377 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/01(木) 14:46:28.28 ID:/MDj4qXf
小牧・長久手の戦いで、秀吉方について戦っていた池田恒興(勝入)が
家康家臣の永井伝八郎(直勝)に討ち取られた事はご存じの通り。
その経過は、
安藤直次が勝入に槍を付けて、直勝にさし招かれた若武者・伝八郎が首を討ったもので
そしてそれを正直に報告した伝八郎と、クサイ芝居をして功を譲った直次という
これだけみると、過去にもこちらで挙がっている清々しい戦場の友情譚である。
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-684.html…が、事の真相はどうやらもっと深~いものであったらしい。
実はこの戦前に、主君・家康から直々に直次にお達しがあった。
「井伊万千代(直政)に手柄を立てさせるように、よろしく援助してやってくれい」
戦歴が浅い為、目の中に入れても痛くない直政の事を頼まずには居られなかったのであろう。
可愛い直政にチョッカイを出そうと、その小姓部屋に忍び込んだとも言われる「敵」直次に頼み込む始末。
そして決戦の場。
直次は勝入に槍を付けて半死状態にした所で、後方から詰めている筈の直政に首を討たせようと、
「万千代、万千代!」と叫んだ。
すると予期せぬ方角から武者が襲いかかり、あっという間に勝入の首を掻き斬った。
その人物こそ伝八郎であり、前髪の頃は直政と同じ「万千代」という童名の持ち主だったのだ。
永井伝八郎直勝とはどのような人物か?
「すぐれたる美童」だった伝八郎は、家康の長男・信康に見染められ児小姓として寵愛されていた為
後に家康の直臣となった際も、家康からも目をかけられた。
機転が利き、軽やかな身のこなしで勇敢な為、この度の戦で初めて母衣衆に抜擢された。
一説(『武野燭談』)に、直次と伝八郎は衆道の契りを結んでいたと伝えられ
(※余談ではあるが、かの「三島由紀夫」は伝八郎の子孫だそうだ)
伝八郎としてみれば、直次が自分に敵将の首を譲ってくれるのだと思い飛びかかったに違いない。
(万千代違いだったが、伝八郎なら丁度いい。伝八郎にも誤解させたままでおこう)と直次が
思ったかどうかはわからない。
いずれにしても、伝八郎にとっては棚からぼたもちである。
その頃、本来の「万千代」はどうしていたかというと…
直次の思いは何のその、井伊隊の主将でありながら組下をどこかへ置き忘れて、敵陣深く攻め入り
一騎駆けよろしく池田隊と組みうちし、直次の助太刀もイラネとばかりに
勝入の黒母衣を組み伏せ、首を掻き斬っていたとさ。
もちろん直次に、「物主たるもの組下を置き去りにして一人働きするものではない!」と叱られました。
378 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/01(木) 15:01:41.36 ID:r6KjBAj3
万千代違いワロタw
なんかかわいいな 俺が呼ばれてる!と思って勇んで駆けてくるの
379 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/01(木) 15:46:01.49 ID:35n8IDR5
>>377
戦場の話なのに微笑ましいのは何故だろう
それにしても安藤さんはアッー!方面も抜かりがないねw
長久手では井伊隊のあげた首級がパネェし
「我に遅れたる者は男じゃねー」
と飛び出して行った直政には最初から援助なんていらんわ
という感じだね
381 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/01(木) 19:14:05.26 ID:3+7HXbDB
「覇王の家」でも信康が寵愛していた家臣だから、家康も目をかけていたって描写だったなー。
382 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/01(木) 19:23:52.76 ID:5saW7Eok
衆道関係をはっきりさしといた方が背景が分かるからいい
この時代は嗜みだったんだし
402 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/02(金) 11:18:58.56 ID:1KCWKsp9
>>377
司馬遼太郎の覇王の家にも載ってたな。
永井伝八郎の事を他人に思われ慣れた者の厚かましさというものかもしれないって、けっこう酷く書かれてたけどw
403 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/02(金) 12:28:49.28 ID:RpXRtaE/
>>402
あの場合は、永井の取った行動も最もな事だし仕方ないと思うけどなw
冷静になって、あれは自分を呼んだのではなく井伊万千代の事だったと気付いたはずだが
その後に権現様に直次殿からの貰い首と正直に言って褒められたエピも良い
404 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/02(金) 16:17:33.80 ID:J6MLLiZh
>>402
覇王の家をして読み返したけど、何故あんなに永井に厳しいんだろ
永井も家康に正直に事情を話したと文中に書いてるくせに
他人に想われ慣れた者の厚かましさとか
首を討ったのは確かなのに
譲り受けていわばけろりとしていたなんて書いたり。
逆に直政に対しては
その美貌は婦人にも稀なほどとか想い人のように好意的w
家康との衆道も、徳川家のみならず
町人まで知ってる事実とか断定しちゃってる
405 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/02(金) 16:25:21.91 ID:DmRk64gg
>>404
子孫の三島由紀夫か分家筋の永井荷風が嫌いだったのかもしれんなw
406 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/02(金) 16:35:25.50 ID:Y5sC0jWl
>>384
ちょっとシュトロハイム入ってるなw
407 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/02(金) 16:51:24.97 ID:RpXRtaE/
>>405
それ自分も思ったw
408 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/02(金) 18:41:10.75 ID:C9EFOOU5
>>404
エッセイ等よめばよく分かるが、
司馬は「欲深い人間」が死ぬほど嫌いなんだよ。
金銭欲、名誉欲、領土欲等を人一倍持ってると司馬に判断された人間は糞みそに悪く書かれちゃう。
反対に、司馬がヒーローを書く時は、多少無理があっても
「無欲で、自分の力を試したい・公平な世の中を作りたいという原動力で生きた人」として作っちゃうわけ。
だから、大封を得ても質素な生活を貫いた
井伊直政には甘いし、
黒田官兵衛なんか暗黒面のエピソードを完全にスルーして「無欲で明るいクワンピョウエ」なんて
無理あり過ぎる美化をしちゃうw
409 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/02(金) 18:46:11.15 ID:DmRk64gg
> 金銭欲、名誉欲、領土欲等を人一倍持ってる
この要素で真っ先に思い浮かぶのは太閤殿下だなw
410 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/02(金) 18:47:16.72 ID:64WNbTQ7
大阪人に太閤=悪の発想はできません
411 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/02(金) 19:17:24.29 ID:p64izSXP
太閤殿下は欲深いというのとはひとつ上の次元にいる気がする
良くも悪くも
412 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/02(金) 20:00:55.44 ID:xNNneUWv
言われてみれば、司馬センセの作品に出てくる直政は、家康のお気に入りの名家の美男子であることがやら
強調されてる気がする。
413 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/02(金) 20:12:35.41 ID:pl1wOrqD
>>412
まあ、実際にそうだったようだけどな
414 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/02(金) 20:19:43.14 ID:BFHfy2D5
>>408
お前も司馬同様にレッテル貼りが好きなんだなw
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