徳川家康の家臣に菅沼藤蔵という人がいた。
美濃明智氏の出身であり、のちには土岐家を継いで土岐定政と名乗ったりする、名前だけでも
いろいろ面倒くさい人なのだが、1歳の頃美濃守護土岐頼芸と斎藤道三の戦いで父明智定明が
討ち死にしたため、外祖父である三河の菅沼定広の元に落ちのびた。
彼は周辺の影響を全身に受け成長し、やがて武勇の誉れ高い武士となった。
彼の名を聞いた豊臣秀吉が「目通りを許す」と言ってくると
「私は主君を二人も持った覚えはない!」
とバッサリ断るような、こちらの方でもいかにも面倒くさい、立派な三河者となっていた。
さて、そんな徳川家でも名の知られた武辺者、菅沼藤蔵がとある徳川家中の寄合に出たときのこと。
藤蔵の元に、初めて見る一人の若者が挨拶に来た。彼は名を津田長門守と名乗る
「津田?…ええと、もしかしてそなたは、津田犬斎殿と何か関係があるのかな?」
「はい!津田犬斎は我が父でございます!」
「おおそうであったか。それでは長門守殿…」
ここで菅沼藤蔵、誠意が満面にあふれた顔でこう言った
「ならば、親父殿に似てはならぬぞ!」
「は?」
「そなたの親父殿は長久手の時の有様はこのように悪かった!どこどこの合戦の時には
このように良くなかった!またなになにの戦いでは…」
菅沼藤蔵、津田犬斎の失態を滔々と語り出したのだ。よりにもよってその息子の目の前で、
しかも家中の者たちが集まっている中で。
しかし藤蔵は嫌味や嫌がらせでそう言っているのではない。表情を見れば、どうやら本気で
津田長門守を心配して言っているようなのである。しかし寄合の席の真ん中で、家中を代表する
歴戦の勇者から自分の父親を散々にdisられている長門守はたまったものではない。
衝撃のあまり気が遠くなりそうだわ恥ずかしいやら泣きたいやら悔しいやらで、もう真っ青である。
しかし残念ながら藤蔵はそんな感情の機微が解る人間ではない。
なおも菅沼藤蔵の「津田犬斎糾弾オンステージ」は止まらない。
寄合の座は凍り付いている。
…と、さすがの三河武士たちもその空気に耐え切れなくなったとき、近くにいた者が突然、いかにも
わざとらしい大声で
「やあやあ久しぶりだな菅沼殿!ああっ、こちらにいるのは津田長門守殿じゃないか~!
君のお父さんにはいつも戦場で大変お世話になって~」
などと大げさな挨拶で割り込み無理矢理藤蔵の口を止めさせた。
と、ここで菅沼藤蔵、はじめて周りがどん引きしていることに気がついた。
そしてどうも自分の言ったことを、ここでようやく恥ずかしく思ってしまったらしく
「ど、どうも私は酒を飲み過ぎて酔っ払い、色々とあらぬ事を申してしまったようだ。
どうか許していただきたい」
と、津田長門守に頭を下げたそうである。
菅沼藤蔵、ちょっと言い過ぎる。と言うお話。
85 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/02(水) 05:20:24.10 ID:F5TVR5dh
>>83
仲介に入った武士の大人パワーに注目すれば、ちょっと良い話だな
87 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/02(水) 05:47:49.14 ID:mveDh0CT
>85
純「で、そのとき気を利かせた方は一体どなただったのです?」
サド「……」
88 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/02(水) 11:16:40.64 ID:chR+JK1L
三河武士って本当に頑固で偏屈だけど、こういう純朴なところがあるから好きだわ
89 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/02(水) 12:55:51.28 ID:866MsxVz
悪気の無い分たちが悪いw
90 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/02(水) 18:27:29.90 ID:63FreNwB
>>83
三河にそんなスマートな仲裁のできる男がいた・・だと・・・?
91 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/02(水) 18:39:35.60 ID:KAYEnTmt
武田系かもよ
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