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この敵兵に向けて正成が矢を放つと

2013年10月03日 19:30

243 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/02(水) 18:58:10.97 ID:isTVfQMf
三河牛窪の合戦の時、今川氏真の家臣、牧野右馬允成定は小坂井に出張し、
御油と刧村の間において徳川方の兵を囲んだ。時に内藤正成は後殿となって
追い来る敵を射る。その矢は鞍の前輪より後輪に貫かれ、敵兵は恐怖して退いた。

同年、徳川家康が御油城を攻めた時、城の男女ともに櫓に登って
鬨の声を揚げていた。味方の兵の多くがこれを射たが、間隔が遠く届かなかった。

時に家康は正成を呼んで射るように命じた。正成が直ちに三矢を放つと、
二矢が櫓の中に入り、敵兵は恐れをなして櫓より下った。

その矢には姓名が記されていたので、敵はその矢を徳川方に送り、矢文を添えて、
「今しばらく互いに矢止めしよう。この兵に再び一矢を放たせてくれ」と書いた。

家康はこれを見て「これは敵の謀だ。絶対に射てはならない」と制止した。
しかし、正成は勇敢忍ぶに堪えずして、進み出て矢を放とうとした。

その時、敵兵が楯を持って道のかたわらに伏せており、正成が進むのを待って
彼を突き殺そうとした。この敵兵に向けて正成が矢を放つと、その矢は楯を貫いて
かの兵を射殺した。両軍はともにこれを称賛した。

――『寛政重修諸家譜』





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