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「留守政景と泉田重光の確執」

2011年07月26日 23:04

174 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/26(火) 20:48:38.55 ID:gXcbMCUP
「留守政景と泉田重光の確執」
いい話スレで大崎合戦の話が出ていたので…。

宮城郡八幡(やわた・現宮城県多賀城市)の領主、八幡景廉は幼少で家督を継いだ為、
叔父の下間景継の後見を受けていた。その景継は嗣子が居なかった為、景廉の異母弟である
業継を養子に迎え入れた。
景継の死から数年後、八幡家中では凡庸な当主の景廉ではなく、下間業継を擁立しよう
とする声が高まった。家中を押さえ切れなくなった景廉は、主家である留守家に助けを
求めて逃げ込んだ。これに応じた留守政景は景廉と共に下間城を攻め、たまらず業継は
逃亡し、姉の嫁ぎ先である伊達家臣・泉田家へ身を寄せた。泉田重光は業継の甥にあたる。

業継の亡命後、留守政景と泉田重光は対立する様になった。この両名が大崎氏の内訌を突く
べく大将として派遣されたが、伊達軍が集結した松山城での軍議の場でも意見が衝突する。
松山城主・遠藤出羽守は敵方の新沼城主が出羽守の姉婿である事から、これを素通りして
敵城・師山城に抑えを残し、一気に敵中深く中新田城まで攻め入る事を主張、これを重光
は支持する。対して政景は十分に敵情を調べた後に侵攻すべし、と慎重論を唱えた。
重光は政景の岳父である黒川晴氏が大崎方へついた事を挙げ、政景は消極的であると罵った。

結局、重光に押し切られ伊達軍は留守隊を抑えとして中新田城を攻撃するも、降雪により足元
を取られ、反撃に出た大崎方によって多くの死傷者を出した。分断され雪中に孤立した政景は
舅・晴氏に使者を立て、松山城までの撤退を許された。一方の重光は敵方の新沼城に
収容され、自らが人質になる事で将兵の解放が許された。




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泉田重光の忠誠心

2011年07月24日 23:04

727 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/24(日) 07:47:59.57 ID:IOf/xS7n
泉田重光の忠誠心

多分過去に挙がっていないと思うので一筆

大崎合戦では妻の家の家督相続を留守政宗と言い争った伊達家臣泉田重光だが、政宗に仲直りの意味も兼ねて
政景と二人大崎攻めの先鋒の大将にされてしまった。
二人には兵1万が与えられたが、大崎陣でも口論が絶えることは無く、兵5000を率いて先に出た重光は、
後詰めの政景と大崎の大軍に分断され、兵を撤退させる講和の条件に自らが人質になる事を呑んだ。

大崎軍中
一栗放牛「これはこれは、まぁ話を聞こう」
黒川月舟「某は黒川月舟、覚えがあろう」
延沢満延「某、最上家中延沢能登と申す」

泉田重光「!?なぜ最上の家中がここにいる?」

(´・ω・`)「だって、大崎家と最上家は親族だもん。援軍出すのは当たり前でしょ?囲まれた時に
旗印でわからなかった?」

*大崎も最上の旗も丸に二引き両。丸の大きさや二の間隔で区別する

留守政景と兵は講和によって無事伊達領に戻されたが、重光の身柄は大崎家から最上義光に引き渡された。

山形城

(´・ω・`)「・・・家臣にならない」
重光「お断り申す」

(´・ω・`)「鮭食べる?」
重光「・・・それはそれで頂戴致します」

(´・ω・`)「伊達家って鮎貝君も愚痴言ってるけど、そんなに良いの?」
重光「奉公に足る御恩がござる」

伊達家に嫁いでいた義姫の助力もあり、やがて重光は政宗の許に帰された。
泉田重光は朝鮮出兵にも政宗に付き従い、家中の序列は後藤・亘理家と同格とされる。




730 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/24(日) 12:15:07.67 ID:nGGM+b9G
逸話の内容結構面白かった。
東北は相変わらず縁戚で混沌としてるな。