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徳容の普段の心掛け

2013年12月15日 19:18

883 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/14(土) 23:47:26.20 ID:wVoCp08T
熊沢勝右衛門正英は、寺沢志州がいまだ身分の低かった時からの姉婿である。

生国は尾張の瀬部であるが、後に志州が唐津に招いて最も篤く接待した。
剃髪して徳容と号し、嫡子三郎右衛門は禄二千石を受けて長臣となる。

ある夜、盗人があり、そこだぞここだぞと騒ぎになった。宅地の隅には高木が屏の上に
枝を垂れているところがあり、徳容は「盗人があらば、ここをたよりにして越えるだろう」
と、日頃から見定めていたので、ただちにその屏の陰に走って盗人を待った。

思った通り、盗人はその屏に登って逃げようとしたので、徳容は簡単に盗人を斬り留めた。

志州はこれを聞いて「壮年の者がかえって七十有余の徳容に殺されたのは、少しも
(壮者の)つたなさからではない。まさしく(徳容の)普段の心掛けに基づくのだ」と戒めた。

――『武将感状記』





884 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/16(月) 13:26:14.26 ID:2+k2fDbU
>>883
現代にも通じるな
まあ押し込み強盗は稀だけど、災害時の逃げ口なんかは想定しておくとよいかも

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