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此の如き勇士を妄りに殺すなかれ

2022年01月03日 17:03

924 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/01/03(月) 15:17:37.34 ID:G/T66Atw
或る本に曰く、小栗家伝に、河野権右衛門道重は傍輩闘争の時に加担し、御家(徳川家)を退去したが、
今般(大阪冬の陣)にその科を償わんと、小栗又市に従って参戦した。

大阪方が天満を自焼し退去し、城に通じる橋も焼き落としたが、本町橋一ヶ所は残されていた。
この時、小栗又市、河野権右衛門の両人は橋際に至り、敵方の鉄砲を恐れず見分していた所、
権右衛門は歩行立ちになり、橋を渡って城門に至り、肌も震えず、目も瞬かずに見分して帰った。

この様子を大阪城の櫓門より後藤又兵衛、上条又八などが遥かに見て大いに感じ入り

「此の如き勇士を妄りに殺すなかれ!」

と矢弾を止めた。またその後、この方面に在った森忠政は幕府軍の本陣に赴き、この事を称賛し、
また橋が未だ焼けていないことを報告したという。

新東鑑



925 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/01/03(月) 16:30:45.71 ID:owC06CWl
河野なら道ではなく通では
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「このような者を討ち取るのは士の本意にあらず」

2016年09月08日 17:40

169 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/09/08(木) 04:37:46.33 ID:HJ7j8xdk
慶長19年、大坂の御陣にて、小栗忠政は御使番・斥候の役目を承り、糧米3千俵を
恩賜され、与力20騎、弓・鉄砲の同心100人を付属された。

11月、後藤又兵衛基次と森豊前守勝永(毛利勝永)は仙波の人家に火をかけて城中
に引き入った。この時、船場の橋をも焼き捨てたのか実否は定かでなかったので、

本多正信を介して、「急ぎ見て参るように」との(徳川家康からの)仰せがあったため、
忠政はすぐさま1人で馬を馳せて行ったところ、

河野権右衛門通重は、御勘気を受けた身であったので忍んでいたのだが、忠政に伴う
ことを乞うた。それから、2人はともども船場の橋際に至り、忠政は馬を止めて静かに
その実否を見届けた。通重も徒歩で橋の向こう方に渡った。

城兵はこぞってその勇気を感心し、「このような者を討ち取るのは士の本意にあらず」
として、矢玉を放つ者はいなかった。

その後、忠政は帰って、敵の様子をつぶさに申したので、(家康から)「敵近く危うき所
に至り、よく見定めて帰った!」との、御感に預かった。

――『寛政重修諸家譜』




170 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/09/08(木) 07:09:12.21 ID:17UvBhRK
あれ?河野の手柄は?まさか…