FC2ブログ

毛利の家 鷹の羽を継きははしら

2020年04月07日 17:11

954 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/04/07(火) 01:42:34.40 ID:GTsReKHF
毛利弘元には三人の男子が有った。
嫡子は毛利庄太郎興元と申す。二男を元就と申す。三男を弘成(元綱)と申す。
毛利太郎弘元の本領は、芸州高田郡吉田であり、かれこれ併せて三千貫の地であり、城は郡山であった。

弘元の死去後、家督は嫡子庄太郎(少輔太郎)興元が継いだ。次男元就には多治比七十五貫の地を分け与えて
猿掛に在城した。三男元綱は如左の地を分け与え。相合に在城した。

しかるに、興元は若くして死去し、興元の子を幸松丸と言ったが、これも八歳にて死去した。
これによって毛利家の家老諸士は相評議したが、元就に家督を継がしめんと云う者もあり、
また元綱を守り立てようという者もあり、未だ詮議まちまちであった所に、元就は兵を起こして
相合押し寄せ、元綱に腹を斬らせ、その一味の者共悉く生害し、その勢いに郡山へ入城して
毛利の家を相続した。時に大永三年八月十日であった。(相合元綱の没年については諸説あり)

元就はその夜の夢に。『毛利の家 鷹の羽を継きははしら』との発句を得て、
翌日万願寺ににて連歌を仰せ付けた。

毛利元就記

いわゆる「元綱事件」と、毛利元就の家督継承について。



スポンサーサイト



毛利元就の兄・興元の娘も数奇な人生を送った女性だ

2012年02月05日 21:53

757 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/05(日) 02:32:58.46 ID:u4UsXiXG
毛利元就の兄・興元の娘も数奇な人生を送った女性だ。
父を幼くして亡くした後、叔父元就の意向で政略結婚に出されることになる。

はじめ備後庄原甲山城の山内豊通(推定二十歳以上年上)に嫁ぐも間もなく死別。
次いで安芸竹原小早川家の当主興景に嫁ぐが、これも安芸銀山城攻めの陣中で若くして病没。
従弟の隆景が竹原小早川家を継いだのはこの縁による。
その後は備後神辺城の杉原豊後守室、伯耆尾高城の行松正盛の継室となり、
正盛病没後は先夫豊後守の一族・杉原盛重(推定二十歳年下)の妻として一生を終える。

独立勢力の当主を含む五人の夫が皆、親毛利方、或いは毛利の忠実な家臣となったことから、
政略外交官として元就の期待に十二分に応えたと言えるだろう。