494 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/04(日) 13:42:34.60 ID:Iwqz73Ky
鳥居左京亮(忠政)の家臣に、瀧斎宮という児小姓があった。これは堀某より借り受けた者であった。
ある時、中小姓のある者が、この斎宮に懸想し艶書を送った。「あなたのためならこの身命とも代える」との
内容であり、これに斎宮もほだされ「然れば今宵、我が部屋へ忍び来るように。」と返事を出した。
これによってその夜、かの中小姓は忍び来て斎宮の部屋の外に佇み中の様子をうかがっていたところ、
他の小姓がたまたま小便に起きて彼に気が付き、怪しんで「誰だ!?」と声をかけたが何の返事もなかったため、
盗賊だと思いだた一刀に切り捨てた。これによって早速検分されたところ、中小姓の某だと判明した。
しかしここに忍び入ったことは確かなのだから、きっと盗みに入るためだったのだろうと結論され、
終に賊の名を負った。
その後月日を経て、『あの中小姓は斎宮と密通していたのだ』との噂が人々に流れたが、斎宮自身は
『一度文通しただけで、面会したこともないのだから、密通ではない。』と思い、一向に
知らぬ顔をしていたのを、人々は却って『卑怯者よ、臆病者よ』と様々に蔭口した。
ある日、厩の者が傍輩を斬り殺して二階に立て籠もるという事件があった。
この時、大勢集まってきたが、『どうすべきか』と評議ばかりして、私が討ち取るなどと言って
二階に上がる者は一人も居なかった。
斎宮はこの時、未だ17歳の若輩であったが、事件のことを聞いて馳せ来たり、一人犯人が立て籠もる屋内に
入ろうとした。これに集まっていた大勢の者達は「一人で入るのは危ない!今皆で評議している最中だ。
暫く待たれよ!」と止めた。斎宮は人々に向かい
「人を殺した者を助命するというのならば、評議にも及ぶでしょう。しかし討ち果たすのに評議には及ばず!」
そう言って屋内に入り直に階段を登った。犯人は上から長刀を振り上げ、拝み打ちに打ち下ろしたのを、
斎宮は受け流しつつ飛び上がり、ただ一刀に首を打ち落とした。犯人の体は二階に倒れ、首は一階に落ちた。
斎宮はその首を持って主人の鳥居左京亮の前に出て
「私の事ですが、先達て中小姓の某と密通いたしたと人々が噂しています。勿論これは、全く根拠の無い
話ではありません。彼とは一度文通をいたしました。しかし面会したことは一度もありません。
そして中小姓が不慮に斬り殺されて以来、人々は私を、卑怯者臆病者と言うように成りました。
ですので、いつか臆病者ではない証拠を見せ付けてくれようと思っていましたが、徒に人を殺すわけにもいかず
耐えていたところ、幸いにも今日、切り捨てて苦しからざる者が現れました。そこで早速駆けつけ、
この通り首を取ったのです。」
そう言上して左京亮の御前を退いた。
それから、彼を臆病者と言った人々の家々に、首を持って見せて回ったという。
鳥居左京亮はこの斎宮に甚だ感心し、堀某に斎宮の手柄を申し送ると、その後、松浦肥前守がこの
斎宮の働きぶりを聞き、たって所望し、終に松浦家に仕えることとなった。
彼はおいおい立身し、禄千石を有し瀧弥右衛門と名乗った。
(明良洪範)
鳥居忠政の児小姓・瀧斎宮についての逸話である
鳥居左京亮(忠政)の家臣に、瀧斎宮という児小姓があった。これは堀某より借り受けた者であった。
ある時、中小姓のある者が、この斎宮に懸想し艶書を送った。「あなたのためならこの身命とも代える」との
内容であり、これに斎宮もほだされ「然れば今宵、我が部屋へ忍び来るように。」と返事を出した。
これによってその夜、かの中小姓は忍び来て斎宮の部屋の外に佇み中の様子をうかがっていたところ、
他の小姓がたまたま小便に起きて彼に気が付き、怪しんで「誰だ!?」と声をかけたが何の返事もなかったため、
盗賊だと思いだた一刀に切り捨てた。これによって早速検分されたところ、中小姓の某だと判明した。
しかしここに忍び入ったことは確かなのだから、きっと盗みに入るためだったのだろうと結論され、
終に賊の名を負った。
その後月日を経て、『あの中小姓は斎宮と密通していたのだ』との噂が人々に流れたが、斎宮自身は
『一度文通しただけで、面会したこともないのだから、密通ではない。』と思い、一向に
知らぬ顔をしていたのを、人々は却って『卑怯者よ、臆病者よ』と様々に蔭口した。
ある日、厩の者が傍輩を斬り殺して二階に立て籠もるという事件があった。
この時、大勢集まってきたが、『どうすべきか』と評議ばかりして、私が討ち取るなどと言って
二階に上がる者は一人も居なかった。
斎宮はこの時、未だ17歳の若輩であったが、事件のことを聞いて馳せ来たり、一人犯人が立て籠もる屋内に
入ろうとした。これに集まっていた大勢の者達は「一人で入るのは危ない!今皆で評議している最中だ。
暫く待たれよ!」と止めた。斎宮は人々に向かい
「人を殺した者を助命するというのならば、評議にも及ぶでしょう。しかし討ち果たすのに評議には及ばず!」
そう言って屋内に入り直に階段を登った。犯人は上から長刀を振り上げ、拝み打ちに打ち下ろしたのを、
斎宮は受け流しつつ飛び上がり、ただ一刀に首を打ち落とした。犯人の体は二階に倒れ、首は一階に落ちた。
斎宮はその首を持って主人の鳥居左京亮の前に出て
「私の事ですが、先達て中小姓の某と密通いたしたと人々が噂しています。勿論これは、全く根拠の無い
話ではありません。彼とは一度文通をいたしました。しかし面会したことは一度もありません。
そして中小姓が不慮に斬り殺されて以来、人々は私を、卑怯者臆病者と言うように成りました。
ですので、いつか臆病者ではない証拠を見せ付けてくれようと思っていましたが、徒に人を殺すわけにもいかず
耐えていたところ、幸いにも今日、切り捨てて苦しからざる者が現れました。そこで早速駆けつけ、
この通り首を取ったのです。」
そう言上して左京亮の御前を退いた。
それから、彼を臆病者と言った人々の家々に、首を持って見せて回ったという。
鳥居左京亮はこの斎宮に甚だ感心し、堀某に斎宮の手柄を申し送ると、その後、松浦肥前守がこの
斎宮の働きぶりを聞き、たって所望し、終に松浦家に仕えることとなった。
彼はおいおい立身し、禄千石を有し瀧弥右衛門と名乗った。
(明良洪範)
鳥居忠政の児小姓・瀧斎宮についての逸話である
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