった
「当三月より晴信は駿河へ行き、一両年も駿府においてよろず学問をするように。」
この事、ゆくゆくは次郎殿を惣領にするため、嫡子太郎殿を長く甲府へ返さないようにする、との
意図の模様であった。

これは晴信公十八歳の時の事である。

甲陽軍鑑

信玄廃嫡の危機についてのお話。



川中島合戦諸説

2021年06月22日 18:09

820 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/06/22(火) 15:05:34.29 ID:CX1S4mN5
武田典厩(信繁)は、上杉謙信と太刀打ちし、川中に切り落とされ、屍骸が川に流れたのを、
越後方の梅津宗三という者が引き上げ、典厩の首を取ったが、典厩の家人である山寺伊右衛門、
樋口宗三郎、橋爪出羽という者達三人が懸かり合い、梅津宗三を討ち取り、典厩の首を取り返した、
という説がある

また謙信と信玄の太刀打ちの時、信玄が団(軍配)にて請けられた、との説があるが、
慈眼大師(天海)がその時信玄方に居られ、山の上より直に見られ、信玄も太刀にて
謙信と勝負していたと、南麻主計に度々物語された。

畠山入庵(義春)も、その勝負を眼前に見られたといい、彼の物語に、信玄も太刀にて
謙信と勝負されたという。

慈眼大師は永正七年の生まれにて、遷化の時、百三十八歳であったと云われる。又一説には、
天文十年の生まれにて、遷化の時、百七歳であったとも云う。
百三十八歳が正しければ、初めの川中島合戦は四十五歳であり、百七歳にて遷化されたのであれば、
その合戦当時は十四歳に当たる。

川中島年月考

信玄と謙信の太刀打ちというと、第四次川中島合戦だけど、これが永禄四年だから、天海はともかく
畠山入庵はまだ生まれていないな(永禄六年生まれ)



822 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/06/24(木) 17:19:43.29 ID:7SGd52Fe
天海の年齢はどこで狂ってるんだろ。隋風時代に詐称あっても100歳こえるよね?

823 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/06/24(木) 21:29:07.89 ID:cctjc1VX
>>822
年齢的に無理があるから、結構前の上条政繁みたく同一人物扱いの別人って説が出てきたりして

信繁も一騎で勝負

2018年08月23日 17:56

47 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/08/23(木) 15:28:47.99 ID:9WnDNqbg
信玄の弟・武田左馬助信繁は70騎で後詰の陣より馳せ来たり、信玄が手負い申されたと聞いて
その仇を討ち止め申すべしと、仇を探された。

その時、謙信は川の向こう岸へ着かれ、左馬助は大音を揚げて「そこへ引き取り申されるのは
大将・政虎(謙信)と見受けた! 私は武田左馬助である! 兄の当の敵なので勝負なされよ!」

と申された。謙信は乗り戻すと「私は政虎の郎等・甘粕近江守(景持)と申す者である! 貴殿の
敵には不足であろう!」と申し捨てて、川岸に乗り上がった。

左馬助は主従11騎で打ち濡れて川を渡り申した。謙信は川岸に馬を立てて待ち受けた。

左馬助は左右を睨み「敵は一騎であるので信繁も一騎で勝負する! 皆々後ろへ下がるように!」
と命じて真っ先に渡ったところを、政虎は河へ馬を乗り入れて左馬助と切り結んだ。

左馬助は運尽きて左の高股を打ち落とされ、川へ逆様に落ち入った。

謙信は向こう岸に乗り上がり、宇佐美駿河守(定行)が7百余勢で備える中へ馳せ入り申された。

(原注:一説に武田左馬助信繁を討ち取ったのは村上義清であるという。上杉家では謙信が直に
左馬助を討ち取ったと申し伝えている)

――『川中島五箇度合戦之次第』



48 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/08/23(木) 16:45:33.30 ID:kogqW73A
>>47
>私は政虎の郎等・甘粕近江守(景持)と申す者である! 貴殿の
>敵には不足であろう!
ず、ずるい…wまあ兵法にずるいも何もないけど。

54 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/08/25(土) 20:59:44.46 ID:lVWyYuvh
>>47
あの上杉謙信が私は別人の下郎ですよとかしれっと虚言で誤魔化そうとするとか
話として面白すぎる
まぁ11対1を1対1に持ち込んだ上に勝って悠々退却したといえば武略ではあるのだが
…あるのだが草生える

動物に対しても

2014年08月31日 18:57

642 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/08/31(日) 10:45:12.88 ID:ROZLsEFt
動物に対しても、よく手入れをして、可愛がることを忘れてはならぬ。
『論語』にも、
「犬はよく見張り役をつとめ、馬は労働を尽くしてくれる。
犬馬といえども人の仲間である」
とある

武田信繁
(信玄家法より)

動物にも優しい誠の武士な弟さん



643 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/31(日) 11:13:27.87 ID:wWZHwm8F
猫苦手なのに役に立つからって猫飼い始めたりするしな

644 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/31(日) 11:23:25.62 ID:bNfl38y/
論語にそんなのあったっけ
「今の奴らは親を養えば孝行だと思っていやがるが、犬や馬だって養ってるじゃねえか、どう違うんだおい」
てのなら為政第二であるけど

645 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/31(日) 11:24:52.53 ID:4+Xin9oD
武田信繁家訓は小学校で教えてもいいレベル

646 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/31(日) 11:55:34.44 ID:ROZLsEFt
>>644
立派な人ってのはそういうもんなんだろ
論語本場の王陽明もかなり改造して読んでるし

ある時浜松城の城下町を

2013年06月23日 19:04

918 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/23(日) 14:11:58.73 ID:7L91LwNe
武田家全盛の時代、ある時浜松城の城下町を、
武田家に仕える雑役夫が九人で通りがかった。
発見した徳川家の騎馬武者が三騎でこれを追い払おうとした。
騎馬武者一騎で歩兵数人分の戦力と言われるものだが、
なんとこの雑役夫九人はこれに対して反撃にでて、
騎馬武者一人を生け捕りすることに成功した。
これに甲斐国の者たちは大いに沸き立った。
「三河武士は強いと聞くが、我ら甲斐の者に比べたら」
「あの者たちでは甲斐には勝てぬ。
過去の数々の戦がそれを証明している」
武士も町人もこのように話していた。
だがなかにはこの事件を聞き現状を心配する者たちもいた。
山県昌景は、
「雑役夫が騎馬武者を迎え討つなど前代未聞である。
武田家も危うい時期に来ているのではないか」
と語り、
武田信繁は、
「敵方の悪口を言う者がいるならば戒めるようにせよ。
敵方に刺激を与えることは、
敵方を奮起させていると同じことである」
と諭したという。
後、名将二人の心配は的中することとなる。
設楽原以降、甲斐の者が三河武士の旗印に逃げ出すこととなる

甲陽軍鑑、信玄家法より




919 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/23(日) 14:37:08.03 ID:4IQsvjP+
武田信繁が生きてるだと!?

920 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/23(日) 15:33:53.82 ID:3dBL0xsn
>>919
子供の間違いじゃねーの?

921 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/23(日) 16:32:49.05 ID:pamV8bUW
しかし信豊がこんな立派なことを言うだろうか、という疑問が
やっぱり化けて出てきたんだろう

925 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/23(日) 18:15:43.58 ID:n2sMvsj7
普通に信繁生前の話なんじゃないだろうか

926 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/23(日) 18:50:38.74 ID:beg97CVR
よくある話に名前を借りただけなんだろうな

武士として大切な勇

2013年04月21日 19:00

88 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/21(日) 17:05:43.99 ID:0fEREdcl
武田の風林火山の旗を見れば、
腰抜け武士はそれだけで逃げ出す。
そんな武田家全盛の時代のこと。
武田信繁は重臣にこの思いを書き残した。
「たとえ自分の立場が時勢に適応して、
地位、力のある者が親類、周囲にあったとしても、
そのことに安心して、軟弱な趣味を持ったり、
あるいはことさら派手な振舞いなどと、
そういったことをしてはいけない。
なぜなら、それは武士として大切な勇を失いがちになるからだ。
三略にも上の者に勇がなければ、
役人、武士もこれを軽く見るとある通りだ」

《信玄家法》



90 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/21(日) 19:03:19.48 ID:KSMvLDiY
信繁堅いなー。背中叩くとカーンて音が鳴るかも

91 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/21(日) 19:51:59.51 ID:MOMKxQKX
超義理堅い堅物と思われてた方が安全ではあっただろうな
謀略に長けた兄を持ってしまうと

92 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/21(日) 20:54:40.71 ID:d651/HJ0
信繁には、本当に兄貴に取って代わるつもりは無かったのか聞きたいw

93 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/22(月) 09:40:43.28 ID:fiL1TWLm
信繁「兄貴に取って代わって家訓を199条まで伸ばしたいなー」

雑談・武田信繁のこと

2012年11月08日 19:59

326 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/07(水) 12:39:36.10 ID:O+mufkDX
まとめ見てたんだけど、武田信繁っていい話しか無いんだな
悪い話は討ち取られた位のもんかな?
信繁の悪い話無い?できが良すぎだろ
どっかの信繁と違って

327 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/07(水) 13:50:36.21 ID:bTp14Zmb
武田信繁は江戸初期から武士の鑑って神格化されてっから基本いい話しかない

328 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/07(水) 16:22:24.33 ID:qZT1KT+F
長野県長野市にある典厩寺は真田信之が武田信繁の菩提を弔うため、
それまでの瑠璃光山鶴巣寺の名を改めたもの。
本堂より左には自然石を用いた信繁の墓があると同時に、
武田上杉両家の討ち死にした者たちの弔魂碑がある。
なお境内には川中島合戦記念館があり寺宝を収蔵展示している

330 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/07(水) 20:31:58.92 ID:VQLJNFGf
この前小諸から東御市に向かう道を通った時にで信繁の墓があった

なんであそこなんだろう

331 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/11/07(水) 20:51:17.81 ID:FwEHAAEt
>>330
何の史料も確認していないから、極めていい加減な私見ではあるが、息子の武田信豊が
小諸城主だからじゃないか?

332 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/07(水) 21:28:01.04 ID:eN+Vkod4
死んだ川中島にあるんじゃないの?

333 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/07(水) 23:26:14.04 ID:0jZUtu4Y
胴体が川中島の典厩寺で、首だけ息子のいる小諸まで運んだみたいね。
行った事ないけど写真で見る限り首の方がかなーりひっそりと祭られているような。
川中島で死んだしあっちの方が有名だししょうがないか。

信繁の説諭

2012年10月29日 19:57

127 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/29(月) 13:19:44.63 ID:tsfL8j/u
あるとき、武田の者たちが敵方を見下す悪口で盛り上がっていた。
そこに偶然通りかかった武田信繁は、
「敵方に屈辱を与えることは、敵を奮起させることと同じである」
と深くこれを戒めた。

またあるとき戦場で武田兵が苦戦を強いられ劣勢となることがあった。
武田陣には、今回は勝てないだろうといち早く撤退することしか頭にない者、
あるいは、ここを死に場所と決め、捨て身の突撃を直訴する者と、
ふた通りの考えが溢れ、いずれの策も状況に対しての良策とはいえず、
武田の陣には暗い空気のみが漂っていた。
そこで武田信繁は、
「負け戦になりそうな時こそ慌てうろたえてはならぬ。
劣勢のときこそ、敵に対して侮蔑の思いを抱くべきであろう。
『穀梁伝』にある、
善陣はむやみに戦わず、善戦はやたらに死なず
という言葉をよくよく考えてみるべきである」

と諭したという




128 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/29(月) 13:51:08.25 ID:2PVkJ/7y
武田信繁が長生きしてたら武田家の未来は変わってたな

129 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/29(月) 14:12:07.78 ID:38HGUZFm
弟が優秀だと躍進してる大名多いもんな

130 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/29(月) 14:40:44.53 ID:MfZcRhng
弟を追い落として躍進してる大名も多けどな
政宗とか、最上義光とか、大友宗麟とか、毛利元就とか、織田信長とか

131 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/29(月) 14:43:01.13 ID:mxWEqU8G
弟が優秀かつ仲がいいのが条件だね
弟が優秀で仲が悪いと…

132 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/10/29(月) 14:55:00.79 ID:V2+EHM7S
信玄じゃなくて信繁が家督を継いでいたら武田家は滅びなかったかもな。

134 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/29(月) 15:53:35.99 ID:ts+9MPcb
有楽斎「そんなに褒めるなよ」

135 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/29(月) 15:57:46.86 ID:mCiLTF6I
三成と正澄は逆のパターン?

151 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/30(火) 16:08:37.61 ID:UPwYGmX+
>>127
一方、信繁(真田)は前田隊に罵詈雑言を浴びせて大勝利を
得たのでした。

152 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/30(火) 16:54:35.09 ID:PBrR4TrQ
武田信繁も戦のこととなると荒々しい逸話あるからな
信玄名代として実際の軍事指揮権は信繁にあったなんて説もあるし
ただの善人文弱武将ではない

武田信繁「武士として歌道への嗜みも」

2012年09月28日 20:59

648 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/27(木) 19:49:08.31 ID:mGc7KhXh
武田信繁
「武士として歌道への嗜みも持つようにしたいものだ。
昔の歌に、

『数ならぬ心のどかになり果し
しらせてこそは身をもうらみめ』

というものがあり、古来より歌の心を重んじていることがわかる」

【信玄家法下巻九十九箇条】




649 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/27(木) 20:39:13.37 ID:cCQcAYXm
さすが古典究さま

656 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/28(金) 01:32:38.38 ID:9KUwjgBH
〉 『数ならぬ心のどかになり果し
しらせてこそは身をもうらみめ』

誰か現代訳お願いします
わたしには難しすぎる

658 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/28(金) 02:57:11.16 ID:pu0XdAN6
西行法師の歌をもじってるのか?
まぁ西行も元北面武士だけど

659 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/28(金) 15:07:57.49 ID:9KUwjgBH
『数ならぬ心のどかになり果し
しらせてこそは身をもうらみめ』

『とるに足らない心がゆったり落ち着つくようになった。
落ち着くことを知ったからこそ身をうらめしくも思うのであろうが』

古語辞典片手に訳してみたけどイマイチ理解できないw
だれか古典得意な方ご教示を

664 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/09/28(金) 22:38:18.17 ID:LISgt9za
>>656
風雅の心得のないつまらないものは
物事に心が動かされることもなくのほほんとしている
歌道というものを知ってこそ
身を焦がすような思いもするものだ

てな感じではないかと。

666 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/28(金) 23:19:59.50 ID:V9pkD7nS
>>656
ちょっと高貴な女に告って玉砕してくるわ

武田信繁の教育論および指導論

2012年02月02日 22:00

700 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/02(木) 00:43:42.05 ID:1y8j49HQ
武田信繁
「下の者に対して教育する場合、
小さな過失は単に訓戒にとどめておき、
大事の過失、許すべきでない罪を犯した時には、
その者の一命をも取り上げざるをえないこともある。
『大公』に、双葉のうちに断たねば斧を用いるようになる、
とあるように、物事は初期に処置しなくては、
ついに増長して後に困難するようになると樹木にたとえ戒めている。
ここで気をつけなければいけないのは、
小さな過ちを取り上げて何回も折檻していたのでは、
ついには折檻に慣れてしまって平気になってしまうものだ。
『呂氏春秋』に、命令が過酷すぎれば聴かれず、
禁事が多すぎれば正常な生活も行われなくなる、とあり、
教育や指導における手加減の難しさが書かれている」

東のパーフェクトの教育論および指導論です




武田晴信の諏訪調略

2012年01月08日 22:00

637 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/08(日) 18:43:17.21 ID:FmD8vl+R
武田は信虎、晴信の二世代において、信州の』小笠原長時と合戦に及ぶこと度々であったが、
小笠原は諏訪、村上、仁科といった国人たちと共に戦い、武田に対して常に理を得ていた。

信虎、晴信は信州に侵入して長時と雌雄を争い、ある時は今川義元を語らって勝負を挑むものの、
ついに信州を奪うことは出来なかった。

そんな中、晴信はあるとき計略をめぐらし、弟左馬助(信繁)が美少年であったのを以って、
彼と諏訪頼重に深い交わりを結ばせ、板垣信方を遣わしてこう伝えた

「頼重様、武田方に合力していただけるのなら、晴信の妹婿となっていただき、信州が治まるにおいては
現在の領地に加え、村上の旧領も与えられるでしょう」

諏訪頼重は「ありがたし!」とこれに承知し、晴信の妹婿となり、あまつさえ先妻との間に産まれた娘を
人質として晴信のもとに送った。

小笠原の人々このことを知ると、元来頼重は小笠原の家老小見氏の婿であったのに、その妻を捨て
晴信にたぶらかされるなど前代未聞の無道であると、大いに怒ったという。


武田晴信の諏訪調略が美少年による色仕掛けだったこと、しかも信繁の。
というか信繁美少年だったのか!などなど、武田晴信のえぐさが十全に出ている逸話であろう。
(寛永諸家系図)




638 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/08(日) 18:51:31.18 ID:1lijqs2s
    〃                 i,     
   r'   ィ=ゝー-、-、、r=‐ヮォ.〈    
    !  :l      ,リ|}    |. }  
.   {.   |          ′    | }   
    レ-、{∠ニ'==ァ   、==ニゞ<       
    !∩|.}. '"旬゙`   ./''旬 ` f^|   
   l(( ゙′` ̄'"   f::` ̄  |l.|  
.    ヽ.ヽ        {:.    lリ    
.    }.iーi       ^ r'    ,'   
     !| ヽ.   ー===-   /   
.   /}   \    ー‐   ,イ          
 __/ ∥  .  ヽ、_!__/:::|\    

  武田 信玄(1521~1573)

639 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/08(日) 18:51:35.52 ID:FKBE2kgw
真田パパン「きたない、お館様は本当にきたないw」

640 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/08(日) 18:55:39.88 ID:FKBE2kgw
>638、つ
  /⌒ ̄ ̄ ̄\ ρ 「う~~厠、厠」
  /川∥∥| ∥|  ゝ  今厠を求めて全力疾走している某は
 〈巛《〈〈 \巛 |    甲斐武田家に通うごく一般的な男子
  │个 个 ヘ |    強いて違うところをあげるとすれば
  │┌-   )/     衆道に興味があるってとこかナー
   ヽヽ 丿//      名前は高坂源五郎虎綱
    ┼┬┼
 /┴┴┴┴┴ ̄\
 | │       ┤ \
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 | │      /│  │ │
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┌─ヽ       」   │ │
│ ├┴┴┴┴┤   田田
│ │  ∥   ヽ   / │
├-┤   /   /   LllLノ

641 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/08(日) 18:56:31.95 ID:6xAhOce9
お前が言うなw

642 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/08(日) 19:02:48.08 ID:Ch/tx09Y
>>639
正統後継者が何を言うw


647 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/01/08(日) 22:37:37.37 ID:p4ICrS/G
>>638、つ
  /⌒ ̄ ̄ ̄\ ρ 「う~~厩、厩」
  /川∥∥| ∥|  ゝ  古典厩を求めて全力疾走している某は
 〈巛《〈〈 \巛 |    甲斐武田家に抗うごく一般的な信濃武将
  │个 个 ヘ |    強いて違うところをあげるとすれば
  │┌-   )/     衆道に興味があるってとこかナー
   ヽヽ 丿//      名前は諏訪頼重
    ┼┬┼
 /┴┴┴┴┴ ̄\
 | │       ┤ \
 | │       │\ \
 | │       │ \ \
 | │      /│  │ │
 | │     / │  │ │
┌─ヽ       」   │ │
│ ├┴┴┴┴┤   田田
│ │  ∥   ヽ   / │
├-┤   /   /   LllLノ



648 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/09(月) 01:40:16.38 ID:CI1nB6wQ
そういや、やる夫家康スレの信玄と高坂は阿部さんと道下だったっけ

武田信繁、兄への礼儀

2011年12月27日 22:01

158 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/12/27(火) 13:12:26.91 ID:4VVXyXjS
武田信繁が子供の頃の話。
父親信虎はなぜか長男晴信(信玄)を疎んじ、
信繁を殊の外可愛がり、家督は信繁に譲りたい、とまで言いだすようになる。
こうなると家臣団も晴信派、信繁派に分かれ武田家の行く末も危ういものと思われた。
しかしこんな中、信繁は信虎から珍しい玩具をプレゼントされた時でも、
「これは兄上様のものです」
と、晴信に届けていたという。
長幼の序を守ると同時に、父に疎んじられる兄を哀れむ仁の心情も多いにあったと思われる。
仁なき忠義は心なき礼儀作法であるが、
信繁には形式化したところはなく真心からの礼儀作法であった。
後、信繁が成人した後、自ら直属の家臣たちに言った。
「信玄様は兄ではない。甲斐武田家当主だ。
間違っても我ら信繁家臣団の者たちは、
信玄様の弟直属の家臣団などと誇ってはならぬ。」
と諭し、
有名な99箇条の家訓の第一にも兄信玄への忠義をあげていることは今に伝わる通りである




160 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/27(火) 14:02:26.74 ID:3dub6oDn
なぜかっていうか、ここまで信繁の出来がいいと後継がせたくなるよなあ。
信繁が家督を継いでいたら武田家の滅亡は無かったような気がする。

161 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/27(火) 16:13:58.02 ID:tYipOkiR
可能性だけならどうとでも言える

162 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/27(火) 17:21:39.00 ID:7SKW+ANu
>>160
甲斐の国の貧困を考えたら、誰か家督を継いでも同じ。
というか、信玄だから家康ボコボコにして、信長に本気出させようとする事も出来た。

163 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/27(火) 18:02:03.20 ID:+XVPbf3Y
てか、幼い頃の晴信は信繁より劣ってたのかね。そういう逸話があるの?

164 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/27(火) 18:23:51.73 ID:aHtAteDc
貝の逸話とか賢明とする逸話が多いな>信玄

165 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/27(火) 19:30:11.01 ID:7SzPRQKk
生意気な子<素直な子だったわけですね

166 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/27(火) 19:48:42.10 ID:2Phlz4nt
どっちも出来のいい子なら、性格もいい方が可愛いわな

167 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/27(火) 20:03:56.25 ID:4VVXyXjS
信繁本人は、
「能力的に兄上にはかなわない」
と言っていたと童門冬二の本にあったよ。
ただ歴史にifはないけど、信玄亡き後に信繁いたら、
武田家の分裂をどうにか対処していた気もするな。
信濃は信繁亡き後、反乱が発生するようになった話もあるし

168 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/27(火) 20:18:02.37 ID:3j7hy7ZC
ただの優等生だと国人衆を抑えられないんじゃないのか
親父だって追い出されたわけだし、兄も苦労した

169 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/27(火) 20:36:29.48 ID:4VVXyXjS
>>168
どう考えてもただの優等生ではないでしょ
信濃はうまく統治していたようだし、
戦場でも勇敢な話が伝わってる

170 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/27(火) 21:05:36.07 ID:JblkKiXt
戦場での勇敢さも蛮勇って感じではないよね?
優等生って言い方が悪ければアクの強さがないって感じかなw
有能であることは確かだと思う
まぁ、敢えて目立たないようにしてたのかもしれないけどね~

171 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/27(火) 23:25:32.17 ID:VVj4cljf
左衛門佐「照れるやん」

172 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/27(火) 23:32:15.95 ID:AGDGBLr/
信繁のテンキューてどんな意味だったっけ?

173 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/27(火) 23:39:43.03 ID:Axa0Gn+0
典厩

174 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/28(水) 00:47:07.68 ID:slXoE7q/
左馬頭・右馬頭の唐名

175 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/28(水) 07:07:43.02 ID:wlwSe0TW
イモトとか出てるよな

176 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/28(水) 07:15:34.50 ID:G5ztUR24
たとえ信玄→勝頼でも、信繁がいれば
敵国諏訪の姫との子だった勝頼にも家中従順だったんじゃないだろうか。

てか信玄は優秀だけどなんだかなぁ。
村上義清や謙信に板垣甘利テンキュー勘助と多くの将失いすぎだろ・・。
駿府に執着するあまり後継者として認知されてた義信と飫富を失ってるし。
信玄だからこそ武田が滅亡したとも言える。


177 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/28(水) 07:55:19.14 ID:uWhTuyD7
まあ信虎信玄の親子で武田家を潰した感は否めないよなあ。

優秀でしかも特殊な性格じゃないと戦国で台頭するのは難しいのかなあ。
信長や信玄や謙信や政宗とか。

北条みたいに優秀でしかもまともな人間って結局パッとしないし。

178 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/28(水) 09:01:47.40 ID:qFyiZKB8
>北条みたいに優秀でしかもまともな人間

ギャグ?

179 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/28(水) 09:30:50.47 ID:uWhTuyD7
北条は領国経営も安定していたし領民にも慕われていた。
法や町の整備、検地もしっかりしていたし、一族や家臣もまとまっていた。
加えて城は難攻不落だし、他国との外交においても下手を打つ事もなく
関東一円では最大の勢力を誇っていた。
優秀でまともと言えるのではないだろうか。

180 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/12/28(水) 09:52:16.94 ID:lC5apNjG
勝頼が長篠の後に織田が持ちかけた和議に乗っていたら、とか
北条がもうちょっと粘って一族助命、相模伊豆の条件で和議結んでいたら、とかは
想像するのが面白い。

183 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/28(水) 11:48:55.04 ID:w54SnRVL
>>179
一行目から四行目までは、優秀であることの根拠にはなるけど
人格がまともかどうかの証明にはならんだろ?

184 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/28(水) 12:05:06.69 ID:pfUGMORd
後世の創作でなしに、まともでない話とかあったっけ?

185 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/28(水) 12:15:20.88 ID:hCXeXDtp
キ○ガイは隠しようが無いから、
そういう逸話がない=まともである
と言えない事もない

186 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/28(水) 12:21:57.15 ID:OiC/YMMG
一般的な風潮にとりあえず疑問を感じて俺かっこいいって思うタイプの人間なだけじゃね


204 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/30(金) 23:44:40.97 ID:71Ld9viu
>>158
戦国だからかもしれんけど晴信と信繁って
単なる仲のいい兄弟には戻れないさびしい関係だ

205 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/31(土) 00:36:58.28 ID:H7yZ3Oub
三好某「それが」
毛利某「大人に」
北条某「なるって」
島津某「ことさ」

武田信繁「酒と快楽は」

2011年05月26日 00:00

779 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/05/24(火) 22:20:03.54 ID:a97M207m
『人生において風流は大切なことだ。
しかし、それを快楽を貪ることと勘違いしている人は多い。
史記に、
「酒を飲み過ぎれば心が乱れる。
快楽をつくすと哀しみと虚しさがやってくる。」
とあって、左伝には、
「酒色に溺れ快楽を貪るのは毒を好んで食べるようなもので、
我が身の人生を損なう原因になるのだから、気をつけるべきだ。」
とあり、論語にも、
「善を好むことが酒色を好むほどならば、誠の人物だと言える。」
と書かれている。』

武田信繁さんの言葉です。
皆さん、酒と快楽はホドホドにw




781 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/24(火) 22:52:43.57 ID:yVbgsIcw
>>779
皆さん、酒と快楽はドボドボにw に見えた。


782 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/24(火) 22:53:53.54 ID:lWbIsX1z
>>779
いいこと言うね

783 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/25(水) 03:53:25.18 ID:Akb3OK/B
酒と女はほどほどにしとる
でも札束のベッドで寝たいお

784 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/25(水) 04:14:52.56 ID:ZJ1xku1n
氏康の「酒は朝飲め」を実践するのは難しい…

785 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/25(水) 04:36:06.83 ID:ILXWweoq
>>784
夜8時に寝て、5時起きで酒飲むんだよ

786 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/25(水) 10:22:53.03 ID:z0vnVX80
信繁公は儒書でも仏書でも出典を明かして教訓するんだよな。
自分の言葉として言っても誰も責めないだけの人物なのに。
こういうとこからも生真面目さが伝わってくる

787 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/25(水) 10:43:18.88 ID:5tjllLM0
本当にできる弟君だな 武田家は武張った一族なはずだけどこの三兄弟はみんな文人気質がある
大井夫人の影響なのか知らないけど

788 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/25(水) 15:29:38.70 ID:sJIc8+44
出来る弟が早死にして、家の行く末に影響を与えた・・・だろうという点では
三好実休に通じるものがある

789 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/25(水) 15:38:59.02 ID:gMyBJFCF
豊太閤のとこも弟が死んで誰も暴走を止められなくなった

790 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/25(水) 17:40:06.20 ID:IJfIFFY5
>>785
そうなんだよな。
連中は空が白み始めたらもう起きてて、暗くなったら速攻で寝てるんだよな。

人間が集中力が高まる7時くらいにはもう起きて2~3時間経ってて、しっかり仕事に取りかかってるし、
10時くらいに集中力が最高潮になるころには仕事は佳境を迎えてるわけだ。

理にかなってる。現代の出勤に1~2時間かかるから始業が9時とかは本来ナンセンスなんだよな。

791 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/25(水) 20:45:05.34 ID:LFcpA/Wn
>>787
一条信龍「……。」
その他弟「……。」

792 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/25(水) 21:23:52.16 ID:TS+tDwYL
>>788
信之「ええ、うちも弟が早死にして実に大きな影響がありました…本当に大変でした」

793 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/25(水) 21:33:47.03 ID:e9USBClu
お金をせびるニートが居なくなったいい話って訳ですね

794 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/25(水) 23:20:21.33 ID:sKuw/ubV
>>788
信長「できる弟でも有害なら殺しておかんと。但し甥はかわいがってやった」
直家「できる弟だからかわいがってやったのに、勝手にビクビクしよる」

795 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/26(木) 00:22:30.75 ID:wD+HKWbM
>>788
義光「よかった、死んだ弟は存在しなかったんだ…」

武田信繁「たとえ親しい者同士でも」

2011年03月16日 00:01

331 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/15(火) 09:27:35.25 ID:KQmMeH9O
武田信繁
「たとえ親しい者同士でも、淫乱にわたるような雑談をしてはならぬ。
もしも、他の者からそんな話をしかけられたなら、
こっそりとその場から立ち去るがよい。
古語に、『思ったことを全て口に出しては笑いの種となる』、というのもある。」



332 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/15(火) 10:16:55.62 ID:PYhkBdz1
それいいな 確かにそんな話題ふってくる奴はろくでもない

333 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/15(火) 10:21:27.43 ID:9J8J0rU/
こっそりと立ち去るってあたりが信繁らしいね

334 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/15(火) 11:02:35.04 ID:M1BeSJH2
猥談好きですけど控えまする・・・

室鳩巣先生、武田信繁を熱く語る

2010年11月24日 00:00

725 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/23(火) 12:58:42 ID:1C21UKU1
武田家の話に便乗してこんなのを投稿してみる

江戸中期の儒学者で、徳川吉宗の享保の改革にも参画した室鳩巣による、テンションの高い
武田信繁評がある。
どうもこれが武田信繁再評価の走りだったらしい。
それを抜粋してみよう。


『足利時代の末期、天文、永禄の頃で、真に『賢明』と呼ぶべき人は、甲州武田信玄の弟、
左典厩武田信繁なのである!!!

なのに近頃の世間ときたら武功のことばかり尚んで、徳行というものとに関心を示さないから
信玄の名は高く知られているのに、信繁の賢明さは兄の名前に隠れて世の中に知る人すらいない!
今わしが彼について書き表さねば、一体誰がこれを言い出すというのか!!

そもそも信玄は父信虎と不和で、群臣何れも信玄が武芸に長じているのを見て信虎を捨て
何のかんのあって信虎を追放した。

信虎は信繁を愛しており信玄を廃して信繁を家督に立てようとしたこと、これは信玄も含めて
皆知っていることだった。
そんな彼は間違い無く信玄から憎まれ、警戒されており、にもかかわらす国に残って信玄に仕えるとは、
自ら危難の場に身を置いたと言うことなのである。

武田信玄という人は父親を追い出すような人間であり、肉親への友愛の気持ちなど欠片も持っていない。
そうであるのに信繁が信玄に仕えて、兄弟の間に摩擦があったという話を聞いたことがない。

昔後漢の東海王強は光武帝の太子であったが廃され、光武帝に母が寵愛されたことにより新たに立太子された
明帝に仕え名臣として全うしたがそれは、そもそも明帝が考友厚い性格を持っていた事が大きいのであって、
信繁はそれとは違い、あの残忍至極な兄に仕えたのである。

それでも日々国家の重責を任され、人臣の節を失うこと無く、あの信玄から常に信任され、嫌疑を受けることもなく
最後まで兄弟一体のようであった。これは信繁の忠信、誠実さが信玄を始めとした武田家の人々を
感化したのでなければ、どうしてこうなるだろうか!?

(このあと長々と川中島での討ち死にを讃えたり普段の言動を誉めそやしているが略)

仮に信玄に社稷をおもんばかる心があって、早いうちにこの信繁を世子として立て、監国の任を
任せておけば、甲州武田家は長く滅ぼされることはなかっただろう。
それなのに昏昧剛腹の武田勝頼に跡を継がせたばかりに、信玄が死んで程なく織田氏のために滅ぼされた。
何と嘆かわしいことだろうか。』


以上、室鳩巣先生、武田信繁を熱く語る。




727 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/23(火) 13:07:07 ID:WJzUmZ63
>>725
何というか
すごく儒者っぽいですw