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下総守の判断

2017年05月31日 22:05

968 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/05/31(水) 08:17:21.51 ID:Upp9in/W
羽柴下総守(滝川雄利)の家臣に、二蔵三蔵という弓矢にかしこき者があった。
下総守が居城において、城より出て働きがあったが、引き取る所を敵が追尾した。
この時二蔵三蔵は門役をしており、敵が城内に入った所で戸を下ろして、城内に閉じ込めた。
こうして敵は引き取ることもできなくなったが、そこで下総守は下知して門を開けさせ、その敵を引かせ、
討ち取ること無く終わった。

その頃、徳川家康より近藤石見守が下総守の所に加勢として派遣されていた。
石見守は下総守に、何故敵を逃したのかを尋ねると

「あの敵は閉じ込めにあって、死地の兵となっていた。これを討とうとすれば城中の人数も多く損じただろう。
また彼らを討ち取ったとしても戦全体の勝敗に関わらない。それ故である。」

そう答えた。
近藤石見守も武功の勇士であり、下総守の判断に感じ入ったという。

(士談)



969 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/05/31(水) 09:49:09.23 ID:mUX2+cfS
弓矢で打ち取れよ、何のための伏線なんだい?

970 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/05/31(水) 12:25:38.54 ID:N5X+zJ2b
どの戦いのことなんだろうな

971 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/05/31(水) 13:56:59.83 ID:9KY4AUss
小牧長久手の時かその前後じゃね
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滝川雄利は安治を謀って

2016年10月26日 10:12

275 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/25(火) 22:59:30.30 ID:9xpVU5sN
天正12年、織田信長の二男、信雄の家臣である滝川雄利の子を、羽柴秀吉は人質に取り、
脇坂安治に預けた。この後、織田信勝と秀吉は交戦を始めた。滝川雄利は安治を謀って
人質を取り返そうと、偽って『あの子の母が重病に陥りました。どうか対面させてやりたいのです。』と
少しの間、暇を頂くことを願った。

安治はこれを偽りと思わず、親子の愛を憐れみ、私的に暇を許してしまった。
すると滝川雄利父子は伊賀国に逃走し、上野城に籠った。
秀吉は滝川雄利が伊賀上野城に入ったと聞いて、安治に人質のことを尋ねた。
安治は、人質を取られた有様を、ありのままに答えた。

これを聞いて秀吉は激怒した。安治は鬱憤を抱え
「私が伊賀に赴き、滝川父子が籠っている上野城を攻めて、そこで討ち死にいたします!」
そう申し上げた。
しかし秀吉はなおも腹を立てて

「お前のような小身が、滝川父子を攻め取れるものか!さては滝川に一味し、私に謀反を
するつもりか!?」

これを聞いて安治は涙を流し
「主君の厚恩を忘れ、叛逆した滝川に与する事などありましょうか!」と、自らの母親を人質として
残し、主従20騎にて笠木より伊賀に入った。そして伊賀国の兵に触れ回った

『羽柴秀吉の使にて滝川父子を討ち取る。味方を仕り、軍忠ある者には本領を安堵し、城中の人質も
返還しよう。』

こう云って国侍たちを一味させ、夜中、密かに上野城を取り巻き、その夜のうちに攻め立てこれを取った。
滝川父子は伊勢へと逐電した。

この旨を秀吉に注進すると、秀吉は御機嫌にて、はじめに山岡美濃守を使いとしてその戦功を労り、
後に増田長盛を使いとして、「国の事、堅固に仕るべし」と伝えた。

(脇坂記)

脇坂安治が、伊賀上野城を攻め落としたお話。




秀吉もこの道理に伏し

2014年05月23日 19:07

10 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/23(金) 02:34:43.13 ID:UhcbaXh0
ある時、秀吉が多くの美女を集めて酒宴を行った際に、羽柴下総守(滝川雄利
を呼び出して言うには「合戦で勝利を得て、このように美女を集めて楽しい」
とのことだった。

その時、下総守は刀を抜いて女どもを激しく追い立てたので、秀吉は驚いて、
「何事を仕るのか」と言った。すると下総守は申し上げて、

「まったくもって、ひたすらふざけた事をしているわけではありません。

天下の大敵にさえお負けにならない御大将が、あれら如き女どもにお負けになって
天下の政をもお聞きなされず、そのうえ御病身にさえもなられてしまいましたので
以ての外なことであり、あの女の中にきっと一人か二人敵がいるはずです。

そう思いましたのでただいま切り殺そうと思い追いかけましたが、大勢の中なので
どれがそれとも知り難く思いました」と諫言した。秀吉もこの道理に伏して笑った
ということである。

――『明良洪範続編』





豊臣秀吉、鳥居元忠の嫡男を縁組させる

2011年03月17日 00:00

352 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/15(火) 22:49:27.84 ID:rvcmuil8
徳川家康麾下の鳥居元忠といえば、三河衆の中でも特に無骨な侍である。

家康が関東に移る少し前のこと、その鳥居元忠豊臣秀吉に呼ばれた。
元忠に官位を与える、というのだ。

元忠、これを聞いて
「私は無骨な田舎者にて、この身もまた、このように片端であります」

と、諏訪原城攻めで銃弾に貫かれたため、まともに動かなくなった左足をさすった。
そして

「こんな体たらくですので、叙爵などしていただいても殿下のお役には立ちません。
どうぞその件は、御免下されませ。」

と、断った。
だが秀吉は、そんな鳥居元忠を強く気に入ったらしい。少し後で再び元忠を呼び寄せ
こう提案した

「彦右衛門尉(元忠)よ、おぬしの嫡子新太郎を羽柴下総守(滝川雄利)の娘(養女・生駒家長娘)と
縁組させその養子とするのだ。その上でわしが召し使おう」

滝川雄利は羽柴性を頂いた秀吉の直臣大名である。その娘を、陪臣に過ぎぬ元忠の息子に娶せ、
天下人たる秀吉の直参としようと言うのだ。大変な栄誉であり出世であろう。が、これにも元忠

「我が愚息をもって下総守殿の息女と縁組せるということ、これは仰せに従いましょう。
…ですが、その息子を殿下に召し仕えさせるということ、これはお断り申す!

この元忠の家は、先祖以来徳川譜代相伝の家従の者であり、それは子孫へと伝えていくものです。
他家に奉公仕る事の出来るものではありませぬ!」

結婚は認めるが秀吉に仕えさせるのは御免被る、というのだ。
半ば秀吉の顔を潰すも同様である。しかし秀吉

「鳥居が申すところ、道理である」

とあっさりその条件を認め、滝川雄利の娘を鳥居新太郎(忠政)に娶らせた。

やはり秀吉は、元忠のような無骨で主家への忠誠の塊のような男が、心底好きだったのであろう。
そんな事を感じさせる、鳥居元忠豊臣秀吉のお話。





354 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/15(火) 23:34:50.63 ID:pELZY6x7
ここでラスボスさんが切れちゃうと自分の器が小さくみえるからそういうことはしないんだろうね~
まぁ、これが直臣だったら後で・・・

滝川雄利の人質

2010年09月27日 00:00

246 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/09/26(日) 17:03:21 ID:aeMo3vtX
殺されるはずだった人質などを助命した話しとかない?




254 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/26(日) 19:45:52 ID:C1D62bma
>>246貴殿がお望みの主旨とはズレると思われるが


天正12年(1584)、羽柴秀吉と織田信雄の間で緊張が高まる中、信雄の重臣・滝川雄利は、秀吉のもとに人質として
わが子を送り、秀吉はこれを脇坂安治に預けた。

ところが信雄は徳川家康と組んで秀吉に対することになり、雄利はなんとか子供を取り返そうと考え、安治に
「妻の病が重い。子供を一時こちらに戻し、対面させてやってほしい。」と申し出た。
安治は申し出を請けた。まんまと子を取り返し、後顧の憂いの無くなった雄利は、伊賀上野に築城まで始めてしまった。

上野城の話を聞いた秀吉は、激怒した。
「安治!雄利の子を連れて来い!!」「えー、あー、そのぅ、返してしまいました!」
秀吉の怒りは、頂点に達した。

「道理で、雄利め…この始末、どう付けてくれるつもりじゃ!!」
「も、申し訳ございません!これから上野城を攻め、討ち死にして参ります!」
「ふん!三千石取りの、おまえの配下など数十人しかおらんのに、どうやって城攻めが出来る?まさか、攻めるなどと
言いつつ、雄利に呼応するつもりではあるまいな?」
「なんで秀吉様の恩を忘れましょう?お疑いならば、私も母を人質として残して行きます。御免!!」

涙まで流して秀吉のもとを発ち、二十人ばかりの配下を連れて伊賀に入った安治は、それはもう必死で地侍に説いた。
「雄利を討つために、助太刀を願いたい。味方になり、功のあった者は所領を安堵し、先に取った人質も返そう。」
たちまち多くの地侍が味方になり、安治は上野城の攻略に成功し、戦後に摂津能勢一万石を与えられた。


世知辛い戦国の世に、あっさり雄利の子を返した事と言い、伊賀の地侍への説得のセリフと言い、好意的に見れば
実は人質を取るのが嫌いor卑怯な事と考えてたんじゃ?という、地味に漢な貂の皮の人の話。




255 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/26(日) 19:47:53 ID:OS0IU9ND
どう見ても悪い話しでしょ・・・