畑谷城の撫で斬り

2014年08月26日 18:51

40 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/25(月) 18:03:31.84 ID:9K4T4MFw
畑谷城の撫で斬り

直江兼続の最上陣は畑谷城攻めから行われた

畑谷城は山谷の間の街道を縫い、街道は番所と柵によって隔てられ、城の本丸のある館山を中心に深い空堀が巡らされていた
直江の大軍は街道に沿って城の東側からまず力攻めを実行
直江軍の先陣鉄孫左衛門尉と色部式部に対し、畑谷城では敵を近くまで寄せ付けて弓と鉄砲を散々に撃ちかけた

直江軍の初戦の被害も小さくなく、兼続は畑谷城を守る江口道連に「城を明け渡すなら、名誉ある処遇を確約する」と使者を出したが、
守将の江口道連
( ´_ゝ`)「敵を目前にして城を明け渡す輩の何処に名誉があるのか。他の国の兵ならいざ知らず、最上の兵は最期の一兵まで戦う所存である。城が欲しくば腕で取られるが良かろう」と降伏を拒否した

その夜畑谷城にいた軽技の得意な者が直江陣に忍び込み、兼続の番指物1本と鉄孫左衛門の陣屋の吹貫布1本を盗って戻った
畑谷城内ではさっそくそれを大手口の高い所に掲げておいた

夜が明けて直江の兵が畑谷城を見ると、そこには最上軍の旗に囲まれて兼続の番指物の旗が晒されていた

「馬鹿にしやがって」と直江軍の力攻めが再開された

やがて城山の搦手の急造三重堀の北側の手薄な部分を攻め立てられ、陽が正中を過ぎる前後に城は落ち、城内にいた者たちは悉く撫で斬りにされた

直江軍の挙げた畑谷の城兵の首級は500余
味方の被害は死者200余だったと伝わる




41 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/25(月) 18:16:21.13 ID:882BIRaR
鉄孫左衛門

てつさん? くろがねさん?
かっこいい苗字だな

42 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/25(月) 18:17:12.03 ID:9K4T4MFw
鉄孫左衛門尉→鉄泰忠
色部式部→色部(修理)光長
と思われる

43 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/25(月) 18:19:39.55 ID:9K4T4MFw
>>41
「くろがね」みたい
読みの似ている倉賀野氏との繋がりは不明

44 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/25(月) 18:42:07.01 ID:882BIRaR
>>43
ありがとう
苗字で「鉄」検索したら読みはどちらのパターンもあるとのこと

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直江兼続と白狐

2014年08月25日 18:52

614 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/25(月) 13:22:21.73 ID:9K4T4MFw
直江兼続と白狐

蒲生氏郷の死により越後の上杉景勝が会津に移封されると、直江兼続は米沢城主として国境にある城の整備に取り掛かった
兼続配下の中津川彦七が荒砥城に入り、早速城域の整備の一環として八幡神社の社殿の修繕を試みた

上方では情勢が緊迫し、兼続は長期の自給戦闘を見据え山形攻め(最上陣)を決定
自ら二万五千の軍勢を率いて米沢を発った

はじめに最上の支城の畑谷城を攻撃しようと間道を探るのに、霧の中荒砥城の守護神である御楯稲荷神社の白狐が直江軍の先に現れ、その誘導に従い直江軍は畑谷城の搦手に至った

畑谷城主江口道連は剛の者であったが、搦手を直江・色部の鉄砲隊に押さえられ、同城はわずか二日で落城してしまった

「八乙女八幡神社縁起」「白鷹町の昔話・狐越街道」ほか





シスコンな殿と実直な家臣

2014年04月07日 19:02

891 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/04/07(月) 11:14:48.50 ID:zo7V+3Jg
シスコンな殿と実直な家臣

秀吉が朝鮮出兵を行ってしばらくの文禄慶長の頃

陸奥にあった保春院(伊達政宗の母で最上義光の妹)は突如として伊達家を出、山形へと出奔

これを迎えた最上義光も
当初は山形城本丸外北方に御義屋敷を設けていたが
城中にあっては風当たりも良くないだろうと妹の事を気にかけ、気を紛らわし、落ち着いて生活のできそうな平穏な地はないかと
山形城西方の村木沢の一角に領地を持つ加藤掃部左衛門清次に保春院の屋敷地の整備と警護役を命じた

主から大命を受けた加藤清次は指名に感激し
早速村木沢に保春院の屋敷地の整備を始めた



……

………が、やり過ぎた

保春院の屋敷の周囲に高垣を作り
そこらかしこに警護の番役を配し
小川から水を引き、屋敷地の周りに堀を巡らし
村落のあちこちにも土塁や柵に堀を幾重にも新設し
まるで保春院の屋敷はさながら要塞と見紛うばかりの様相となった

神保隠岐「江口殿、加藤のやる気はわからん事はないが、あれではいささかやり過ぎと思わんか?」
江口道連「…わかりました。機を見て奴(加藤清次)には私からそれとなく忠告してみます」

(つづく)

892 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/04/07(月) 11:41:51.37 ID:zo7V+3Jg
(つづき)

ある日江口道連は加藤清次を訪ねた

加藤も友の来訪を喜び、酒を酌み交わしながら話を楽しんだ

江口「掃部(加藤清次)、おまえを他の者がどう感じているのか知っておるのか?周囲の者から反発を買っておるぞ」

加藤「伊達の間者や他国の草が保春院さまの身を狙わんとも限るまい?これはそうならぬ様、もしもの事が起きぬための保険なのだ」

江口「なるほどおまえの言う事は尤もだ
だがな、保春院さまはこれでは気を紛らわす事ができると思うか?
養生のための屋敷ではなく、いくさのための準備の様にも思えよう」

加藤「! …あぁ、言われてみりゃそうとも取れるな…」

(つづく)

893 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/04/07(月) 11:44:52.55 ID:zo7V+3Jg
(つづく)

江口「大命を受け、馬鹿のつく正直なおまえのやり方は確かに間違ってはいないし俺もそんなおまえの性格が大好きだ
だがな
村木沢がこれだけ物々しくなれば近隣の者だって自分らはそれほど信頼をされていないのかと気をやきもちとさせる事になるだろう

…これ以上の備えは止めて
少しは心を休めぬか?」

加藤「…過ぎたるは尚及ばざるが如しという事か」

加藤清次は江口道連の忠告を受け態度を幾分軟化させた

ただ、やり過ぎ感のあるこの屋敷の話から
加藤の所領は
「あしきやかた→あくど→悪戸」
と呼ばれる様になったといった話もあれば

愚直な加藤の悪戸を江口が心を開かせ「あくど→開戸」にさせたといった話も伝わる

しかし現在
村木沢のかつての加藤の所領のあった地は「悪戸」の地名として今に伝わっている