降人を装い

2014年11月08日 19:21

707 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/07(金) 19:17:06.09 ID:S2gRtrs8
毛利元就尼子義久が籠もる月山富田城攻めにおいて当初、富田城中の者一人も落としてはいけないと、
所々に関所を据え、落人を絡め取って首を刎ねていたため、雑人達に至るまで、抜け落ちるもの無く
大勢城中に籠った。これは城中の兵糧を無くさせるための謀であった。
その他にも所々に付城を構えて、他国からの兵糧も絶ったため、富田城内はますます兵糧が乏しくなった。

そのように城中が窮乏すると、元就は一転して、富田城から落去する者達に対して、その命を助ける旨を
発表し、所々の道口を開いたため、雑人多く落ち失せ、尼子家臣の者たちすら、縁を求めて降参する者も出た。

ここに熊谷新右衛門原宗兵衛という者が、尼子義久にこのように申し上げた

「我ら両人、偽って毛利の本陣のある洗合に降人として出たいと思います。そのとき、
元就は必ず我々と対面するでしょう。ここで隙を伺い、彼を刺し殺します。
もしこれに成功すれば、私達の子供を世にあらしめて頂きたいと思います。」

この言葉に義久は、忠志少なからずと感動し、直ぐに両人の子供を召して、それぞれに五千余貫を宛がう
旨を記した判形を与えた。

それから熊谷と原の二人は洗合へと向かい、降参するということを申し入れた。
元就はこれを許し、対面することとなった。
その日は降参の者三十余人あって熊谷、原もその中に混じって出たが、予て考えていたのとは違い、
元就や輝元、吉川元春、小早川隆景は、一間(約2メートル)ほど隔たって着座しており、
その間に福原・児玉以下20余人居並び、奏者、酌に至るまで、みな両刀を差して用心の体であった。
このため二人は終に手を出すことが出来ず、そのまま頓首して退出した。

その後、元就は「今日降参した者の中で、5,6番目に出てきた二人は怪しいところがあった。
手堅く番を付け監視するように。」と命じ、侍十数人を付け置いたが、二人は隙を伺って終に逃げ去り、
富田城へと帰った。そこで義久はじめ城中の者達にその故を語り、大いに恐懼した。

その後毛利に降参した者が、この事を詳しく語ったという。

(芸侯三家誌)




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