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母里太兵衛「富士は絶対に、福地よりも高く無い!」

2015年10月14日 10:51

476 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/13(火) 22:08:45.62 ID:yCbNHJnB
母里但馬の欠点といえば、何事であっても黒を白と言い出し、それが実際には黒であると解っているのに、
白だと一度言い出した以上、後から黒だと言うような奴は武士ではないと,事々に強情であった。

例えば、江戸に下る途中、浮島ヶ原で砂の上で朋輩多数と酒、茶などを飲みながら休息していたところ、
ある者が言った

「富士山は、遠国から聞いていたよりも高山ですね。最も名高き山ですが、初めて見て、
なおさら驚きました。」

これを聞いた但馬が言った
「いやいや、悪しく見ているぞ。私にはそれほど高山には見えない。
我らの居城の上にある、福地獄よりも低く見える!」

一座の者達さすがに呆れ
「それはお目違いです。福地獄を10重ねても富士ほどにはなりませんよ。」

この反応に母里但馬、激怒
「さては各々、この但馬を盲目のように思っているのか!?念も無いことだ。
富士は絶対に、福地よりも高く無い!私はこれに首をかけても良い!!」
そう苦々しく言い放った。

場の者たちは『この人と首をかけるなどとても出来ない』と思い、
「お、仰せのごとく、よくよく見てみればあまり高山ではありませんなあ~」
などと追従を言うと、但馬はそれを真実と信じ、その後一生、福地獄より富士は低いと
申し続けていた。
但馬はこのような作法の人間だったのである。

勿論後年になると、但馬も福地獄は低いのだと気がついていた。だが一度言ったことを
言い換えてはならないと、一筋に思い定めた故に、そう言い続けたのだ。

(古郷物語)



477 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/13(火) 22:39:16.83 ID:jii0V7Rn
福地獄って何かと思ってググったら福智山(標高900.6m)のことなんだな

478 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/13(火) 22:39:30.11 ID:WU7xlnZr
母里といい加藤家の森本儀太夫といいめんどくさい奴だな

479 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/14(水) 00:34:25.15 ID:75RVYpNh
「福・地獄」じゃなくて「福地・嶽(岳)」か、なるほど

480 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/14(水) 00:36:12.47 ID:4LAiKk4r
学がない奴って素直に負けを認めたがらないんだよね

481 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/14(水) 00:46:08.53 ID:K1ryeOoK
10重ねたらさすがに富士山超えるな
海抜基準かどうかはともかく

482 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/14(水) 01:03:17.34 ID:VVKAyTPU
鶴の一声って言いますし

483 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/14(水) 10:39:47.35 ID:GQyrZA7n
天邪鬼&強情....。
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納屋小左衛門の決断

2015年09月06日 13:55

674 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/05(土) 19:22:15.26 ID:FljfpJkN
関ヶ原の役が勃発した時、大阪の黒田長政の屋敷には、その母と妻が残されていた。

つけ置かれていた家老の母里友信と栗山利安は相談し、母里が医者に行くと見せかけ
その乗り物に密かに両人を乗せ屋敷の外の宿に潜ませた。

その夜、船に載せようとしたが、船までどうやって両人を遣わすか、方法がなく困り果てた。
最初は彼女らを俵に入れ、粮米に紛らわせて船に載せようと考え、二人を俵に入れたのだが、
暑気甚だしい頃であったので「息が切れる!このように苦しいのならいっそ刺し殺してほしい!」
と声高に泣かれ、母里も思案に苦しみ、『このような事で大阪方に露見するのも口惜しい事だ。
二人共に害し、腹を切るべきか…』などとも考えたが、『いやいや!出来るだけなんとかなるよう
才覚せねば!死ぬのは全て叶わなかった時だ!』と思い直し、宿の亭主に相談することにした。

相談の結果、櫃の中に両人を入れ、夜に紛れて茶船に乗せ、そこから本船に移す。仮に大阪方の警備に
見咎められればその時のことだ、と決まり、すぐさま出発の準備を始めた。
亭主も共に出発しようとするのを、母里が止めた

「私は主のためであるから、捨てて惜しまぬ命である。二人の女房衆にとってはいたわしい事だが、
侍の妻子として生まれた以上、これも生前の因果の道である。
しかし、其の方は町人である。黒田家に対して殊に日頃の恩があるわけでもない。
我らと同じように相果ててしまっては気の毒千万である。

この宿の門まで出て見送ることも無用だ。もし我々が見つかり、咎められても、決してこの宿のことは
人に知らせない。であれば、ここに難儀はかからないだろう。」

そう申し聞かせたが、宿の亭主は言った
「日頃、黒田様のお屋敷に出入りし、久しく御恩を被っていた奴原が、今回お頼みしても
御宿を仕ろうとせず、他人のようなふりをしているとのこと。畜生とも言い難い所業です。

私は近年御台所にも罷り出て、似合いの御用を仰せ付けられるように成りました。
尤も甲州様(長政)からお言葉をかけて頂いたことは未だ有りません。ですが、
私をお頼みにされた栗山様の一言が打ち捨て難く、この事お受けし、一命を捧げたのです。

あなた様がどれほど止めようとも、本船までは、私はお供仕ります!」

そう言い切ると母里よりも先に外に出たため、母里も力及ばず、彼の同行を許した。

この亭主は納屋小左衛門といって、堺の納屋一党の者であった。母は浅野殿の家来、丹羽大膳という人の
娘だそうだ。丹羽大膳と言う人は、その勇ましさ人に聞こえのある人物であった。

亭主の物を切ったような決断は、なかなか筆にも詞にも為し難い。

(古郷物語)




675 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/06(日) 03:58:43.39 ID:NfWTuxJ9
「納屋小左衛門は男でござる」
小左衛門の頑とした決意に打たれた母里太兵衛は、彼の船までの同行を許した

そして明日の乗船を控え、小左衛門宅で一夜を過ごすこととなった黒田家主従であったが、
太兵衛は今生の最後にと、昼に目をつけていた女中の部屋に夜這いをかけた
部屋の中に忍び込み、布団の中に身を潜らせた太兵衛が相手の股間に手をやると、思わぬ叫び声がこだました

「納屋小左衛門は男でござる!」

676 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/06(日) 07:45:20.20 ID:HQXPEQKJ
忠臣蔵の天野屋利兵衛のセリフだし
そのジョークも天野屋利兵衛であるし

677 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/06(日) 16:18:31.37 ID:fp5VtXEX
>>675
これは実につまらん。>>674がかわいそう

信長の鞍馬

2014年07月18日 18:51

318 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/17(木) 20:28:21.67 ID:P0EZJS5G
羽柴秀吉の中国攻めの中で、ある城を攻めた時のことである。
この時、秀吉配下の黒田官兵衛家来、母里太兵衛友信が一番乗りをし、これに羽柴軍は
勇を得て進み、城中が油断していたこともあって即座に攻め落とし、城兵尽く討ち取った。

さて、この戦果が信長に注進されると、信長は「彼の地が手に入ったのは秀吉の働き故である。」
と大いに喜び、褒美として秀吉に、鞍置きの馬を遣わした。

しかし、これを頂いた秀吉は
「今度の城攻めは、偏に孝高(官兵衛)の働き故である。」
と、鞍馬を官兵衛に与えた。

しかし、これを頂いた官兵衛は
「この度の戦功は、偏に太兵衛の一番乗りの功によるものである。であるからこの鞍馬は
私が拝受すべきものではない。」
と、これを母里太兵衛に与えた。

この鞍は、太兵衛の子孫に今も伝わっている。

(黒田家臣伝)

信長から秀吉への褒美が太兵衛の元に至った過程である。




大友義統の降伏

2014年07月08日 19:00

644 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/07(月) 20:28:43.34 ID:GvJF/riw
慶長5年(1600)9月13日、豊後国速見郡石垣原で、西軍である大友義統の軍と、東軍の黒田如水の軍とが
戦った石垣原の戦いが起こり、大友軍はこれに打ち負けた。


翌14日、如水は義統の籠もる立石に押し寄せると、軍勢の配当を定め、先陣は母里太兵衛(友信)となった。
この時、義統方は昨日の敗戦により多くが逃亡し、残っている人数は800人ばかとなっていた。
黒田家の家老たちは「この軍勢で速やかに攻め寄せ、大友を討ち果たしましょう。あの有り様に成り果てても、
もし時間を与えては、また難しいことになるでしょう。」と申し上げた

しかし如水はこれを聞くと
「いやいや、合戦は無用である。扱いをかけ、大友を降参させて、生け捕って京都に送るべし。
先年、私が筑紫に下国してきた最初から、義統とは別して良い関係であった。今になって敵になったからと
いって、私の方に恨みがあるわけではない。また、今無勢になったからといって、情けもなく飼い鳥を殺すような
真似はしたくない。

それに、大友がいくら弱いと言っても、討ち果たすほどの戦いをすれば、味方にも損害が出る。
今回の戦争は今度に限ったものではなく、何時まで続くかわからないのだから、何としてでも
手勢を損なわないようにしなければならない。

母里太兵衛、扱いをしてみよ。『今日のうちに和議が整わなければ明日押し寄せ一人残らず打ち取る!』と
義統か田原紹忍(親賢)を強かに脅すべし。脅せば必ず降参の詫び言をするであろう。

昨日討ち取った者達は、大友家では名のある勇士達であった。しかし、かの家で身分高い者達のうち、
紹忍の首だけが見えなかった。彼は日頃臆病の名高き者であるから、紹忍方に申し使わせば、
必ず和睦に同心するであろう。物慣れたる者を使いとして、早く申し遣わすように。」

そう命じたため、太兵衛より使いを遣わした所。案の定紹忍は同心して義統に降参を勧めた。
大友義統も今や叶わぬと思い、使者を母里太兵衛の陣まで遣わし、降参を乞うた。
如水はこれを聞くと「降参のこと、一段と然るべきことです。内府(家康)へは良きように
申し上げますので、きっと罪もご赦免あるでしょう。残された士卒皆々の命は助けます。
ですので早くこちらに出てきてください。」と申し遣わした。

かくて大友義統は剃髪の姿と成って、主従10人ばかりにて、9月15日の早天、密かに母里太兵衛の陣屋へ
降伏した。残党たちは思い思いに落ちて行った。

(黒田家譜)

黒田家譜より、大友義統降伏の模様である。



645 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/08(火) 19:52:37.87 ID:sx1Vv9RD
>>644
これは官兵衛のいい話じゃないのか?
黒田家譜にしては現実的な。

646 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/08(火) 20:02:58.14 ID:c9kq5T7b
田原紹忍ってまだ生きてたんだ
とおもったらこの1ヶ月後戦死か

母里太兵衛に十五本の抜身の槍を

2013年12月21日 18:03

916 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/20(金) 19:45:43.42 ID:qxAnJEv4
天正20年(文禄元年・1592)、朝鮮への出兵を命じた豊臣秀吉は、3月25日、京都を出立し、
その夜は播磨国茨木に宿をとった。そして奉行に命じて、諸々の士卒、下人、水手に至るまで、
48万人分の兵糧を緒軍に分配した。

黒田如水はこれより以前、既に豊前を息子の長政に譲っていたため、今回は諸将とともに軍勢を率いて
渡海することはなかったが、彼は秀吉の帷幄の謀臣であったため、名古屋の幕下に留め置かれ、
軍の計策・評定に加わっていた。

この時、黒田長政の家臣である母里太兵衛に、秀吉がこのような言葉をかけた

「昔、中国四国、九州の先陣として、数度にわたって勘解由(如水)を派遣した時、その勘解由の
先陣は、いつも太兵衛が勤めていた。その上合戦のたびに、一度も遅れを取ることはなかった。
お前の数々の戦功には、感じ入る次第である。

そして今また、朝鮮に先手として甲斐守(長政)を遣わし、太兵衛もその共を仕るという。
であれば、これまでの戦功に対し、そして今回もその忠勇を励ますため、天下に隠れないほどの規模の
褒美を与えよう!」

そう言って、抜身の鑓十五本を与えた

「これを、今後毎回、出陣に際して持つことを許そう。朝鮮に渡海すれば、これにて手柄をいたせ。
かつて織田信長公はそのお供に、抜身の大太刀を百振持たせていた。それは大変威勢のあるものだった。
太兵衛も、抜身の槍を十五本持たせれば、なお武名を顕すだろう。」

母里太兵衛は元より勇士であったが、今回秀吉によってその名を表され、さらに類なき御恩賞に預かり、
御領地をいかほど貰うよりも勝るものだと、かたじけなく思ったという。

(黒田家譜)

太閤秀吉、母里太兵衛に十五本の抜身の槍を与える、というお話。




917 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/20(金) 19:58:31.89 ID:rCsAE7D7
名古屋→名護屋

918 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/20(金) 19:59:28.86 ID:JkcNTlMY
(どうやって持って帰ろう…)

919 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/20(金) 20:03:45.29 ID:Ix0EMOIv
日本号一本の方がありがたい

920 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/20(金) 21:05:53.53 ID:Dl5YEsqb
摂津国の茨木かな?

921 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/20(金) 23:58:27.52 ID:e5TxBGZe
いかな名物とはいえ、槍を十五本も貰ってもしょうがないよなw

>>920
京を出立したその日のうちに播磨に入れるとも思えないし、
播磨に「茨木」って地名があるなんて寡聞にして聞かないから、
多分そうじゃないかな?

922 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/21(土) 00:09:40.78 ID:NiAQdOkr
母里勢十五人に持たせるための十五本の槍でしょ

923 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/21(土) 00:15:26.65 ID:w8e5ssZF
母里の槍はスペツナズナイフみたいに穂先が射出できるようになってるから15本必要なんだろ。

母里太兵衛、不仲の井上周防に

2011年07月15日 23:16

602 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/15(金) 03:36:44.22 ID:w4WKCjbm
母里但馬と井上周防と言えば古くからの黒田家の重臣であったが、
この両名、実に仲が悪かったという。

ある時のこと、母里但馬の屋敷にて人々集まり武辺話をしていたとき、但馬がこんな事を言い出した。

「周防は名人臭く、みたくもない分別面も甚だしい者であるが、先年豊後石垣原(関ケ原九州戦線での
大友氏との戦い)では一人狂言をしたよ」

人々、但馬と周防が仲の悪いことを知っていたので『またいつもの悪口をいうのだろう』と困っていると、
その中の但馬と心安いものが聞いた

「一人狂言とは、一体どういう事を言っているんだ?」

これに母里但馬
「それはな、あの合戦で周防は人を能く使い、自由自在に駆け引きをし、その上自身で槍を突き残るところなく働いた。
仕手(軍の運用と作戦立案)と脇(戦場での働き)を続けて一人でやったのだから、これは一人狂言ではないか。」

これに、ある人が口をだす
「あなたの甥である隼人殿も、戦場では同じ程の働きを、しかも朝鮮と石垣原で二度もされている。
脇ということならば、隼人殿は周防殿の上を行く勇者ではないだろうか?」

但馬、この指摘に
「あいつは私の甥だからなんとも言い難いが、脇という面であれば悪くいうことは出来ないな。

しかし周防は軍陣という物も見ず、軽はずみなこともせず喧嘩もしないので、終に刃を交えるような事もなく、
子供の頃から用に立つべき者であると、優れて功の入った人である宗円様に見つけられ、如水様、そして
今の殿にいたるまで3代共に、仕手として重用されていた。

しかるに豊後では、あのような実戦は初めてのはずなのに、そのたった一度、一度も一度の場であれだけの働きをした。
なるほど、いよいよあいつは殿の御重宝である。」

そういって井上周防を殊の外褒め上げた。
これを聞いた人々は

「但馬殿と周防殿はずっと不和で、今周防殿が他に居るのをいいことに、何事かを聞き出して悪口を言うのだろうと
困った思いでいたが、なんという正直な物言いだろう。」

と、皆感じ入ったそうである。


母里但馬、不仲の井上周防にツンデレる。と言うお話。





603 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/15(金) 06:00:36.19 ID:0F+VrMKM
この逸話 http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3083.html にも
「脇を合わせる」と出てくるけど、どうしてそういう言い回しになったのか謎だったんだが
能狂言の仕手・脇に例えて言ってるのか。すごい納得した。
戦用語っておもしろいな。

605 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/15(金) 09:54:00.13 ID:VtFOTEhj
母里太兵衛って結構ウザキャラだな
栗山は母里に長政にと面倒見なきゃいけないのが多くて大変そうだ

606 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/15(金) 10:06:58.53 ID:oc7vWgGf
黒田二十四騎、というか黒田武士はそれぞれに面倒くさい

607 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/15(金) 11:35:44.98 ID:bKsBipV7
>>604
支配体制確立してたら、腹を切れって言うだけで切ってくれるけど
この時代は素直に腹を切るくらいなら、
実力で抵抗するか出奔するやつがいるので上意討ちは大事。

608 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/15(金) 12:40:15.54 ID:VtFOTEhj
そういや後藤又兵衛も栗山の寄騎からだったか

母里友信と栗山利安・いい話

2008年10月15日 14:07

4 名前:人間七七四年[] 投稿日:2007/02/24(土) 03:13:27 ID:mG1IIf9w
母里友信は黒田家臣。
無類の大酒飲みで福島正則にすすめられた大盃の酒を見事に飲み干し名槍・日本号を賜った逸話は『黒田節』(『筑前今様』とも呼ばれる)として今も語り継がれる。
無分別で向こう見ず、わがままな性格で武辺一筋の男だったが主君の如水は必ず役に立つ漢だと信じて重用し、生涯で76の首級をあげた家中随一の猛将として黒田家の筑前入国後に18000石を得た。
死の間際に少壮の頃に如水に「兄と思い、兄弟一体となって奉公せよ」と命じられたその兄貴分の栗山利安の見舞いを受けた。
その時友信は「これまではおこがましいと思い口にはせなんだが、御身の恩により人となることができた」と言って手を取り共々に号泣したと伝えられている。
母里と栗山は、張飛と関羽みたいな間柄だったのかな?ムチャクチャな母里を栗山がいつも制して面倒を見て、みたいな…
それを考えたら母里の臨終の際の逸話は何だかホロリと来ます。