大内か、陶か、

2014年08月18日 18:51

967 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/18(月) 13:46:30.58 ID:040eP83M
天文20年(1551)、陶隆房が主君・大内義隆への反抗を強め、大内家が大寧寺の変に向けて
緊迫の度が増す中、大内配下の有力国人である毛利元就のもとには、大内義隆方、陶隆房方双方より
加勢の申し出が来た。

このような中、元就の前に児玉三郎右衛門(就忠)が座していたが、元就は児玉に
「どちらに与するべきだろうか?」
と尋ねた。児玉は少しも思案する様子もなく、即座に
「陶に一味然るべきです。」
と答えた。これに元就は笑い出し
「当家興亡の大事は今この時だというのに、いささかの思慮にも及ばないとは、
いい加減な意見なのだろう?」

「とんでもありません。この考えは兼ねてから我が心で量見していた物なのです。」

その後、元就は子の隆元、元春、隆景、その他の重臣たちを集め、このことを評議した。
ここで熊谷伊豆(信直)が発言した

大内義隆は、近年武業を取り失い、遊楽に浸っており、その家人は多くそれを疎み、
大内家内の権勢は、却って陶に及びません。大内義隆が勝利することはないでしょう。

尤も、主従が争う時、主を助ける事は義に当たります。ですが滅びようとするものに対し、
そちらに与して共に滅んでは益がありません。

そもそも毛利家は大内家に対し、重恩の家というわけではありません。時の権威に従って、
一旦麾下に属したにすぎないのです。ですから、ひとまず陶に一味して、重ねて
大内義隆の敗北後、その泉下の恨みを散ぜられる謀を行えば、当家はいよいよ興隆するでしょう。」

この言葉に元就は
「先に児玉が申したことも、今の熊谷の言葉と符合している。そして私が心に考えていることも、
その通りである、」

こうして一座の衆議はこれに決し、陶隆房に対し一味する返答を行った。

(芸侯三家誌)

毛利元就が陶に与することを決めた協議についてのお話。




968 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/18(月) 15:26:10.22 ID:9GbdPUW0
書状で言ってることのかけらもないのがな

969 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/18(月) 16:09:54.29 ID:/Bls1iEJ
隆元がもどっててよかったな。

970 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/18(月) 16:20:32.05 ID:wRMqwQur
こんな状態でよく何年も持ったな

971 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/18(月) 16:21:55.31 ID:1+7elZ3Y
うーんこの元就クオリティ

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吉川元春の嫁取り

2014年08月17日 21:01

540 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/16(土) 22:23:07.18 ID:xsgsEIHY
ある時、毛利元就は家臣の児玉三郎右衛門尉を呼んで、この様に言った
「我が子元春には未だに妻室が無い。誰の娘を娶るべきか、元春の心を聞いてきてほしい。」

そこで児玉が元春にこれを聞くと、元春は
「それに関しては、唯父元就の命に従うだけだ。ただ、私に選べというのなら、熊谷伊豆守信直の娘が良い。」

児玉はこれを聞くと
「熊谷の娘は、憚りながら悪女であると聞き及んでおります。もしや聞き誤り、かの娘が容貌美しいと思われて
いるのではありませんか?」

「いや、私も醜いと聞いている。しかれども今中国に、熊谷信直に勝る侍大将は居ない。
私が彼と親しくなれば、信直はいよいよ元就に対し忠志を尽くすであろう。
彼と私が元就の先陣にあって謀戦を励むにおいては、いかなる強敵・堅陣であっても、これを破るのに
難しい事があるだろうか。

これは父元就に対しては孝であり、私自身においては、武功を顕す謀ともなるであろう。」

児玉はこれを聞いて感じ入り、すぐに元就の元へ行きこの事を説明すると、元就も大いに喜び、
終に熊谷の嫡女を、元春のために娶られたという。

(芸侯三家誌)

吉川元春の嫁取りの逸話である。




541 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/17(日) 01:45:30.42 ID:bLgdl1H3
ブス専だっただけ
理由は後付け

542 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/17(日) 02:32:54.03 ID:Q9NvVqIk
悪女って醜女の意味なのかな

543 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/17(日) 02:38:39.62 ID:xR3u/Nfx
名字に熊とか入ってるから
ヤワラちゃんみたいなのだったんだろう

544 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/17(日) 02:45:09.50 ID:ke4jFHHh
戦国版勇者谷かよ

546 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/17(日) 04:58:26.87 ID:jAAhxmxl
>>543
猪熊柔
羨ましい

547 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/17(日) 08:54:57.46 ID:60h2dRZF
吉川晃司って末裔だろ。要素入ってるのかねw

548 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/08/17(日) 09:43:55.87 ID:LA87lVqN
吉川広家が生きてた頃に纏められた書物には不美人とは書いてなく、少し後の陰徳記と陰徳太平記から不美人と言う記述がなされとるんよね。
また、武田光和に嫁いだ新庄局の叔母は美人だったと言われるし、陰徳記を書いた香川氏は熊谷氏の同僚(武田時代)から後年毛利傘下になってからはライバル視してたと言う話も有るし…
実は不美人ではなかったんじゃないかと思う今日この頃。

549 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/17(日) 09:50:44.70 ID:2DmfOBk9
当時の美醜の価値観って現代とどれくらい違うの?
平安時代のおなごは下膨れが~ぐらいしか知らない

550 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/08/17(日) 10:08:46.39 ID:jR02EXhj
現代でも
80年代→聖子ちゃんカット

から今までに至るまで髪型から服装とか色々変遷有ったからなぁ…

551 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/17(日) 10:12:34.24 ID:lsq+fZgL
つまり戦国一の美人であると言われているお市も現代の人が美人だと思うかどうかはわからないってことだな

552 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/17(日) 10:37:04.37 ID:bLgdl1H3
惜しいかな後世、お市の方を云いてお犬の方を云わず

557 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/18(月) 06:37:57.44 ID:Wv1ssEGW
>>552
お犬さまって佐治一成の母ちゃんか
畠山昭高に嫁いでいた不詳娘と勘違いしていた

逆襲の熊谷信直

2014年08月17日 21:01

955 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/17(日) 16:30:49.19 ID:LA87lVqN
逆襲の熊谷信直

1527年頃のこと、安芸船山城の城主である山中佐渡守祐成は悩んでいた。
それは同じ安芸武田家傘下の将で、隣接する三入庄を支配する熊谷信直の存在である。
勇は熊谷、智は天野と称されるほど安芸では名の知れた武将であり、その配下にも
優れた者が多く、いずれは我が領土を熊谷に侵されるのではないかと危惧していたのであった。
事実、熊谷信直は主の武田光和に知行を増やすよう訴えており、それが隣接する山中祐成の心を
更にざわつかせていたのである。

殺られる前に殺ってしまえ。だが、正面からでは分が悪い。
祐成は息子の新四郎と謀って熊谷信直を闇討ちする事にした。
熊谷信直は毎晩、馬の世話をする為に城から一丁離れた馬小屋へ一人で訪れる。
この情報を得た山中親子はここで熊谷信直を討ち果たさんと決意した。

そして、その決行の日・・・。熊谷信直は突然の腹痛に倒れていた。

分かったよ兄者         腹壊したからお前代わりに行って来て
彡 ⌒ ミ             <⌒/ヽ___
(´・ω・`)           /<_/____/
(    )           ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

信直は代わりに弟、直続を馬小屋へ行かせることにした。
この日の夜は大変寒く、直続は厚着をして顔も隠れるほど寝着を被って出かけたのであった。
       (~)
     γ´⌒`ヽ ウー、サブイサブイ
      {i:i:i:i:i:i:i:i:}
     ( ´・ω・)
       (:::O┬O
    ◎-ヽJ┴◎ 

(●●●●●) あ、来た。いてまえや!
 /   ヽ
|| 山中 |
 し|  i |J=二フ  
  |  | ノ  
  し' し'  

そして弟の直続とは知らず襲い掛かる山中親子であったが、厚着の為に止めを刺したかも確認は取れず、彼らは
引き返したであった。この時厚着が幸いして熊谷直続は一命を取り留め、城に帰って兄にこの事を報告する。
それを聞いた熊谷信直は「相手がそういう事をするならこちらも謀をもって敵を討たん」と、策を練った。
その後、熊谷信直は今まで以上に山中家との交流を深める事に努め、山中家の方はこの件がバレているとは思っておらず、
熊谷家にすっかり心を許して交際に応じていた。
それから数年後、1529年ごろのことである。熊谷家から「毛利が攻めてくるから、守りの為の砦を築いたので祝宴するから来られたし」
と、招待を受けた山中親子はそれに応じ砦に赴くのであった。そして、その宴の最中、山中親子とその配下約30名は別々に熊谷信直と
その郎党の手により討ち取られ、命を失った。
その後、熊谷信直はすぐさま300の兵を率いて山中氏の船山城を急襲。ほぼ無血で占拠し、山中氏の所領と更には主である安芸武田氏の
領地も掠め取ることに成功したのであった。
主である武田光和はこれを黙認したものの、後にこの領地の件で熊谷信直が大内義隆、毛利元就と密約を結び熊谷の領有を認めさせた事
が露見、また、武田光和の側室であった熊谷信直の妹が兄の一存で離縁させられ、他家に再嫁させられるに及び、かつては水魚の仲と言われた
主従の仲は完全に破綻。横川表の戦いが勃発するに至るのであった。(陰徳太平記・可部町誌)





958 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/17(日) 20:06:31.61 ID:gQlP9Xe/
たかが服の厚手薄手の差で、と思うけど
分厚い綿って腕のない奴が斬るの難しそうだもんなあ
闇討ちの類でもやっぱ腕の立つ奴がやらないとだめなのね

忠恒が家中の上意討ちに東郷さん重用してたわけだ

961 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/17(日) 21:27:47.76 ID:jAAhxmxl
>>958
そこで至近からの種子島ですよ

962 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/08/17(日) 22:08:46.30 ID:LA87lVqN
>>958
この暗殺未遂事件自体が後に作られた話かも知れないのもあるけど、当時の夜は今より遥かに暗かったろうし、専門の殺し屋でもないからしくじるのも仕方ないかなとか思ったり。

963 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/18(月) 06:57:28.99 ID:aHrSRIl1
城主が晩に一人で馬の世話とか襲ってくれと言わんばかりで嘘くさいなあ

965 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/18(月) 12:05:46.75 ID:ZlsX7Q6S
紙でもいいんだよ。たぶんアエラぐらいの厚みの雑誌でも槍なら通らん

966 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/18(月) 12:20:41.64 ID:ll8mFeEo
稲富「二枚重ね着すればいいじゃない」

毘沙門天の縁結び

2014年06月15日 18:52

512 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/06/15(日) 00:16:25.01 ID:59CefDBr
毘沙門天の縁結び

安芸武田家の9代当主、光和。安芸守であり安芸国内における反大内派の筆頭でもある。
その武勇で近隣に恐れられ、陰徳太平記では死後魔王になったとも伝承される人物であるが、
彼はある時一人の女性に恋をしていた。
相手は配下である熊谷信直の妹であった。余談であるが後年、吉川元春に嫁いだ熊谷信直の娘は陰徳太平記によると醜女と
言われているが、この妹は大層な美人(息子で毛利元就の影武者を勤めた、武田宗慶も容姿端麗と伝う)であったという。
熊谷信直にアタックを掛ける光和であったのだが・・・

(*^◯^*)「妹さんを嫁にくーださい!」
(●▲●)「殿には吉川殿から嫁いだ正室が居るからあーげない」
:(*゙゚'◯゚'): 「」

と、断られたのであった。何度も何度もお願いする光和であるが、その都度熊谷信直は
頑として断るのであった。

どうしても諦めきれない光和であったがある日の晩のこと、彼の居城・武田山近くの緑井岩谷にある毘沙門天が、
光和の夢枕に立ったのである。

|´」`|「汝の恋が叶うか叶わぬか、我が境内の奇岩に石を投げて占うが良い。」

不思議な夢を見た光和は、早速お告げのあった毘沙門天の境内にこの奇岩を尋ね、
夢に従い石を投げつけた。光和が投げた石は見事奇岩の穴に嵌ったのであった。
この後、信直の舅に当たる武田家家老の品川右京亮が説得したことで、信直も妹が
光和に嫁ぐことを渋々承知し、晴れて二人は夫婦となり、光和も大変喜び正室よりも
仲睦まじい夫婦となったと言う。

この後、この毘沙門天の奇岩は「縁結びの石」として近隣の若者が恋の成就を占う為、
好いた女性の名を心に浮かべ、石を投げてその成否を占う様になり、今に伝わる事となったのである。

めでたしめでたし・・・・

と、言いたい所であるが残念ながらそうは終わらないのであった。

この後、二人の間には男児が一人生まれ、その子は後に毛利元就の影武者として仕える事になるのであるが、
その子がまだ幼い内に熊谷夫人はある日、何を恨みに思ったか側仕え1人を連れて武田山を退去し、光和と離縁する事になる。

実家の熊谷家に戻った夫人は兄・信直に叱られた後、三須房靖という者の所へ再嫁することになる。
夫人を返すよう迫る光和であったが時既に遅し。また、同じころ信直が敵方の大内・毛利と密約を
結んだことが発覚。更に信直は武田家の領地を掠め取り、完全にキレた光和は1533年、配下の国人衆1000を動員し
信直の居城・三入高松城へ侵攻。横川表の戦いが勃発し、以後熊谷氏は完全に大内・毛利方となるのであった。

この戦いで敗れた安芸武田氏は、以後徐々に衰退していくこととなるのであった。
結果が残念な縁結びのお話である。





515 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/06/15(日) 07:04:13.71 ID:5gHeMh5m
勝手に帰ってきてそんな状態でさらに別のところに嫁げるのか
受け入れる方も受け入れる方だし戦国時代の婚姻はよく分からん



517 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/06/15(日) 08:55:23.44 ID:59CefDBr
>>515
妹の嫁ぎ先の武田光和と兄・熊谷信直は2人とも父を毛利元就に討たれたりした縁もあってか
水魚の交りと言われる程仲が良かったそうです。
とはいえ父の死後、妹を大事に育ててきた信直は可愛い妹が主君の側室になるのは否定的でした。

また、1524年に大内義興が武田山に攻めて来た時、当時はまだ尼子側だった毛利元就が
援軍に来て、大内方は夜襲を受け、撤退。その戦い振りを見た熊谷信直は元就を仇としてではなく、
1人の大将として評価する様になったそうです。武田光和は父の仇としてずっと恨んでいたみたいですが。

その3年後の1527年位に同じ武田配下の山中氏が独断で熊谷信直を討とうとして失敗。1530年頃山中氏は熊谷氏に討たれ、
その領地は熊谷氏の物となります。
その頃既に熊谷信直は毛利家を通じて大内義隆から山中氏を討ってその領地を得る密約を取り付けていたと言われます。
武田家を離反するのは信直の既定路線であり、妹の離縁と再嫁は渡りに船または信直の指示だった可能性も有るのではないかと言う話です。

陰徳太平記には年代はハッキリしないものの、武田光和と熊谷信直が不仲になる過程の話も
書かれているそうなので、また探してみたいと思います。



519 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/06/15(日) 21:37:09.72 ID:7JvTsUuV
安芸熊谷氏は鎌倉レジェンド熊谷直実の子孫です
豆知識