109 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/07/24(水) 01:50:46.96 ID:OySZ559h
千利休がまだ与四郎と名乗っていた頃、武野紹鴎の茶会に参加することを望んでいたが、ずっと
呼ばれることはなかった。与四郎は袴と肩衣をその時のためだけに用意したのだが、駄目であった。
武野紹鴎が四畳半の茶室を作った時、堺の南北の誰もが、その座敷開きに呼ばれることを心待ちに
していたが、誰も呼ばれること無く、だた「千与四郎殿に明日御茶を差し上げたい。」との使いが有った。
これに与四郎は「忝ない事ですが、明日は伺えません、明後日に参ります。」と返答した。
紹鴎は「それでは明後日お出で下さい。」と応じた。
与四郎は直ぐに夜通しで褊綴( 法衣の一種。ともに僧服である偏衫(へんさん)と直綴(じきとつ)とを
折衷して、十徳のように製した衣。)を取りに遣わし、僧体になって紹鴎の元に赴いた。
これに紹鴎は「さても、さとも」と感心されたという。
この時に名を『宗易』としたのだという。
(三斎伝書)
110 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/07/24(水) 12:02:48.51 ID:0lxTEov8
紹鴎すごいんやな
千利休がまだ与四郎と名乗っていた頃、武野紹鴎の茶会に参加することを望んでいたが、ずっと
呼ばれることはなかった。与四郎は袴と肩衣をその時のためだけに用意したのだが、駄目であった。
武野紹鴎が四畳半の茶室を作った時、堺の南北の誰もが、その座敷開きに呼ばれることを心待ちに
していたが、誰も呼ばれること無く、だた「千与四郎殿に明日御茶を差し上げたい。」との使いが有った。
これに与四郎は「忝ない事ですが、明日は伺えません、明後日に参ります。」と返答した。
紹鴎は「それでは明後日お出で下さい。」と応じた。
与四郎は直ぐに夜通しで褊綴( 法衣の一種。ともに僧服である偏衫(へんさん)と直綴(じきとつ)とを
折衷して、十徳のように製した衣。)を取りに遣わし、僧体になって紹鴎の元に赴いた。
これに紹鴎は「さても、さとも」と感心されたという。
この時に名を『宗易』としたのだという。
(三斎伝書)
110 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/07/24(水) 12:02:48.51 ID:0lxTEov8
紹鴎すごいんやな
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