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浅野幸長は一計を案じた

2012年09月04日 20:51

343 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/03(月) 23:36:49.60 ID:z0uybhUz

石川五右衛門が出没していた頃のこと。朔望(陰暦の1日と15日)など登城の日に、
五右衛門は人々に混じって聚楽の城中に侵入し、自分のなまくら刀を他人の
良刀とすり替えていた。

人々は五右衛門の悪さに憤りを覚えてはいたがどうすることもできないでいた。
そんな時に浅野幸長は一計を案じた。玄関で従者に刀を渡して置き、短刀だけで
登城するようにしたのだ。

人々は幸長の智恵に感心してこぞって真似をするようになった。これによって
五右衛門の策略は大いに阻まれたという。またこれを境にこの習慣が士風となった
ということである。

――『名将言行録』





344 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/04(火) 11:27:27.96 ID:vCHaTzWD
石川五右衛門については数多の俗説伝説があるよね
元々は伊賀忍者で、百地丹波と不仲になり抜け忍となった者だというのもその一つ

345 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/04(火) 11:36:48.38 ID:0vYdCqOT
釜茹での話も色々あるよね

346 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/04(火) 11:53:39.75 ID:vCHaTzWD
住んでる地域に五右衛門というパスタ屋があるのだが、
もしかして「釜茹で」で天下の大泥棒とパスタかけてるのか?
と、ふと思った・・・

347 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/04(火) 13:54:23.27 ID:B7gmyh/L
実際は油揚げだし…(´・ω・`)

348 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/04(火) 14:54:16.33 ID:vsfNtztb
ゴエモンは釜煎りだったって説と途中まで熱湯で油を足したって説もあるみたい


349 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/04(火) 15:15:16.92 ID:toG6VeEQ
天ぷらになって家康を殺したんだっけ

350 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/04(火) 16:23:47.36 ID:tbL+Xau1
揚げてたのか…油がもったいない

351 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/04(火) 17:18:49.30 ID:kKXWwvby
高価な油をふんだんに使うというもったいないことをわざわざして
関白の威光を天下に見せつけた、と聞いたような

352 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/04(火) 17:49:17.22 ID:vCHaTzWD
泥棒犯罪を防ぐ抑止力としての刑の側面も言わねば片手落ちだろう

358 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/05(水) 00:04:47.76 ID:LHDOh62O
>>348
熱湯に油足すなんて想像しただけでとんでもないことになりそうなんだがw

鳶が鷹を産む

2012年08月21日 20:54

143 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/20(月) 21:07:09.61 ID:e5SeXbOW

小田原の役の時、わずか十五歳の浅野幸長は疱瘡を病んでいたにもかかわらず、
父長政に出陣させてほしいと頼みこんだ。だが長政は「お前はまだ若い上に
病気でまともに立っていられないではないか。共に出陣できるわけがない」と

許してはくれず、再三頼み込んでもやはり許されなかった。しかし幸長の意志は
固く、老臣の堀田孫左衛門、松井又右衛門と相談して、先に出陣した父を追って

関東までやって来てしまった。さて幸長は岩槻城攻めでは馬を馳せて首級をあげた。
また、忍城攻めで長政の備えが崩れて引く時、幸長は槍を横たえて自軍の兵を
せき留めると「我はここにあり、お前たち私を見捨てるなよ」と只一騎進んでいった。

味方はこれを見て一同に引き返し、千駄口の砦を乗っ取った。その後、ある者が
秀吉に「幸長は御下知を待たずして勝手に動きましたぞ」と告げたが、秀吉は
「あの長満が生まれて七夜目に長政の家に入って、その泣き声を聞いた時、

『これは鳶が鷹を生んだな』と誉めたことがあったが、今の働きはまさに逸物の
鷹である」と大層上機嫌だったので、その者は口をつぐんだ。これによって幸長の名誉は
大いに知れ渡ることとなった。

――『名将言行録』




144 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/20(月) 21:13:38.19 ID:X48DWtBf
浅野長政で鳶なのか・・・

145 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/20(月) 21:20:11.97 ID:KmVOnD3k
告げ口したある者とはどなたの事で?

146 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/20(月) 22:34:59.76 ID:dLuJ7em6
名将言行録だから細かいことはいいんじゃないかw

153 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/20(月) 22:56:42.34 ID:/1Z1Z7ZW
>>146
確かに>>143後半の太閤殿下の言を見ると、あたかも忍城攻めに太閤殿下が参加されて
いるような記述だしな… 恐るべし、超時空太閤HIDEYOSHI

慶長十五年(1610)卯月十九日浅野幸長書状

2011年10月25日 22:00

497 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/25(火) 17:49:33.51 ID:gXVxfZeL
慶長15年(1610)4月、名古屋の浅野幸長が出した、京にあった浅野長晟からの書状への返答

『卯月(4月)16日に出されたあなたの書状は、17日には届きました。さてさて早い飛脚であったものです。
今、名古屋では(名古屋城普請の)御鍬始が行われ忙しくて時間を作ることが出来ず、本日19日に
この返事を渡しました。

さて、秀頼様がその方に二千石の知行を与えようとしている件についてです。

前にも申したように、このことは石豆州(石河貞政)に申し使わされました。そこで市殿(片桐且元)に
相談した所、「あなた方の方で弾正殿(幸長・長晟の父、浅野長政)の所に、この事を知らせれば
拝領しても問題は無いでしょう。」との旨を、片市殿(片桐且元)の家臣を通じて、石豆州、杉伯州(杉原長房)から
貴殿にご返事として届いていることと思います。

そして片市殿から
「今回の御知行拝領の事、あまりグズグズしていてはいかがかと思います。
早く二千石の御知行をお渡ししたいものです」
と、懇ろに申し置きをされている以上、あまりこの件を長引かせるのは宜しくないでしょう。

片市殿の御指図の通り、弾正様の所に、お尋ねに使者を遣わせるべきです。
その時はあわせて、その書状の受取を下さるようにと、お断りもしておきましょう。

それから私の方では今日、江戸(幕府)に、この件を相談する遣いを出しました。
この件については、その遣いが帰ってから判断することにしましょう。

そうそう、京都御番のこと、いよいよ油断なく勤めて下さい。
又、追々お手紙致します。恐惶謹言

紀伊守 幸長(花押)

卯月十九日 浅野但馬守(長晟)殿 御返報 』
(浅野家文書)

この二千石を長晟が拝領したのかどうかよく分からない。ちなみにこの前の3月、長晟は幕府より
備中国足守(蘆森)ニ万四千石を加増されている。

関ヶ原から10年経った当時、豊臣秀頼からの「新恩」に対しての、非常に微妙で警戒的な空気が見えてくるような
書状である。




501 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/25(火) 20:37:21.27 ID:z2RiFBf6
>>497
人物名分かりにくすぎw
こういうのどうやって解読するんだよww

502 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/25(火) 21:07:52.76 ID:uIv37/Hc
片桐且元が片市なのはなぜ? と思ったら
官位が東市司だからか

しかし名前を書かないやら、省略やらで、解読するの大変そうだな
中国はどうだったんだろう

504 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/25(火) 21:26:59.08 ID:HsKQDjlr
政宗みたいのは、まあ例外として、
当時の人にとっては、官名で呼ぶのが普通だろうからなあ
苗字の頭文字+官位の頭文字はわかりやすいのかもしれん

505 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/25(火) 21:39:11.85 ID:soW1mmlW
当時の手紙に書かれてる名前とか凄くいい加減だよね~
一通の手紙だけでなくその前後で頻繁にやりとりしてるからあれで通じるんだろうな~

506 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/25(火) 21:46:57.87 ID:uIv37/Hc
自分だって手紙書く時、一々日付入れたり、細かく状況説明なんて入れないから、仕方ないやなぁとは思うけど
名前の当て字は凄いね 本気で読めれば(通じれば)いいんだよ! って感じだし
そのおかげで、この人何人いるんだよ と複数説唱えられたり
漢字が違うから、この人じゃない と存在否定されたりと大変

507 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/25(火) 22:07:22.95 ID:xuAT/Sul
現代人で旧字に拘ってる人とかに比べるとすごい大らかだよね


508 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/25(火) 22:48:22.74 ID:6kmBJijk
名前呼ぶのって相当特別な関係なんだっけ?親とか娘の婿とか?

509 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/25(火) 23:05:29.50 ID:aRxVnAXK
まっくろくろすけでておいでー

510 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/25(火) 23:06:22.78 ID:aRxVnAXK
まっくろくろすけでておいでー

511 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/25(火) 23:07:16.94 ID:aRxVnAXK
すまん連投した
花瓶に火薬詰めて爆死してくる

512 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/25(火) 23:08:08.46 ID:k2r+lsAw
そしてまっくろくろすけになると言う事か

513 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/25(火) 23:20:24.65 ID:sTfMlLQ7
名前を全て平仮名で書いてくれたら後世の人間が悩まなくて済むのに

514 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/25(火) 23:21:24.60 ID:NBgkNDfT
>>511
間違っても国宝級の茶器に火薬詰めたりするなよ

515 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/25(火) 23:54:53.08 ID:NjXGtHNA
いえやす ちくぜん てる
を思い出した。

521 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/26(水) 08:22:26.50 ID:PfR2GCwX
>>501
このスレにどっぷりつかってしまったせいかなんの疑問もなく人物名が理解できてしまったw
会社ではなんの役にもたたないがw

522 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/26(水) 09:45:11.52 ID:PzuxZXTC
>>521
しかし人生を豊かにしてくれる

浅野内膳の書院

2011年09月04日 23:28

690 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/04(日) 17:06:28.13 ID:FiCafuW0
悪い話か微妙だが

浅野幸長が数奇屋を建て直した際、家臣の浅野内膳が使わなくなった建材をもらい受け、自邸に書院を建てた。
新書院お披露目にあたって、内膳は幸長の父・浅野長政堀親良(秀治弟・長政婿)を茶会に招待した。

当日、内膳みずからの出迎えによって新書院に案内された長政は、その四方を見渡して眉をひそめた。
内膳自慢の新書院、内装は数寄を凝らし華麗を極め、茶器も高価な名物道具ばかりであった。

「内膳よ。千五百石の分限には、過ぎたる振る舞いよな。この長政、かかる贅沢は大嫌いじゃ。
こんな場所で、今日の接待に預かるわけには行かぬな。
真に馳走の志あらば、以前からの部屋でも、亭主が心をこめて接待すれば良いのではないか?」

「も、申し訳ござらぬ!まこと、大殿の仰せの通り。」
「ならば、この書院は要らぬな?」
「え?」
「おーい、みんなー!」

自分はおろか親良の従者まで集めた長政は、命じた。

「この書院を取り壊せ!!」

命に応じた屈強な従者たちは、さっそく袴を脱ぎ、着物の尻を端折って、竣工したばかりの書院を破壊した。
更地になった新書院を見届けた後、長政は以前からの書院で、心行くまで茶を楽しんだ。
(名将言行録より)




691 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/04(日) 17:56:46.22 ID:i0k4tUol



こ  れ  は  ひ  ど  い




692 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/04(日) 18:08:45.19 ID:UuF0Kzeq
これは

ひどい

693 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/04(日) 18:11:43.72 ID:2mN6vEsB
また長政sageかよ

694 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/04(日) 18:12:11.35 ID:j+dlDxLg
こんなのってないよ
長政さん的には説教のつもりだったんだろうが

695 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/04(日) 18:14:48.13 ID:UuF0Kzeq
浅野長政って、そんなに贅沢嫌いな人だったの?

696 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/04(日) 18:16:49.99 ID:eR7hWYuJ
秀吉の縁者の割りに大坂城とかも嫌いだったのかな

697 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/04(日) 19:14:06.33 ID:XCrDs8dV
縁者っていっても嫁の方だったよね?

698 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/04(日) 19:20:21.12 ID:DfgTYlFG
これは謀反起こしてもいいレベル

699 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/04(日) 19:28:12.05 ID:UuF0Kzeq
その後の内膳さんの様子が気になる

700 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/04(日) 19:40:45.28 ID:VBtu9ui5
>使わなくなった建材をもらい受け

本来なら捨てるところを再利用してるんだから褒めるべきだろwww

701 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/04(日) 19:49:39.62 ID:DfgTYlFG
取り壊される書院が量産型エヴァに食い散らかされた弐号機みたい

内膳「殺してやるっ!」

ある時、浅野幸長が古田織部から

2011年07月27日 23:09

173 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/26(火) 18:15:12.99 ID:EeG8E2xt
古田織部「五金時殿くらいで」



175 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/26(火) 21:44:40.24 ID:/pLjZPZs
>>173
ある時、浅野幸長古田織部から、狭い茶室での道具の置き方・所作の仕方等の稽古を受けた。

「よいですかな浅野殿、客も炉も自分の右側にある時はこうする。客が右、炉が左の時はこう。」
「ふむふむ。」
「客も炉も左の時はこう、客が左、炉が右の時は…って、この辺は前の稽古の時どう教えましたかな?」
「………済まぬ、忘れたようです。」


そこで二人は、前回の稽古で同席した上田宗箇を呼んで、この件について問いただした。

「………申し訳ござらぬ、それがし、師の教えを失念いたし申した!!」
「(え~)………」
「………?」
「……………」

「…と、とにかく、こういうものはその場その場でやってみなけりゃワカランものにござるよ。」
(織部候云、兎角その座敷にて置合てみねば、たしかならず)

「なるほど、そういうものですか。」
「うむ、そういうものです。」


織部のおかげで一つ勉強になった
…わけもなく、こーゆーお人に「白黒つけろ」とか㍉にゴザルよ。




182 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/27(水) 09:56:45.63 ID:K5IF7UPx
>>175
みんな忘れたのかよwwww

183 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/27(水) 19:02:15.87 ID:IUg9pvcb
>>175
織部も忘れてる?www

184 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/27(水) 19:10:52.93 ID:O5JhFgs2
消防のころ先生が答え忘れてみんなに聞いてもわからなかったこと思い出した

185 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/27(水) 19:30:13.96 ID:WBUAFs8e
小学校の問題の解答くらいは、その場で考えられるだろ・・・と思うけど、焦るとそれすらも分からなくなるんだよね

186 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/27(水) 19:38:13.40 ID:Gb/IrSc2
これ、小学校の問題と解答とかそういう話じゃなかろ。
マニュアルも正答もない、どうやったら非礼にならずに人をもてなせるかという話なんだから。
当然正解なんてないよ

187 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/27(水) 19:46:37.99 ID:O5JhFgs2
前の稽古の時教えたことあるんだから正解はあるだろ

188 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/27(水) 19:57:05.26 ID:Gb/IrSc2
「教えたことある」なんて文中に書いてないけどねw

189 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/27(水) 20:03:41.54 ID:O5JhFgs2
読解力が乏しいのか、単に引っ込みがつかなくなっちゃったという
ちょっと悪い話

190 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/27(水) 20:43:32.16 ID:YemAPnjX
ひどいオチだw

191 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/27(水) 21:32:09.63 ID:r2+J8sfP
ひどいお茶でもある

大野治長、 命がけの復権

2011年02月07日 00:00

682 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/06(日) 18:49:57 ID:CTv09xKa
命がけの復権

1599年、徳川家康暗殺疑惑により大野治長は失領し下野に流され結城氏預かりとなっていた。
この事件、事実関係を洗うとどう考えても冤罪であったのだがとにかく治長は失脚したのだ。
しかし翌年、そんな治長にも転機が訪れる。「関ヶ原の戦い」である。

結城晴朝の斡旋で蟄居は解かれていた治長。なんとかしてこの天下が動く戦いで自身の立場を変えたかった。
しかしながら急な事であった上に領無しなので金も用意できない。やむなく浅野幸長に頼み込んで護衛の兵を
十人程度借りている。
ほぼ一兵卒のような立場だがこれでやるしかない。治長は浅野隊の中に加えてもらい戦地へと赴いた。
それで時は流れて関ヶ原本戦・・・なのだが、幸長隊の配置は前線からかなり遠かった。そこで治長は

治長「俺を最前線に立たせてくれ!頼む!」

どうしても功を挙げようと必死であった。幸長も意を汲み取り、治長は本戦直前におそらく真っ先に敵に
接触するであろう福島正則隊に入れてもらう事になった。
そして戦端が開くと治長はわずかな人数の護衛と共に目の前の宇喜多秀家の部隊に飛び込んでいく。
最前線も最前線でがむしゃらに奮闘する治長はついに宇喜多家の鉄砲頭、河内七郎右衛門を一騎討ちの末に
討ち果たすという武功を挙げたのだった。

戦後、この話は家康の耳にも届いたようで、大野治長は1万石を与えてられている。
更に、治長は片桐且元と共に徳川家と豊臣家の調整に尽力し5000石を加えられ1万5000石の領主として
復権を果たしたのであった。




683 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/06(日) 18:52:35 ID:CTv09xKa
これだけならいい話っぽいんだが家康暗殺疑惑で冤罪をおっかぶせたのが家康なことを考えるとマッチポンプ感が
否めないのでこっちに。

ついでに同じく失脚してた土方雄久もひっそり復権してるので功を挙げなくても復活してたかもしれない。

684 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/06(日) 18:58:03 ID:s0gTutn0
キャリア官僚然としたイメージあるんだが治長も武士だったんだなぁ。

685 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/06(日) 18:59:02 ID:4p8p5ikx
浅野幸長の父、長政も暗殺疑惑に巻き込まれた一人ってのも重要なポイントだね

686 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/02/07(月) 00:31:25 ID:bkhC9RCC
なんで家康は治長に冤罪をでっちあげたんだろうな。家康にとって治長はそれ程までに厄介かつ
邪魔な男だったのか?

687 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/07(月) 00:36:12 ID:0c1F5dkv
>>686
そもそも家康のでっち上げだったって部分に疑問を持ったほうがいい。

家康暗殺の話は家康のあずかり知らぬところで出来たもので、具体的な名前の上がった
噂が出た以上、時の執権者として家康は何らかの処分を行わざるをえない。

688 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/07(月) 00:38:01 ID:c4EXQvxV
片桐買収が、とっくに済んでたから、片桐の政敵の治長を消そうとした説を唱えてみる

689 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/07(月) 00:43:31 ID:vt8kLmCf
>>688
十年以上後の大坂の陣の政治状況と一緒にしちゃいかん。
はっきり言えばこの当時、事実は関係なくこういう不穏な噂に名前が出た事自体が
問題があり、これを処分しなかった場合、未だ絶対的な権力を確立していない
家康では、その権威に疑問符を持たれる。

いい悪いじゃなくて、そうせざるを得ない状況であり、あたかも後の展開のための
布石だったように考えるのは、ちょっと小説的すぎる話だわ。

690 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/07(月) 01:11:12 ID:mRS2tjXJ
あれは家康の陰謀だったとしても本命は前田であって治長はついでに過ぎないかと

691 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/07(月) 01:49:55 ID:znbdUFah
そういや姜の「看羊録」には
前田利長が上杉景勝・伊達政宗・佐竹義宣・加藤清正・細川忠興と同盟して家康を狙い
それを知った石田三成が家康に通報、家康の命で近江の要害に籠った、なんて話が載っている。

あと家康が淀殿を室に迎えようとしたがすでに大野治長の子を孕んでいたので断られ
怒った家康が治長を流刑にしたなんて話も。


692 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/07(月) 02:15:36 ID:0c1F5dkv
>>690
前田に関しては家康どころか豊臣家の許可も取らずに無断帰国なんてしてるから、
謀反の話が出てもしょうがない、と言うかむしろ出て当然の話だな。

693 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/07(月) 04:05:54 ID:jegn2kvv
宇喜多に突っ込んだ時の治長の護衛は浅野から借りた人達なのか市松が新たに
付けてあげたのかどっちなんだろ…w

694 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/07(月) 17:07:40 ID:3cxDHPP7
悪い話じゃないな。治長が頑張ったいい話じゃん。

石田三成と東軍諸将の対面についてのお話

2010年10月19日 00:00



825 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/17(日) 22:55:34 ID:wjZU/OJl
関ヶ原の決戦が終わり、逃亡していた石田三成、小西行長、安国寺恵瓊の3名が捕縛され、家康が陣を置いていた
大津城へと輸送された。

さて彼らが届けられると、本多正純は村越茂助ら2、3人の者達にこう命じた。

「あなた方は大名たちを一人づつ石田三成に対面させ、それに同道してください。
そこであなた方が見るべきことは、その時の大名たちの表情です。

家康公と共に東下し、今回の合戦を戦った諸将に対面すれば、石田三成はいろいろな批判や繰り言を
言ってくることでしょう。

心に後ろめたいものを持っている大名は、対面すれば非常にうろたえた醜態を見せる。
逆に二心なく三成からの調略も受けていない大名なら、何も動ずることがないでしょう。

あなた達は対面した時の表情の変化を、よくよく観察してください。」

この時石田三成に対面する大名は、浅野幸長、黒田長政、池田輝政、前田利長などの、
4,5人の大名、ということになった。


ところでこの時、三成との対面から漏れた大名たちの中には
「直にあって捕縛されてる三成を見るのも酷いよね。そうだ!モノ越しに見ればいいんだ!」
と、三成の置かれた部屋の戸の隙間や節穴、あるいは大津城の攻防戦の時に出来た鉄砲弾の通った穴などを
探しそこから見ようとした者もいたが、他の人から
「いやそれもやっぱり酷い行為だよ。それに端から見たら、覗き見してるアンタたちの姿みっともないぜ?」
と言われたので皆止めたそうだ。


さて、前田利長が三成に対面した。
この時三成は

「どうにも、このように縄目の姿と相成りました。面目次第もないことです。」

と言ってきた、これに利長

「縄目が面目ないなどと思うべきではありません、昔源頼朝公も、生け捕りにされ縄目の姿で
京から鎌倉へと送られた。そんな先例もあるではありませんか。全く恥ずかしいことではありません。」

と返答した。


浅野幸長は三成の顔を見るなり

「太閤殿下が存命であったころ、私にしたことを覚えておるか!?」

と、手に持った扇で三成の面をはたいたそうだ。
この事後で、あまりにひどいと人々から取りざたされたそうである。


石田三成と東軍諸将の対面についてのお話。





836 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/18(月) 20:20:17 ID:Mj0jujb8
>>825
これって大津城の城門前での話?対面とか言ってるから違うのかな

浅野幸長「賢者の言葉に相違なし」

2010年09月05日 00:01

851 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/03(金) 22:19:06 ID:tDyM/h0M
上洛した浅野幸長が学者の藤原惺窩を招き、『孟子』の講義を聴いた。

「……生於憂患、而死於安楽也…」
(憂患に於いて生き、安楽に於いて死する也=人間は心痛の種のある時は、緊張して生命を守ろうと努力するが、
安楽にふけると、心が緩んで死へとつながって行く。)

惺窩の読んだ一節に、幸長は手を打って同意した。
「うむ、さすが古の賢者は良いことを言う。
かつて、わしは石田治部少(三成)と、たいそう仲が悪かった。あいつが生きている頃は、絶対揚げ足を取られまいと
身を固く保ち、他人に非を言われぬよう励んだものだ。

しかるに今、治部少は既に亡く、わしは大大名となり、将軍家にかつての島津・佐竹にも劣らぬ扱いを受けている。
ところが気は緩み何事にも身が入らず、この身も病気がちとなっておる有り様。まさに賢者の言葉に相違なしだな…」



数年後の慶長18年(1613)8月、幸長は38歳の若さで世を去る。

いい話か微妙だし三成が意識してやってたワケじゃなかろーが、失って初めて分かるものもある、という話。




852 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/03(金) 22:47:27 ID:zArGQOJT
かつての島津・佐竹?

853 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/03(金) 22:49:17 ID:gltFKkXK
>>851
それが本当なら、信之兄ちゃんがあんなに短命だったはずがない

上田宗箇と大阪の陣・いい話

2008年10月16日 11:17

716 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/08/25(月) 00:00:19 ID:B9t2JU0x
関ヶ原の決戦によって、西軍に属していた上田宗箇は牢人となった。

しかし、ほどなく家康から罪を許され、宗箇は浅野家に、1万石で仕える事となった。しかし、古田織部の
高弟でもあった宗箇は、武将としてではなく、茶堂として召抱えられた。これは、新たに大領の主となった
浅野幸長が、当時の上流社交の基本である茶道の基礎を、浅野家に打ち立てるために、宗箇のその方面の
才能を必要としたためであったが、それは、浅野家のほかの家臣からの嫉妬と嘲笑を買うことにもなった。
彼らは、

「我が殿はさすがに大身である。茶坊主を万石でかかえるとは。」と、あからさまに宗箇を侮蔑した。

幸長は「気にするな。一旦事あらば大いに働いてくれ」と、宗箇に脇差を与え、我慢するよう言った。
宗箇は「そのときは、この脇差に必ず、血をつけてご恩に報いましょう」と誓った。
浅野家の家中の者たちはそれをも「茶坊主が血をつけようとは。鼠の血か猫の血か」と、さらに嘲った。

やがて、大阪の陣が起こる

和泉国樫井で陣を張っていた浅野家は、大阪より、、勇将、塙団右衛門の部隊が接近との報を聞き、
一旦退却の方針を取った。が、宗箇は
「ならばわしは隠居する。隠居ならば軍令を守る義務は無い。」と、自分の部隊だけそこに残った。
やがて、やってきた塙の軍勢に踊りかかった宗箇の部隊は、先ず団右衛門の胸を槍で一突きに突いて
重傷を負わせ、さらに一気呵成に攻め立て、塙の部隊の武将の一人の首を、先の脇差にて取った。
この攻撃に、大阪方は壊乱した。彼はここにて、浅野家随一の戦功を立てたのだ。
自らの働きを持って、武将、上田宗箇は、自身の面目を保ったと言えよう。


戦後、宗箇は、浅野家家中一同の前で
「さてさて、ここにお集まりのお侍衆の中で、この茶坊主よりも手柄を上げた方はいらっしゃるかな?」
とやって、さらに家中の憎しみを買ったのは、まあ、これはご愛嬌w




717 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/08/25(月) 00:32:53 ID:PZIS9tjA
最後が余計だw

718 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/08/25(月) 07:55:54 ID:h4fKZp6z
相当頭にきてたんだろうなw

719 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/08/25(月) 08:01:15 ID:WsVaOkwp
明らかに最後の戦乱だったから他の家臣どもは負けっぱなしで終えなければならなかったと。
やりきれんだろうなぁw