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熊谷大膳の最後

2013年08月27日 19:51

215 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/27(火) 06:38:26.00 ID:U2EEhzjR
秀次の重臣熊谷大膳は嵯峨二尊院にいたが、徳善院は賜死の使者として
大膳と親しい家老松田勝右衛門を遣わした。

大膳は松田と会い「私が召し使っている者どもが最後の供をしたいと言う
のを色々と押しとどめています。もし私が死んだあとにこの旨に背いたら
来世までも勘当し縁者一類をも五畿内近国より所払いにすると申し付けま
すので、くれぐれもお願いします」と頼んだ。

最後の盃を松田と酌み交わしていると、大膳の郎党どもが「最後のお供を
すれば勘当されるのならお先に参ります」とあっと言う間に三人が腹を
切って死んでしまった。

残るものはこれを見て「これは理である」と我も我もと続こうとするのを
松田の郎党や寺中の僧達が一人につき三人五人と取りついて、太刀を奪い
取った。

大膳はこれを見て「何という不覚なる者どもか、誠の志あれば命長らえて
熊谷の菩提を弔って欲しい。これでは却って黄泉路のさわりとなろう。

主がこの世にあればこそ主の為に命も捨てるのだ。

この大膳もすぐさま出家して主君の御菩提を弔いたいがお許しが無くて
どうしようも無いのだ」と涙にむせんだ。

郎党も仕方がないと諦め「皆で髪を剃り主の御坊の御弟子となって、後は
ねんごろに弔います。御心易く最後のご用意を」と申した。

熊谷はことの他これを喜び、すぐに行水をして仏前に向かって礼をし客殿
の前に畳を裏返して重ね、その上で水盃を取り交わして、三方に乗せた
脇差を取り、西に向かって腹を十文字に切って、首をのべて討たせた。

松田も日頃から深い付き合いであったので、涙にむせびつつ御坊に頼み
百箇日までの弔いのように勤めてもらった。

(聚楽物語)

秀次事件に連座した熊谷大膳の最後について




217 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/27(火) 10:55:59.06 ID:9Cd7M8E5
小姓の自殺競争も秀次だったっけ
人徳あったのかなあ

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