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主人を裏切った天罰でしょう

2018年01月10日 18:14

470 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/01/10(水) 09:24:14.09 ID:dL0PHSS6
伊達政宗が会津を速やかに制することが出来たのは、会津代々の家老、平田、松本、佐世、
富田といった、世に蘆名四天王と呼ばれる人々を始めとして、多くの重臣たちが謀反した
ためであった。

中でも安積郡の押さえとして猪苗代という城があり、ここに猪苗代弾正(盛国)といって、
蘆名数代の臣下があったが、欲に心を奪われ代々の主人に逆意して、政宗を引き込み
彼を猪苗代城に入れた事が、蘆名滅亡に直接つながったという。

かくして政宗は会津を存分とし、知行割をして功臣を賞した。
この時猪苗代盛国は伊達安房守成実を通して申し上げた

「かねがね会津別心の時、三ヶ条の望みとして申し上げていました通り、北方の半分を
下されますように。」

政宗は尋ねた
「弾正は北方にどれほどの所領を持っているのか?そなたに半分与えるとは聞いていないが…」

「私は北方には、領分少しもありません。恥じ入ることですが、譜代の主人に逆意仕ったのも
身のためであります。」

そして盛国の家臣である薄源兵衛と申す者が発言した。
「それがしが、その書付を書きました。”半”の字が無ければ切腹いたします!」

そこで政宗がその書付を取り寄せると、そこには『北方分』とだけ書かれており、『半』の
文字は無かった。

盛国は驚愕し
「主人を裏切った天罰でしょう」
そう言って猪苗代へと帰った。

しかし彼が伊達勢を引き入れなければ、会津はこのように速やかに奪うことできなかったと、
政宗は北方において五百貫の加増を盛国に与えたという。



472 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/01/11(木) 22:14:30.48 ID:RtY44ibW
>>470
で薄原は切腹したの?
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猪苗代家の家督相続の悪い話

2010年11月07日 00:01

422 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/06(土) 01:26:14 ID:AWA8RrQz
じゃあジャムの口直しに

猪苗代家の家督相続の悪い話

陸奥猪苗代氏は蘆名氏の重臣であったが、自立傾向が強く度々反乱を起こしていた。
猪苗代盛国も最初は蘆名盛氏の家臣として仕える。
1585年、嫡男の猪苗代盛胤に家督を譲って隠居したが、
1588年、後妻の息子であるを溺愛し、後妻の讒言に乗って盛胤を廃嫡しようと画策した。
盛胤に譲ったはずの猪苗代城ごと伊達軍に寝返り、その軍勢を招き入れ、摺上原の戦いでの
蘆名氏惨敗の原因を作った。
その際、後妻の息子を伊達方に人質として差し出している。
この功績により伊達氏の準一門に列せられ、5000石を食む栄光を手に入れたのである。

結局猪苗代氏の家督は次男の宗国が継いだ。

本来嫡子であった猪苗代盛胤は葦名義広と常陸へ逃れたが
やがて猪苗代に戻り庵を作って隠棲したと伝わる。





425 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/06(土) 07:57:30 ID:CPNOf8DG
>>422
長男悲惨だな…
殺されなかっただけましだろうか

434 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/06(土) 22:25:42 ID:6RZjQHDj
>>422
嫡男 VS 弟&父
この構造ってほんと多いねー
伊達と蘆名に別れて御家の生き残りを賭けたのかな。

437 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/06(土) 22:37:25 ID:kCzuxUdj
>>434
家中が揉めるテンプレですから^^
江戸時代に入ってからでも大して変わってない気がする~

438 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/06(土) 22:48:24 ID:V6VLCovx
>>434
大陸じゃそれがあるから父親が若い女こさえて子供ができたときは、
古女房とその息子が、父・女・子供を先んじて殺しとくもんだ。
とか書かれていた本があったな。