(●∀゚) 「ヤバイと思ったが、欲望を抑え切れなかった」

2013年12月11日 20:12

7 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/10(火) 18:59:54.61 ID:LDkmCntm
(●∀゚) 「ヤバイと思ったが、欲望を抑え切れなかった」


慶長元年の秋のこと。

伏見の木幡山に築城を始めた秀吉に、政宗は大坂・伏見間を行き来する船として
長さ三十五間、朱塗りの御座船を造り献上した。

その翌日、政宗が登城すると、折りしも秀吉は朱糸の柄に銀拵の刀を抜いて、これを鑑賞している最中であった。


「これは信長公が惚れ込んでお集めになった備前長船光忠、二十五腰のうちの一振りじゃ、その方も拝見するか」


と政宗に手渡したので。押し頂いて拝見すると、
実に見事な蛙子丁子の刃紋である。
政宗がうっとりと見惚れていると、秀吉が声をかけた。


「どうじゃ、名刀であろう?欲しいか?」

「は!欲しゅうございますゆえ頂戴仕ります!ありがたき幸せ!」


やったぜ!          )
                 メ  ┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨
          ヘ(●∀゚)ノ
        ≡ ( ┐ノ
       :。;  /


そう言い残すと政宗、そのまま光忠を持って一目散に逃げて行ってしまったのである。
これにはさすがの秀吉も苦笑して、そのまま遣わしたことにしたという。


もっともその翌日には

政宗と太閤殿下のハートフルな交流
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-6665.html


にあるように、泥棒呼ばわりされて追いかけられたようだが・・・・・・。

8 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/10(火) 19:01:17.05 ID:LDkmCntm
かつて秀吉から秘蔵の光忠を【拝領】した政宗。

それから十数年の歳月が流れ・・・・・・・伊達屋敷に一人の若者が遊びに来た。


徳川の問題児、水戸の頼房である。

この素行不良の気がある若者に、
政宗は何か合い通じるものを感じたのか、秘蔵の光忠まで見せる歓待ぶりを見せ、

この刀がかつて信長公の差料であったこと、自分が秀吉公からまんまとせしめたこと、
政宗の手に帰してからは、唐金(青銅)の燭台の後ろに隠れた不届き者を、燭台ごと斬り伏せたので
「燭台切り光忠」と名付けたこと、などを得意げに語って聞かせたところが、

頼房もまたこの刀にすっかり魅了されてしまい、


「ぜひともこの燭台切り光忠を譲ってくだされ!」

と政宗に懇願した。

「いやいや、こればかりはお許しあれ」

と政宗が断っても、頼房はなかなか引き下がらない。

「くれ!」「やらぬ!」の押し問答がしばらく続いたのち


「かくなる上は・・・・・・御免!」


(♯●Д゚) 「ちょっ!駄目だって!」


俺もやったぜ!       )
                メ  ┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨
          ヘ( `∀´)ノ
        ≡ ( ┐ノ
       :。;  /

なんと頼房、光忠を持ってそのまま強引に逃走。
無理矢理自分のものにしてしまったのである。


皮肉にも、かつてやったことをやり返された格好になった政宗だが、
結局、燭台切り光忠はそのまま水戸家に伝来し、政宗も返せとは言わず、
そのまま長く水戸家の家宝として伝えられたということである。


『武庫刀纂』より




9 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/10(火) 19:22:49.52 ID:7EtuaJjr
逸話のせいで武庫刀奪に見えた

10 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/10(火) 19:27:03.79 ID:ZCDsaleY
弁慶みたく奪ってあつめる

11 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/10(火) 19:31:14.01 ID:uaLXwsK6
俺も欲しくなってきたからちょっと行ってくるわ

12 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/10(火) 19:37:08.99 ID:ZCDsaleY
武庫刀簒なら奪うことになるな

13 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/10(火) 19:37:34.09 ID:oH3NDXZQ
流石は天下の副将軍たち

14 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/10(火) 23:18:24.44 ID:vkKYEmy+
黄門はDQN揃いなんですか

15 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/10(火) 23:58:52.71 ID:6yLzipxY
>>7
>と政宗に手渡したので。押し頂いて拝見すると、

久生十蘭もかくやと

16 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/11(水) 08:46:46.15 ID:Fim5UwcC
ここは無理を通せる、っていう空気読むのが上手い人いるよね

17 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/11(水) 12:21:13.01 ID:PsL9Tlh/
政宗と太閤殿下のハートフルな交流←ふざけてるにしても「盗まれた」って秀吉酷いなーと思ってたら
ガチで盗んでたんだ、あのヒト・・・。

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さてさて、律儀なる若者である

2013年11月20日 19:02

660 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/20(水) 06:58:35.49 ID:KSi/G5u7
関ヶ原も既に大勢は決まり、東軍による追撃戦に入った、申の刻(午後4時頃)過ぎの事である。
藤堂家の藤堂仁右衛門(高刑)は、あまりに戦い続けたため息切れし、谷水を探し山の間に入った。

すると一町ばかり先に、武者が一人うずくまっていた。怪しく思い近づくと、それは
大谷吉継の重臣、湯浅五助ではないか。
仁右衛門はこれ幸いと、彼に向かって声をかけ氏名を名乗った
「湯浅殿!鑓合わせ致そう!」

湯浅五助は名誉の大剛とは雖も、今朝からの合戦に、負傷もし疲弊していた。
そのためか、槍を構えても下鑓になり、そこに仁右衛門は、右の高股を突くと、五助は
尻から倒れた。しかし倒れながらも咄嗟に仁右衛門の鑓を切り折った。

そこで仁右衛門は太刀を抜いて飛び掛ったが、そこで五助は声を上げた
「申し上げたいことがある!待ち候へ!」

仁右衛門が動きを止めると、このように言った

「只今山際に埋めたのは、我が主君、刑部少輔の首である。
癩病にて、その面貌甚だ見苦しく、そのためこれを隠し埋めたのだ。
そなた以外にこれを知るものは居ない。どうか必ず、人に漏らさぬよう頼み申す!」

これを聞いて仁右衛門は感心した
「さてさて、なんと忠臣であろうか。成る程、武士たるもの、誰もそのようでありたいものよ。
承知した。軍神にかけて他言すまじぞ!」

五助は大いに喜んだ
「さすがは藤堂の甥であるぞ!さらば、我が首参らせん!」

立ち上がり一鑓合わせて、そして討ち取られた。

それから仁右衛門は、湯浅五助の首を主君高虎の実検に入れた。
高虎は大いに喜び、仁右衛門を徳川家康の本陣まで召し連れて
「私の甥が、名にしおう湯浅五助を仕留めました」

そう家康に申し上げた。家康も大いに喜び、
「仁右衛門、若年ながら比類なき手柄である。ではあるが…」

家康は仁右衛門に尋ねた
「湯浅五助は其の方に、容易に打ち取れるような武将ではない。どのようにして仕留めたのか?」

仁右衛門は彼を討取った様子を申し上げた。すると家康は
「五助ほどの者が、主人である刑部の先途を見届けずに討取られるような事はあるまい。
刑部が切腹したことは解っているが、その首の行方は現在まで捜索しても未だ知れず、不審に思っている。
もし刑部の始末を五助が取り扱ったのであれば、五助は何か心にかかることを、そなたに言わなかったか?」

仁右衛門は言った
「なるほど、刑部少輔の首については知らないわけではありません。ですがその事について私は、
絶対に言わないと五助と約束いたし、その上で鑓を合わせ仕留めたのです。
只今の上意が重いものであるからといってこれを話せば、私は武士を欠いてしまいます。
この上は、不届きであると私に刑罰を申し付け下さい。」

これを聞いた家康は、機嫌よく高笑いした。そして
「さてさて、律儀なる若者である。有り体に言えば、和泉(高虎)からも抜群の褒美を与えられただろうに…」

と、彼を御前近くまで呼び寄せ、手ずから刀を与えた。そして
「仁右衛門の鑓は切り折られたそうだな。これを遣わせ。」
と、側に立ててあった鑓もまた与えた。
これらは今も、仁右衛門の家に残されている。

(平尾留書)






途中に政宗という武士が待ち受けていた

2012年12月05日 20:41

642 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/04(火) 20:32:44.12 ID:lj5ANi5x
セバスチャン・ビスカイノ旅行航海報告書(1611年)より

(この前々日、スペイン領メキシコより来航したビスカイノ一行は、江戸にて将軍秀忠との会見を
成功裏に終わらせていた)

『翌日、栄光ある聖ヨハネの金曜日、我々の使節は随行の兵に隊列を組ませ、聖フランシスコ修道院まで
ミサを拝聴に行き、この町(江戸)で成功を収めたことを神に感謝するように命じた。

つまり、陛下(フェリペ2世)に奉仕でき、日本の皇太子(秀忠)や他の人々には喜んでもらえた以外に、
死者もなく、この町にこの時期よく起きたような流血や不愉快なことは何ら起きなかったからだ。
日本人自身がこれに気が付き、使節に対し、非常に幸運な事だといった。

修道院に向かって歩んでいると、途中に政宗という武士が待ち受けていた。

政宗は奥州国の領主であり、二千人以上の兵と騎馬の人を沢山引き連れていた。
強大な領主であり、望めばいつでも八万人以上の兵員を戦闘に動員することが出来た。

彼は使節を認めると直ちに馬から降り、「私のために、使節に随行している兵に礼砲を撃たせてほしい」と、
部下に言伝で伝えさせた。彼はそれを見たかったのだ。

かくして、直ちに我等の兵が二発撃ったので、その爆音は驚き耳を覆うほどであった。
たまたま近くにあった馬は火薬の音で大混乱に陥り、主人を地面に振り落として逃げようとし、
また食料や野菜を積んでいた馬は地面に転がった。

この事態はこの紳士(政宗)を大喜びさせ、彼は死ぬほど笑った。

一段落つくと彼は使節に近づき、地面にまで届きそうなお辞儀をして礼を述べた。
『自分の家来と国をその用に具す』と言い、丁重に挨拶をして前進を始め、通り過ぎた。

このような礼節の丁重さでは彼ら(日本人)は世界中のどこの国にも勝り、特に高貴な人々にあってはそうである。』

政宗、外国使節と出くわして江戸でひと騒ぎ起こしたらしい、という記録であるw






643 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/04(火) 21:05:33.89 ID:mUQkG000
ああよかった、俺の知ってる政宗だ

644 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/04(火) 21:18:11.09 ID:O2Ntq34+
この人はいつどこであってもブレないなw

645 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/04(火) 21:20:33.62 ID:yYYl/Xuv
いつもの政宗さんですね

646 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/04(火) 21:53:25.17 ID:/KICZSw/
こいつはすげえぜ

647 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/04(火) 21:57:15.97 ID:3cNd9Dyv
別にたいした事してないじゃん、と思ったが
江戸の街中で空砲とはいえ鉄砲撃たせたのか。

648 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/04(火) 22:13:38.33 ID:3pzAUFFQ
いやーさすがっす大笑いしましたw

650 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/04(火) 23:21:34.38 ID:FykM800i
アフガンの結婚式でお祝いに銃を撃つような感じ?

651 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/04(火) 23:31:34.37 ID:Q/bj9MAf
政宗「火薬ましまし、たまぬきで(`●ω・´)」

652 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/04(火) 23:53:29.23 ID:FiynpENi
>いつでも八万人

・・・あれ?そんなに動かせたっけ?

653 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/05(水) 01:17:42.66 ID:EIqB+a1o
政宗はやっぱり政宗だな

654 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/05(水) 01:26:42.43 ID:TTtEEGZr
>>653
いわゆる盛るってヤツだろ

655 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/05(水) 01:28:34.56 ID:TTtEEGZr
>>652だった('A`)

656 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/05(水) 01:57:29.39 ID:9mr03swj
>>642
他人に迷惑をかけるのが本当に大好きだなこいつはw

657 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/05(水) 02:26:51.44 ID:MnFKf6ZI
>>654
特盛りですな。盛ったのはやはりあの人か…。

658 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/05(水) 03:31:59.13 ID:7oZ/i2bJ
>この事態はこの紳士(政宗)を大喜びさせ、彼 は死ぬほど笑った。
俺らも笑ったwww

659 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/05(水) 18:35:32.10 ID:IGvxYZE0
相変わらず好奇心旺盛だな

660 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/05(水) 19:51:46.31 ID:m2gTiIkH
四百年後の人間さえも笑わすキャラはそうそう無いぞ

661 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/05(水) 20:18:47.06 ID:9P1FqeYG
どう見ても政宗のDQNエピソードに読めるんだが
「日本人の礼儀正しさパネェ」で締めくくる書き手の感性もスゴイな

662 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/12/05(水) 21:18:38.00 ID:Qr7e9wQ/
政宗がいつも通りで安心した

663 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/05(水) 21:39:39.49 ID:/0Npa9i8
紳士…か

665 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/06(木) 01:05:39.07 ID:RTH1T+TZ
>>663

ひょっとしたら本来の意味のジェントリー(郷紳)だったりして。 戦国日本だと国人相当かしら?

666 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/06(木) 08:11:25.37 ID:7NchS0F0
>>665
国人というより土豪なんじゃ?

谷川大膳の節義

2012年11月30日 19:52

621 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/11/29(木) 20:54:38.49 ID:CYfM9YTg
前に出ているかもしれないが岩屋城に関するお話

高橋紹運の家臣に谷川大膳という者が居た。
岩屋落城前日に紹運の命を受け立花城に使いをし、
島津軍の厳重な包囲をかいくぐり岩屋に戻ったが
時遅く、城は落城し主君も切腹。
そんな事を知らない谷川大膳は門を叩くがどうも様子がおかしい。
そうこうしている間に島津の兵に囲まれ、島津忠長の陣へ連行された。

大膳は尋問を受けたが、悪びれる様子もなく姓名を名乗り
主君の命で立花城に使いした事を申し述べた。
その態度に感じ入った島津忠長は紹運の死と落城を告げ
「当家に仕える気は無いか?今まで受けていた俸禄と
おなじ分を進ぜよう」と誘った。

622 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/11/29(木) 21:03:11.22 ID:CYfM9YTg
続き

大膳はそれを聞くと
「忝い次第ですが、この期に及んでそんな望みはありません。
主君の最期に遅れ、お供が出来なかった事が残念でなりません。
そこでお願いしたい事があります。
立花城からの返書は私の首にかけてあります。
どうかこれだけは、私の首を落とした後立花城に返していただきたい。
もし叶わぬなら、首をはねた後、ご覧いただきたい。」と涙を浮かべ言った。

これを聞いた忠長は涙を流しつつ
「これぞ誠の武士である。紹運殿はいかに名将であった事かがよく分かる。
この者を殺してはならない、またその書状も見る必要はない
大切にしまって立花城へ帰られるがいい」と言って、縄を解き刀を返したばかりか
馬に乗らせ足軽数人までつけて送り返したという。

623 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/11/29(木) 21:12:41.15 ID:CYfM9YTg
続き

大膳は立花城に帰ると立花統虎に書状を返すと
切腹しようとしたので、統虎は驚いてこれを止め
「今そなたが死ぬ事は犬死に等しい。亡き父上(紹運)も喜ばれまい。
どうか、これからは余に仕え、余の馬前で死んでくれよ。」と言った。

その後は立花家に仕え統虎の兵学師範となったが
後に剃髪し、紹運はじめ戦死者を弔いながら一生を終えたそうである。

浅川聞書に伝わるお話ですが、死んだ人たちよりも生きながらえた方が
つらかったのかも知れませんね。
視点によっては良い話では無いかもしれません。




624 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/11/29(木) 21:54:11.70 ID:oQXW4n1B
生きるのも死ぬのもどっちもつらいだろ
優劣つける必要ない

625 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/29(木) 21:58:28.03 ID:5Za6BvO6
いい話だと思うよ

626 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/29(木) 22:34:39.91 ID:CG4P9gBD
>>624
そこに拘らなかったら侍じゃないと思う

627 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/29(木) 22:47:30.88 ID:oQXW4n1B
>>626
なるほど
では生きるか死ぬかどちらに理屈をつけるべきだろうか?

628 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/29(木) 23:08:08.85 ID:IJMIozKW
やっぱ島津忠長は情の深い名将だな
某SLGじゃ出てこないかモブ扱いだけどさ

629 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/29(木) 23:33:50.19 ID:CG4P9gBD
>>627
そんな難しいことわかんねえよ
ただ生きることに理屈はいらないけど、死ぬ時にに生きてて良かったって思うためには死ぬ理由はあった方がいいかもしれない
矛盾してるか

永禄9年、成田家の親子不和

2012年11月28日 19:48

509 名前:1/2[sage] 投稿日:2012/11/27(火) 20:02:32.43 ID:/gAGb3HT
永禄9年(1566)の事

成田長泰は71歳の老年と成り、子息氏長が成人したというのに、彼に家督を譲らず、常々色を好み酒に長じ、
城外に別荘を建てて、小筑という女を上方から呼び寄せ寵愛した。
家老や一門の者達、これを諌めたものの聞き入れようとしなかった。まさに老醜である。
このような状況の中

成田長泰に見捨てられた家老
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-7055.html
↑これで危うく見殺しにされかけた豊島美作守は長泰への恨みを忘れておらず、氏長、及びその母に
申し上げることには

「長泰様は老体の御身でありながらあのような無行儀の作法、御一門も他家も、嘲り疎み果てております。
この時に、私は皆々と相談し、大殿を無理に隠居させられるように才覚いたし、若殿を世に立てたいと
考えているのです!」
これに母親も氏長も同意し、豊島の計画に参画した。

そんな陰謀が起こっているとは知らず、成田長泰は梅阿弥という同朋衆一人を共とし、妾の小筑の元へ
出て酒宴していた所、成田一門家中、豊島に賛同し、重臣である小田伊賀守を始め、豊島左馬助、
別府兄弟といった人々は忍城に集結し、成田長泰を城に入れないために門などを皆閉じた。
恐るべき嫌われっぷりである。
帰ってきた成田長泰が見たものは、完全に閉じられ自分を拒絶する忍城であった。

が、この成田長泰は只者ではなかった。

彼は水落の桶が城内に繋がっていることを知っており、特殊部隊のごとくそこに潜りこんだ。
長泰に続いて梅阿弥も桶を潜った。

「大殿が桶をくぐられた!」

510 名前:2/2[sage] 投稿日:2012/11/27(火) 20:03:08.44 ID:/gAGb3HT
物見の通報によりこれを知った城内の者達は桶の口を固め、三友十兵衛というものが、桶の口で
槍を構え待ち構えた。と、潜ってくる長泰の姿が!十兵衛は一気にこれを突いた!

が!成田長泰は塚原卜伝の第一の弟子であった。彼は兵法の達者であり、桶の口から突かれた槍の刃を、
口で噛み止め受け止めたのだ!
奇妙な手応えに十兵衛、槍を引きぬく。すると

『ズザザザザザザザザ!!! スポッ!』

槍の穂先を咥えて成田長泰が、桶口から引っ張りだされた!槍で大殿を釣ってしまったのだ!
藁で穴の中の土蜘蛛釣り上げたような、あの感じである。まあこっちは釣りたくて釣ったわけではないが。
三友十兵衛はこれに当然ながら驚愕し、さらにその後から梅阿弥も出てくるとその場から逃げ出してしまった。
しかしそれを誰が攻められるだろうか?

成田長泰は、あまりのことに硬直したその場の者達を蹴散らし本丸に入り、息子長氏を発見すると
たちまちに捕らえたちどころに殺そうとする!城内の者達はこの猛獣か悪鬼のような老人(71歳)に
どう対処していいか解らず右往左往し、捕縛された氏長も死ぬ覚悟を決めた。

と、ここで長泰、何故か述懐を始めた

「しかし、氏長がこのように歳たくるまで、家督を渡さないことについて腹立するのは仕方のない事だ。
されども私は、かつて城攻めに失敗した盃尾を攻め落として後に隠居すると心に決めていたのだ。
それがあれこれと引き伸ばしに成り、このような親子の不和になったこと、口惜しき次第である…」

などと嘆きながらやっぱり氏長を殺そうとした、その時!

「まてまてまてー!!!!!」

現れたのは成田家の菩提寺・立圓寺の長老!彼はこの親子の紛争への扱いを入れに来たのである。
長老は先ず(実に賢明なことに)長泰を無理やり引き立て、立圓寺に入れた。そのお供に何故か
今回の陰謀の主犯・豊島美作守まで付き合わされた。お供の者達が「氏長様が御父君に向かって
このような例の少ない反逆を為されるなど、天道に背く行為です!」とさめざめと泣いている中、
長泰は豊島美作守に対し「美作守、お前は嘘泣きしなくていいぞ。この逆心、お前の仕業であろう!」
と言ったとか。

そうしている内に氏長が、やっぱりあんな邪悪な父親は討ち滅ぼさねばならないと軍勢を立圓寺に向けたが、
この時は立圓寺の僧侶たちが皆鉄砲・槍・刀で武装し迎撃の体制をとったため攻めこむことが出来ず、
親子の紛争は降着。ここに小田原の北条氏が介入する動きを見せたことで、成田長泰もここでようやく、
このままでは北条に成田家は併呑されると危機感を覚え、氏長に家督を譲り自らは出家した。
(關侍傳記)

成田家の親子不和、についての逸話である。




511 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/27(火) 20:18:29.37 ID:eahOQBlN
なるほど、これは落城しない

512 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/27(火) 21:19:03.07 ID:LWIGGGqm
成田記の姫武者の話もそうだが、成田関連はどうしてこうネジの飛んだ話が多いんだ

513 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/27(火) 21:20:17.46 ID:7A9ljxOf
なんと言うハッスル爺ちゃん…

517 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/28(水) 00:36:57.71 ID:FIiRvD43
>>509
素敵な坂東武者ですねえw

518 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/28(水) 08:32:18.16 ID:XcCkf9pN
>>509
結局、北条が動きを見せたことで隠居したのか
道徳心がとか武士の道がとかそんなのカンケーねぇ!って話だなw
しかも坊主が出てきても話がややこしくなってるだけだし神も仏もねー

519 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/28(水) 11:30:28.26 ID:A7PgpirE
関東は力が全てよ

520 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/28(水) 18:55:08.62 ID:sbemlcRK
無刀取りどころか槍を口で受け止める新当流の奥深さに驚嘆したw

533 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/28(水) 23:34:11.21 ID:EAL7b8Oc
>>520

真剣白歯取り
なんちゃって

永井直勝、井伊直政に異見す

2012年11月21日 19:52

432 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/20(火) 20:17:32.31 ID:fEpD3TWQ
関ヶ原戦後のこと
徳川家康より軍功のあった諸将への加増が発表されたが、井伊直政、本多忠勝にも
加増により所替えを仰せ付けられ、御書付を与えられた。

しかし井伊・本多はその加増の少ないのを不足に思い、新領地を拝領しない旨を申して
折紙を返上し、そのまま退出してしまった。そしてその事に不満を言っているのを
永井右近太夫直勝が聞きかね、直政に直接に異見した
「貴殿は徳川家の功臣であり、家臣団の中でも1,2に数えられる身であるというのに、
そのように禄を貪られるのは心得かねることである。御加増の折紙を御拝領すべきである。」

直政はこれを聞くやいなや
「永井!其の方などが存ずるようなことではない!
さほど功もない、一度与力したにすぎない大名共には大国・大領を与えられているのに、
これでは我らが、三河以来粉骨をしてきた甲斐もないではないか!無念の奉公を、恨まずにいられようか!」
そう、未だ蟠りを持っているように申し立てた。

これに永井直勝重ねて異見する
「これは直政の言うこととも思えぬ。貴殿や私のような譜代の輩は、今度の合戦の報奨について、
どのように扱われても、どうして御恨み申し上げることが出来るだろうか?
そもそも今度お味方された諸大名は、徳川家意外の恩録によって一家を立てた人々である。
そんな彼らの加勢がなかったら、どうしてこの度の一戦、御旗本の人数だけで、例え鬼神の働きを
したとしても、勝利することが出来ただろうか?

言わば、国々の大名は世間の存在である。我々は御身内である。貴殿は特に御人数も多く預かられている。
そうであれば、昔を思い返せば御恩が浅いなどと申すことは出来ない。
貴殿は上様から付けられている御人数がなければ、例え樊カイを欺くほどの武勇があったとしても、
どれほどの働きが出来ただろうか?」
直政はこの言葉に大いに腹を立て
「右近などと比較されるような、この兵部だと思うのか!?」と言い放った。これを永井はあざ笑う

「愚かなり直政!この右近にも、お主ほどの人数を預けさせて頂ければ、どうして貴殿に劣るだろうか!
小身であるから、働きも思ったようには行かないのだ。貴殿がそれほど道理に暗かったとは知らなかった。
そんな貴殿と年来交友を重ねたことが口惜しい!今後は絶交いたす!」
そう言い捨て立ち去った。

その後、直政はつくづくと考え、永井の言ったことこそ道理だと思った。
そして自分の非を悔やみ、「功に誇るのは義士の成すべきことではない。私は愚かにして、
上より下された所領を受けないというのは、畏れ多いことである。」
そう、誤りを正すことに決心し、本多忠勝にもこの道理を言い聞かせ、両人で家康の御前に出て

「以前、不足を申し上げた所領を、拝領仕るべし!」と申し上げた。
これに家康も
「尤もなり。良き了見なり」と、お咎めもなく折紙を与えた。

ここより直政は直に永井の所に向かい、彼と対面して
「以前の過言、面目のないことだった。貴殿は真実の友である。たった今私は、あなたに降参する。
どうか以前と変わらぬ、交友を続けていただきたい。」そういって文殊の茶入を差し出し

「この茶入は、あなたもご存知のように我が家第一の秘蔵の品であり、命にも代えがたいもである。
だが、今度の貴殿の厚情への感謝を、言葉で表すことはできない。せめて私の心ばせとして、これを。」

これに永井は直政の心の丁重さに感じ入り
「さてさて、以前に変わらぬ交友は、こちらからもお願いする。
しかしこの文殊は天下の重器ではないか。このようなものを受け取る事は出来ない。」
そう再三辞退したが、直政の
「この兵部の、拠ん所無い心底を見せる印である!」
との言葉に遂に受け取り、それは今も、永井の家に伝わっているそうである。
(武野燭談)

永井直勝、井伊直政に異見す、というお話




433 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/20(火) 20:56:46.19 ID:egQyUtaH
本多には言わなかったのかな

434 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/20(火) 21:09:04.71 ID:UpdhM8cs
この話は『茶道美談』にも紹介されているいい話ではないか
徳川家第一の重臣である直政に、臆せずにその非を直言する永井直勝もカッコよければ、
「功に誇りて、賞を貪るは、忠臣にあらず、義士にあらず、我れ過てり」
そうすぐに反省し「貴殿は眞實の友だ」と
命にも代え難い秘蔵の茶入を惜し気もなく渡す爽やかさを持つ直政もカッコいい

ちなみに茶道美談では最後はこう締めくくられている
「益友の一言(いちごん)は、萬鎰の黄金より貴し、井伊文林の宝器も物かは。」

435 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/20(火) 21:50:29.44 ID:45EqPW6/
永井と井伊で仲いい話

436 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/20(火) 22:31:20.21 ID:IEvQZ50K
お後がよろしいようで

440 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/11/21(水) 11:45:25.97 ID:yuZ2AsFA
>>433
忠勝「わしの手勢は500だが?」

441 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/21(水) 13:08:54.92 ID:6pAeQzF3
兵500で100の首挙げられちゃ何も言えませんがな
兵5,000で前線でバリバリやってた主力の細川隊ですら首200なのに。
おかしいですよ本多さん・・・

447 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/21(水) 20:47:20.26 ID:i3NIztTK
井伊直政は関ヶ原前に伏見城で在番期間の三倍も滞在して働き詰めで
とても疲弊しているという手紙を黒田官兵衛に送っているんだよな。
その後に足の付け根に腫れものが出来て痙攣を起こしたり
原因不明の高熱が出て生死の境を彷徨う病に倒れたために
急遽、本多忠勝が外様を率いる東海道組に加わったので小姓など500という少数部隊だったという。

450 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/21(水) 21:46:12.23 ID:FYTIsNnw
>>447
ちょっと働かせすぎだよなぁ
そりゃ過労死もしますって

家伝について

2012年11月16日 19:58

参考
紹運の恩忘れがたく
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-7022.html


428 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/16(金) 00:30:39.18 ID:rQ8ZDRBb
皆様、レスありがとうございます。
戦前、「玉砕の美学」みたいに一部のキチ軍部に利用されたことを祖父は苦々しく思っており
「何も成せない我々子孫が紹運公や岩屋城のことを他人に軽々しく自慢するものではない」という考えで
父親もほぼ同じ考えです。私自身は自慢とかではなく、
今は損得勘定でものを考える時代かもしれないが、昔はこういう人もいたのだと。
ただし祖父や父親は当然2ちゃんなど見ないので禁を犯して書き込みました。

先述した某はもともと高橋家に仕えていたわけではなく斎藤鎮実の家臣だったそうです。
紹運に姫が輿入れした際に付き随った一人だったとか。(疱瘡を罹って醜くなっても・・・の有名な話ですね)
鎮実は心からこの縁談に感謝して、高橋家に忠節を尽くしてくれとお供の者に何度も言ったとか。
この鎮実は先年、耳川の戦いで戦死していますから
某が岩屋城に籠った理由のひとつに紹運への忠節はもちろんのこと
鎮実の仇を幾分かでも返したかったというのがあるのかもしれません。
このような経歴なので道雪の話も伝わっています。
今風に言えば非常にクセの強かった御方らしく、たまにまわりがドン引きするような言動もあったとか。
在陣中(高橋鑑種討伐の時か?)、寄せ手の吉岡氏と斎藤鎮実の家臣同士のいざこざがあって
どちらも相手が悪いとなかなか引かないでいると、道雪から使者が到着
「このような時に猛々しきは大いに結構。しかしながら軍規を乱さばこの立花の敵。
立花の敵なら大友の敵。敵ならば今すぐあの城に(攻城中の城の事)入ってはいかが?」
このようなニュアンスのことを伝えられてかなり鎮実は困ったそうです。
おそらく吉岡にも伝令がw

429 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/16(金) 00:31:09.59 ID:rQ8ZDRBb
あと紹運について断片的に。
夫婦仲はとてもよく、たまに近くの寺へともに参詣していたそうです。
寡黙な御方だったそうですが、気配りというか家臣や領民の困り事はすぐに解決させていたとか。
岩屋城に籠る際も「我らも!」という多くの人を宝満城へ行かせたらしいです。
もう先の運命はわかっていたのでしょうね。
激しく攻めたてられる岩屋城を向かいの宝満城に詰めた方々はどのような気持ちで見ていたでしょう
多くの身内がいたはずですが、それを想像すると我が事のように胸が痛いです。

先述した甲冑と紹運からの書状のほかに伝わっているものがもうひとつ。
僧形の武将を中心に下に二人の武将が描かれている肖像画があります。
賛もあり快心筆とあります。確認する術がありませんが
降伏勧告の使者として遣わされた地元の荘厳寺・快心和尚の可能性もあるかもしれません。
僧形の武将は紹運で、あとの二人は左側は同じく僧形の某
右側は生前に特に親交が篤かった伊藤総右衛門と伝わっております。
もうネタ切れですのでこのことについて書き込むこともないでしょうが
長文&スレ汚しすみませんでした。





430 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/16(金) 02:00:30.63 ID:t6dSQXQO
>>428
乙です
こういう家伝の話は滅多に聞く事がないから凄く得した気分だわ

やっぱり道雪公は流石だなw
大友家には一癖も二癖もある人がいっぱいいたんだな

431 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/16(金) 02:13:05.59 ID:rlci3xn3
>>428
ありがとう。非常に面白かったし、道雪という人間を考える上でも参考になった。
道雪は異教徒の癖にフロイスにほめられてたり、興味深い人物だよね。

時に一つ質問なんだけれども、家に伝わっている紹運からの書状って、どこかで活字化されてたりする?
詳しく聞くと身バレになっちゃうだろうから、なってるかどうかだけ教えて欲しい。
大友氏の史料は、滅んだワリに残っているとはいっても少ないからね。
まだ公開されていないのであったら、是非大友研究に寄与して欲しいと思うわけですよ。

432 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/16(金) 02:54:06.05 ID:qvE7DD8g
>>413
>>428
面白い話ありがとう。
家伝の話なんて聞いたの初めてかもしれんw

しかし、この道雪伝とされるこのセリフ、

>「このような時に猛々しきは大いに結構。しかしながら軍規を乱さばこの立花の敵。
>立花の敵なら大友の敵。敵ならば今すぐあの城に(攻城中の城の事)入ってはいかが?」

いかにも道雪が言いそうで笑ったw

433 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/16(金) 03:45:38.35 ID:fFArB14/
真夜中にこんな良い話を知り、妙にアガってしまい
眠れなくなった俺にとっては体にちょっと悪い話


382 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/31(金) 09:53:03.86 ID:6m//xU86
まとめサイト見てここに来たけど
以前、高橋紹運の家臣の子孫で家伝を書き込んだ人
俺の高校時代の友人だと思う
紹運と道雪の話のやつ
俺は今、地元を離れているので長い間会ってないけど
お互い日本史好きもあって仲良かったので他人に話さないことも話してくれたし
家にも遊びに行った事があるし紹運の肖像画とかも見せてもらった
曲がった事や嘘が嫌いで確かに「サムライ」みたいな今時に少ない奴だったねw
実はスレの時代と違うけど彼のおじいさんの弟さんが太平洋戦争で亡くなってるんだけど
亡くなる1日前の日付で書かれた手紙の話も聞いたことがある
両親や兄妹への感謝の言葉と晴れやかな今の心境みたいなものが書かれてて
「国を守るために、皆様を守るため、祖霊のもとへと参ります。さようなら」だったかな
血は争えないなと感じ入って、よく内容を覚えてる
ちなみに神風特別攻撃隊だよ

紹運の恩忘れがたく

2012年11月15日 19:51

413 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/15(木) 15:50:35.83 ID:WYmcdPDJ
家伝である故に出典書はないのでスレ違いならスルーしてください。

天正12年、高橋紹運は筑後猫尾城攻略中に筑紫広門に宝満城を攻撃されるが和議を結んだ。
その戦いで某(うちの先祖)は足に重症を負い
満足な戦働きが出来ぬからと息子に家督を譲って隠居した。
その際、紹運から相続の許可とねぎらいの感謝の言葉
そしてどこで聞きつけたのか、目を患っていた妻への薬もあわせて届けられた。
某にはとても買うことができない高価な薬だったという。
天正14年、島津氏が北進し岩屋城に侵攻が目前の中
息子は宝満城へ詰めることとなったが
某はどうしても紹運の恩忘れがたく、頭を剃って入道姿になると
妻へ息子への遺言のようなものを残し岩屋城に籠ることを願った。
(このことから岩屋城の士気は高かったのだろうが、まわりからみれば絶望的な状況だったのであろう)
そしてご存知の通り、岩屋城は壮絶な玉砕を遂げた。
某の遺骸は大手門のそばで見つかったそうだが
その時身につけていた甲冑と紹運からの書状は我が家の家宝となっている。

某から息子への遺言を要約すればこのように。
「宝満城で忠義を尽くせ。家を頼む。母や兄弟を大切にしろ。
 隠居までに殿(紹運)への忠義は尽くしてきたが
 まだいただいた薬の恩をまったく返しておらぬ故にこうのような仕儀と相成った」

立花城からの援軍の面々もしかり、紹運のまわりにはこういう人間が多かったのだろう


続き
家伝について
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-7026.html


414 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/15(木) 17:40:57.53 ID:lXvY0Pro
人徳だな

415 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/11/15(木) 18:20:09.42 ID:/7LaIWeh
>>413
全然スレ違いでなく、むしろ貴重な話だと思う
家に伝わる話なんかそうそう聞けるものでもないし

418 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/15(木) 19:35:04.42 ID:iHVHX2HN
>>413
ホントに紹運って爽やかでいい話しかないなあw

427 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/16(金) 00:16:00.99 ID:agL61KHg
>>413
家宝うpうpw
は冗談にせよ、面白い話でした

俺は断じて及ばない

2012年11月14日 19:56

405 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/14(水) 17:39:52.21 ID:zHTQwAwI
道化(道家)清十郎は織田信長に仕え戦ではしばしば功を立てていた。
信長は清十郎の勇を愛し自ら無双の字を背旗に書いて清十郎に与えた。
人はこれに因んで道化を『無双道化』と呼んだ。

ところで信長が招いた美濃の士に平野某という人がいたのだが道化は
彼と親しく交わった。ある時、道化は気軽に「あなたは進めば先頭に立ち、
退けばしんがりを務めるが、どうしてあのようにできるのだ」と尋ねた。

「死を決するのみ。…ではあるが斎藤家の諸将は皆国の為に死んでしまったから
それがしは独り余命を保ってここにいる。結局は勇気が足りないのだ。今あなたの
問を受けて、恥ずかしさのあまり背中にたくさんの汗をかいてしまったよ」

道化は退くと「勇を誇らない平野殿には、俺は断じて及ばないな」と嘆じた。

――『近古史談』




神君伊賀越え、本多忠勝大暴れ

2012年11月07日 19:55

241 名前:1/2[sage] 投稿日:2012/11/06(火) 21:08:24.01 ID:y9u1DvmK
さてさて天正10年(158582)、皆さんご存知、本能寺の変である

この時徳川家康は酒井左衛門尉忠次、植村右衛門佐ばかりがお伴して、堺を見物し、
これを茶屋四郎次郎が案内として付いていた。

そんな堺の家康のもとに、本多平八郎忠勝は本能寺の変を聞きつけるや否や直ぐ様
駆けつけた。

そこでは家康は「この少人数で三河まで引き上げるのは不可能だ。ここで切腹する!」
と決意していた。

ここに忠勝進み出て
「仰るように、どの道も本道は皆、敵中であると考えるべきでしょう、しかしながら
ここで殿が御自害なさる事ではござらぬ。間道を抜けてそこから山越しに伊賀路へと出れば、
別議なく帰国できます!」

しかし家康
「そうは言うが、我らは上方に不慣れな者ばかりである、どうやって敵の知らぬ間道を
通るというのか?」

「その段はそれがしにおまかせあれ!!!」
忠勝、朗らかにそう言うとどこかに走っていった。少しして帰ってきた。誰かを引きずって

「この辺りの村の庄官を捕らえてきました!!!」

突然の拉致にガタガタ震えている庄官に
「おい貴様!ここにおられる殿のご案内をいたせ!しかしもし騙すようなら…お前を即座にぶっ殺す!」
(悪しく導き奉らば、忽に打殺す)

信長や秀吉からも最高の武士として讃えられた男からのこの脅しである。庄官は半ば魂が抜けつつ清瀧まで
案内し、「こ、この先は解りません~」と泣きながら訴えた。


242 名前:2/2[sage] 投稿日:2012/11/06(火) 21:09:17.49 ID:y9u1DvmK
これを聞いて忠勝、「ふん、仕方がない」と庄官をあっさり開放。そして「ちょっと行ってきます」
「どこに?」と思ったらまた直ぐ戻ってきた。また誰かを引きずって

「この辺りの村の長を捕らえてきました!!!」

また誘拐である

「さあ我々を案内せよ!、もし(ry」
遂に木津川まで至った。と、川を渡る薪船を二艘発見!忠勝叫ぶ「おいそこの船!こっちに来い!!」

天下無双の勇士の呼びかけにこの二艘の船、当然ながら逃げ出した。

「ほほう、こちらに船を寄せない気か。そういう事なら考えがある。鉄砲ー!!!」

船に向かって射撃開始!「船を寄せねば鉄砲で撃ち沈める!」

船の者達当然ながら驚愕し、家康一行の前に船をつけると、家康は金銀を払い積荷の薪をすべて捨てさせ、
これに家康及び共の者達全員を乗せ対岸まで渡った。この時本多忠勝一人残り、対岸まで行った船が
帰ってくるのを待ってこれに乗り、向こう岸につくと同時に、かの名槍蜻蛉切の石突で、二艘の船艇を
突き破り、「これでよし!」と先に進んだ。

こうして井出の里にまで行き玉水において

「この辺りを案内できるものを捕らえてきました!!!」

何人目かの不幸な犠牲者のおかげで宇治田原まで着く。その先を尋ねると「み、水口越は難所であり、
敵がもし人数を置けばどうにも出来ません」と言うので、多羅尾谷まで進んだ。
ここで多羅尾の何某と言う者が家康の到来を大いに喜び、我が館に是非入ってくださいと言ってきた。
しかるに酒井ら、当然ながらこれを疑い、「我々は今敵中にいるのだ。人の心も計りがたい。
いかにするべきか…」と悩んでいた所、忠勝は

「堺を出てから今日までの間に、我らはもはや、腰兵糧の他何もありません。至極難儀の時であります。
ここで多羅尾にもし殿に対する逆心があるのなら、彼の家に入らなくても我々を逃すことはありません。
何故ならこの様に疲れきった我々では、思うように働くことが難しいからです。

ならば多羅尾の折角の馳走を受けて、かの家で腰を懸けて、人馬の息を休めるべきでしょう。
なあに、万一多羅尾の態度が思わしくないものであれば、私が奴を捕らえてどうとでもしてやりますよ!」

これに一同「尤もだ」と、特に最期の一節に納得しこの家に入ると、彼は無二の持て成しをし、
これにより家康一行、疲れから回復することが出来た。家康は多羅尾に礼として自らの刀を与えた。

ここより伊賀越をし、ここで服部半蔵支配の甲賀者たちが家康のもとに参上し身辺を守り、そのため
難なく伊勢浦に到着し、ここより船に乗って三河へと御帰陣された。
(武野燭談)

神君伊賀越え、本多忠勝大暴れの一席である




243 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/06(火) 22:20:24.39 ID:bajq3D94
(アカン)

244 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/06(火) 22:45:49.82 ID:lHGmkg1G
船のくだりは見るの初めてかな。忠勝残る必要ないような。
色々と何かがアレだが一応誰も切ってないあたりが別件の四天王とは違う・・・よね?

245 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/06(火) 23:07:20.97 ID:R1nwenVc
あずみを思い出して嫌な気分になった...
あれ実話なんじゃないかな

246 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/06(火) 23:29:11.51 ID:dAtxtflh
平八さんの出てくる逸話は万事に抜かりなさすぎて主演:スティーヴン・セガールの
映画見てるような気分にさせられるな

247 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/07(水) 00:55:34.50 ID:2cin/Vnm
これぞまさしく今張飛の大活躍だな

248 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/07(水) 01:55:18.62 ID:4i4nduHn
>>247
頭の中身も張飛っぽいんだよなぁ。本多平八郎って。

250 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/07(水) 06:53:22.06 ID:XDwDyiyJ
こういう時に慌てず冷静な手段(=誘拐)を取れるってのがいいね。

251 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/07(水) 10:41:01.27 ID:UEmzXKb/
同じ逸話で「万事に抜かりない印象」「頭の中身も張飛っぽい」
どうしてこうなるんだろ

252 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/07(水) 12:15:07.80 ID:DW3pQ4EZ
開放するか斬り捨てるかの違いがあるがやってる事自体は鬼武蔵と大差無い気も…

253 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/07(水) 13:18:03.94 ID:CVlBjGwt
なんでもかんでも森長可を絡めるなよ

254 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/07(水) 13:19:49.46 ID:2NZgsIy/
大きな違いじゃないですか大きな

255 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/07(水) 13:30:07.82 ID:DW3pQ4EZ
とはいえ時系列的にほぼ同時進行ですしおすし。

256 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/07(水) 13:41:49.35 ID:/cqAsKIk
そういや最近鬼武蔵の話見かけないな。粗方ネタは出尽くしたのかな?

257 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/07(水) 18:21:14.07 ID:MXd1EikK
人攫ってもさわやかだな平八さんはw

265 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/08(木) 00:58:56.07 ID:89jc9wmL
>>251
ちょっと強引に力で解決してるあたりがまさしく今張飛って感じでかっこいいと思った

266 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/08(木) 10:57:21.91 ID:2j3I6O+V
>>265
同じく。実際躊躇していられる状況じゃなかっただろうしな。
力ずくででも安全を確保しないと。

267 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/08(木) 20:07:02.36 ID:j+XcMJcK
張飛:二人の娘が劉禅の皇后になったことを考えると、娘は美人だったと思われる
忠勝:娘が美人と伝わる
おそらく、父親には似なかったんだろう

268 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/08(木) 20:15:09.33 ID:yqc5oyur
千姫の再婚相手で忠勝の孫である本多忠刻だって美男との噂だし
忠勝もそれなりにイケてたんだと思う

269 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/08(木) 20:41:15.51 ID:6IH+EQ0J
絵師を脅して描かせたという肖像画みると、そうとは思えないが

270 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/08(木) 21:41:51.76 ID:++hr5nXk
当時の男女の美形の基準てどんなかんじなのかね

271 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/08(木) 22:09:28.05 ID:yqc5oyur
今とそんなに変わりは無いらしいよ

275 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/08(木) 23:43:44.39 ID:jRh1W7Cs
>>269
>絵師を脅して

!?

276 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/08(木) 23:47:11.88 ID:BIRB/1cl
http://ja.wikipedia.org/wiki/ファイル:Honda_Tadakatu.jpg
>本多忠勝。Honda Tadakatu. 「紙本著色本多忠勝像」関が原合戦後、描かせた肖像画。
>関が原合戦後、忠勝は争いの無い時代になり自分の活躍の場が無くなったことを嘆き、
>絵師にこの甲冑姿の自分の肖像を描く事を命じた、なお忠勝はこの肖像画を完成させるまでに
>7回~8回やり直しさせたとも言われている。
>また、この肖像画を描くときに着用していた甲冑は現在も残っている。

279 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/09(金) 00:00:47.22 ID:Mh5PjjTA
>>276
wikiに書いてなかったような…と思ったらば画像の解説のところね。気付かなかった。
書き直しさせたのか、てっきりまた伊勢越えみたいな「え?鬼武蔵?」的なエピでもあるのかとー
あー驚いた。

281 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/09(金) 00:14:18.67 ID:NrUrR7Hv
甲冑図には大抵、袖があるけど実際には無かったりする(本多忠勝・榊原康政)

283 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/09(金) 03:41:43.45 ID:Mh5PjjTA
>>279伊勢じゃねーよ伊賀だよorz

284 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/10(土) 07:44:41.60 ID:ghAmbUb8
>>270-271
150年前の土方歳三の写真を見ると現代基準でも男前
そこから150~200年前の美醜の基準だからあまり変わらないんじゃね?

酒井忠世と、神谷与七郎の無礼慮外

2012年11月02日 20:00

194 名前:1/2[sage] 投稿日:2012/11/01(木) 19:55:23.63 ID:wa9MXoK4
徳川家康の新参の家臣に神谷与七郎と言う者がいた。
ある時この神谷が城中で、当時徳川秀忠の老中であった酒井雅楽頭忠世と行きあった。
神谷はすぐに脇によって「キリッ」と礼をしたのだが、その時酒井忠世は考え事をしていたのか、
神谷に全く気が付かず通りすぎてしまった。

スルーされた神谷の心に、暗い焔が灯った

それからというものの、神谷は酒井忠世に出会うたびに無礼慮外を度々繰り返した。小学生かお前は。
ともかくこの神谷の忠世に対する人もなげな振る舞いはよほど話題になったらしく、ついに
家康の耳にまで達した。

「秀忠の重臣に対してなんという振る舞いだ!神谷には暇を出そう!」

そう言ったが、内々に神谷の行状を聞いてみると、彼は人品能く、殊更に奉公を第一に勤めている、
忠世の件がなければ武士の鏡のような男であった。

「ああいった者こそ才能を確かめつつ能く召し使われるべきなのに、ゆえなくお暇を賜るような
事をすれば、御家の諸奉公人たちはどう思うでしょう?我が身を省みて、御家に対し疑いを抱くのでは
ありませんか?
それに雅楽頭(忠世)のせいで神谷があの様なことになった、などと言われては、あの正直至極な
雅楽頭に悪名を付けてしまいます!

しかし、だからといってこのまま放置しおいては御家老の威厳が薄くなり、御家風も軽くなってしまいます。
さて、どうしましょう?」

近臣の者達、結局家康に丸投げする。『相変わらずウチの家中はめんどくさいなあ』と家康は思ったかどうか。
しかしこういう面倒くさい人間を扱わせることに関しては家康はベテランである。
ナイスアイデアを思いついた

「そうだ!今度神谷に知行の折紙(認定証)を与える時、かねてからの約束よりも少し少なめにして
渡そう。神谷はこれまでの情報を総合すると堪え性のない人間だ。ならばその様な目に合えば
きっと自分から暇を願い出るだろう。その場合他の奉公人へも影響を与えなくてすむ。
それにこれで雅楽頭が不評を被る事も無いだろう。よし、これだ!」

そういって家康は、かねての約束が千石の所を、八百石の折紙を用意し一両日中に
神谷に渡す準備を整えた。

と、これを聞きつけやってきたのが酒井忠世である。彼は家康の御前に出ると

「神谷に知行の折紙を下されるという話を聞きました。あの者は殊の外良き奉公人です。
一廉御用にも立つ者でありますから、たしかあの者への知行のお約束は千石でしたが、それよりも
多く与える事こそ然るべきと考えます!」

『またややこしい事に…』家康はきっとそう思っただろう


195 名前:2/2[sage] 投稿日:2012/11/01(木) 19:56:18.18 ID:wa9MXoK4
「いやまて、あの者は殊の外な慮外者であると聞いておる。だから八百石の折紙を既に用意したのだ。」

忠世、これを聞いて怒った
「それは以ての外のお考えです!!
あの者にそんな事をしたら、今後良き奉公人が、どうして御家に仕えることを望むでしょうか!?
ああ言う者をいかにも厚遇してこそ、勇士・能者も集まるというものです。
大御所様!ああもう、散々のご思案ですぞ!!」

家康公ボロクソである。しかし家康
「お前が言うことを一々判断する必要はない。何故かといえば、我が家において、重臣である
お主に慮外するような者はあってはならぬのだ。であるのにあの者は度々に渡りお主に慮外をいたしたと
聞き及んでおる。だからこそ、約束よりも少ない知行の折紙を与えたならばきっと暇を乞うてくるだろう、
その時暇を出してやろうと考えたのだ。そうであるので、知行増など思いもよらぬ!」

家康は個人のことを言っているのではなく、組織の統帥を考えて言っているのである。
これに忠世

「…私は御存知の通り、御家の御厚恩を以って代々召し使われている者ですが、そんな譜代の私に
新参の者が豪胆にも無礼をしてくることに、却ってその器量の深さを感じ、彼を、一廉御用の役に立つ者だと
見立てました。そして内々に調べてみても、人柄・心持ちの揃った人物でありました。
であるからこそ、この様に申し上げているのです!」

家康ももうグッタリしつつ
「…ではお前は、神谷に知行をどれほど与えようというのか?」

「二千石遣わされて然るべき!!」

「!!!???」

倍である。ついでに言えば実際に与えるのは家康である
「た、忠世くん?それなら最初の約束通り千石渡せばいいんじゃ…ないかな~?」
「二千石然るべき!!」
「えーっと、いきなり倍は与え過ぎのような…」
「二千石!」
「…」

家康がどんど追い込まれていくのを他の老中たちがいたたまれなくなったのか、話に割って入り
「じゃ、じゃあ真ん中取って1500石でいかがでしょうか!?そうしましょう!」
と、一同申し上げたことにより、家康も遂に観念し1500石の折紙をつくり、神谷を呼び出し
これを与えた。この時、家康という人の面白いところは、酒井忠世との論争を、残らずありのまま
神谷に伝えた所である。

神谷は感涙を流してこの折紙を頂戴し、城より退出するとその足で酒井忠世の邸宅を訪ね対面し、

「それがし愚かにして人を知らず、憤りを顕したこと、誠に面目のないことでした。」

そう忠世に謝罪したという。
その後神谷与七郎は働きも能く、人品も忠世が見立てた通り、実直に勤め、その後足軽を付けられる程に
出世したそうである。
(武野燭談)




197 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/01(木) 20:00:49.01 ID:aYuzkYLw
>>195
国替え後でもめんどくさい三河侍…

198 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/01(木) 20:39:37.71 ID:jLOHci8a
やっぱり三河武士はめんどくさい

でもそこがいい

199 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/01(木) 20:44:59.37 ID:c293RWN0
忠世がひたすらかっこいい話w

200 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/01(木) 22:03:40.61 ID:gJQfI2k2
千石を八百石に、のところでつい反射的に
「まさかケチりたいだけじゃ…」と疑ってしまった自分がいる・・・。

201 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/02(金) 00:54:15.29 ID:FUjAttnp
徳川名物三河者コントは実に下らん

202 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/02(金) 09:20:02.83 ID:UCB2mwtq
家康と忠世による脚本かもな
わざわざ経緯を公にして予定より多く知行することを周囲に納得させ
当人の行為を改めさせるばかりか更なる忠誠をも引き出した
上手く解決したもんだなと感心する

間野甚右衛門と立て籠もった武士

2012年10月18日 20:03

968 名前:1/2[sage] 投稿日:2012/10/17(水) 20:20:07.42 ID:g0zxDbvi
豊臣秀吉の時代の事だという

ある男が白昼に人を斬って商家に逃げ込み、そこにわずか8歳の少女が乳母に抱かれていたのを奪い取り、
これを人質にして立て籠もるという事件があった。

商家の者たちは突然の事に皆逃げ出した。この男は内から戸を閉じ少女を膝の上に伏せ置いて、
もし乱入する者が有らば即座にこれを刺し殺すという気色であった。
もとより頑是無い少女であれば、最初は大声で泣き叫んでいたが、やがて声も枯れ果て、
もはや呼吸をするのが精一杯という様相であった。

近辺の者達はその家を七重八重に取り囲んだものの、突入して少女に害が及ぶことを恐れ、
どうすべきかと徒に惑い騒いでいた。

ここに、町与力の間野甚右衛門と言うものがやってきて理由を聞くと、
「ここは私に任せなさい。こういう事は為し様というものがあるのだ」
と言って、男の立て籠もる商家の戸の際まで行き、声を発した

「中の方に言いたいことがありもうす。この戸を少しばかり開けてほしい。但し体が入るほど開けなくて良い。
これは決して貴殿を欺くものではない!どうか騒ぐようなことをしないでほしい!」

男はこれを聞くと、五寸(約15センチ)ばかり戸を開け

「内に入ること、固く無用である!」と、目に角を立て片膝をついて叫んだ。
甚右衛門、これに
「私は決して中に入らない。あなたと話をしたいだけです。」と、その場に座り
刀も下において、戸の間より自分の顔を見せた

「私は間野甚右衛門と申す者です。先ほど貴殿が人を御斬りになられたのは、日頃の宿意からでしょうか、
それともたまたまの喧嘩のためでしょうか?」

「ひ、日頃の宿意からである!」

「ほう。貴殿自ら斬られたものとはいえ、その様に忙しく逃げ入られたのでは、その斬った様子も
よく確認されなかったでしょう。
私はたった今それを見てきたところなのですが、大変良く斬られた刀傷でした。
左の肩先より右の片腹まで、背骨が少し繋がっているばかりでした。
一太刀で死ぬとも思えぬような騒動の中で、一撃で留めまで刺された腕前、感じ入るばかりです。」

甚右衛門、男の腕前をそうほめあげた。

「そ、そうであったか!」
男がまんざらでもない顔をする。すると甚右衛門

「貴殿は誠に、勇気は余りあるほどお持ちですが、知恵が足りません。」

「なんだと!?それはどういう仔細か!?」


969 名前:2/2[sage] 投稿日:2012/10/17(水) 20:20:50.02 ID:g0zxDbvi
「あなたの御敵は日頃の宿意のためであったとのこと、ならば定めて常々、これを斬ることを心がけられて
いたのでしょう。そして今日、往来にて行き合われ名乗りかけて斬られました。
白昼の、しかも往来繁多な街中ですから、これを斬った後逃れようとはお考えになっていませんでしたね?
必ず一命を捨てる覚悟で会ったと推測するのですが、いかがでしょうか?」

「そ、そうだ!全く貴殿の言うとおりだ!」

「然らば!貴殿は心中とやっている事が違うではありませんか!
今、その少女を人質に取った事は、貴殿の心を知らぬ者達にとっては、命を惜しんで行った行為だと
考えるでしょう。この家の周囲は既に、人々により十重にも廿重にも取り巻かれておるますれば、
貴殿がたとえ天に翔び地に潜っても、逃れることはできません。
されば、最期は自害なされるか、人と斬死するか、この2つ以外にはありません。

…その少女が、例え宿意あるものの子であったとしても、素より罪なきものですから、これを許すのが
当然です。いわんや、その子はただの商家の子であり、今日のことに何も関係のない者ではありませんか!
それにこのような、何もわからぬ少女を故無く刃にかけるなど、仮に他所でこれを聞けば、
貴殿は痛ましいことだと思われないか!?
これを殺すのは、拾った子猫を殺すようなものである!一体そこに、どんな武士の気概があるというのか!

とても逃れられない道に、少女を人質としたことは、せっかく宿意のものを斬った誉れも虚しくなり、
却って人々より蔑まれ、死後までの武士の無念となるでしょう。」

「そ、それは…!」

「想像するに、貴殿はよもや、汚く一命を惜しんでいるのではありませんね。
人を斬った者が居ると言われて、人々が棒を持って前後を取り囲んだ、そのため、仔細を語る暇もなく
棒に撃たれては恥辱であると思い、先ず暫くその難を避け、その後に尋常に腹を斬って武士の名を失わじと、
そうお考えになったのでしょう。

されども是非無く取り囲まれて、このように騒ぎ立てられてしまい、町人たちにこうだとも言えず、
時間ばかり経って貴殿の存念が達せられない。そのように私は考えました。
さて、そうではありませんか?いかに?いかに!?」

男はこの言葉を聞くやいなや
「そ、その通りだ!我が心情をなんとよく察してくれたものか、かたじけなく思う!」
「しからば!」

甚右衛門はその言葉に付け入った
「その少女を許してあげてください。貴殿が万一、人を斬り足りないというのであれば、こう言っている
私をお斬りなさい。私も素より貴殿に遺恨はありませんし、貴殿もまた私に遺恨がありません。
ですが斬り合いしようというのなら否とは申しません!不肖ながらいつでも、お相手つかまつります。
…よくよく分別なさいませ。」

男、この言葉に
「…さても言われたるものかな。貴殿は実に、世に稀な弁者でござる。」
そう言って膝下の少女を優しく起こし、髪をかき撫で衣の塵を払い、

「私の不心得により、非道なことに、汝の父母にまで心配をかけてしまった。」
男は少女に謝り、これを開放した。
そして甚右衛門を家の中に呼び入れ

「ならば、私は切腹いたす。…貴殿に、我が介錯を頼む。」

そう言って抜きはなっていた血刀を地に突き立てた。甚右衛門も
「天晴勇者よ。潔し。潔し!」
と言いながら戸を開いて中に入り、見事介錯をはたした、とのことである。


間野甚右衛門、立て籠もった武士を説得する。という逸話である
(武士道美譚)




970 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/17(水) 20:38:58.62 ID:2FWraWMN
エゴシネーター(交渉人)の見本となるような逸話だな。

971 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/17(水) 20:42:18.78 ID:Dy0w92CF
>想像するに、貴殿はよもや、汚く一命を惜しんでいるのではありませんね
ここが秀逸すぎる
追い詰めておいて逃げ道を用意する周到さ

972 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/17(水) 20:44:30.96 ID:Dy0w92CF
武士道美譚ぐぐったら国会図書館HPで見れるな

973 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/17(水) 23:45:50.04 ID:CgbOLxCJ
商人「事件が解決したと思ったら店の中で切腹された・・・死にたい」

974 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/18(木) 02:25:42.63 ID:o5StGxSk
>>970
エゴシネーター?ネゴシエーター

975 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/18(木) 03:50:23.04 ID:Eeo9aO87
ハヨシネーター

976 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/18(木) 08:33:50.29 ID:hxyl9XuJ
ネスゴシーター

977 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/18(木) 10:23:55.68 ID:faqCkf9Z
ガラシャミーター2
 Judgment Day

978 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/18(木) 10:33:20.96 ID:SgVQVLsq
こええよw確かに死亡フラグだが

979 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/18(木) 17:59:20.84 ID:u6xowmGR
ヨメガキータ うっきーから

「逆臣の係累」父子

2012年10月14日 19:30

829 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/14(日) 04:12:44.36 ID:QlETwww8
山田有信の祖父、有親は島津宗家より独立を図った出水の島津実久に味方し、降伏後に切腹させられた。
有信の父、有徳は島津貴久に仕えるも家中では「逆臣の子」と蔑まれていた。
そして有信自身も「逆臣の係累」とよばれ家中では白眼視されていたのだった。

しかし有信はそんな事を気にせず忠勤に励む。その結果、宗家の信頼を勝ち得て
各地の地頭職を任され勤め上げていく。
1577年には島津義久は有信を対大友の最前線、日向新納院高城の地頭に任命している。
「逆臣の係累」と呼ばれた有信だが、義久は信頼したからこそ最前線を任したのであろう。
そして有信自身、義久の信頼にしっかり答えていくことになる。

翌年4月大友の大軍4万が南下し日向に殺到、有信の居城高城も包囲され3千VS4万の
壮絶な籠城戦を戦うことになった。
籠城中に嫡男有栄誕生の知らせを聞いた有信は
「これで家が絶えずにすむ。おかげで城を枕に存分に戦い討ち死にすることができる」
と喜んだという。家中では「逆臣の係累」と呼ばれた彼だが忠義を守って討ち死にする覚悟であった。
11月まで籠城戦を戦い抜いた有信のもとに義久の援軍が到着、
耳川の戦いにより島津が九州の覇者となった。また有信自身も高名をあげている。

それから9年後、今度は豊臣秀吉の九州征伐軍を迎え撃つことになる。
このときは豊臣秀長率いる10万の軍勢を相手に籠城戦を戦い抜くのであった。
高城は主君義久が降伏するまで落ちず、義久からの使者に説得されて降伏開城と忠義を貫き通す有信。
この戦いは豊臣勢に激賞され秀吉本人から「天草4万石を与えるから直参にならないか」との誘いを受けている。
義久への忠義を尽くす有信はこの申し出を断っている。
そんな有信を義久は老中に抜擢、島津家中の最高職を任すのだった。

1609年老齢の義久が病に倒れると、有信は自分が身代わりになると自害して果てた。
病が言えた義久は有信の棺を内城に召し寄せ焼香し
「はちす葉のおきこぼしたる露の玉のおわりや君が為にすてけん」
との和歌を送っている。

「逆臣の係累」と呼ばれた男は「無二の忠臣」と呼ばれ死んでいったのである。




830 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/14(日) 04:13:54.72 ID:QlETwww8
山田有信の子、山田有栄もまた無二の忠臣である。

有栄は朝鮮出兵などで島津義弘の下で戦い戦功を立ててきた武将である。
そんな彼の主君義弘が関ヶ原の戦いのさい「我ら無人」と嘆くほど手勢が足りずに困っていた。
本国で前領主の島津義久が中立を唱え上方での参戦を禁じたからだ。
義弘の窮状を知り上京を決意した有栄は配下32人と共に義弘の下にはせ参じる。
昼夜を問わず駆け続け義弘の下にたどり着いたのは関ヶ原の戦いの2日前である。
義久はいわゆる「島津奔る」の結果駆けつけた有栄の手を取って喜んだという。
関ヶ原ではいわゆる「島津の引き口」において常に主君義弘の傍らにおり、
「軍功並ぶものなし」と言われたのだった。

そして有栄は1630年には出水の地頭に任じられている。
山田家因縁の地、出水へ出向く有栄。
曽祖父の有親が出水の島津実久に味方し「逆臣の係累」と言われるきっかけを作ってより
実に100年近い年月がたっていたのだった・・・

逆臣の係累から忠臣の係累になった親子の話でした。


831 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/14(日) 04:29:53.11 ID:QlETwww8
なんで悪い話かと言えばIDがwwwだから





戸次道雪が常々言っていた事に

2012年08月15日 20:53

79 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/15(水) 09:06:30.60 ID:/k4Ik1zx
戸次道雪が常々言っていた事に

「侍に臆病な者はいないと確信している。もしそういう者が居たら、それはその当人の科ではなく、その主人の
使い方が悪いためである。悪しき主人を頼んだばかりに、惜しいかな侍を捨ててしまったのだ。
どうしてそんな事が言えるのかといえば、私に従ってくれている者たち(申合わせ候衆)は、侍身分は申すに及ばず、
中間・小者に至るまで度々手柄を立てない、という事は無いからなのだ。
他家において臆病の名高き者たちよ、かわいそうに、私のもとに参るが良い。私のもとで指導してみたいものだ。
仮に一度目は悪くても、二度目には必ず手柄を立てさせるだろう。」

実際に道雪のこの広言に違わず、道雪の配下に度々手柄を立てないような者はいなかった。

道雪がある時、とある若き者が初陣の合戦で遅れを取ったという悪口を言われている、と聞くと、彼を近くに召し寄せ

「其の方は昨日の合戦で些か遅れを取ったようだが、武辺の事は、そういう事が有るものなのだ。それは
全く以て臆病だからではない。出来・不出来・明・塞があるのが武辺なのだ。
特に其方が臆病でないことは、私は老巧でな、能く解っている。

さあ、明日にもまた合戦がある。其方、人に煽られて粗忽の働きをして、討ち死にしてはいかんぞ!
それはこの道雪に対し、最大の不忠である!
身を全うして敵を討つ分別こそ肝要なのだ。お前のような者たちが従ってくれるからこそ、この老いぼれも
口をきけるのだよ。偏に頼み入るぞ。」

その様なことをいかにも親しく、懇ろに申し聞かし、酒など飲ませ、自身の喉輪か脇引きといった小具足を取らせた。

次に合戦のあった時、この若者は火の散るほどの働きをした。そこで道雪は彼を大勢の前に呼び出し

「この者を見よ!お前たち、この道雪が見損じることはなかったぞ!
困ったことには、この者は逸り過ぎて討ち死にしてしまうのではないかと、片面では悔やんでいたのだ。
この者は今、牙に血をつけ面白く嬉しく、また思ったよりも武功を立てるのは簡単だと思っているだろう。
こういった若者が、これから次第に経験も重なり、この道雪の家において5人7人を争う武者になることも多いのだぞ。」

と、褒め称えた。

また道雪が平時に侍を召し使っている時、客人が訪問して、その侍に大いなる仕損じがあった。
普通の主人ならばしたたかに叱りつけるか、又は追放するほどの不調法をした時、道雪は打ち笑って

「御覧になって下さい、私に従ってくれている者たちはいずれも無調法にてなんとも困ったものなのですが、
こういう事になった時には、いつでも火花が散るのですよ。」

そう言って槍を繰り出す真似をした。客はこれを見て、「侍にとってそれより他に、何が必要でしょうか?」と
深く感じ入った。
無調法をした侍は、これによって当座の恥をすすぎ、かたじけなく思い涙を流した。
(古郷物語)

戸次道雪の人使いについての逸話である。






関連
立花道雪と家臣の使い方・いい話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-245.html
立花道雪の主従・いい話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-107.html

80 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/15(水) 11:50:10.49 ID:8nFl45AV
>>79
その逸話 イイネと!君は言ったけど
三つまとめて 既出記念日

政宗と太閤殿下のハートフルな交流

2012年08月08日 20:50

886 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/07(火) 19:34:18.62 ID:ZZY5uFh2
伏見城の普請を急いでいた頃のこと。
そろそろ十月にさしかかり、日々の作業も寒かろう、
普請の大名衆には風邪をひいてはなるまいということで、
太閤秀吉より紙子の差し入れがあった。
秀吉は手ずから大名衆に渡しては労を労っていた。

さて、政宗は知っての通り物好きであった。(政宗は兼て物好きの由御諚にて)
その日も襟は紺地の金襴、袖は摺泊入りの染め物、裾は青地の緞子という
ど派手ないでたちである。
またその時は大坂御上下の御召船(原文ママ。御座船のようなものか?)を
拵えて進上したので、秀吉はたいそう喜んで忠光の脇差を政宗に与えた。

翌日のことである。
同じように秀吉が普請場へやってきたところ、政宗は昨日拝領した忠光を早速差していた。
政宗が役所で御目見得のために待っているのを見て、秀吉は小姓衆へこう言った。
「昨日、政宗にあの脇差を盗まれた。お前らちょっと行って、取り返してこい」
さっそく小姓衆4~5人が取り返すべく政宗に取りかかる。
驚いた政宗、何故か逃げた。半町くらい逃げた。
逃げたのだからやっぱり盗んだに違いない! と小姓衆はいきりたったが、
秀吉は笑って「まぁまぁ、もうよい」と許した。

またあるとき、秀吉は御所柿を差し入れに持ってきて、手ずから大名衆に渡していた。
政宗は御所柿が大好物だったので、「一番大きい柿を下され」と言った。
秀吉はそれならば、と取って返し、大きな柿を持ってきて、
「これより大きい柿はないぞ」と言って政宗に手渡した。

これを見て、近所の役所の大名衆は、政宗は遠国の大名で、
近頃奉公しはじめたばかりなのにこれほど秀吉に気に入られている。
冥加の仁である、と噂したという。

成実記にある、政宗と太閤殿下のハートフルな交流。
それにしても相変わらず、従弟殿は政宗の描写にに容赦がないw




887 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/08/07(火) 20:01:41.49 ID:jLbjAgjc
朝鮮役までの秀吉はすごいスケールなんだけどねぇ

888 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/07(火) 22:08:08.80 ID:m1DIKEeU
ふむふむ伊達殿も柿が好きと・・・φ(`д´)メモメモ...

890 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/07(火) 23:03:02.47 ID:Y8fEnYne
この時期は人たらしオーラがあったんだな、まだ

上林竹庵、籠城す

2012年07月21日 20:51

517 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/21(土) 14:55:33.12 ID:ijSPW+5s
石田三成が挙兵し、いわゆる関ヶ原の役が進行する中、伏見城留守居の徳川家康家臣・鳥居元忠は
西軍との戦いを決意し、籠城の準備を進めていた。

と、その頃宇治の茶師に上林竹庵(政重)というものがいた。
この竹庵が籠城の準備をしている伏見城にやってきて言った

「それがしこの数年来、内府様(家康)に御恩を被り奉りました。であれば、この度私もこちらに、籠城いたします!」

これには鳥居元忠も驚き、彼を説得した

「確かに其の方はかねてから当家のお茶の御用を承り、少しの知行を頂いておる。
だがそれは他の者を超えるほどの御恩というわけでは無いではないか。
そうであるのに今回ここで討ち死にすれば、其の方自身は無用なことをしたものだと言われ、また我々は、城中
無勢であるのに困って商売人までかき集めた、などと言われてしまうだろう。そうなってはお互い面目もないではないか。
とにかくそれは止めるのだ。」

そう、言葉を尽くして諦めるよう言ったが、竹庵はまるで納得せず、

「鳥居様の言うことはたしかに道理です。であれば強いてそれに反論しようとも思いません。
だからといって、先に言った一言を無かった事にして再び宇治に帰ってしまっては、それは私という男の恥でございます!
いたしかたない!ここで切腹いたす!!」

そう、顔色を変えて言い放ったので、流石の鳥居元忠も致し方なく、彼が城中にとどまることを許可した。
元忠は竹庵を太鼓丸の守備に当てた。竹庵は喜び、茶袋を集めて自分の指物にしたという。

そして8月1日、西軍の大軍勢に10日以上も持ちこたえた伏見城も、ついに落城の時を迎えた。
竹庵は兜の代わりに赤い鉢巻を着け、太鼓丸に攻め込んだ鍋島勢に一騎、突撃し、
そこで見事に討ち死にをした。
彼の首をとったのは、鈴木善八と言う者であったという。

伏見城で散った、一人の茶師についての逸話である

(関原軍記大成など)




519 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/21(土) 15:15:40.74 ID:k3vcaVJN
竹庵の男っ振りに涙。
それにしても、宇治の人が三河武士のような性格になっている…

523 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/21(土) 17:33:34.39 ID:mD428EP+
>>519
竹庵て権現様から三河の代官だか任されてたから。

524 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/21(土) 20:25:39.47 ID:W2hkamTP
上林って利休と組んでのしあがったんだっけか

尼子経久と松吉

2012年07月21日 20:51

619 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/20(金) 23:21:10.82 ID:sZLh3To0
尼子経久は領内各地で多くの勇士や腕が立つ者を募集していた。
募集に応じて多くの者が集まり、皆腕を競い合った。
その中に松吉、周りからは鬼吉と呼ばれる大男がいた。
松吉は身分の低い百姓の出であったが、六尺五寸ほどの巨躯の持ち主で、鬼のように恐ろしげな容貌を持ち
素手で木を引き抜き、槍を同時に五本振り回し、矢を十本同時にへし折るほどの怪力の持ち主だった。
だが、その豪勇の割に無口で大人しい男であり、何を聞いてもまともに受け答えが出来なかったため皆からは馬鹿にされていた。
経久はこの大男をとても気に入り武士に取り立てようとした。
だが松吉は幼い盲目の妹がいることを理由に断ったため、経久は松吉に心ばかりと米俵を与えすんなりと帰させた。
部下にはそれを咎める者もいたが、経久はよいよいと言い、小気味よさげに見送った。

何年か後、経久は松吉のことが気になって部下に調べさせたが、既に亡くなったという非常に残念な報告が届いた。
松吉が住んでいた周辺は完全に経久の勢力圏で戦もなかったため、どうしてあの豪勇の士が死んだのか
経久は疑問に思い部下に松吉のことを再度調査をさせた。
すると、松吉はその性格ゆえか村人達に非道な虐めにあって殺されたばかりかその亡骸は辱められ
盲目の妹は慰み者にされたあげくに殺されたとの惨たらしい報告が届いた。
豪勇の士を遇することを知らぬ者達のあまりの仕打ちに烈火の如く怒った経久は、即座に虐めの首謀者らを捕らえ打ち首にし
その首を松吉の墓前に供えて霊を丁重に弔ったという。




620 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/20(金) 23:39:47.20 ID:o43kAeLP
>>619
後味悪すぎる・・・

松吉には少し障害があったのかな
今も昔もくだらないことで虐める奴いるんだな

621 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/20(金) 23:48:30.63 ID:TC8d8MTi
大津市もちょっとは見習っとけよ

622 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/20(金) 23:53:18.29 ID:w5QRtuDg
>>619
毛利元就「同時に折る矢は二本までにしてくれないと…」

623 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/20(金) 23:59:47.50 ID:vctJrax/
>>622
山中鹿之介「この豪傑さえ十勇士の仲間に入っていれば
毛利の三本の矢など折れたものを」

624 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/07/21(土) 00:51:51.08 ID:MziHLxEh
ちょうど10本!
隆元、吉川元春、小早川隆景、穂井田元清、元秋、出羽元倶、天野元政、末次元康、秀包、二宮就辰

625 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/21(土) 01:09:41.57 ID:GcOViNkz
弓になりきれなかった人物までいれるのはどうかと思います

626 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/21(土) 01:13:12.50 ID:GcOViNkz
やだ…、弓じゃなくて矢だったわ…

627 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/21(土) 02:15:25.60 ID:mD428EP+
あらヤだわぁ

628 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/21(土) 03:06:46.68 ID:93gflo4f
経久さんに大津市長やってもらいたい

629 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/21(土) 03:09:09.56 ID:mD428EP+
ダバオ市長じゃねぇんだから…

630 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/21(土) 07:12:08.70 ID:A8CF7d2X
たしか経久は木を引き抜ける者を別にもう一人雇っていたな。
木を引き抜くのは定番の試験だったのか?

631 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/21(土) 08:23:56.75 ID:U/bKkmPx
じゃがいもですら引き抜くにはそれなりに苦労するというのに

632 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/21(土) 09:25:12.91 ID:TIG6DBQO
経久さま△

633 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/21(土) 12:57:43.05 ID:l/Mg6B08
それでは経久さまさんかっけー、になるのでは

634 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/21(土) 13:08:06.99 ID:H4RvnM2W
豪勇の士を遇することを知らぬ者とかそんな生やさしい物じゃないな
人の心を持たないクズ野郎共だ

635 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/21(土) 15:54:39.65 ID:k3vcaVJN
非常に痛ましい話だけど、きっちり仕置きした経久様GJ

636 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/21(土) 16:06:39.17 ID:qltYteDD
人の心があるからこそ恐怖心から退治したし復活しないよう死体に凌辱を加えたのだろう

名ドラマー伊達政宗、その師匠の名を…

2012年07月20日 20:52

464 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/19(木) 19:09:44.51 ID:ZiRg7sap
本願寺門跡が公卿や大名を招き、猿楽興行を催した時のこと。観客には前もって演目表が配られたが、
それを見たある大名が言うに、

「ふむ・・・この演者の組み合わせなら、『杜若』の曲の太鼓はオレがやろう。」
「!? だ、伊達殿、それは・・・」

プロの楽師を押しのけ、自分が一曲太鼓を叩くと言い出し楽屋裏に入り込んだ伊達政宗に、主催者は狼狽、
観客はみな(また伊達殿のなさることよ)と眉をひそめた。

ところが意外や意外。曲目が始まるや、政宗の太鼓は序・破・急の理にかなうばかりか、逆に楽師たちのほうが
政宗の拍子に誘われる形で、一曲を見事に奏でてのけた。演奏を終えて戻ってきた政宗を、門跡は絶賛した。
「いや、驚きましたぞ!伊達殿がこれほどの芸をお持ちとは・・・」

「フフン、今の『杜若』はもちろん、『獅子』『姥捨』などの秘曲であろうとも、その辺の楽師では
オレの片腕のバチさばきにも足りますまい。」自慢げに答えた政宗は、しかしタメ息をついた。

「・・・とは言え、オレの師匠は太鼓に限らず、数多の芸に通じると有名だったが、己が芸を一生自慢することの
無い人でした。こんなマネや放言をせねば、それと知られぬようでは、オレの太鼓も人柄も、まだまだ師匠の足元にも
及ばぬということでしょうな。」(関原軍記大成他より)


名ドラマー伊達政宗、その師匠の名を細川幽斎という。




465 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/19(木) 20:15:50.90 ID:CO0UcwPx
人柄の方で師匠を超える気は全く無いだろw

466 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/19(木) 20:31:58.89 ID:v/MZOqfB
いかにも逸話然とした話ではあるけど
なんかこう、プロデュース能力で売れたアーティストが実力派に対して抱く劣等感的な妙なリアリティがw

政宗の場合はただの神輿じゃなくてセルフプロデュースだからそれはそれで大したもんなんだが
案外繊細な所あるし審美眼は持ってるだけに、ふと我に返ってこんな心境になることもあったかもねえ

467 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/19(木) 20:36:31.92 ID:FQYaFi2F
ま~君はなんだかんだ言って繊細でいろいろ面倒臭そう…
三歳さんは嫁以外のことではブレない感じ
まぁ、嫁のことでもブレてはないけどね

468 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/19(木) 21:22:14.56 ID:xvE5VkqM
まぁ師匠超えるのは無理だから。

芸事で幽斎さん超えるとか頭の回転で官兵衛超えるとかは無理ゲー
むしろ政宗はそいつらを親に持ってなかったからそんな慨嘆で済んだ

469 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/19(木) 21:31:15.43 ID:v/MZOqfB
>>468
親が内面的な円熟期を迎える前に自ら葬りました

470 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/20(金) 00:41:49.82 ID:iayw3Lcq
和歌に剣術に・・・数えきれない

471 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/07/20(金) 00:43:41.65 ID:Hg0l0HvR
DQN眼流「あっそうだ!師匠の事好きだから九曜紋の家紋ちょうだいね。忠興!王義之の書を半分やっただろ」

472 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/07/20(金) 00:48:06.65 ID:Hg0l0HvR
芸のデパート 細川幽斎
DQNのデパート 伊達政宗

473 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/07/20(金) 00:49:53.69 ID:Hg0l0HvR
手紙のデパート 細川忠興

474 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/20(金) 01:10:39.66 ID:2yROda39
側室のデパート 島津家久(悪)

475 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/07/20(金) 01:19:03.64 ID:Hg0l0HvR
SATSUGAIのデパート 森長可

476 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/07/20(金) 01:20:33.46 ID:Hg0l0HvR
裏切りのデパート 武田信玄

477 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/07/20(金) 01:29:51.75 ID:gtPt/EJX
滅亡のデパート 日根野弘就

478 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/20(金) 01:33:52.70 ID:2yROda39
乗っかってなんだけど、Hg0l0HvRは少し落ち着いたほうがいいと思う

479 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/07/20(金) 01:56:23.39 ID:Hg0l0HvR
すみません、書き込み新参でよく分かってなくて

480 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/07/20(金) 02:07:39.59 ID:13YGG14u
芸のデパート 細川幽斎
食品売り場 伊達政宗

ネタ・もう手遅れですわ

2012年06月25日 20:59

89 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/06/24(日) 20:20:12.48 ID:ei++JYwN
意訳:これは手遅れですわ

90 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 20:21:08.91 ID:ei++JYwN
ごめん、誤爆

91 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 21:00:41.28 ID:L7BEoLx5
>>90
忠興「もう手遅れですわ(意訳:36人目です)」

92 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 21:02:47.21 ID:KNx+oA6x
>>90
長可「もう手遅れですわ(対岸の一揆衆を掃除中)」

93 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 21:06:17.09 ID:isvpIpSG
>>90
一豊「もう手遅れですわ(相撲大会実施中)」

94 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 21:14:39.69 ID:PCMdbXAz
>>90
直家「もう手遅れですわ(そのお茶飲んだのなら)」

95 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 21:16:19.61 ID:2998xCUq
如水「長政よ、もう手遅れだ(お前の左手は何してたんだ)」

96 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 21:17:28.28 ID:8pgh7s4d
>>90
一益『もう手遅れですわ(清洲会議)』


97 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 21:20:49.71 ID:PCMdbXAz
>>90
久秀「もう手遅れですわ(意訳:君も一緒に木っ端微塵です)」

98 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 21:33:29.08 ID:KNx+oA6x
長益「もう手遅れですわ(切腹しとけ、俺は生き延びるけどね!)」

99 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 21:36:56.08 ID:9MqWAdn9
>>90
九鬼守隆「もう手遅れですわ(嘉隆切腹)」

100 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 21:49:12.24 ID:DJqQQ3PP
元就「もう手遅れですわ(うっそで~~す!戦闘準備!戦闘準備!)」

101 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 22:03:27.95 ID:2bQdFUfL
(´・ω・`)「梵天・・・」

102 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 22:11:14.87 ID:L7BEoLx5
義昭「まだ手遅れじゃない、まだまだ(於 天正十四年)」

103 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 22:18:44.21 ID:zf7Fgzes
秀忠「もう手遅れですわ(中山道にて)」

104 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 22:45:52.73 ID:G4W9ko1k
信長「もう手遅れですわ(本能寺にて)」

105 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/24(日) 23:02:24.62 ID:u4KHU94P
菅谷「殿もう手遅れです。藤沢に引きましょう」

106 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/25(月) 10:51:52.31 ID:Wsnr87z4
蒲生っておくれですわ(蒲生氏郷)


107 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/25(月) 14:41:31.98 ID:9OpKfu3I
三成「もう手遅れですわ(裏切り続出)」

108 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/25(月) 16:25:30.39 ID:qJDtjjQY
家康「もう手遅れですわ(焼き味噌)」

109 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/25(月) 16:37:18.49 ID:1B8sxJ+d
光秀「もう手遅れですわ(信長への引導的な意味で)」

111 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/25(月) 18:27:53.93 ID:+eCRuhDv
内ヶ島「もう手遅れですわ」

112 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/25(月) 18:49:28.38 ID:Wsnr87z4
島津・加藤『もう手ぐすねですわ』(宗茂へのラブコール)

113 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/25(月) 18:50:16.61 ID:bKPjUPGr
且元「もう手遅れですわ(方広寺鐘銘事件)」

114 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/25(月) 18:58:46.66 ID:iVnGGrGo
特にこれといった逸話が紹介されてないのに悪い話スレを一周遅れにしそうw

115 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/25(月) 19:04:29.87 ID:YnBikQWY
輝元「(人妻誘拐の件)ごめんなさい」
隆景「もう手遅れですわ(鉄拳制裁決定!)」

116 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/25(月) 19:07:14.13 ID:boJI4vlX
元康・宗茂「もう手遅れですわ(大津城で足止め)」

117 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/25(月) 20:51:20.66 ID:XSPdJ4UF
なんだこの流れはw

118 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/25(月) 21:25:50.81 ID:EQh3PZnK
もう手遅れですわ(流れを指摘するには)

119 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/25(月) 21:56:42.48 ID:Wsnr87z4
安西光義『もう手遅れですわ』

120 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/25(月) 22:29:28.53 ID:jHFxV7Ob
誰かと思ったら安西先生かw

121 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/25(月) 23:44:18.84 ID:9OpKfu3I
義政「もう手遅れですわ(京の都)」
秀次「もう手遅れですわ(切腹寸前)」


義姫「(政宗に向って)もう手遅れですわ…」
政宗「(薬を飲んで)まだだ、まだ終わらんよ!」
小次郎「もう手遅・・・ぐふっ!」

122 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/26(火) 00:00:39.89 ID:hXV0Xb2J
いい加減この流れに秋田城介

128 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/26(火) 01:26:22.19 ID:SASjBcuC
>>122
もう手遅れですわ

考えをまとめた源藤は大声で叫んだ

2012年06月18日 21:02

933 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/17(日) 21:42:27.73 ID:JSQOw38f
井伊直政と柏木源藤の話が出ていたので。

関ヶ原にていよいよ勝敗は決し、西軍の島津勢もいよいよ退却を余儀なくされた。
このとき徳川家中随一の猛将、井伊直政は「我こそ義弘を討ち取り家康公の命に沿わん」と
赤備えを率いて猛然と追撃を開始した。
島津の槍衾を払い除けていよいよ義弘に肉薄せん、と言うときに彼を狙撃し落馬せしめたのは
島津家中の柏木源藤なるものであった。

『わが殿を落馬せしめるとはいったい何者だ!』
彼の名乗りを待つ井伊勢であったが源藤は沈黙したままであった。

彼は島津家重臣(川上四郎兵衛)の郎党であり、
直接名を名乗るのは憚られる身だったのである。

だが、敵方の大将を打ち倒しておいて名乗らないわけにも行かない。
そこで源藤、必死に考えた。
(いきなり「我こそは柏木源藤!」と名乗ったのでは主家に憚りがある…
 あ、そうか、自分が仕える主人の名前を明らかにした上で俺の名を名乗れば問題は無いな。
 「我こそは川上四郎兵衛が家臣、柏木源籐」よし、これでいこう!)

考えをまとめた源藤は大声で叫んだ
「我こそは川上シロンペロン家臣、柏木源トツ!」

…噛んじゃった。

残念ながら訂正は認められず、彼は復讐に燃える井伊勢から追いまくられ
先に槍衾を作っていた仲間たちと合流して戦場を落ち延びた。

その後、義弘の供をして薩摩まで無事に帰還した彼だが
徳川四天王の一人を落馬せしめる、と言う武功とともに
先の名乗りを噛んじゃった件も薩摩に広まり、今日まで郷土資料に記されているのである。
(ホントに書かれてます)




934 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/17(日) 21:48:43.70 ID:mL/q+3ri
そら出家するわ

936 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/17(日) 21:57:50.79 ID:LTcchILE
薩摩まで逃げ帰ったのってホントのとこは50数名と聞いたが

956 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/18(月) 12:52:11.75 ID:fzPe/Sjj
>>933
やばい
川上シロンペロンがツボに入りすぎて笑いが止まらない

989 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/19(火) 10:52:11.99 ID:O9emiSuV
>>933のシロンペロンの逸話と似たような導入で、その場で主から賜った名を名乗って
敵味方から讃えられたっていう話がありませんでしたっけ?
まとめを検索しようにも人物名がわからなくて…よろしければ誰のエピソードだったか
教えていただけませんでしょうか?

991 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/19(火) 17:39:29.32 ID:oziJlSVj
>>989
これかな
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3980.html